6:55打尾谷出発 小雨時々雪 気温4度
7:25弓道小屋
10:10鷹の巣山
10:55猿山越
11:40灰郷スマモ山
13:30小室井山
15:25色梨林道三叉路(色梨橋)
16:20熊押峠
17:35打尾谷
湯来町は、昭和31年9月に上水内村、水内村、砂谷村の三村が合併して発足した。町名の由来は、広島県唯一の湯来温泉の地名。
旧三村は1889年(明治22年)町村制施行時に、上水内村は多田・菅沢の二村が、水内村は和田・麦谷・下の三村が、砂谷村は伏谷・白砂・葛原の三村がそれぞれ合併したもの。
湯来町は今年4月広島市に合併、編入された。原爆投下後に降った黒い雨の降雨地域は湯来町まで及び、「証言 湯来のヒロシマ」が平成5年に発行されている。
林道色梨線 起点の表示
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熊出没注意 |
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打尾谷の奥の集落から旧道をしばらく歩くと色梨林道の分岐に出る。分岐に林道色梨線起点の表示がある。県道の下を通って林道を進むと、15分ほどで広大弓道部の小屋がある。小屋の横に「熊出没注意」の看板が立ててある。
小屋の前へ降りている尾根を登った。少し上るとクマの足跡が尾根の西から東へ横切っていた。クマはときどき冬眠から覚めて、エサをさがしているのだろうか。尾根径はマツ林がつづいている。高度が上がるにつれ、小雨は霙から小雪に変わる。振り返ると湯来冠が見える。ノウサギの足跡が切れ目なく尾根を登っている。シジュウカラが近づいて来て歌っている。
尾根径は湿った重たい雪で、3時間ほどで稜線に出た。新雪が数センチ積もっている。林間から灰郷スマモ山が見える。そこから15分ほどで鷹の巣山。林で展望はない。2万5千地図ではここから北の989.0峯が鷹の巣山となっているが、この峯は栃山という。
「現在筒賀村で鷹の巣山と呼んでいる山はタカノス谷の水源にある980メートルの峯である。その近くにある989.0メートル峯の点称は鷹の巣≠ナあるが、現在この山は馬越、坂原ではともに栃山と呼んでいる」(「西中国山地」桑原良敏)。
ヤマドリとノウサギ |
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鷹の巣山を下った。アセビは早くから花芽を付けているが、咲くのは大分先だ。小室井山の方向へ鉄塔が見える。ヤマドリとノウサギの足跡が並んでいる。ヒノキ林の間から日の平山が見える。936ピークを通り、鷹の巣山から40分ほどで猿山越。猿山越は猿の居る峠でなく、「猿でないと通れない急峻な場所」(「西中国山地」)という。確かに峠にしては猿山越の東西は急な下りになっている。
猿山越から少し登ると前方にスマモ山が見えてくる。振り返ると歩いてきた尾根径のパノラマが広がっていた。鷹の巣山の左に栃山、その左に市間山がある。南側が開けた展望地に出ると、打尾谷から上がる湯来冠への山並みの南に大峯山の秀麗な姿がうすく覗いていた。スマモ山へ登る径の西はヒノキ林だが、東側は潅木ばかりで樹木がない。打尾谷から3時間半ほどでスマモ山に到着した。山頂は広場になっており、西側は植林帯、東が開けているが小雪がひどくなり見通しが利かなくなっていた。
灰郷スマモ山(字名色梨)は昔早郷猿山≠ニ呼ばれていたようだ。「芸藩通志」(1825年)に早郷猿山がある。南のオリオ谷に栗谷郷集落(三軒)が昭和十五年頃まであったというから、早郷という集落がかつて色梨谷にあったのかもしれない。
