8:15出発 曇り時々雨 気温10度
8:50ヨビヤ峠
ヨビ岩探索
9:35ヨビヤ峠
横川小学校跡を示すものは石柱だけだった。石柱は捨てられた建築資材の中にある岩に立てかけられていた。解体された校舎の柱や板が野積されていた。雨は上がったが風が強い。横川小学校跡を出発。大規模林道を横切って坂道を上がると踏み跡がある。ヨビヤ峠への径はしっかり踏まれて残っている。「田代と本横川を結ぶヨビヤ峠は、かつて田代の子供の通学路であったが、古い歴史を持った峠である。三段峡が通行不能だった頃は、戸河内より内黒峠、ヨビヤ峠を越えて田代、餅ノ木、樽床、八幡へ入ったものである」(「西中国山地」桑原良敏)。
30分ほどでヨビヤ峠。先日、砥石川山を降りて、田代からヨビヤ峠を越えたが、ヨビ岩が見つからなかった。「西中国山地」にある地図に間違いなければ峠の近くにあるはずだ。「この峠の横川側に有名な呼岩があり、ヨビイワ峠→ヨビヤ峠と転訛したものと思われる」「人呼べば応う、鸚鵡石の類なり」(「西中国山地」)。
ミズナラ |
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ヨビヤ峠の手前をフルミチ谷の水源部が中山方向へ伸びているが、100mほど、この小谷を上がると右側の稜線に大岩が見えた。谷から呼びかけたり、ホイッスルを鳴らしたが反響しない。位置が良くないのだろうと思い、尾根に上がって試してみると、声に反響はないが、ホイッスルには反響した。天候の具合や長年の環境変化があるのかもしれない。尾根を上がって他に岩がないか調べて見たが、それらしい岩はなかった。峠へ戻り、大岩まで登ってみた。左右に大岩が並んでおり、真中にも岩がある。両側にスピーカーを並べたような様子だった。場所によっては反響が大きいのかもしれない。いずれにしてもヨビ岩に間違いないだろう。
10:20イキイシ谷
峠を越えて田代へ降りた。踏み跡は左岸にあるが、途中で消えている。田代集落跡は牛小屋谷入口から田代川まで続いている。水田跡は杉林になっていた。「タシロ 新しく田を作った所。中世の地名。本来の意は、丘や山腹の平坦地」(「西中国山地」)。田代集落≠ナ検索するとかなりヒットする。秋田、福島、宮崎、新潟、静岡……いずれも奥深い山里に田代集落≠ェ存在していた。
ツルリンドウ |
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峠から40分ほどでイキイシ谷。奥三段峡から出合谷へ上がろうと思っていたが、昨日からの雨で増水し、小川のようなイキイシ谷さえ渡れない状態だった。仕方なくイキイシ谷を上がった。途中、先週見つけたのとは違った炭焼き跡の石積があった。
「奥三段峡の呼称はおそらく熊南峰氏が命名したものだろう。大正十五年に彼が発行した『三段峡案内』には峡中にくも渕、松尾、蛇渕、お岩渕の名が見える。滝の名称ではなく渕の名になっているところを見ると、彼が命名したのではなく案内した村人より聞き書きしたものと思われる」(「西中国山地」)
戸河内の民話にお岩渕≠ェある。お岩は、岩見の農家に育ち、五郎の嫁になった。五郎は仲間と共に田代の奥へ働きに行き、愛人をつくった。裏切られたお岩は渕に身を投げた。夕方になると、お岩渕に髪を振り乱した女が、恨めしそうに小屋の方をにらんで立っていたという。五郎が出稼ぎに行った田代の奥とは、赤川出会付近なのだろう。民話が残る出会は、昔からタタラなどで人の出入りが多かったに違いない。
ツルシキミ |
