山歩き

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立河内・城将山

佐古集落…佐古林道…大将陣山…大将陣林道 2005/12/11
佐古集落…佐古林道…ヤグラタキ…大将陣山…大将陣林道…テレビ中継局…大小丸集落…町道西須川線…明町集落…佐古集落

■大将陣山(ダイショウジンヤマ)1022.1m:山口県錦町

佐古集落付近 左佐古 右須川
林道500m付近 前方は923ピークか
羅漢山 600m付近から
大将陣山とヤグラタキ 650m付近
ヒノキの植林帯を登る
林道終点930m付近
林道終点付近から 羅漢山
ヤグラタキ
羅漢山から安蔵寺への山並
羅漢山と法華山 上沼田(ウワヌダ)の棚田 ヤグラタキから
ヤグラタキ眼下の須川の集落
大将陣山 ヤグラタキから
大将陣山山頂
ヒノキ林を下る
大将陣林道終点
羅漢山と上沼田
ワサビ田 デンツウ谷
大将陣山とヤグラタキ(右端)
テレビ中継局付近
大小丸集落
明町集落
7:45佐古出発 曇り時々晴 気温5度

10:25佐古林道終点(930m付近)
10:45ヤグラタキ
11:05大将陣山
12:00大将陣林道終点
12:40テレビ中継局
13:10大小丸集落
14:00佐古集落

正面が佐古集落とオオ谷

橋の地蔵尊

 トンネルを抜けて須川に入った所で、おじさんに道を尋ねた。「佐古はすぐ先だ。大将陣山はあの山の奥にある」と教えてくれた。見上げると佐古集落の上に雪の山があった。昔から大将陣と呼んでいるとおじさんは言っていた。国道434号線から佐古へ左折すると宇佐川に架かる橋がある。通りがかりのおばあさんに橋名を聞くと「佐古かな」と曖昧な返事。橋名の名盤が剥がれて橋名が分からない。橋の袂に古い地蔵尊があった。

 佐古集落を出発。宇佐川の両岸に須川と佐古の集落がある。宇佐川右岸の佐古林道を上がっていくと10分ほどで分岐し、産廃仮置場がある。佐古林道はジャノ谷とオオ谷の間の尾根を上がっている。林が開けると宇佐川の対岸の山腹に段々畑が見え、その間を道が上がっている。上沼田(ウワヌダ)辺りだろうか。高度が上がると下に須川の集落が見えてくる。高度500mを越えた辺りから林道の雪が残っていた。ノウサギの足跡が続いている。600m付近から轍が消えて林道は雪で覆われてくる。東に羅漢山が頭を出している。スギの雄花が茶色に膨らんでいる。

クマの足跡 佐古林道700m付近

 668ピークの西側付近から大将陣とヤグラタキが見える。700m付近で東側から大きな足跡が林道に上がっていた。長さ15cmほど、ツメ跡が僅かに残っている。足跡はしばらく林道を上がり西へ降りていた。この大きさはツキノワグマしかいないだろう。

 林道がジャノ谷へ向かう700mを越えた辺りで尾根を登った。尾根筋はヒノキの植林帯。しばらく登ると雪で覆われた踏み跡が続いていた。樹林の見回りに入っているのかもしれない。雪はだんだんと深くなるが膝下ほどである。1時間ほど登って開けたところに出たと思ったら林道終点だった。地図にない林道が随分上まで上がっていた。930m付近で稜線直下だった。東を振り返ると周辺の山を抜けた羅漢山の秀麗な姿があった。

 林道終点から尾根を登ると、ほどなく赤テープがあり、西へトラバースすると雪で覆われた大岩に着いた。そこがヤグラタキだった。林道終点から20分ほど。ツララの下がった岩の上に上がると大展望だった。
 羅漢山の左後に遠く大峯山があり、左に鬼ヶ城山、冠山、小五郎山、安蔵寺山とつづく。右は法華山、手前に上沼田の棚田が広がっている。眼下を見下ろすと須川の集落が見える。後は大将陣山が目前にある。
 ヤグラタキから10分ほどで大将陣山。広島山稜会の分水嶺の標識がある。山頂は林で展望はない。佐古集落から3時間ほどだった。

