6:30出発 曇り後晴 気温20度
7:20奥出会橋(シナノキ谷)
8:30林道終点
9:00ボーギのキビレ
9:20後冠山
9:35 1182ピーク
9:45松の木峠分岐
10:15冠山
11:50 1057ピーク
12:10赤土峠
14:00ウオキリ谷落口
14:30出合橋
まだ残っていたキツリフネ |

|
閉じられたゲート |
 |
入口ゲート |
 |
林道魚切線 |

|
出合橋を渡るとゲートが閉じられている。小川林道は西山林業組合が管理しているようだ。南側の山腹に見える林道にユニックが入っている。
最初の橋を渡ると新設された林道魚切線が左へ延びている。小川右岸を進むとまもなく作業小屋が見える。上がって見ると、小屋の周辺の畑が耕されていた。その先に小さな小屋がある。
三号橋 |
 |
林道をさらに進むと右岸のアシガ谷落ち口付近に小川三号橋が架かっている。かなでおがわはし≠ニ書かれている。小川はコガワとも呼ばれていたようだ。
三号橋から先の左岸へ降りる谷にワサビ田が作られている。キャッチアンドリリースの看板がある。小川の真ん中で根を張っているカツラの葉が黄葉している。坊主山から急な谷が降りていた。シナノキ谷に奥出合橋が架かっている。シナノキ谷に沿って林道が延びている。橋を渡ると林道はシラグチ谷に沿って、南へ上がっていく。右の谷に大きな堰堤が現れる。馬立橋を過ぎて毛部田橋を渡ると、林道はしばらくケブタの谷に沿う。

