山歩き

臼谷林道…牛首…市間山…立岩山
2020/4/25

臼谷林道…牛首…市間山登山口…林道上田吹西平線終点…市間山…立岩山…シケの谷ピーク…臼谷

■市間山(イチマヤマ)1108.8m:広島県山県郡筒賀村大字上筒賀字市間山(点の記) 安芸太田町
■立岩山(タテイワヤマ)1134.9m:広島県山県郡筒賀村大字上筒賀字立岩山(点の記 点名:観音) 安芸太田町

ウス谷の標柱
坂原浄化センター
臼谷林道入口
降下地点の植林地
臼谷橋
筒賀村の臼谷線の標識
ウス谷
ウス谷左岸の石垣
宮平山の尾根に上がる階段
ツヅラ谷
キヤソウの谷のコンクリート擁壁
ウス谷に入る草薮の分岐道
雨量計のアンテナ
雨量計
牛首
複層林の標識
右 臼谷作業道
鷹ノ巣山 展望地から
牛首
牛首から東へ延びる林道
牛首の道標
左 上田吹西平線
林道入口の道標
鍋山
市間山登山口
法面工事
内黒峠から十方山へ続く峯
苅尾山と深入山
ハチガ谷の頭西面に延びる林道
虫木ノ峠
林道終点
市間山
登山道のクマ棚
立岩山
十方山
東郷山と大峯山
ヒノキ林のピークからウス谷入口へ下る
小室井山を望む
石堂山
ツガの大木
ヒノキ林を下る
高速道下の国道に出る
臼谷林道入口に下りる
6:30 臼谷入口 気温6度 晴れ
 

6:45 臼谷橋
7:50 雨量計
8:35 イチマ谷 
8:50 牛首 
9:10 市間山登山口
9:40 林道尾根
10:00 林道終点 
10:10 尾根取付 
10:55 市間山登山道
11:05 市間山 
12:10 立岩山 
12:25 シケの谷ピーク
13:25 856P
14:30 臼谷

 コブシが咲くウス谷左岸を出発。186号線を渡り、高速道下の臼谷林道に入る。ヤマナシの花が咲く。降下地点のスギ林を確認する。キケマン、ムラサキケマンが咲く。右下にウス谷の流れが見える。タラの芽が伸び始めている。

 右岸のスギ林の林道を進むと、NHK埋設地の標柱が続いている。フキやヤマドリゼンマイが群生する。臼谷橋に筒賀村の林道臼谷線の標識がある。ウス谷左岸のスギ林下に石垣が続いている。石垣にミツマタが咲いていた。山中の上へNHK埋設地の標柱が続いていた。

 林道はウス谷でU字に曲がる。ミツバツツジが咲く。道は尾根をV字に曲がる。クサイチゴが咲く。ヤマザクラの花びらが散る、日が射す林道を進む。ヤマザクラは赤い葉に変わっていた。クロモジの雄花が多い。宮平山へ上がる尾根の法面に鉄の階段が取り付けてあった。

NHK埋設地の標柱が山上へ続いている
コブシ
ヤマナシ

 笠のような葉を付けたトチノキの幼木が伸びている。ツヅラ谷を回る。植林地の中に「複層林造成」の標識が見える。ヤマザクラが咲く。ウリカエデが花穂を下げる。東側に鷹ノ巣山の峯が見える。キヤソウの谷はコンクリートの擁壁になっていた。分岐道が西側へ入っているが、草薮になっている。おそらくウス谷の堰堤工事のための道と思われる。

 枝が覆うミズネエキの谷を過ぎる。キブシの花穂が下がる。水がえき山の鞍部を越える。小谷の入口に雨量計のアンテナが立っていた。「転倒ます型雨量計」のプレートが付いている。谷の先に天上山の峯が見える。北側に大きく峯が割れた牛首の峠が見えてくる。ニワトコが咲く。

 小谷の右岸に複層林の標識がある。左岸にも標識があった。林道はイチマ谷の水源を曲がりくねる。小谷の右岸に大きいトチノキがあった。近くに幼木の新芽が出ている。コンクリート法面の上にミツバツツジが咲く。ウリハダカエデの芽吹きの葉が出る。