「県境にあるこの山は山口県と島根県では山名がはっきり異なっている。山口県側では大将陣山、島根県側ではアゾウジ山と呼ばれている」(「西中国山地」桑原良敏)。

 カシミール地名検索に以下がある。
大将陣≠含む地名
大将陣山(ダイショウジンヤマ)大分県
大将陣山(タイショウジンヤマ)福岡県
大将陣(タイショウジン)熊本県
大将ヶ陣山(ダイショウガジンヤマ)岡山県

大将≠含む地名
大将軍山(ダイショウグンヤマ)山口県由宇町
大将軍(ダイショウグン)大分県
大将軍(タイショウグン)京都府
大将軍(ダイショウゴ)香川県
大将山(タイショウヤマ)山口県阿武町
大将ヶ根(タイショウガネ)愛知県
大将地(タイショウチ)福島県
大将内(タイショウチ)福島県

 大将陣山は国土地理院のウォッちずでは大将陣≠ニなっている。
 大将陣山は「『防長地下上申』(1749年)の須川村隣村境目書の項には大将軍山とある」(「西中国山地」)ので、大将軍信仰≠ニ関係があるのかもしれない。

 大将軍は陰陽道でまつ る八将神の一つで、太歳神、大将軍、大陰神、歳刑神、歳破神、歳殺神、黄旛神、豹尾神の八将神がある。
 大将軍は方位を司る星神で、この神の方位を犯すと、きびしいとがめをうけるというので古来非常におそれられてきた。元は中国の天文学から起こった道教の信仰で、陰陽道と共に半島を経て我が国に入ってきたという。

 方位について最も気をつかう事柄は、建築、修理、転居、旅立ちなどである。信仰の起こりは奈良朝にあるが、平安末期から鎌倉初期にかけては、最もさかんに行われた。白河天皇は法成寺の塔供養の際、同寺が大将軍の方位に当るので行幸を取止め、平清盛は福原への遷都計画に関し、大将軍の方位について陰陽師の意見を徴した。源頼朝は大将軍の方位が西方に当るから京都進攻を遠慮したという。小さな事例にいたっては、上げるにいとまがない。この信仰は今日に至るもなお脈々として行われている(大将軍八神社HPから)。

 山口県は周防国の山陽側に大将軍≠含む地名が多いようだ。東から見ていくと
●大将軍山(由宇町)
山頂の霧峰神社は、旧名大将軍社と言い大内義興(おおうち よしおき 1477〜1528)が建立。
●大将軍(周南市)
烏帽子岳の南側、登山口に大将軍の鳥居がある。
●大将軍山(下松市)
486.2m峯
●大将軍(徳山市)
昇仙峰(261m)の東に大将軍の経塚説明板があり、鎌倉時代の経塚が出土している。
●大将軍遺跡(防府)
牟礼の遺跡

 霧峰神社は瀬戸内の航行安全の神として金比羅山と並ぶほどの信仰を集め、大祭の日は由宇の港に船が大挙して押し寄せたという。
 大将軍はある地域の東西南北の境界に祀られていたというから、ほかにも大将軍の地名があるのかもしれない。大将軍≠ニ大将陣≠ヘ関連あるように思われるがよく分からない。

 一般には武将が陣を敷きいた所から大将陣の由来としている説明が多いが、「敵の大将の陣取りたる所を大将陣と云ふ」(肥後國誌)との説明もあった。

ノブガ谷の看板
大将陣林道終点

 山頂から南へ下った。テープを巻いた踏み跡がある。林間から北側の山々が覗いている。ほどなくヒノキ林に入った。900m付近に東から上がってきたクマの足跡があった。クマは東の佐古林道からオオ谷を横切って登山道へ上がってきたようだ。周辺は集落が多いので、集落を避けて移動しているのかもしれfない。

 927ピーク南の山林名阿曽地≠過ぎて、しばらく下るとノブガ谷に出る。公社造林延ケ谷の看板があった。そこからすぐ林道終点へ出た。終点に大将山登山口、山頂まで60分の道標がある。林道終点にタイヤの跡があった。

「阿曽地≠ヘアゾジと読み、畦に通じる意があり、田畑の境、山の境、国の境を意味する。アゾージ山の語源は石州、防州の国境にある山と解することができる」(「西中国山地」)。

