7:10出発 晴れ 気温5度
8:40那須・横川分岐
8:55県道252号線
ヤマジノタツナミソウ |
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恐羅漢公園線(県道252号線)の入口から出発。那須方面へ100mほど歩くと、おっぱい山登山道入口の道標がある。民家の裏庭を通って登山道へ出る。ここが横川への旧道の入口のようだ。
「内黒峠越の旧道は戸河内明神橋より吉和方面へ100メートルほど歩いて農家の横から入る。尾根に登る部分は石畳が敷いてあり昔からよく歩かれた径であることが偲ばれる」(「西中国山地」桑原良敏)。
明治の道標 |
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ほどなく尾根径。枯葉の下から石畳が見える。ところどころ石垣が組んであり、昔から使われた往還道に違いない。スギ林を進むと、まもなくおっぱい山頂上への道標があった。旧道を離れて、おっぱい山へ登って見ると、数十メートル隔てて西へ574峯があった。おっぱい山と574峯は違うようだ。おっぱい山は戸河内の駅から見ると納得する。574峯から尾根径を下ると、まもなく旧道と合流した。
出発から1時間半ほどで那須・横川分岐に到着。分岐には石の道標があった。「右 横川 左 那須 道 戸河内村本郷 吉本厘太郎 明治4年10月」と読め、133年前の道標だった。現在でも道標があると安心するものだが、昔の人々にとっては、不案内な道中、石の道標は心強かったに違いない。分岐からまもなく、柴木線手前の県道に出た。入口に中電の吉和郷中継局の標柱がある。
9:15タキガ谷
10:05札場
10:50内黒峠
ツルシキミ |
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県道に出ると工事のダンプが車列を組んで登って行った。クロヤマ谷の対岸に旧道が残っている。50mの滝があるヤシキ谷の入口は案外小さい。20分ほどでタキガ谷入口。ロードヒーティング機械室の横から入る。径は左岸に沿ってあるが、登るにつれてブッシュが多くなる。札場に近づくと道が消失し、谷を歩いた。50分ほどで札場。札場にはタキガ谷からの踏み跡があったので、途中見失ったのだろう。札場から尾根筋を登っていくと左に県道が見えた。そのまま尾根を登っていくと、どうも径は内黒山ヘ向かっている。途中からトラバースして県道へ出た。ほどなく内黒峠へ到着。
11:55古屋敷
内黒峠を下ると、展望台の手前を道が右へ入っている。ここが968標高付近になる。
「古屋敷側の968メートル独標の地点から地図上の破線径を古屋敷へ降りる。歩く人が少ないのでかなり茂っている」(「西中国山地」)。
トイレのタンク |
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2万5千地図には破線径はないようだ。入口はアスファルト舗装になっているが、すぐにブッシュ径になる。まもなくブッシュがなくなると、りっぱな山径になる。林道のような幅広の径が続いていた。要所には石垣があり、簡単には消失しないだろう。径にはタイヤやトイレのタンクまで捨ててあった。県道から投げ捨てたのだろう。クリの大きな木に、クマ棚が残っていた。木の下にはクリの枝が散らばっていた。手入れされていないホダギにシイタケが実っていた。1時間ほどで古屋敷。大規模林道の古屋敷橋の手前に出た。
12:15モリガ谷
13:35内黒峠
フユイチゴ |
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キヅタ |
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横川を通り、横川橋手前を、田代出会へ出る旧道へ降りた。20分ほどでモリガ谷。手前に横川の郷士、津島弥五郎の碑があった。「約四百五十年前 銀山城の落城により横川の郷士 津島弥五郎は 当地に逃れ住み開拓したがついに追手を受けて非業の最期を遂げた 爾来当地を横川と称す 昭和五十九年九月 右有縁者之を碑刻す」とある。横川集落名の由来は津島弥五郎の出身地(現在の広島市)のようだ。
銀山(かなやま)城跡(広島市安佐南区祇園町):太田川下流西側の武田山(標高411メートル)にあった山城。安芸国守護武田氏の居城で、政治の拠点であった。天文十年(1541)毛利元就の軍勢の攻略によって落城した。(中国新聞HP)
横川から内黒峠に向かう近道が昔あった。内黒峠から横川へ落ちるモリガ谷に沿ってあったようだ。現在、径が残っているのか分からない。この径は、戸河内本郷から内黒峠を経て、横川、田代、餅ノ木、樽床、八幡へ抜ける古い歴史を持った径だった。
キカラスウリ |
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「横川小学校より本郷に通ずる近道を南東方向に約2.4k行くと、峠に達す。…道順詳しくは、上横川部落、鈴政左衛門に聞くと良く解ります」(点の記「鯖ノ頭」昭和27年10月)。
古屋敷に電燈がついたのが昭和28年というから、内黒峠へ車が入れるようになったのはもっと後なのだろう。
モリガ谷入口のお宮には、モミやカツラの大木がある。水田跡の石垣が谷の奥まで残っていた。谷を登っていると右岸に電柱があり、谷の奥へ電線が延びていた。電柱に沿って径があった。炭焼き跡の石積があった。径のところどころ石垣が組まれていた。昔から使われた径なのだろう。ときどき径が消失するが、電線に沿って登ればまた径が現れる。内黒峠まで電線が伸びていた。1時間余りで峠へ到着。
14:45那須分岐
16:55吉和郷
17:25県道252線入口
アキノキリンソウ |
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登記引照点 |
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まだ時間があったので那須へ降りた。峠を少し下ってスギ、ヒノキの植林帯の中に入ると、電線に沿って径がある。下るに連れて、径に沿った木にテープが巻いてある。さらに下ると、登記引照点と書かれた測量のあとがあった。どうも林道を作るようだ。那須川に出ると林道になり、昭和52年竣工の津波橋を渡った。ウラオレ谷を過ぎると那須集落に入る。那須小学校跡のケヤキの大木の手前に錆びた鉄の橋があり、そこが恐羅漢公園線への分岐。
ムシトリ
ナデシコ |
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お年寄り夫婦が畑仕事をしていた。径を尋ね、お婆さんにお年をきいてみると98歳。生まれてから那須で暮らしてきたという。那須の木地の従事者は昭和13年頃、30人いたというから、木地師の末裔かもしれない。上を見ると県道のガードレールが見えた。252号線へ上がらず、那須川に沿う径を登った。径から那須集落全体が見渡せる。この径が那須・横川分岐へ出るのだろうと思っていたのだが、結局、流田の手前の吉和郷へ降りていた。この径も要所で石垣が多くあり、長く使われた古道のようだ。
ノコンギク |
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