ミツマタ
クサイチゴ

 イチマ谷にヤマザクラが咲く。道の分岐に作業道臼谷線の標識がある。この作業道は石堂山の東へ延びている。南側に小室井山が見える。岩の展望地に上がると鷹ノ巣山の全容が見えた。2時間半ほどで牛首。牛首から東へ道が入っている。峠に木の道標があり、「戸河内町田吹地区へ2.2km 筒賀村国道186号線へ5.4km」と書かれている。

 道標の下に林道臼谷線終点の標識がある。舗装路が田吹へ下る。エンレイソウが咲く。林道の分岐まで下ると、市間山登山口 0.6kmの道標があり、その横に「林業専用道 上田吹西平線起点」の標識がある。林道入口に通行止の看板があり、登山者には牛首側へ200m先の駐車スペースが案内されている。林道工事は令和2年6月30日までで、「林業専用道上田吹西平線災害復旧工事」の看板がある。

トチノキ
トチノキ
キブシ

 林道から鍋山が見える。市間山登山口にパワーショベルが停まり、駐車禁止の立札があった。崖崩れ跡の法面工事の現場で一休み。ハチガ谷右岸の山が崩れていた。ニワトコが咲く。ハチガ谷を過ぎると、法面工事の現場にベルトコンベアーが置かれている。倒木が多いコウガ谷を過ぎる。

 右手に鍋山が見えてくる。林道はハチガ谷の頭から下る尾根に向かっている。林道を倒木が塞いでいた。鍋山から石堂山へ続く峯が見える。タラの芽が伸びる。南に石堂山と鷹ノ巣山が見える。尾根を越えると、西側に内黒峠から十方山への峯が見えてくる。東側に比べて展望がくっきりしている。苅尾山と深入山、向山もはっきり見えた。

 林道を進み尾根の広場に出る。林道はハチガ谷の頭の西へ向かっている。おそらくこの辺りを「西平」と呼ぶのだろう。虫木ノ峠へ上がる道が見える。林道はハチガ谷の頭の西尾根を越えた所から下り、クロブチ谷右岸の水源で終点。一休みして西尾根の植林地を登る。ノウサギの糞がある。植林地の山腹を歩き、途中から市間山登山道に出た。

タラノキ
クロモジ
ニワトコ

 林道終点から1時間ほどで市間山。ブナの登山道を南へ進む。オオカメノキが咲き始めている。1071ピークを過ぎた辺りにクマ棚があった。幹に浅い爪痕がある。市間山から1時間ほどで立岩山。十方山山頂の西に雪が見える。雲一つない青空で山全体がくっきりしていた。東側には東郷山、大峯山が見える。山頂のアセビが咲いていた。

 引き返して植林地の尾根を進む。ヒノキとスギの混交林のようだ。1050m付近からササの雑木林になる。オオダキ水源付近から荒れた痩せ尾根のツガ林になる。境界柱がある。小室井山が見える。左に高速道のトンネルが見える。1000m付近の西側のスギが幹の途中から折れていた。石堂山が大きく見える。940m付近に大きいツガがあった。ミヤマシキミの実でより花の方が多い。

 風が強いためか、ツガの木のヤドリギが落ちていた。ユズリハの冬芽が伸び、雄花が出ている。850m付近に古いテレビアンテナが倒れていた。ヒサカキが花を付ける。ツガ林を下る。大きいアカマツが多い。600m手前でヒノキ林に変わる。高速道下の国道の臼谷林道入口に下りる。 

イワカガミ
オオカメノキ
ウリカエデ
ウリカエデ
コバノミツバツツジ
ヤマザクラ
ヤマザクラ
ミヤマキケマン
ムラサキケマン
カキドオシ
ウリハダカエデ
エンレイソウ
エゾユズリハ
ツガのヤドリギ
ヒサカキ
ミヤマシキミ

