7:00出発 曇りのち晴れ
8:10恐羅漢山
8:30旧羅漢山
ノアザミ |

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ヤマボクチ |
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二軒小屋駐車場を出発。急に雲が出て、雨がぱらついた。天気予報は晴れのはずだが、山の天気は当てにならない。
先週アナグマがいたゲレンデを登った。アナグマは地中に巣穴を掘り、家族単位で生活し、ミミズや昆虫、カエルなどを食べている。入口は10前後あり、地下マンションになっている。一家族6、7頭くらいが幾つかの部屋に生活し、幾世代にわたって建て増ししているという。ゲレンデの下はアナグマの巨大地下都市かもしれない。先週はたまたま薄暗くなりかけ、クマ除けの鐘を外し、ゲレンデを歩いたことで、夜行性のアナグマに会えたのだろう。アナグマは視力が弱いようだ。
まだ暗い一般道で運転中、動物の事故現場によく出くわすが、被害者はイノシシとタヌキが多い。走りながら、一瞬タヌキと思ったのは、案外アナグマだったかもしれない。残念ながらアナグマには会えなかった。
キリの旧羅漢山 |

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恐羅漢山はキリで視界が利かず、展望がない。キリの中を平太小屋原へ下った。旧羅漢山も視界が20mほどしかない。
9:05広見林道終点
9:30広見山登山口
先週通って見つけたトイシ谷の林道を利用して、広見山へ登ることにした。カマノキビレ手前から径は尾根を外れ、トラバースしてトイシ谷の林道終点に出た。この林道は広見林道の終点のようだ。林道の上部はがけ崩れなどで荒れている。枯死寸前のブナの大きな木があり、クマが冬眠しそうな虚があった。林道終点から30分ほどで広見山登山口に出た。休憩していると、3人の登山者がやってきた。広見林道の入口から1時間ほどかかり、広見、半四郎を経て林道入口へ帰るという。失礼して先を急いだ。
クマが冬眠しそうな虚 |

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10:30広見山
11:15半四郎山
11:40向半四郎
12:25半四郎山登山口
トイシ谷とミチガ谷の合流点が広見山の登山口になっている。ミチガ谷の径を登った。ジョシのキビレへの分岐から急な登り径が長く続いた。広見から半四郎へ回る方が楽だと聞いていたが、必ずしもそうではないようだ。
ミチガ谷は広見から道川(ミチガワ)へ出る最短距離にある谷で、ミチガワ谷がミチガ谷となった(「西中国山地」桑原良敏)。
広見山
二等三角点 |

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広見山登山口から1時間ほどで頂上に着いた。そろそろ晴れるかなと期待していたのだが、相変わらずのガスで視界がない。頂上にある道しるべの山々が見えるはずなのだが。広見山は二等三角点。早々に半四郎へ出発した。
「広見山という山名の初見は『石見風土記』(736年)と思われる。<広見山、郡家西南九里八十歩>とある」「広見山はササ原で広く周辺の山々を眺めることができるので、広見山と呼ばれたのではなかろうか。広見山という山名が先にあり、後に広見という集落名が使われだしたと考えられないこともない」(「西中国山地」)。広見山は古い歴史のある山のようだ。
半四郎山へは快適な径がつづく。キリの中に半四郎山の稜線が現れた。ブナの大木がちらほら散在している。七人小屋クビレを過ぎると登りになる。40分ほどで半四郎山。
山頂に匹見町の標柱(平成8年10月20日)がある。匹見町制施行40周年を記念して、第21回匹見町登山大会が開かれている。それで登山道が整備されているのだろう。半四郎山にある「三角点」は境界標識のようだ。国土地理院の地図には三角点がなかった。キリの中に広見山と向半四郎山の稜線が僅かに見えた。
半四郎山の由来は「西中国山地」に詳しい。「大正3年3月9日、横川の住人で木地の先山師、藤田半四郎と息子の武若が、思いもよらぬ大雪のため、ツゴウ谷へ迷い込んで遭難死した。若者20名の連絡隊は、広見から14時間かかって横川へ着いた。県境のボーギのキビレ付近は3メートルを越す積雪だった」(「西中国山地」)。
木地の先山師といえば山のベテラン。それでも迷うほどの大雪だったにちがいない。
ノイバラ |

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半四郎山を後にした。ホンゾウのクビレへ近づくと向半四郎の幾何学模様が現れた。ジグザグ径を登ると向半四郎。数名の登山者が休憩していた。黒ダキ山登山道でお会いした方だった。天候が良くないので半四郎で引き返す予定だという。広見へ下った。登山口へ出る前に石垣があったが、水田跡だろうか。40分ほどで半四郎山登山口。この登山径はシロワラビ谷、クマノアナ谷を経て向半四郎に出るようになっている。
半四郎はシロワラビ谷を登って遭難している。登山口から下ったところに1968年(昭和43年)竣工の小谷橋がある。西暦の銘鈑は珍しい。橋の東側にスペースがあり、車が1台止まっていた。広見集落は林道をもう少し下ったところにある。「広見集落は昭和38年の豪雪以後離村する者が多く、現在は定住者のいない村里になってしまった」(「西中国山地」)。
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作業小屋 |

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13:00オオアカ谷
14:30ボーギのキビレ
15:15マゴクロウ谷
16:45二軒小屋
広見林道を上がった。まもなく作業小屋があった。テレビアンテナがあったが、電波が入るのだろうか。おしどり橋(昭和39年竣工)、小赤谷橋(昭和43年竣工)を渡ってオオアカ谷へ到着。なんとか予定の時間で来ることができた。
オオアカ谷入口 |

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オオアカ谷入口に「横川越→」と書かれた吸殻入れがある。かつて広見の連絡隊が通ったオオアカ谷のスギ林の径を登った。ほどなく大きなトチノキの横を通る。スギが開けたところはブッシュやゴーロ帯で歩きにくいが、ほとんどスギ林の中を通っている。鞍部近くはテープ、踏み跡が消えるので注意が必要だ。細見谷側は径が消失しているとはいえ、広見から横川へ抜けるには、ボーギのキビレ経由が一番近いだろう。「横川越」は広見側の呼称。
下山橋 |
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ルイヨウショウマ
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細見谷 |

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1時間半でボーギのキビレに到着。ここからは背丈を越えるササ薮になる。皮肉なことに、やっと日が射し始めた。ブナの大木にクマの居そうな虚があった。しばらくササを掻き分け下ると、テープがあった。テープはマゴクロウ谷の左岸、右岸を渡りながら降りるようになっている。40分ほどでマゴクロウ谷入口。ここまでくれば十方林道をのんびり歩くだけだ。
林道に「軟弱地盤解析業務」と書かれたポールが埋められていた。十方林道の七曲付近は、深刻な地すべり地帯だが、どうして脆弱化した地盤に大規模林道を通すのだろう。夕日を背に受けながら二軒小屋へ向かった。
コハウチワカエデ |

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