6:35出発 雨後曇り後晴 気温9度
7:10奥出合橋
8:05ノブガハラ谷鞍部
8:20坊主西峯
9:30青山キビレ
11:00 1111ピーク
12:25三坂八郎トンネル
13:45ニソウ谷掘割
14:50小郷山
15:50御境
16:35八郎橋
17:20出合橋
冠山から御境へ延びる広島・島根県境尾根は八郎川水源の大杉谷から青山キビレの間を除いて、1000メートルを越える峯が15kmほど連なっている。この山稜は御境から西中国山地の最高峯、恐羅漢山へとさらに12km余り続き、西中国の屋根を形成している。冠山や広高山、高井山、大神ヶ岳から県境尾根の一端を眺めることができる。またボーギのキビレ、ノブガハラ谷鞍部、ニソウ谷鞍部、御境など県境尾根を跨ぐ最低鞍部は、村人や旅人、木地師、山師など多くの人々が行き来した歴史が残っている。
県境尾根は雪が締まる残雪期なら素晴らしい展望を楽しめるだろうが、薮山となると、どんな尾根なのか歩いてみないと分からない。桑原良敏氏は内黒峠と聖山で雪による遭難死者三名をだした豪雪季の昭和37年2月、冠山から恐羅漢山へ一週間かけて三名で縦走している。その記録は「西中国山地」(溪水社
1997年復刊版)に詳しい。
ワサビの食痕 ノブガハラ鞍部への谷 |
 |
雪の残るノブガハラ鞍部手前 |
 |
出合橋から中津谷を見ると紅葉が始まっている。弱い雨がぱらつく中を出発、気温9度で寒くはない。小川3号橋を過ぎると小川右岸の杉がたくさん伐採されている。スギ林の中へ入る林道が見えた。30分ほどで奥出合橋、シナノキ谷左岸の林道を上がった。左岸の谷から下りる平成14年建設された堰堤を通り、15分ほどで林道終点、谷へ下りると左岸、右岸に踏み跡がある。
広高山へ上がる谷の分岐を右へ進むと坊主西峯から緩やかな谷が降りている、その次の急な谷を上がった。石積があった。ワサビやウワバミソウの食痕が残っていた。谷筋に白いものが点々としている。雪だった。昨夜来から大分冷え込んだようだ。15分ほどでノブガハラ谷鞍部の県境尾根に出た。鞍部から広高谷へ下ると工事中の作業道に出る。
ヤママユガ |
 |
県境を北へ進むと少し下ってまた鞍部に出る。坊主西峯に上がる谷の方が緩やかなようだ。ノブガハラ谷鞍部は中津谷からヒロコウ谷へ抜ける間道だった。
「中津谷を通る林道が完成してからボーギを越える人はなくなり、シナノキ谷よりヒロコウ谷のノブガハラの谷へ越える人が多くなった」(「西中国山地」桑原良敏)。
鞍部から15分ほどで坊主西峯、雪の残る登り道はアシオスギの大木が多い。スギ林で展望はない。山頂に分水嶺の標識がある。以後、県境尾根に分水嶺の標識が続いていた。
山頂付近の島根県側に3.5mのブナがあった。県境の広島県側は植林帯だが、島根県側は伐採後の雑木林になっている。少し下って尾根が細くなったところに、枯れていたが、周囲6mのミズナラの巨木があった。林間から山腹が覗くがガスで煙っている。1060ピークにはビール缶がつるしてある。尾根沿いはミヤマシキミの赤い実が多い。尾根のピークに分水嶺の標識が続く。
ホツツジ |
 |
坊主西峯から1時間ほどで青山キビレへ降りた。ヒロコウ谷側のオオダチヤマ谷を降りると広高林道終点付近に出る。八郎林道側はちょうど青山林道の入口付近に出る。
青山キビレから1002ピークへ上がり、大杉谷に沿う尾根を進むと、尾根をかすめるように林道が通っている。青山林道の支線が尾根に上がっているが、県境尾根を跨ぐことはなかった。
イノシシの糞 |
 |
北側の尾根が見えるがまだガスが濃い。青山キビレから1時間半ほどで1111ピーク。ガスで広高山の稜線を僅か確認できる程度。東側はガスが薄く山の輪郭が見える。ここから高井山へは30分ほどである。
青山キビレから西へ上がってきた稜線は1111ピークから北東へ向きを変える。イノシシのコロコロした糞があった。1109ピークを過ぎた辺りから大神ヶ岳の特徴ある岩峯が見えたきた。ときおり青空がのぞき始めた。トンネル手前に分水嶺の標識があった。林間から冠山がのぞいて、左右に今降りてきた坊主西峯と広高山が見える。
尾根は分水嶺の標識がつづく |
 |
1111ピークから1時間半ほどで三坂八郎トンネル上部に到着。東西から小谷が上がっている。トンネル付近は杉の大木やブナが多い。
「昭和55年の春、島根県側の三坂谷林道と広島県側の八郎川の林道を結ぶ三坂八郎隊道が開通した。県境主稜の直下を抜いた、長さ300メートル余りのトンネルであるが、標高1050メートルの高所にあり、冬期は積雪のため通行不能になる」(「西中国山地」)。