 
 ■地名考

 牛首地名

 市間山と鍋山の峯が田吹川の水源鞍部で交差する地点、田吹からイチマ谷へ越す地点を牛首と呼ぶ。水越峠(ミノコシダオ)、イチマ峠、タブキ峠とも呼ぶ。

 「牛首」は「牛首状の細くて長い尾根、またはその尾根の鞍部」(「西中国山地」桑原良敏)とある。

 牛首は西中国山地では、天杉山の西、青笹山の東、那須集落東の三角点、猪山にある古名「猪山分牛首大田押」、馬糞ヶ岳の西にウシクビ谷がある。牛首は鞍部地形の呼び名である。

 西中国山地のクビレ・キビレ地名

 「クビレ・キビレもこの地域特有な方言で、尾根の鞍部の意である。古くから使われており、『防長地下上申』宇佐郷村の境目書にも出てくるし、『戸河内森原家手鑑帳』(1713年・正徳5年)の他村境覚書の項にもある。内黒峠は「大くびれ」と呼ばれていた。

 現在も戸河内町横川で使われており周辺に「夏焼のキビレ」、「ボーギのキビレ」、「カマのキビレ」の呼称がある。ここでは、クビレ→キビレ、と訛っているが、広島県西部、島根県西部地方では、結ぶことをくびる→きびるという転訛の事例があるように、ク→キと訛っている場合が多い。
 「ボーギのキビレ」は、榜木の立ててある鞍部の意であるが、この鞍部には必ず径が通じていたので、国境の峠の別称と理解してよい」(以上「西中国山地」桑原良敏)。

 西中国山地では他に、アカゴウキビレ、オオキビレ、カザゴヤキビレ、ケンノジキビレ、ジャノクラキビレ、ジョシのキビレ、バーのキビレ、十文字キビレなどがあり、クビレは、ホンゾウのクビレ、七人小屋のクビレ、三ノ谷クビレなどの地名がある。

 「牛首」は「牛首状の細くて長い尾根、またはその尾根の鞍部」の意であるが、「牛+クビレ」と表せば、「牛のような鞍部」の意とも思われる。

 牛窓(うしまど)地名(岡山県牛窓町)

 「牛窓」は、万葉集に登場する古い地名です。しかし、「牛間戸」(『山槐記(さんかいき)』1179年)、「卯島津」(『海東諸国記(かいとうしょこくき)』1467年)、「宇嶋門」 (『室町幕府奉行人連署奉書』1552年)、「宇志間門」(『三藐院記(さんみゃくいんき)』1592年)、「うしまと」(『鹿苑院殿厳島詣記(ろくおんいんどのいつくしまもうでのき)』1389年)、 「牛窓」(『源頼朝下文(みなもとのよりともくだしぶみ)』1185年)などと古くはいろいろな漢字が当てられています。
 漢字には意味があり、筆者が牛窓の地を踏み、漢字を当てたと考えると、「東の島の港」「家がある島の出入口」「四方が島に囲まれたあいだ」「関がある出入口」などと土地柄を読み取ることができます(『瀬戸内市』HP)。

 万葉集の牛窓(巻11−2731)

 (原文)牛窓之 浪乃塩左猪 嶋響 所依之<君> 不相鴨将有
 (訓読)牛窓の波の潮騒島響み寄そりし君は逢はずかもあらむ
 (仮名)うしまどの なみのしほさゐ しまとよみ よそりしきみは あはずかもあらむ

 (訳)牛窓の潮騒が島に響くように、あの方との噂が広がってしまい、もう逢うことが出来ないのだろうか

 牛窓の地形は入江である。「卯島津」は「うしまつ」と呼んでいたと思われる。ウシマドはアイヌ語で次のように表せる。
 us-matu ウシ・マト(マツ) 入江の・うらわ(浦曲)

 ウシのアイヌ語地名
 us-ya ウシヤ 入江の・岸(臼谷)
 us-sir ウシシリ 入江の・島(臼尻)
 us-tomari ウシトマリ 入江の・泊地(鴛泊・オシドマリ)
 us-or ウショロ 入江・の内(忍路)
 us-nupuri ウシヌプリ 入江の・山(有珠山)
 matu マト(マツ) 波打際の屈曲した所・うらわ・浦曲(アイヌ語小辞典)

