6:35出発 晴れ 気温5度
エンレイソウ |
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7:10石垣
7:45水越峠
7:55ケンノジ谷
8:10トチ谷
9:30焼杉山
十方林道を上がった。スギ林で埋まった水田跡が続く。石垣の水田跡は民家を過ぎ、倉庫代わりのバスを過ぎて、まだ上の対岸まであった。この水田はいつ頃作られたのだろうか。谷の春は遅い。アセビやキブシ、ネコヤナギがやっと咲き始めている。横川川右岸の石垣があるところへ渡った。この石垣径は下流から続いているが、上流はすぐ倒木で埋まっている。右岸に沿って上がると、小谷入口に石垣が組まれていた。水田跡ではないので、小谷上流にワサビ田があるのかもしれない。十方山登山口手前で林道へ出た。雪はほとんど融け、水越峠付近に残っているだけだった。
ケンノジ谷入口の橋の横から谷へ降りた。すぐに堰堤にぶつかる。細見谷の最上流だから水量は少ない。スギ林を歩いても良い。15分ほどで谷は分岐する。トチ谷は西へ上がる。良材を求めて木地師がトチ谷へ入っていたのかもしれない。ゼンマイが頭を出している。トチ谷の入口は若い雑木林だが、上がるに連れてスギ林になる。トチの大木でも残っていないかと期待したのだが、丸裸にされたようだ。3、4mはありそうな切り株が幾つか残っていた。トチの大木だったのかもしれない。ところどころ谷は雪で埋まっている。
ミツバツツジ |
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水源部に入ると、谷は緩やかになりササが出てくる。シジュウカラが楽しげに歌っている。さほどのブッシュもなく稜線近くにくると、巨大ブナに遭遇した。山頂付近にある大ブナよりもひと回り大きい。近づいて見ると大きな虚がある。いまにもクマが出てきそうな虚だったが、よく見ると最近使われた形跡がなかった。
稜線に入るともう雪はほとんど融け、背丈を越えるササに変わっていた。巨大ブナから15分ほどで山頂に着いた。三角点を探した。見つからない。周辺のササをより分けながらねばるが見つからない。四方八方から山頂に近づいてみたが見つからない。三角点は埋まっているのかもしれない。山頂付近のササを刈らないと出てこないだろう。昨年も大分探したが、二回目も敗退。
ダイセンヒョウタンボク |
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バイケイソウ |
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11:10焼杉山下山
12:30十方林道
13:25 1096標高
14:45 1328峯
15:00十方山
1時間半探して下山した。先月、雪道で十方山への展望があったところは、ササと枝で僅かにに見える程度だ。木の上から十方山を写した。稜線を南へ進み、コムギ谷付近へ降りる尾根を下った。稜線を外れるとササが少し低くなる。少し下がったところでまた巨大ブナに出会った。これも山頂ブナより大きい。
この尾根径はブナの道だった。大きなブナが多い。さらに10分ほど下ったところで今日一番のブナを見つけた。私の両手で三周り、3.5m以上はあるか。もっとあるかもしれない。ササ原に朽ちた巨大ブナが倒れていた。ブナ帯はスギの植林帯まで続いていた。かつて巨大ブナが細見谷周辺の山々を覆い尽くして、真っ暗な森をつくっていた。丸裸にされながら辛うじて生き残ってきたブナに出会うことができた。
「昭和26年ごろでしょ
う、今の十方林道の形を造り出した。そして島根県側の一部や、広島県側では水越峠のまわりから、十方山にかけての斜面では伐採が始まっとったですが、それでも細見谷のほうはブナの森で真っ暗だった」(環・太田川2001年9月号
田中幾太郎さんにきく)。
ミツマタ |
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ブナ帯を抜けて、味気ないスギの植林帯を下った。細見谷近くでマウンテンバイクの爆音が聞こえた。1時間ほどで林道へ出た。廃屋があった。今まで何度も通っているが気が付かなかった。谷から林道へ出たので分かった。林道からでは林で見えない。廃屋を覗いてみた。寝泊りに使っていたようだ。外にプロパンが転がっていた。吉和漁協の看板のあるコムギ谷の分岐付近で少し休んだ。雪の十方林道にマウンテンバイクの轍が一つ残っていた。今日はまだ一台だけのようだ。先ほどの爆音がそうだったのだろう。
廃屋の先辺りから尾根に入った。細見谷の東の源流コムギ谷を渡ると、スギ林の急な尾根になる。林で展望はない。スギが欠けるとササとブッシュになるが、ほとんどスギ帯を進む。30分ほどで1096標高。鋼の錆びたロープが伐採された木に巻きつけてある。伐採した原生林を運び出したものだろう。巨木の切り株が幾つも残っていた。4、5mのものもあった。標高1200m付近で北側の展望が開けた。恐羅漢山と丸子頭の間に砥石川山が見える。
ショウジョウバカマ |
