6:40出発 晴 気温8度
8:30坊主山
9:15青木橋
9:20青山林道
10:10 1111ピーク
10:40高井山
11:45広高林道
13:20作業道終点
14:35広高山
15:20小川林道
16:35出合橋
クサギの実 |
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出合橋を出発。快晴。入口は閉じられている。最初の橋で川面を見ると、アマゴが二匹、水面で追いかけながら回っていた。産卵行動なのだろうか。積み上げられた堆肥から湯気が上り、焦げくさい臭いが立ち込めていた。スギ林に朝陽が差し始めた。20分ほどで坊主山へ上がる谷へ到着。数十メートル離れて谷がもう一つあり、どちらか迷った。手前の谷を登った。スギ林の中に放棄されたワサビ田がある。小川林道沿いはワサビ田が多いが、大半が使われていないようだ。
谷の上部で一升瓶が転がっていた。谷が東寄りになったので間違いだと分かった。北よりの小谷を上がり尾根に出た。黒い皮に包まれたホウノキの実がたくさん落ちている。尾根の南側をトラバース気味に登り、坊主山の尾根に取り付いた。尾根が平坦になると200mほどで山頂。スギ林で展望はない。古い道標が幾つか下がっていた。三角点は埋まっているのか見つからなかった。
冠山の玄武岩は冠高原を埋めて鬼ヶ城山まで達したが、冠山の北側では大神ヶ岳まで流出したという。坊主山も冠山火山の影響を受けた。
「坊主山は山頂平坦面が玄武岩で覆われているのも注目される。冠山火山より流出した玄武岩が山頂部に残されたものと考えられている」(「西中国山地」桑原良敏)。
林道入口 |
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山頂から北へ150mほど進むと林道へ出た。坊主山の雨量観測局は東寄にあるようだ。道ヶ谷林道を下った。コンクリートの舗装に変わると展望が開け、正面に大神ヶ岳の岩峯と立岩山への稜線が見える。林道の柵を過ぎるとすぐに八郎林道へ出る。青木橋を渡ると5分ほどで青山林道入口。八郎林道はここから北へ上がり、三坂八郎トンネルへ出る。
鎖止めのある間伐作業道青山線を上がった。大杉谷に沿ってスギ林の作業道が続くが道の分岐が幾つかある。最初の分岐を左、水源の森の看板のある次の分岐を右、保安林内作業等許可証が杉に巻いてある分岐を右へ進む。作業道は大杉谷の奥深く入り込んでおり、終点は高度1000mを超えている。終点から水源部の急な谷を100mほど登り、県境尾根を横切ると1111ピークに出る。
1111ピーク |
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高井山三角点 |
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ピークには分水嶺の青い標識があった。眼前に広高谷と広高山、後冠山、寂地山がある。南側への展望がある。冠山は広高山の背後で見えない。西へ高井山への稜線が伸びている。尾根道は踏み跡があり、テープが巻いてある。1111ピークから30分ほどで高井山。刈ったササの中に三角点がある。三角点の点名はなぜか「光威」となっている。広高谷が冠山へ延びており、現在建設中の作業道が谷の東側の山腹を縫うように続いている。北側は大神ヶ岳が頭を出している。広高山の後ろに少し冠が見える。南西へは寂地山、茅帽子山、小五郎山。
オオズエ谷に向かって東側の尾根を降りた。降りるというより真下へ落ちるような感じだ。地図で思い描けないほど急な下りだった。スズメバチが一匹近くを飛んでいる。しばらく様子を見ていたが、こちらに関心があるのでなく蜜やエサを探しているようだ。30分ほど下ってオオズエ谷を見下ろすと左岸にホダギが並んでいるのが見えた。そこへ向かって降りた。オオズエ谷の上部はワサビ田が続いている。ホダギがあるところまで林道が上がっていた。谷を渡っていた木の橋は壊れていた。
林道を下り、15分ほどで広高林道に出た。ワサビ田のある迫口橋を渡ると広高林道終点。ツリフネソウがまだ残っていた。
ツリフネソウ |
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木地師の墓がオオダチヤマ谷付近にあるはずだが見当たらない。ワサビ田周辺を探したが分からない。あきらめて林道を登っているとおじさんが休んでいた。ワサビの手入れをしているところだった。40年ほどワサビを栽培してきたが、今はどこでも栽培できるようになり値が下がってだめだと嘆いていた。広高谷の原生林が伐採される前からワサビを栽培していると言う。
木地屋墓 |
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木地屋の墓はすぐ下にあった。道路を隔ててカーブミラーの向側の小山にひっそりと墓があった。苔むしてもう字が読めない。「禅室永僧」の文字だけが読めた。吉和の長者原林道にある角兵衛の墓と似たような感じだった。300年も前からこの深山に住み着いた人々の墓である。おじさんの話ではもともと木地屋の墓は少し下った所にあったが、道路工事でここへ移したそうだ。
