7:05出発 晴後曇後雨 気温3度
8:25横川・那須分岐
9:30那須集落
三段峡駐車場を出発。畑は霜が降りて白くなっていた。廃止されたJR可部線の高架を潜って、河内神社の前の山径に入るとまもなく、クマ、イノシシ除けの電気柵が張ってあり通れない。下に見えた林道に出た。林道の電気柵は開いていた。
セイヨウタンポポ |
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大谷川に沿う古い林道を上がった。まもなく行き止まり。2万5千地図には破線径があるが、消失しているようだ。谷を詰めてオオマキ峠手前の林道に上がった。この林道は三段峡と恐羅漢公園線を結ぶ柴木線。ほどなく県道に出て、100mほど下ると横川への旧道の分岐。入口に中国電力の吉和郷中継局の標柱ある。そこから10分ほどで、明治の石の道標がある那須・横川分岐。分岐を那須方面へ向かった。
上本郷から那須へ抜ける旧道は二つある。大田川沿いに吉和郷から入る那須への古道、随所に石垣があり、長く使われたようだ。もう一つは横川への旧道、途中で那須へ分岐し、715峯、786峯(ジャノクラ)の南側を通って那須へ入る。
那須へはしっかりした径が続いていた。吉和郷からの径は至るところ石垣があったが、この径は全くなかった。古い径は尾根筋を通り、現在径と違うのかもしれない。途中に「吉和郷町有林」の表示があった。林間から集落が見え、県道252線への分岐を過ぎると那須集落。那須・横川分岐から1時間ほどかかった。
11:50中三ツ倉
12:20丸子頭
12:45藤本新道分岐
13:25二軒小屋
那須川に架かる鉄の錆びた橋を渡ると、左に那須小学校跡がある。那須地区略図では、20軒ほど住んでいるようだ。小学校跡に木地師石田富次の碑がある。「石田富次 当年六十一歳 師者石州那賀郡都地村字尾浜人企於明治三十三年八月那須木地塗業以来進隆盛発達境受弟等此恩有年慈集彰其偉徳 菅尾来筆」とある。菅尾来は、当時打梨小学校那須分校の教師だった。
明治33年、島根県から移住してきた石田富次から木地及び漆塗りの技術を習い、漆器生産が盛んになった。石田師は島根県那賀郡都地村字尾浜(現江津市)の人で、明治33年単身で那須に移住してきた。明治42、3年頃まで木地及び漆塗りの技術を指導した。明治41年4月、弟子達が石田師に対する敬慕の念から顕彰碑を建てた。(「戸河内郷土誌考」)
碑は那須から吉和郷へ通じる旧道沿いにあった。その後、現在地の那須小学校に移設された。
モチツツジ |
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那須集落を通り過ぎて、ウラオレ谷から入る風小屋林道を上がった。ウラオレ谷は一度釣りあがったことがある。最上部の三ツ滝を越えると、緩やかなササ帯になるが、その緩やかな流れの中に、多くの魚影があり、驚いたことがある。「タッチの墓」を過ぎて、ほどなく林道終点。数台の車が駐車できる。この周辺は水田跡の石垣が多く残っている。この辺りは「台ケ原」といい、棚田があったところだ。ジャノクラキビレ辺りから見下ろした、台ヶ原の棚田の美しい写真が残っている。現在はスギ、ヒノキの植林の下に消えてしまった。
「我が集落は昭和24、5年頃までは戸数40戸ほどあったが、経済成長に伴って米作りをするより、他の金儲けをするのが得なので、次第に米作りを止めて、他産業へ移りつつある矢先、国策として減反を強いられ遂に台ヶ原の山田は1枚も耕作する者もなく自然に荒れて、今では杉・桧を植えて森林地と化した。」(「戸河内郷土誌考」)
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クマの爪痕 |
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林道終点から水田跡の石垣を過ぎたところに、クマ棚が残っていた。植林帯を過ぎると、急な尾根道になる。振り返ると、内黒峠に日が射していた。高度が増すにつれ、ミズナラからブナが多くなる。傾斜が緩やかになると藤十郎。ミズナラの大木が迎えてくれた。この辺りはブナの大木が多い森林地帯だ。大岩のある中三ツ倉に近づくと霜柱が立っていた。丸子頭への下りでは、目前に砥石川山、遠く苅尾山が遠望できる。中三ツ倉から1時間ほどで藤本新道分岐。ヒノキの植林帯を県道へ下った。県道からの入口には赤テープが巻いてあるだけで道標はないが、少し登ったところに道標がある。
藤本新道 県道入口上部 |
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14:15田代出会
16:50三段峡駐車場
ヤマナシ |
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藤本新道分岐から40分ほどで二軒小屋。大規模林道を下った。小雨が降り始めた。横川橋手前を右に折れ、田代へ抜ける旧道を下った。旧道沿いに、本横川の水田跡の石垣が続く。横川トンネルが左に見えるとまもなく幸橋。橋を渡ると横川渓谷に入る。道の左は急峻な崖で、右の渓谷は深く落ち込んでいる。この辺りを歩いて見ると、大規模林道に1kmのトンネルを通さざるを得なかった分けが理解できる。二軒小屋から50分ほどで田代川出会。三段峡を通る横川川は、ここで田代川に分岐する。
シラネセンキュウ |
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ノコンギク |
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三段峡を通過できなかった時代に、戸河内本郷から横川、田代へ入るには、内黒峠を越えるしかなかったことが、この辺りを歩いて見ると理解できる。三段峡の先には横川川と田代川の渓谷があり、通過するのは困難だろう。内黒峠から降りるモリガ谷の径は、田代へ抜ける重要な往還道だったに違いない。
田代川出会橋を渡って、三段峡の遊歩道に入った。サバノ頭から落ちるヌケ谷付近は急峻な崖で、下には落ちてきた岩がゴロゴロしていた。ヌケ谷を下るのは難しそうだ。黒淵へ降りるのが賢明かもしれないが、黒淵莊の橋はシーズンオフで閉じられていた。この時期、渓谷に入る人はなく、三段峡入口まで誰にも会わなかった。
田代川出会の看板 |
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カシミールデータ
総沿面距離26.4km
標高差984m
区間沿面距離
三段峡
↓ 2.9km
那須・横川分岐
↓ 2.5km
那須集落
↓ 4.3km
前三ツ倉
↓ 1.1km
丸子頭
↓ 1.1km
藤本新道分岐
↓ 1.6km
二軒小屋
↓ 4.2km
田代川出会
↓ 8.7km
三段峡
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廃止された三段峡駅 |

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三段峡の紹介者 熊南峰の碑 |
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