5:50出発 曇り後雨 気温20度
6:30 589峯
7:45薮ヶ迫山
午後から雨の予報なので早めに出発した。渓流釣の人が入っている。春の花がいっせいに咲き始め、入口のサクラは満開になっている。気温20度で、早朝にしては高い。三段峡入口手前の駐車場横から柴木林道に入ると、電気柵は開いている。15分ほどで内黒山登山口。ヒノキの植林帯を登った。山の下の方は、雪で倒れたヒノキが片付けられたいた。
ユズリハの食痕 |
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30分ほどで589峯。林で展望はない。キツネの糞がある。タヌキらしいタメ糞もあった。西風が強い。雨を運んでいるのだろう。タムシバの白い花がアチコチで咲いている。800m付近に大岩がある。踏み跡があるので上がって見たが、展望はあまりない。尾根から西に見える立岩山は霞んでいる。右に向山が見える。アセビが満開になっている。ユズリハの葉が食べられている。頂上近くになるとまだ雪が残っている。融けた雪の下に白カビが繁殖していた。2時間ほどで薮ヶ迫山。頂上に雪が少し残っていた。
。「1050.3メートルの点称は<滝ヶ谷>である。この小さなピークに山名が必要ならば薮ヶ迫山がよいと思われる。薮ヶ迫はこの付近の地籍名であり、『国郡志御用につき下しらべ書出帳・戸河内村』に御建山として<薮ヶ迫山>と記されていることによる」(「西中国山地」桑原良敏)。三角点の点名は宮里で、案内板では宮里山になっている。
タムシバ |
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8:15サバノ頭取付
8:30サバノ頭
林道を歩いて、サバノ頭の取り付きへ向かった。林道には30cmほどの雪が残っている。雪の融けたところにフキノトウが頭を出していた。林道から向山の稜線やサバノ頭が見える。谷を横切ると冷たい風が通り抜ける。谷沿いの雪からガスが発生して煙っている。気温が高いからだろう。ヤグラのある取り付きに到着。取り付きのヤマザクラは小さな蕾をまだ固く閉ざしていた。登山道のヒノキ林にクリの苗木がたくさん植えられていた。15分ほどでサバノ頭。三角点は雪の下だった。西側の展望岩へ上がった。砥石川山や比尻山は霞んでいる。
サバノ頭は国土地理院の点名では「鯖ノ頭」となっているが、「鯖の頭」ではない。
「サバは砂礫土を意味する愛知、岐阜の方言で、山ヌケして押し出された崩壊土がヌケ谷をつくり、崩壊を起こす地点がサバノ頭という。横川、柴木の古老と黒淵莊の主人よりこの山名を聞き出した」(「西中国山地」)。
クロモジ |
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10:20葭ヶ原
11:15取り付き
ヌケ谷を横に見ながら、雪の尾根を三段峡へ下った。尾根筋は大きなブナが多い。林の間から向山が見える。ところどころ尾根道を大岩が塞いでいる。下るに連れてタムシバが多くなる。この尾根径には、さほど倒木がなかった。三段峡の谷が見え始めた。尾根が突然下へ落ち、断崖になっている。西側へトラバースして下った。ちょうど葭ヶ原にある店の建物の対岸へ降りた。サバノ頭から2時間かかった。砂地に足跡があり、釣人が入っている。
思った以上に水量が多い。降下地点が誤りだったかもしれないと思った。少し上がって渡渉を試みたが、流れが速く、登山靴ではズルズル滑って踏ん張れない。もう少し上へ行き、岩に上がって水面を見た。流れの緩いところは少し深いが、両側は浅くなっている。靴にバンドを巻いて滑り止めにした。太い枝を支えにして、腰下までつかりながら、なんとか渡った。渡ったところは三段滝入口手前の河鹿屋敷というところだった。ジャブジャブの靴をひっくり返して水を出し、クツシタを絞っていると、三段滝からの人たちが通り過ぎて行った。橋のある黒淵への尾根を降りたほうが正解だったようだ。
13:00蔵座林道終点
13:25 962峯
13:45向山
14:00最早山
14:15向山
17:00三段峡
葭ヶ原のサクラが咲き始めていた。向山から降りている尾根の取り付きを探したが、どこも急峻で登れそうにない。ヌケ谷を過ぎてU字カーブを曲がったところに踏み跡があった。「長淵橋から4.8km」のプレートの道標があるところだった。その踏み跡はサイレンのポールがあるところまでだった。そのまま登っていくと大きな岩壁が尾根を塞いでいた。東側のガレ場を渡って尾根を登った。また岩壁に突き当たる。東の尾根に渡る。今度は大岩のゴーロ帯。東へトラバースして緩やかな尾根にやっと出た。ツガの大木が多い。岩また岩の尾根を歩くと、一千万年かけて、かたい花崗岩が侵食されてできた三段峡の成因を実感できる。