 ウシ=屋根の棟

 宮崎県東臼杵郡椎葉村で、屋根の棟のことをウシという。カザボコともいう。愛媛県大三島北部地方では、家組みの最大の木のこと。タテマエの日にウシを上げるとき、酒を供えるが、このことをウシニミズノマスという。
 また西日本には、川普請などの梁木受桁、桁杭をウシと呼ぶ地方もある。熊本県球磨郡では、炭材を竈につめたときわたす横木をウシキという(「民俗語彙データベース」)。

 牛の各部の名称は、牛の背中の端から出ている尾の部分は尾根部、尾の長さは尾丈、尾の先端は尾房、首は頸峯などと呼ぶ。

 地形の尾根は、谷と谷を分ける山の高み、山頂から山麓に延びている。ピークとピークを結ぶ線を稜線と呼ぶ。

 棟は、屋根の一番高い所、家屋の屋根面が交わり稜線を成す部分である。

 家の屋根の由来は竪穴式住居にさかのぼる。棟から下りる屋根は地面に接し、地形の尾根を連想させる。

 牛首は「牛+クビレ」と考えれば、「尾根+クビレ」であり、尾根の鞍部の意となる。

 牛頭山がいくつかあり、「牛のような頭の山」の意と考えられているが、「尾根の頭」の意とも思われる。

 県居(あがたい)の大人(うし)

 県居の大人は賀茂真淵、与謝野の大人は与謝野鉄幹のことで、「大人」はウシと呼ぶ。
 書紀(720)神代下に、「故、仍りて其の子大背飯三熊之大人を遣す。〈大人、此をば于志(ウシ)と云ふ〉」とあるので、古代から大人をウシと呼んでいた。大人は古代の支配者層を指す呼び名である。(大背飯三熊之大人=おおそびのみくまのうし)

 県主(アガタヌシ)

 県主は、国造(くにのみやつこ)や伴造(とものみやつこ)の「ミヤツコ」よりも古い「ヌシ」の称号をもち、3−4世紀(古墳時代初期)に成立したと考えられている(『ウィキペディア』)。

 先住民の村の長である県主の語源の一つにアイヌ語がある。
 a-kotanu-us-i ア・コタヌ・ウシ われの・村・ある・所
 アコタヌシ → アガタヌシ = アガタノウシ

 a-kotani アコタニ われの村(アイヌ語小辞典)
 kotanu-us-i コタヌウシ その村・ある・所(小谷石)

 古墳時代に牛の利用が始まったとされ、大人(ウシ)が先に成立し、後に大きいものとしての牛(ウシ)が成立したとも考えられる。

 牛首は「大+首」で「大+クビレ」の意とすれば、「大峠」の意であるとも思われる。

 牛窓は「大+マト」で「大きい・浦曲」の意とも解せる。

 クビレ地名

 関東の奥多摩町の奥の奥秩父連峰にクビレ地名が多い。鞘口ノクビレ、大クビレ、大京谷クビレ、梯子坂ノクビレ、巳ノ戸ノ大クビレ、クタシノクビレ(秩父市)などがあり、いずれも山の鞍部の地名である。