 林道の開けたところから羅漢山と上沼田が一望できる。デンツウ谷の小さな谷にワサビ田があった。ワサビ田は林道を横切って下から上へ延びている。青い葉が出てよく手入れされているワサビ田だった。雪の轍はワサビの手入れに入っていると思われる。少し下って大将陣山を見上げるとヤグラタキの岩峯は雪を被って櫓のように見える。

大将陣林道石碑

 メウガノ谷(アゾウジ谷)を過ぎて、林道終点から40分ほどで651ピーク東のアンテナが立っている地点に着いた。この辺りは東が開けており、宇佐川の奥に羅漢山、鬼ヶ城山、冠山が見える。手前は高鉢山(706峯)か。アンテナはNTT基地局、少し上に深須テレビ中継局があり、テレビ中継局から南へ展望がある。
 ここに大将陣林道の石碑がある。それによると、林道は延長1830m、昭和59年11月完成、総事業費一億七一六万三千円で、その内地元負担金は八四三万九千円となっていた。

 ヤゴロウウツ谷のワサビ田を通り、少し下るとスギ林の中に石垣がある。水田があったようだ。ウツ≠ヘ獣の通り道の意、一般にウツ≠ノは罠が仕掛けてあることが多いという。
 林道の分岐に出ると大将陣登山口の道標がある。分岐の上が大小丸の集落になる。分岐に患者輸送バスの大小丸バス停がある。廃屋の前を通って集落へ少し上がると「大小丸地すべり防止区域」の看板がある。カキノキに熟した実がたくさん生っていた。畑ではワサビの苗を育てていた。春に植え付けをするようだ。

 今年の9月17日、大小丸から南へ2kmほどの木積でクマが捕獲され薬殺された。クマ捕獲の目的で設置した檻で捕獲したというから里山へ出没していたようだ。
 この辺りは実の付いたカキノキが多いので、ツキノワグマが当てにしているのかもしれない。

ワサビの苗 大小丸集落

 小丸の地名は全国にあるが、大小丸(おおごまる)、小小丸(こごまる)の両方あるのはここだけである。三十軒ほどあった集落は数軒となっている。大小丸は山口県下で有数のワサビ産地になっている。

 分岐から町道西須川線を下った。道沿いに古い墓が並んでおり、天保三年(1838年)の文字が刻んである。明町の集落を通り過ぎ、陽だまりにスミレが咲いていた。分岐から1時間ほどで佐古集落に帰着した。

大元神社
大元神社から見た大将陣山

バス亭

 国道の東に神社があったので寄ってみた。佐古集落から国道へ出ると、北へ大将陣茶屋のバス停がある。その山手に神社がある。坂道を上がると松尾社と表示された石の鳥居がある。鳥居に紀元二千六百年紀念と彫られている。階段を上がると石の灯篭があり、「嘉永元年申年 八月朔日」(1848年)とあった。

 本殿を覗いてみると大元神社とあり、東の字を切り抜いた紙が張ってある。西、南、北にも其々の字を切り抜いて張ってある。本殿の南に弥山神社の新しい祠があり、天狗の面が掛けてある。その南横に古い祠が残っていた。山岳信仰に関係あるのかもしれない。神社から振り返ると佐古集落のオオ谷の上部に大将陣山が聳えていた。

カシミールデータ

総沿面距離12.0km
標高差850m

区間沿面距離
佐古集落
↓ 4.3km
佐古林道終点
↓ 0.5km
大将陣山
↓ 1.4km
大将陣林道終点
↓ 1.7km
テレビ中継局
↓ 1.3km
大小丸集落
↓ 2.8km
佐古集落

 

佐古
上沼田
林道から尾根方向
羅漢山
大将陣山とヤグラダキ
ヒノキ林を登る
林道終点
羅漢山 林道終点から
ヤグラタキへ進む
ヤグラタキ
羅漢山
         小五郎山         冠山                        大峯山                 羅漢山    ヤグラタキから
羅漢山と上沼田の棚田 ヤグラタキから
大将陣山
小五郎山 冠山
大峯山 羅漢山
大将陣山
大将陣林道終点
羅漢山 上沼田
ワサビ田 デンツウ谷
大将陣山とヤグラタキ
上沼田
大小丸集落
明町集落
佐古
 
登路(青線は磁北線)