トンネルの前後は踏み跡がはっきりしないが、ピークへ上がって行くとはっきりしてくる。分水嶺標識のある1132ピークから下ったところに周囲4.2mのブナの巨木があった。この辺りの尾根の東側は釣橋林道が通っている。1169ピーク(三坂山)の西側の県境尾根鞍部から釣橋林道へ下りるとすぐ近くに二艘船岩がある。鞍部を過ぎて次のピークへ登ると、踏み跡や目印は大神ヶ岳へつながる尾根に続いているので注意が必要だ。
ナナカマド |
 |
ニソウ谷鞍部に向けて下りると、鞍部は深く抉られているのがよく分かる。ここは掘割になっており、掘割で赤谷から上がるシモコ谷を結んでいる。掘割は馬が通れるほど幅広い。ニソウ谷側から掘割を通って西へ進むとミサカ谷鞍部に出る。直線で400mほど。この掘割はミサカ谷へ抜ける間道だったようだ。
「保矢ケ原の老人より赤谷の奥より広島県側のバンジョウ川水源のニソウ谷へ越す馬道があったことを聞き出した。この道が県境を越える所が掘割になっており現在もその跡が残っているが、この掘割から三坂谷へ向かって馬道があったのではないかという。そうなれば石州街道の間道はハチロウ谷を通らずバンジョウ川―ニソウ谷―掘割―ミサカ谷のルートが考えられ、県境を越える掘割の地点が御坂とよばれていたのかも知れない」(「西中国山地」)。
オオウラジロノキ |
 |
小郷山 |
 |
掘割を過ぎると小郷山への登りとなる。途中、北西方向に紙祖山根辺りの町が見え、ヤマナシに似た実がたくさん落ちていた。食べてみるとエラクすっぱい、思わず吐き出した。オオウラジロノキと教わり、調べてみるとバラ科リンゴ属でリンゴのような味がして食べられるとあったので、まだ早すぎたのかもしれない。
1059ピークを過ぎて小郷山が近づくと踏み跡は消えササ薮となる。ニソウ谷鞍部から1時間ほどで小郷山に到着。東側へ女鹿平山、その後へ立岩山の展望がある。鉄塔の先へ五里山の山なみ、その背後に十方山、丸子頭、恐羅漢山がつづき、北側に広見山、春日山が見える。
小郷山の点名は桑木谷になっている。「これはコゴウ谷奥の小谷のクワキ谷より取ったものであろう。点称と山名は必ずしも一致しない。山麓の保矢ケ原の村人は小郷山と呼んでいる。この方が広く使用されておりよく通じる」(「西中国山地」)。
小郷山から県境尾根を下った。踏み跡がないが少し下ると踏み跡が出てきた。。一つピークを越えて下ると左側に立派な登山道があった。鉄塔を結ぶ道だろうか。小郷山の近くへ上がっていく道のようだ。下の鉄塔付近も展望が良い。山頂から40分ほどで御境へ降りた。
「五里ナカエが県境を越す峠の名は、故甲佐直一氏より初めてオサカエという呼称を教えてもらったが、保矢ケ原では現在でもオサカエと呼んでいる人が多い。吉和側では、この峠が村里より遠く離れているため峠の名を知っている人に会わなかった。『佐伯郡廿ケ村郷邑記』(1806年)には杖立御境とあるのでこれを使用した」(「西中国山地」)。
杖立は峠を意味しているようだ。杖立御境は峠の国境の意か。杖立と言う地名の由来は、峠で休んで杖を立てたことにあるという。カシミールで検索すると、杖立を含む地名は四国、九州に多い。杖立峠は高知、愛媛、徳島にある。岡山県川上郡川上町と広島県神石郡豊松村を結ぶ峠に杖立(ツエタテ)がある。
488号線 万丈川手前の墓 |
 |
判城橋 |
 |
御境から488号線を下った。万丈川手前付近の杉の大木の下に墓が四基並べられていた。かなり古いものである。一部だが「莊室妙皿」の文字が見える。木地師がこの辺りに居を構えていたのだろうか。
万丈川に架かる橋の名を見ると「判城橋」となっていた。峠の十方林道入口を見ると通行止めの立て札があった。長者原林道入口付近のオモ川左岸の国道は崩壊しかかっている。ススキと紅葉の始まりが季節を感じさせてくれる。御境から1時間半ほどで出合橋へ帰着した。
カシミールデータ
総沿面距離20.7km
標高差407m
ツチアケビ |
 |
ツルリンドウ |
 |
区間沿面距離
出合橋
↓ 2.4km
奥出合橋
↓ 1.4km
ノブガハラ鞍部
↓ 0.4km
坊主西峯
↓ 1.3km
青山キビレ
↓ 1.6km
1111ピーク
↓ 1.6km
三坂八郎トンネル
↓ 1.4km
ニソウ谷掘割
↓ 1.3km
小郷山
↓ 1.4km
御境
↓ 7.9km
出合橋
|