6:00出発 晴れ 気温7度
7:00ケンノジ谷
8:15ケンノジキビレ
洗濯機 |
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シャガ |
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林道を上がった。十方山登山口付近に「この先通り抜けできません」と広島森林管理署の表示があった。先週はなかったので、十方林道の先で、がけ崩れでもあったのだろう。水越峠を過ぎてケンノジへ降りるカーブの東側を覗いてみると、洗濯機やテレビ、ペットボトルなどゴミの山になっている。スギの枝の下はたくさんのゴミが埋まっている。ケンノジ谷の入口に車が止まっていた。早くから釣に入っているようだ。
谷へ入ると砂地に足跡があった。堰堤を越えて谷を上がると、まもなくトチ谷への分岐。右へ進んむと、ほどなく釣り人に追いついた。ケンノジ入口から800mほどの地点、暗いうちから入っていたようだ。釣果を見せてもらった。25cmほどの良形のゴギがいた。エサはブドウムシ。この谷はゴギが多いという。堰堤ができる以前から居たゴギの子孫だろう。二軒小屋から入ったが、この谷へ入る釣り人は多いそうだ。もう年なので今日が最後の釣と言っておられたが、そんな風に見えない。
釣の邪魔をしないようスギ林を進んだ。標高1000m付近で谷は小川のようになったので谷を歩いた。ところどころ大きな切り株が残っている。大きな枯れ木があったので周囲を測って見ると3.2m。枯れ木の横からイタヤカエデが伸びていた。鞍部手前の湿地帯にバイケイソウの群落があった。ハイイヌガヤの枝に当たると花粉が飛散して白く煙る。入口から1時間余りでケンノジキビレ。ケンノジ谷に大木は残っていなかった。伐採しつくされたようだ。
「ノジイ谷、ノジガ谷、ノジイ山のノジはブナの方言で、ノジイは野椎の意である。イヌブナと対比して使う場合は、ブナをシロブナ、イヌブナをクロブナと言う。樹皮の色から付けられたものであろう。この山地のブナ帯は標高八百メートルより現れる」(「西中国山地」桑原良敏)。
チャルメルソウ |
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ケンノジ谷は入口から鞍部まで、950mから1150mの間にある。「西中国山地」で「ノジ」は多くは使われていない。ノジイ川(櫛山、高岳)、シノジ川(天狗石山)、三本ノジ(柏原山)、ノジイ谷(市間山)、ノジガ原(板敷山)くらいだ。ケンノジのノジをブナとすれば、ケンは何か。犬ノジのことか、玄ノジ(クロブナ)か。あるいは全く違う意味なのかもしれない。しかし、ケンノジ谷にかつて広大なブナの森があったのは間違いない。焼杉山南東面にブナの巨木が残っている。
「谷底から尾根まで 大変なブナの森じゃった」 田中幾太郎さん(益田市在住)の話
わしがはじめて県境の深山(みやま)に入ったのは、昭和29年のことです。広見から、横川越を通って、細見谷へおりて、そして水越峠を越えて二軒小屋へ抜けました。
あの当時のあの辺りは、そりゃあ本当に深ぁー深ぁーところじゃった。県境の一帯は、谷底から尾根まで大変なブナの森じゃった。ブナやアシオスギ、トチやサワグルミの原生的自然林が広大無辺に残っていた(「細見谷と十方林道」森と水と土を考える会等発行)。 |
9:40ハゲノ谷右谷入口(三本栃分岐)
10:00広見林道
10:05ミチガ谷入口
10:30広見山分岐
ブナ ハゲノ谷右谷上部 |