向山 |
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尾根道は潅木と倒木の連続だった。振り返るとサバノ頭が間近に見える。ササが出てくると潅木は減ってくる。700m付近に大きなブナがあった。800m付近でヒノキの植林帯になった。見回り道の踏み跡がある。ほどなく蔵座林道の終点に出た。踏み跡のあるヒノキの尾根道を登った。目印がところどころある。雪の残っている山頂に到着。三段峡の取り付きから2時間半かかった。林で展望はないが、大きなブナがある。雪の残る畳ケ平(タタミガナル)の尾根道を最早山へ向かった。しばらく下ると鞍部付近にブナの大木があった。1064標高の最早山付近には大岩があり目安となる。
「最早山は板ヶ谷の村人の呼称である。松原では蔵座山と呼んでいるようだ」(「西中国山地」)
キブシ |
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最早山はモヤイヤマとは読めない。変わった読み方だ。「モヤイ山」をネットで検索すると、村人共有の山林の呼称として、郷山、地山、村持山、モヤイ山などがある。村山から薪炭材、肥料用の柴草、牛馬の飼料、木の実などのほか、建築材を採取することもあり、村の生活にとって、村山の存在は不可欠であった。
ネットで「モヤイ」「もやい」を検索してみた。全国共通の意味合いで使われているようだ。
●広島弁
※もやいやいこ(お互い手伝い合う)
※釣り道具をもやいにしょうや(能美島 一緒に使う・共同)
●「モヤイ」は東京新島の方言では「助け合い」「力を合わす」を意味する。
●高知県高岡郡檮原(ゆずりはら)村では,村の共有山をモヤイ山という
●神奈川県秦野市
山には県有、市有のほかに共有山がある。共有山は言わば「もやい山」として、地域の建築用材、カヤなどを得るための山であった
●博多弁
そげなもんモヤイで使えばよかろうもん(それは共同で使ったらいいんじゃない)
■goo辞書では
もやい もやひ【催合い/最合い】
他の人と共同して事をしたり物を所有したりすること。おもやい。
■NAVER知識では
「もやい=舫い 船と船をつなぎとめること」 から転じて、たすけあう・わかちあう・共同するという意 味を持つ、九州地方の方言。 元は船に関係した用語からきている。今でも、ロープワーク(結び方)の中に「もやい結び」がある。
「もらいやいこしよう」と言って遊んだ遠い記憶がある。
最早山周辺の三角点の「点の記」の所有者欄を見ると、
●点名 向井山(四等三角点)
所有者 柴木部落共有地総代
●点名 作見谷(三等三角点)
所有者 共有地総代
●点名 犬ヶ谷(四等三角点)
所有者 共有者代表
など、所有者が共有になっているところが多い。最早山は村人共有の山という意味合いで、モヤイヤマ≠ニ呼ばれていたのかもしれない。
スミレ |
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カワニナ? |
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向山に戻った。雲行きが怪しくなっている。急いで下山した。ヒノキ林を抜けるとミズナラとブナの林になる。下るに連れて倒木が多くなる。ところどころ踏み跡が薄く残っている。この径はほとんど利用されていないようだ。3時過ぎ、地下に導水管が通っている尾根辺りから雨が降り始めた。下るに連れて倒木が多い。サイレン塔を過ぎるとはっきりした踏み跡があるが、導水管に沿う径に出るまで倒木の連続だった。導水管は崖のトンネルを出て三段峡に落ちていた。この径は2km余りあり長い。三段峡の入口は煙っていた。道にマキガイの殻が落ちていた。石の階段がなくなると、導水管に沿う長いジグザグ径になる。柴木川発電所の西側に降りた。電機柵の扉が閉まっている。恐る恐る扉を開けて出た。雨がひどくなった。
カシミールデータ
総沿面距離17.4km
標高差745m
区間沿面距離
三段峡
↓ 3.6km
薮ヶ迫山
↓ 2.4km
サバノ頭
↓ 1.5km
葭ヶ原
↓ 1.6km
尾根取付点
↓ 2.5km
向山
↓ 0.5km
最早山
↓ 0.5km
向山
↓ 5.7km
三段峡
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