昭和33年の第4回広島県統計年鑑の主要山岳の項に980.0m峯として、湯来町と筒賀村の境に早郷猿山がある。これは広島山岳会「広島県山岳目録」の資料によるもので昭和7年の調査結果と付記してある。早郷猿山は昭和48年の統計年鑑で高さが989.0mに訂正され、広島山岳会の資料による昭和7年の調査結果を昭和38年発行の地図で訂正したと付記されている。この山は2万5千地図の鷹の巣山(点名 鷹の巣山)を指していると思われる。
989.0m峯は栃山、980m峯は鷹の巣山のことなので、年鑑の山名は間違っているようだ。
「早郷は現在、灰郷と書いている。昔、イロナシ谷左岸一帯を早郷官林と呼び、この1020.6m峯も官林の中に入っているので早郷猿山がこのピークの呼称であったらしいことは判明したが、現在は使われていない…この山の南面は本多田川水系のオリオ谷の水源帯で、付近一帯の平坦地をスマモと呼んでいる。打尾谷ではスマモの奥の一番高い山といえば通じるので灰郷スマモ山の仮称がよかろう」(「西中国山地」)。
明治17年の県統計書に著名官林の項があり、湯来管内では林名に恵下谷山ノ内地獄谷山(和田村)と不明山(麦谷村)があり、樹名に松、杉、檜、栂、樅、欅、栗、栃、梅、櫻、槇がある。
神戸市の須磨は六甲山地の南西端で、摂津国(阪神)の西の隅が転じてスマとなったとの説が有力のようだ。須磨は源氏物語にもある古い地名で、須末、州磨、須麻、周麻、周間、珠馬、為間など、いろいろな字があてられたが、スマ≠フ読みは変わらず、須磨に落ち着いたようだ。
すま刈り≠ヘ、隅刈りのことで田んぼの四スミを刈ることを意味し、ネットで検索すると全国共通で呼ばれている。
スマ≠ニ呼ぶ地名は須磨(高知県)、須万(山口県)、須摩(山形県)、角井(茨城県 スマイ)、角田(岐阜県 スマダ)、角山(千葉県 スマヤマ)などがある。
「スマはスミ(隅)の訛った読み方」(「西中国山地」動物方言の項)という。
小室井山の東の1045ピークから降りるオリオ谷本谷は湯来と吉和の境界付近を通り、1045ピークから灰郷スマモ山への尾根は湯来と筒賀の境界にある。打尾谷(ウツオダニ)の人々がスマモと呼んでいる地域は吉和村、筒賀村、多田村の三村の境界にあり、多田村の北隅に位置している。
灰郷スマモ山から12km南西、大峯山西の七瀬川に河面(コウモ)がある。カシミールでは他に広島県府中市の河面町、岡山県、大分県に河面があり、コウモ、コオモ、カワモと読む。いずれも川の傍の平坦地にある。
面を含む地名に川面(カワモ)、広面(ヒロモ)、大面(オオモ)、方面(カタモ)、北面(キタモ)、田面(タモ)、西外面(ニシドモ)、日面(ヒウモ、ヒオモ、ヒヨモ)などがある。
面(モ)は大辞林では表面。あたり。方向を意味する。
スマモ≠ェ地理的位置から呼ばれている地名とすれば、スマモは村境のスミの平坦地にあることから隅面、角面≠ニ表すのかもしれない。
小雪の中、早々に小室井山へ向かった。少し下ると、この尾根径では一番大きなブナがあった。尾根を進むと正面に小室井山と、そこへつづく長い尾根を見渡すことができる。振り返ると雪の白い山肌の上にスマモ山があった。オリオ谷の本谷を俯瞰できる尾根にくると、谷の正面に湯来冠の山容があり、その右に大峯山が見える。小室井山手前の展望地から栃山、鷹の巣山が大きな山塊に見える。スギの木が雪で倒れ、アーチ模様を形成していた。
ユスリカ |
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小室井山近くの尾根に上がると、スキーの跡が山頂に向かって続いている。林間コースのようだ。山頂に近づくとまた雪がひどくなった。今日は山頂付近に来ると雪が降る。雪の中を虫が舞い降りてきた。ユスリカの一種のようだ。春から秋の間は眠って、冬のみに活動するユスリカがいる。
スマモ山から2時間ほどで山頂に到着した。山頂の雪は1mほど。小室井山の標柱が頭を出している。標柱の後の林の中に三角点があるようだ。赤白の旗が雪の中に立っていた。大聖寺川の水源が小室井山へ向かっている。
雪に埋まる小室井山の標柱 |