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ケンノジキビレからハゲノ谷右谷への下りは、なだらかでなかなか谷へ降りない。林間から旧羅漢山の山腹が見える。枯れ木の大木を計ると4.2m、枯れ木からナナカマドが上に伸びていた。キビレから500mほどで、やっとハゲノ谷の水源部に出た。この辺りも伐採されたところだ。ブナの幼木の葉を見ると、イヌブナでなくブナのようだ。下るに連れてスギ林になる。スギ林のなかに巨大な枯れ木が残っていた。谷沿いはサワグルミが多い。分岐近くまで降りると、左岸に石垣があった。林道跡のようだ。これを下るとほどなく三本栃への分岐に出る。スギ林を通ってハゲノ谷本谷を渡ると再び林道。三本栃分岐から20分ほどで広見林道へ出た。分岐の広場は広見上のタタラ跡で「禿ノ谷鈩跡」と言い、最奥の遺跡である。
ミヤマカタバミ |
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ここから5分ほどで広見山登山口。広見林道はさらに登って、三本栃上部の尾根まで延びている。トイシ谷を渡ってミチガ谷を登ると、まもなく右手に石垣があり、石垣を上がると小屋跡があった。炭焼き小屋だろう。30分ほどで広見山分岐。谷を渡ると石垣がある。この辺りにも小屋があったのかもしれない。ミチガ谷は道川へ抜ける谷という意味もあるようだが、「西中国山地」ではミチガ谷は数ヶ所あるので、別の意味かもしれない。
11:20ジョシノキビレ
12:00ジョシ谷分岐
12:15カメイ谷
サナエトンボ科 |
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ジョシノキビレへ登るのに、まったく違った方向へ入り、時間を食ってしまった。キビレから少し下ると周囲4.2mのブナの大木がある。キビレから降りる小谷を下った。すぐにジョシ谷へ回るトラバース径が残っているが、茂っている。谷にトンボがじっと止まっていた。40分ほどでジョシ谷と合流、左岸の踏み跡を降りた。15分でカメイ谷へ出た。少し上がったところに、広見入口と木に彫ってある。
13:15 33曲り
14:30出合
タチツボスミレ |
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亀井谷の歴史は古い。谷の入口の道川には多くの縄文遺跡がある。亀井谷下流には岩ヶ原タタラ跡や仙床寺跡がある。1942年には亀井谷へ北海道から製炭者多数が入村した。デミセ谷入口に銅山があった。
少し上がるとデミセ谷、径はその先を右岸へ渡る。銅山の跡だろうか、石垣が残っている。石垣の上へあがると、また石垣がある。さらに上には建物の跡のようなものがあった。銅山跡を見ていると、下の登山道を釣り人が二人降りて行った。随分奥まで入っているものだ。この辺りの登山道は広く、ところどころ石垣がある。中ノ川山へ延びるアマスギ谷を過ぎると、さらに長い石垣がある。木馬道の跡だろうか。カメイ谷へ入ってから1時間で33曲り。少し休憩した。
ヤエヤマブキ |
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「亀井谷の水源帯は山なれしたパーティの独壇場である。一ヶ所ゴルジュがあり、右岸をまいて通ると出合と呼んでいる右谷と左谷の合流点に出る。この地点より暗い樹林の中の笹のブッシュをこぐことになるが、この深い樹林は、この付近で残されている唯一の天然林でツキノワグマを始めとして野生の獣が集まっているようだ」(「西中国山地」)
33曲りの先の道は、木が茂り荒れているが、幅広の道だったようだ。先へ行くと道は左岸へ渡っている。昔は橋があったようだ。その先の踏み跡はだんだん心細くなる。大きな谷の分岐の右はカマノキビレ付近へ出るようだ。分岐を左へ進むと、左岸にまた石積が残っていた。この先あたりまで木馬道があったのかもしれない。この辺りからゴルジュ帯が現れ、出合まで300mほど続く。乗り越せない高い滝が現れる。F10mのようだ。F10m手前で谷は分岐する。左岸に取り付いて越す。「西中国山地」では右岸から巻いている。
最後の小滝を乗り越すと出会に出る。谷は左右に分岐する。左に進めば、台所原から恐羅漢山への登山道へ抜けるだろう。右の滝下まで詰めて、しぶきに当たりながら左岸から乗り越した。
16:20平太小屋原
16:35恐羅漢山
17:35二軒小屋
ニシキマイマイ? |
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チョウ目 |
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ツルカノコソウ |
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ミツバツチグリ |
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最後の滝の上からは平坦な谷径になり、登るに連れてブッシュが多くなる。アシオスギの大木が林立している。大型のカタツムリの殻が落ちていた。水源帯の谷はゴーロを潅木が覆い歩きにくい。1000mを越えた辺りからブナの大木が現れる。周囲3.4mの大きなブナがあった。スギの巨木が多い。大きめのスギを図ってみると4.4m。山はこんな大木が続く。3m前後のブナはあちこちにある。大木が多過ぎたのと、いささかくたびれたのもあって計らなかった。
林の開けたところは潅木で埋まっている。巨大なミズナラは5.3m、細見谷にもあったが、ミズナラは大きく成長する。上部で四つの枝に分裂した変わったスギがあった。木の若芽にチョウ目の幼虫が止まっていた。鞍部近くに3.6mの大きなブナがあった。ササ帯に入り、出合から2時間ほどで平太小屋原へ抜けた。出合から鞍部の間は、昔、細見谷や十方林道周辺に広がっていた「深ぁー深ぁー」広大な森林地帯を想像できる谷歩きだった。
「恐羅漢山、旧羅漢山は昭和三十年代の始め頃までは、全山ブナ−クロモジ群集の天然林に覆われた国有林の山であった。先ず東側が切られ、ついで南西の広見谷側が皆伐され、更に最近、中之甲側が択伐された。いま樹林が残されているのは、わずかに西面の亀井谷の水源帯だけという淋しい状態になった」(「西中国山地」)。
登山道にはまだタムシバが残っていた。15分ほどで恐羅漢山、眺めは少し霞んでいる。少し休憩して下った。立山尾根の途中から小径へ入り、スキー場最上部のゲレンデに出た。二軒小屋へ真っ直ぐに下った。
5.3mミズナラ |
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フデリンドウ |
ニリンソウ |

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ヤマシャクヤク |
チゴユリ |

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カシミールデータ
総沿面距離16.9km
標高差697m
区間沿面距離
二軒小屋
↓ 3.4km
ケンノジ谷
↓ 1.3km
ケンノジキビレ
↓ 1.4km
三本栃分岐
↓ 0.9km
広見林道
↓ 1.3km
広見山分岐
↓ 0.4km
ジョシノキビレ
↓ 1.1km
カメイ谷
↓ 1.2km
33曲り
↓ 0.9km
出合
↓ 1.5km
平太小屋原
↓ 0.6km
恐羅漢山
↓ 2.9km
二軒小屋
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