「ヒロコウ谷は昭和20年代に伐採される前は樹齢三百年もある巨木の立ち並ぶ天然林に覆われていた。この樹林に有用材が多く、昔から木地屋が住みつき、谷の入口の大立山、大畑と呼ばれている場所には木地屋の集落ができていた。今もその跡には古い墓石が多く残っており、『宝暦3年(1753年)木地屋墓』と書かれたものもある」(「西中国山地」)。
カーブミラーの横に作業道工事の地図が貼ってある。それを見ると広高谷の奥深くまで作業道が延長されるようだ。平成20年2月末までの工事になっている。
カープミラーから広高谷へ入る踏み跡があるが、今日は林道工事が休みのようなので作業道を登らせてもらった。道はウネウネと続く。まともに日があたり暑い。気温26度。ツマグロヒョウモンがたくさん飛んでいる。高度が増すにつれ広高谷と山々の展望が開けてくる。作業道から見ると高井山から降りてきた尾根がいかに急だったかよく分かる。
木地屋墓 |
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作業道の急な崖は丸太を格子状に組み合わせて渡し、その上に土砂を被せてある。谷が崩れて格子の丸太が転がっていた。1時間ほどでノブガハラの谷に出た。ここから県境鞍部へは緩やかな谷である。時間がなければここからシナノキ谷へ抜けようと思っていた。
「中津谷を通る林道が完成してからボーギを越える人はなくなり、シナノキ谷よりヒロコウ谷のノブガハラの谷へ越える人が多くなった」(「西中国山地」)。
「木地屋は製品の運搬に馬を使っていたし、この付近の木地屋の製品は吉和村に集められ焼山峠を越えて宮島へ送られていた。ヒロコウ谷→オサカエ→馬立→吉和村潮原への馬道があったことは三葛の古老から聞いた」(「西中国山地」)。
ルイヨウショウマ |
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ほどなく作業道の終点についた。終点付近は泥で埋まる。作業道は広高谷まで延びていた。広高林道終点から1時間ほど掛かった。谷で顔と泥だらけの地下足袋を洗った。水は冷たくはなかった。
島根県、益田市の地域再生計画、「生命の源『森』が育む『わさびの里』再生計画」によると、「わさびの里」の再生を図るため、アクセス改善として林道広高線終点まで時間短縮、農家の増加(2人から12人に
10人増加)、わさび出荷量の増(88トンから136トン、48トン増加)、水源かん養の維持増進を図るための間伐実施(広高山広葉樹 今まで0から11ha実施)。
林道広高線の終点以降に作業道を開設し、その作業道の終点付近にわさび田畑の造成を実施するというもの。
わさび再生計画の一つとして作業道開設が行われている。「広葉樹11haの間伐実施」というのは気になるが。この「再生計画」によって広高谷の様相は大きく変わると思われる。
「広高山は広葉樹の山である。…島根県側ヒロコウ谷一帯は昭和20年から30年代にかけて木材運搬用の木馬道を敷設して大規模に天然林を皆伐したが、針葉樹の植林をしなかったので広葉樹が復元した。まだ中低木の状態なので樹下を自由に歩けるという状態になるまでいま少し待たねばならない」(「西中国山地」)。
テープを巻いた林道予定地
額々山分岐の先付近 |
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谷を渡ると踏み跡が続いている。作業道は広高谷を渡って奥へ延長されるようだ。伐採予定のピンクのテープが額々山への分岐の先まで続いていた。作業道の周辺にはワサビ田が造成されるのだろう。
潰れたトタン屋根の小屋跡を過ぎた先の左岸の谷に石積が残っている。ワサビ田でもあったのだろうか。ほどなく右岸の小谷を通って広高山へ上がる尾根に出た。テープがたくさん巻いて「←広高山」とある。ボーギのキビレからの分岐にもテープ。そこから広高山まで僅かだった。広高林道終点から2時間半ほど掛かった。日本分水嶺の標識がある。北側へ展望があり立岩山から大神ヶ岳への展望がある。
小川林道 |
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時間があればシナノキ谷へ降りようと思っていたが、小川林道に一番近いケブタの谷の落ち口へ向かって東の尾根を降りた。林間から冠山が迫ってくる。落ち口に周囲4.7mの杉の大木があった。ケブタの谷にもワサビ田がある。山頂から40分ほどで林道へ出た。谷ではカエデの紅葉が始まっていた。小川にはアマゴの大物が悠然と泳いでいた。シナノキ谷を過ぎて坊主山への谷を確認すると堰堤のある急な谷が坊主山への谷だった。林道に出てから1時間余りで出会橋に帰着した。
カシミールデータ
総沿面距離21.0km
標高差553m
アキノタムラソウ |
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区間沿面距離
出合橋
↓ 3.4km
坊主山
↓ 2.7km
青山林道
↓ 2.5km
高井山
↓ 1.7km
広高林道終点
↓ 5.9km
広高山
↓ 0.7km
小川林道
↓ 4.1km
出合橋
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