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「戦後吉和村は大聖寺川水源帯に四十数戸の開拓村を作ったが厳しい自然に適応しきれず離村者があいつぎ、筆者らが入域し始めた昭和三十年代は一軒残っていた。その後無人となり、大聖寺川水源から小室井山にかけては皆伐され東山牧場として生まれ変わったが、経営がうまくいかず、最近では県立の森林公園にするという話を聞く」(「西中国山地」)。
1984年のオープンから21年が経過したもみのき森林公園は、年間四十万人を超えた客数がここ数年は三十万人を割って低迷している。森林公園を委託管理している「(財)もみのき森林公園協会」の経営は、広島県の財政的援助を受けてようやく収支をを維持しているようだ(平成15年度)。
雪は止まない。早々に下山。少し戻ってスキーの跡を辿った。南の色梨林道に向かって降りた。しばらく林間のスキー道が続く。40分ほどで林道に出た。さらに10分ほどで次の林道へ出た。最初の林道が下へ降りているようだ。重機が雪を被っていた。この辺りで林道工事の途中だったようだ。
そこから少し登って970.6ピークに着くとスギ林の中にブナが一本だけ大きく成長していた。植林の際に伐採されずに残ったブナと思われる。少し下ると林道の終点、先ほどの林道が下まで延びている。この辺りは林道が縦横に入り込んでいる。人の踏み跡のような足跡が下へ続いている。最後の林道を横断すると色梨林道はすぐ下だった。色梨林道の三叉路付近に降りた。林道はここでオオ谷へ上がる道、少し下って色梨橋を渡って488号線へ出る道と湯来冠方向へ上がる林道に分岐する。オオ谷へは立ち入り禁止の柵がある。
オリオ谷 |
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公団造林地の看板 |
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湿って重たい雪の林道を上がった。ワラビサデの谷を過ぎると、対岸のオリオ谷左岸に「蕨扒公団造林地」の看板がある。「手へんに八」はなんと読むのだろうか。ハイ、ヌクの読みがあるが、よく分からない。この辺りの山林名、ワラビサデのことと思われる。
「冠山西面一帯はワラビの多産地として昔から有名であったようだ。ワラビの根より取った澱粉は和傘の紙の接着糊として使われていた。ここは戦後一時期開拓団が入っていたが現在無人になっている」(「西中国山地」)。
カシミールでさで≠検索すると、山口県玖珂郡美川町に佐手≠ェある。「サデは山口県玖珂郡に多い地名で山の傾斜地の地形用語」(「西中国山地」)という。
林道はところどころ雪が融けて水が流れ、アスファルトが見える。湯来と吉和の境界の境橋を渡ると熊押峠への登り。三叉路から40分ほどで峠へ着いた。ここからは打尾谷へ下るだけだ。重たい雪も下りは大分楽である。走るように雪の坂道を下った。ところどころ雪の重みでスギが倒れている。雪崩でもあったのだろうか、10本ほどの杉がまとまって林道を塞いでいた。三叉路から2時間余りで打尾谷へ帰着した。
熊押峠 |
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林道を塞ぐ倒木 |
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カシミールデータ
総沿面距離15.4km
標高差648m
区間沿面距離
打尾谷集落
↓ 3.0km
鷹の巣山
↓ 1.7km
灰郷スマモ山
↓ 2.3km
小室井山
↓ 2.8km
色梨林道
↓ 1.5km
熊押峠
↓ 4.1km
打尾谷集落
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