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ユキザサ |
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さらに少し登るとササ帯になり、西側の展望が開けた。恐羅漢山からボーギのキビレまで展望できる。焼杉山のスギ林の欠けたところに、細見谷から焼杉山の稜線まで広葉樹の帯が延びていた。上部の方は今降りてきたところだ。この帯の下の方にもブナがあるかもしれない。ユキザサの横にカタツムリの殻があった。
尾根にブナはすくない。林道から2時間ほどで1328標高。十方山より10m高い。北の十方山は大岩が多い。僅か350mの距離で山の様相がまったく違うのはどうしてだろう。昨年の台風によるものか、大木があちこちで倒れている。南へ進むとすぐに登山道へ出た。1328標高から十方山まで10分ほど。
今日は少し霞んでいるが、展望は良い。道標の下にタムシバの白い花が置いたあった。
ヤマザクラ |
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十方山は昔から有名な山である。
「芸備国郡志」(1663年)
「戸河内森原家手鑑帳」(1710年)
「吉和村御建野山腰林帖」(1725年)
「日本書紀通証」(1762年)
「松落葉集」(1768年)
「佐伯郡廿ケ村郷邑記」(1806年)
「芸藩通志」(1825年)
などに記録がある。(「西中国山地」桑原良敏)
「十方」について、浄土真宗の解説を見ると、「十方とは、四方(東西南北)、四維(北東、北西、南東、南西)の八方に、上・下を合わせた十の方角ということで、大宇宙どこでも、という意味」。
山名としての十方山は意外になく、京都にあるぐらいだ。しかし、霊場の十方山は多い。ネットで拾ってみると、
●第五番札所浄土宗 十方山大徳寺
●十方山 無碍光寺(北海道北広島市)
●第21番十方山同聚院 臨済宗東福寺派 京都市東山区
●第十六番十方山 浄橋寺
●十方山光照寺 西津軽郡
などなど。
「松落葉集」に十方頂(じゅっぽうちょう)と題した宝雲(ほううん)の詩がある。
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東天は仙嶽(せんがく)の雪
西海は馬関(ばかん)の潮(うしお)
山頂にして頂なるを知らず
杳然(ようぜん) 九霄(きゅうしん)に坐す
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ここ十方山の頂に立てば、遠く東の空には仙人でも住むかと思われる高い山が雪をいただいているのが見え、西方ははるかに下関あたりの海原(うなばら)まで見渡せる。このように十方のながめがきくので身は山頂にありながら、山頂にあるとは思われず、はるか天の最も高い所にいるような気がする。(広島大学デジタルミュージアムから)
下関の海原が見えるとは思えないが、この詩には十方山の展望の良さだけに留まらず、「十方」に込められた仏教の意を詠っているように思われる。
吉和には六部地蔵がある。天下泰平、子孫繁栄の極楽往生の祈願をしながら全国の霊場を廻国した巡礼者をまつっている。吉和地域では文化4年(1807年江戸時代末期)に房五郎が行者となっている。(吉和公民館HP)
昔は霊場の願いを込めて「十方山」と呼ばれていたのかもしれない。
吉和 田中原 2005/2/12 |
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15:30奥三ツ倉
15:45中三ツ倉
16:15丸子頭
16:35 1152峯
16:50藤本新道分岐
17:25県道
17:40二軒小屋
内黒峠への尾根道を進んだ。道にはところどころ雪が残っている。改めてブナが多いことに気づく。数十年もすれば巨大ブナの道になるかもしれない。木々は新芽を膨らませ、いっせいに葉が伸びようとしている。ブナの枝に数羽のアカゲラが飛んできて、ドラミングして飛び立った。また遠くでドラミングしている。丸子頭手前の一本杉の先には砥石川山が見える。
いつも通り過ぎるだけの丸子頭へ寄った。登山道からヤブを漕いで100mほど入ったところに三角点がある。スギの大木の東側はササが少なく、その一角に三角点がある。すぐに見つかった。恐羅漢山や砥石川山、苅尾山、深入山を見ながら丸子頭を下った。1152ピークはブナが多い。彦八の頭を見ながらカザゴヤキビレへ下った。カザゴヤキビレ周辺もブナを楽しめうる。キビレから見るウラオレ谷は美しい。その向こうに市間山がある。道を戻り、ヒノキ林の藤本新道を降りた。
カシミールデータ
総沿面距離14.4km
標高差539m
区間沿面距離
二軒小屋
↓ 2.7km
水越峠
↓ 0.7km
ケンノジ谷
↓ 1.3km
焼杉山
↓ 3.8km
十方山
↓ 2.6km
丸子頭
↓ 1.3km
藤本新道分岐
↓ 2.0km
二軒小屋
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