|
小川林道終点 |
 |
林道はU字に曲がって再びシラグチ谷に沿い、1082ピークを廻ると展望が開けてくるが、あいにく今日はガスが掛かり冠山は見えない。西中国山地国定公園の看板を過ぎると林道の終点が近い。2時間ほどで終点に到着した。林道終点にクマに注意!!≠フ標柱がある。入口に冠山登山道の道標がある。
冠・広高分岐 |
 |
登山道に入り、スギ林を進む。木の階段を登りきると道は左右に分かれる。足元に小さな道標が立ててある。左は冠山、右は広高山。左へ少し入って見たが、ホン谷から冠へ上がる道のようだ。戻ってボーギのキビレへ上がった。林道終点から20分ほどで鞍部へ到着。広高谷から上がる踏み跡があった。幸いその頃から日が差し始めた。
後冠へ登った。葉に付いた水滴でズボンはずぶ濡れ。雨も多少降ったようだ。鞍部から20分ほどで後冠山。林で展望はない。石の境界石があった。アシオスギの原生林を下る。15分でスギ林の1282ピーク。さらに下って行くとオオヤマレンゲの看板があり、立ち入り禁止のロープが張ってある。オオヤマレンゲは絶滅危惧1Aで近い将来、野生での絶滅の危険性が極めて高い種と山口県の看板が立ててある。改めてここは山口県だと気が付いた。
ピークから10分ほどで松の木峠分岐。小さな道標があちこちに掛けてある。「ひろしま国体 山岳縦走コース」の看板もあった。分岐から冠山へ進むと、ホン谷からの道と合流する。ササ帯を登り、スギ林に変わるとまもなく頂上、小さなマムシがとぐろを巻いていた。
松の木分岐から30分ほどで山頂。道標の下に一等三角点がある。一等三角点の石柱はひと回り大きいようだ。広島県には一等三角点が17ある。広島県最高峰の恐羅漢山は何故か三等三角点。林間に森から突き出たクルソン佛岩が見える。
展望のない山頂から北側の展望岩に出た。左からすぐ手前に広高山、遠く大神ヶ岳、恐羅漢山、十方山、立岩山の稜線、吉和の町。細見谷の南北にある黒ダキ山や沼長トロ山の稜線の手前に鉄塔が並んでいる。眼下には今通ってきた林道が見える。ここからの展望はすばらしい。西中国山地の山々が一望できる。
ホシミスジ |
 |
ヒカゲチョウ |
 |
冠山は死火山の山だが、今から約10万年前、活発な火山活動をしていた。冠山山頂から溶岩が南方向に流れたあとがあり、溶岩流は松の木峠から鬼ヶ城山まで達したという。
冠山から噴出した溶岩は石器として使われ、冠高原一帯に旧石器時代から縄文時代の遺跡がある。遺跡は冠の安山岩を主とした、西日本有数の原産地遺跡となっている(原石の採取地、石器の製作跡)。冠製の石器は50km離れた西条盆地や四国の遺跡でも見つかっている。
「県境付近は1300m標高の山々が小隆起を加えると五峯ほど東西に並んでいる。山頂付近は1250mの等高線を境にして、それより低い所は急峻で、高い部分は平坦になっているという中国山地特有の地形を示していて妙である」(「西中国山地」桑原良敏)。
カシミールで俯瞰してみると特有の地形がよく理解できる。
クルソン佛岩 |
 |
北側の展望岩から北東に下りる急な斜面を下った。人声がはっきり聞こえてきた。東側の尾根をグループが登っているようだ。少し下ると林間からクルソン佛岩が間近に見える。冠山噴火でできた巨石の柱だ。
クルソンの地名は全国に多い。えびの市の高さ22mの狗留孫仏の岩の卒塔婆、岐阜県の狗留孫岳、三重県の倶留尊山、山口県には狗留孫山が二つある。狗留孫とは過去に現れた七仏の第4の仏のことを言う。西中国山地には仏岩などの巨石信仰が多い。
少し下ると尾根は緩やかになる。この辺りはブナの大木が多い。一つ測ってみると周囲3.7m。古い布を巻きつけた目印があった。急な斜面を通った人があったようだ。しばらく下って北側の尾根を降りた。思っていたほどブッシュはない。薮が多ければ先のキンカネリからユウレイ谷を降りようと思っていたが、赤土峠へ向かった。ウオキリ谷の源流は冠山の北側深くまで入り込んでいる。
ジンジソウ |
 |
ナメラダイモンジソウ |
 |
キンカネリという呼称は「西中国山地」では十方林道の水越峠と白旗山の北にある。
「キンカネリ、キンカツギという呼称は峠径の急坂な場所につけられている俗称で、睾丸を持つ≠ニいう意である。峠の急坂の最後の登りでは背の荷ばかりでなく、前にぶらさがっている一物まで荷物のように重く感じられ、両手で持ち上げて登りたくなる気持ちを表わしている」(「西中国山地」)。
キンカネリと言う呼称が残るほど、多くの人々がこの峠を越えていたと思われる。
キンカネリの手前の尾根を下り、1057ピークを通って赤土峠へ降りた。苔むした枯れたブナの大木が残っていたが、この辺りは伐採された山なのだろう、尾根筋に大木の切り株が多く残っていた。ヤマブドウの実がたくさん落ちていた。ひと房食べてみたいが、高すぎて届かない。この辺りは尾根が入り組んでいるので迷いやすいところだ。
落下したヤマブドウ |
 |
赤土峠からユウレイ谷へ降りた。3分ほどでユウレイ谷。少し下るとワサビ田の跡が残っていた。その少し下にトタン屋根が散らばり、丸太梁が二本並んでいた。一升瓶やビールケースもあった。ワサビ小屋でもあったのだろうか。
「ウオキリ谷、シラグチ谷の水源のワサビ田に通うには今日のように小川廻りの林道ができていなかった頃、ウシオ谷→赤土峠→キンカネリの小径が使われていた。この小径はシラグチ谷の奥より県境を越して広高谷水源に出て三葛と結ばれていた」(「西中国山地」)。
ウオキリ谷は平凡な谷である。滝というほどのものもない。スギ林が谷へ降り、谷筋にはオニグルミが多い。ところどころ左岸、右岸に踏み跡が残っているが、ほとんど消えている。途中、カツラの巨木があった。左岸の山が伐採されていたので上がってみた。すぐ先まで林道が迫っていた。小川林道から上がっている林道魚切線の終点のようだ。ウオキリ谷へ林道を延長する計画だろう。
谷へ降り、しばらく下ると中津谷川へ抜けた。冠山から3時間半ほどかかった。上流に壊れかけた橋が見える。右岸を少し上がるとワサビ田があった。季節外れのワサビの花が咲いていた。錆びた今にも抜け落ちそうな鉄の橋を渡って488号線へ上がった。30分ほどで出合橋に帰着した。出発時、閉じられていたゲートが開いていた。
ワサビ |
 |
アキチョウジ |
 |
サラシナショウマ |
 |
吉和の里から見た冠山 |
 |
|
|
カシミールデータ
総沿面距離13.2km
標高差635m
アケボノソウ |
 |
区間沿面距離
出合橋
↓ 5.5km
林道終点
↓ 0.7km
ボーギのキビレ
↓ 2.3km
冠山
↓ 1.5km
赤土峠
↓ 2.4km
ウオキリ谷落口
↓ 0.8km
出合橋
|