 秋田県湯沢市に大クビレがある。
 上クビレ沢(カミクビレサワ)は山形県西川町にある。

 クビレ地名は西中国山地だけではないようだ。

 峠データベースに久比里坂(クビリサカ)がある。横須賀三浦半島の端にある峠名である。クビリサカは古い地名のようだ。

 「◯小名 …△久比里村南の惣名なり、元祿の改には西浦賀村之内久比里村と載す、相傳ふ鎭守若宮社に納むる石より地名起れり」(「新編相模国風土記稿」1841年)。

 鹿児島市に喜入の地名がある。「喜入」(キイレ)の名は、1414年島津久豊がこの地で上げた戦勝を祝して給黎を「喜入」と改めたのが最初です(鹿児島市喜入町HP)。

 給黎郡は『和名抄』によると、「岐比礼」と読み「給黎郷」の一郡一郷だった。給黎郡創設は646年とあります。

 『きひれ 給黎(薩郡)岐比礼《キヒレ》 給《キフ》ヲ「キヒ」ニ用ヒタリ』(「地名字音転用例」本居宣長)とあり、喜入は元々、「キヒレ」と呼んだようだ。

 喜入町は、鹿児島市の南に位置し、錦江湾沿いに南北16km、東西6.2kmと長細い地形を成しています。また16kmに及ぶ長い海岸線は、沖合い1.5kmまで遠浅となっています(喜入町HP)。

 「クビリ」は沖縄では坂の意である。
 イシクビリ 石のある坂(首里・那覇方言)
 ミーマクビリ 嶺間・坂(首里台地北側の地名)

 『フィラ /hwira/ 1 (名詞)「猶追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に(古事記上巻) の「比良」と関係ある語かと思われ、「比良」もまた坂の意であったかと思われる。また、ヌファヌイシクビリ nuhwanuqqisikubiri[伊野波の石くびり]、語の語末の部分と関係あるか。 ミニマクビリ minimakubiri [みにまくびり]など。なお、サクフィラ  sakuhwira(急な坂) という語もある。サカ(坂)にフィラを使用する際は、ウリをつけてウリビラとする。アイヌ語や古朝鮮語のピラに関連する語と考えられる』(首里・那覇方言データベース)。

 沖永良部島の喜美留(キビル)は、薩摩藩統治時代には、「木枇留」(キビル)と表していた。キビルは島の東側の平地にある。

 クビレ、キビレの地名は中国地方だけでなく、各地に点在している。かつては共通語であったものが、これらの地に残ったのか、あるいは別の理由なのか。

 アイヌ語地名、方言
 ri-kipir
 リ・キピリ
 高い・崖(力昼=リキビル)北海道

 ho-kipir
 ホ・キピリ
 川尻・崖(濃昼=ゴキピル)北海道

 atuy teksama kipir
 アトィ・テクサマ・キピリ
 海・辺の・崖(旭川方言)

 atuy sama kipir
 アトィ・サマ・キピリ
 海・辺の・崖(旭川方言)

 kipiri
 キピリ
 丘(小山)(木のない丘)(樺太方言)

 アイヌ語小辞典には以下のようにある。
 kipir キピル kipiri キピリ
 @水際からそそり立っている崖
 A海岸の砂丘=hunki フンキ(北見地方)

 kipir → kip-ir (額・ひとつづきのもの)
 kipiri-ka キピリカ 海岸段丘の上の平地

 沖永良部島の喜美留(キビル)、鹿児島市の喜入(給黎、岐比礼=キイレ)は、海岸沿いの平地地形であり、アイヌ語 kipir (海岸の砂丘、丘)に近い地形と思われる。

 沖縄のクビリは坂の意味があり、万葉集には坂は峠の意として使用されている。

 万葉集(歌番号・原文・訓読)
 3192 三坂越(み坂越ゆ)
 3442 欲妣左賀 古要(呼坂越え)
 3477 欲婢佐可 古要(呼坂越え)
 3523 佐可故要(坂越え)
 3962 山坂古延(山坂越え)
 4154 山坂<超>(山坂越え)

 中国地方のキビレ、クビレ、沖縄のクビリ、横須賀のクビリサカ、奥秩父のクビレ地名などは、アイヌ語 kipir =砂丘、丘と関連ある地名であるかもしれない。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離15.5km
標高差635m

区間沿面距離

ウス谷入口
↓ 5.9km
牛首
↓ 3.3km
林道終点
↓ 1.5km
市間山
↓ 2.2km
立岩山
↓ 2.6km
ウス谷入口
 

 
 
 
 
鷹ノ巣山 林道展望地から
内黒峠と彦八の頭
苅尾山と深入山
虫木ノ峠
十方山
市間山
押ヶ垰集落と大休ミの丘
東郷山と大峯山
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)