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「中ノ甲には、昭和十二年頃から終戦後にかけて、かなりの集落があった。帝国製鉄の加計工場ができ、かつてあった各地の「たたら跡」のスラグ(鉄滓)を採集し、それを原料として、木炭銑鉄を製造していた時期があったからである。中ノ甲は木炭の生産地になっていた。昭和十六、七年が最盛期であり、昭和三十三年頃まで続いていた。最盛期には、中ノ甲に、製炭窯が六十ぐらいあって、七十世帯二百十人ぐらい住んでいた。小学校の分校もあって二十二人の児童が、在籍した時代もあった」(「今田三哲 いちもん第54号掲載作品」)。
最近通った中ノ甲林道、イキイシ谷、牛小屋谷、広見林道や周辺の小谷に炭焼き跡の石積が多く残っている。餅ノ木のたたら跡は十八世紀末から十九世紀初頭にかけて操業していた。
11:20イキイシ谷の林道
11:45林道分岐(笹小屋手前)
12:15十文字キビレ
1時間ほどでイキイシ谷の林道へ出た。橋を渡ると分岐。笹小屋方面へ林道を上がった。20分ほどで笹小屋手前の林道分岐。中ノ甲林道を十文字峠へ向かった。十文字峠近くになると、クリの木のクマ棚が多い。直径15cmほどの小さなクリにクマの大きな爪痕が残っていた。今年は相当にエサ不足だったに違いない。それにしても十文字峠付近はクマの痕跡の濃いところだ。分岐から30分ほどで十文字キビレ。
12:45狼岩山
狼岩探索
15:00十文字キビレ
狼岩山
四等三角点 |
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十文字キビレから鎖止めのある立入禁止の左側の林道へ入ると、100mほどでイキイシ谷の源流部へ出る。右岸に踏み跡がある。まもなく稜線に出ると東に狼岩山があった。300mほどササを漕ぐと狼岩山。茂ったササの中に三角点があった。四等三角点、点名は竜門。林間から聖湖が見えた。少し北側へ下ると樽床ダムが目前に見える。苅尾山や深入山も展望できる。林がなけれがすばらしい展望台だ。
「中国山地」によると、狼岩は十文字峠と狼岩山を結ぶ線上の中間点より、かなり北へよった地点にあるという。登ってきたイキイシ谷源流の径が線上に当たり、中間点付近で確認しながら登ってきたが、それらしい岩は見当たらなかった。狼岩山から南へ100mほど下った所に二つの大岩が屹立していた。大岩に立つとサバノ頭、その左に遠く天上山、右に砥石川山が頭を出していた。岩上からホイッスルを吹くと、山々に谺した。つい100年ほど前、この岩からニホンオオカミが遠吠えを繰り返していたのかもしれない。大岩が狼岩かどうか分からない。
15:40林道分岐
16:00大規模林道
17:00横川小学校跡
921峯
三等三角点 |
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十文字峠へ戻り、イキイシ谷を下った。林道終点からすぐに径は分岐する。左のトラバース径を登った。分岐から20分ほどで林道へ出た。林道を下ると餅ノ木へ出るのだろう。尾根径を登った。10分ほどで921峰。三等三角点、点名は田代になっている。ここから径は田代方向へ下る踏み跡があったが、尾根径をくだった。次の分岐で南側の尾根を下った。径が突然なくなり、下は大規模林道だった。尾根は削り取られていた。大規模林道を下った。田代橋から下を見ると田代川は白く泡立っていた。951mの横川トンネルを抜けると夕闇が迫っていた。
カシミールデータ
総沿面距離
15.5km
標高差384m
区間沿面距離
横川小学校跡
↓ 1.4km
ヨビヤ峠
↓ 2.4km
イキイシ谷
↓ 2.0km
笹小屋手前
↓ 1.2km
十文字峠
↓ 0.8km
狼岩山
↓ 1.0km
十文字峠
↓ 1.4km
イキイシ谷分岐
↓ 0.7km
林道分岐
↓ 1.0km
大規模林道
↓ 3.6km
横川小学校跡
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