6:45 中津谷 雨後晴れ 気温17度
7:35 出合橋
8:50 八郎橋
9:10 大向長者原林道
9:45 お関の墓
10:30 沼長トロ山
11:15 A峯
11:45 展望岩
11:55 1023峯
12:05 B峯
12:10 C峯
12:20 D峯
12:30 沼の原作業道
12:45 銅山林道
12:55 大向長者原林道
13:10 48番鉄塔
14:05 45番鉄塔
14:30 857m三角点
15:35 中津谷
小雨の488号線入口を出発。中津谷川は白く泡立つ。道端にオタカラコウが咲く。不栗付橋を渡り、左岸を進む。川は水量が多い。林縁にベニバナボロギクが咲き、アキノキリンソウが多い。吉和漁協の古い看板があるが、現在年券5000円、日券1600円になっている。サカサデノ谷は急流になっている。ウオキリ谷落口上流に鉄の橋があるが閉じられている。
小川と中津谷川の分岐が見えると出合橋。中津谷から50分ほど。エゴノキにたくさんの実が下がり、フジの実も見える。ハイイヌガヤに丸い実が付き、シシウドは果実を付ける。キバナアキギリが咲き、湿ったところにジンシソウが咲く。長浜を回るとテントが張ってあった。ミツバウツギがたくさんの実を付けていた。
長者原の広地にキケマンが咲き、その先で鉄塔道が上がり、上の大向林道に通じている。国道は大きく曲り、八郎橋に出る。488号線の通行止めを知らせる看板が多い。橋の上で小休止。橋から匹見へ向かう送電線が見える。大ミミズが道路を這う。
ベニバナボロギク |
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エゴノキ |
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大向長者原林道入口に進むと、北側の法面が大きく削られて広くなっていた。林道入口に全面通行止の看板が立ててある。長者原から上がる鉄塔道の上にある鉄塔に出る。西側の山はまだ雲が掛かっている。ウドが黒い実を付ける。サワガニが道路を横切る。林道入口から30分ほどでお関の墓。そこからすぐ登山口へ入る道。
山道を進むと鉄塔へ上がる道がある。そこから先は薮になりつつある。上空を見上げると、ちょうど送電線が真上に見える。その辺りから急な斜面を上がり尾根に出る。尾根に出ると山道が明瞭になる。ヒノキ林を進む。20分ほどで沼長トロ山。少し休憩して周回路を進む。
周回路は所々、薮になりつつある。西側にあるはずの作業道が見えない。沼長トロ山から40分ほどで、周回路西端のA峯に出る。尖った岩があるが展望はない。周回路を東へ進んでいると、真下に作業道が入っていた。沼長トロ山からここまで、尾根を横切る作業道は無かったので、この作業道は沼の原の入口から入っているようだった。
ハイイヌガヤ |
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キバナアキギリ |
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尾根を進むと東側が伐採されている。どうやら沼の原全体が皆伐されたようだ。南面が伐採された尾根を進む。周回路の下に沿って作業道が入っている。沼の原を見渡せる地点に出ると、やはり皆伐されていた。すっかり禿山になっていた。沼長トロ山の後ろに冠山が見える。
展望岩に進むが、林で展望は無い。沼長トロ山から1時間半ほどで岩のある1023ピーク。B峯へ下っていると沼の原に縦横に入る作業道が見える。B峯を通り、C峯の岩の下を通る。D峯を下り鞍部に下りると、作業道がすぐ横に入っていた。
作業道に出ると、沼の原水源の周回路の先端まで作業道が入っているのが見える。皆伐された沼の原の作業道を下る。暗かった沼の原の樹林の湿地は明るい山に変わってしまった。15分ほどで沼の原入口の銅山林道に出た。ホオノキの実がたくさん落ちていた。10分ほどで大向長者原林道。
ジンジソウ |
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ダイモンジソウ |
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角兵衛の墓を見て林道を下る。道路に枝が散乱し、見上げるとコナラにクマ棚があった。送電線の下から鉄塔道に入る。48番鉄塔に出る。山道を進むと作業道があちこちに入っている。送電線の下の山道から作業道を進む。再び山道に入る。また作業道に変わる。
47番鉄塔に出る。道はあちこちに分岐する。作業道を倒木が覆う。分岐に出た所で下の作業道に進むと、倒木で完全に封鎖されていた。上の作業道に戻る。作業道を進み45番鉄塔に出る。ここからようやく鉄塔を結ぶ山道になった。作業道は倒木と薮になっている。鉄塔道を選んだ方が良い。
山道を快適に進む。44番鉄塔はパス、山道は谷を渡る。途中、サカサデノ谷の方へ分岐道があった。鉄塔道に入ってから1時間半ほどで857m三角点。その辺りの高い地点より3mほど西側の低い地点に石で囲まれた三角点があった。
43番鉄塔はパス。イノシシの掘り下げた跡が多い。42番鉄塔に出る。中津谷川を越えて南へ送電線が延びる。ここから山道は中津谷川へ下り、不栗付橋の左岸へ出た。
アキチョウジ |
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オオハンゴンソウ |
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オタカラコウ |
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コマユミ |
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ミヤマガマズミ |
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オトコヨウゾメ |
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ミツバウツギ |
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ミヤマキケマン |
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ノブドウ |
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マムシグサ |
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ウド |
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キクバヤマボクチ |
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サワガニ |
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ミズタビラコ |
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アケボノソウ |
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クサギ |
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ミヤマシキミ |
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アキノキリンソウ |
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■地名考
「ヒノ谷の水源にあたる所に1014.4m峯があって、点称は『沼長』となっている。『吉和村絵図』(江戸末期)に御留山沼長トロ山と記されているので、これを用いることにした。これが1014.4m峯につけられた山名なのか、この峯より馬蹄形に続いている千m級の山々全体に付けられた名なのか定かでない。この峯の東側のヒノ谷水源帯の平坦地を現在沼長と呼んでおり、それより名づけられたものと思われる」(『西中国山地』桑原良敏)。
『芸備国郡志』(黒川道祐・1663年)に「波牟佐宇原」「十方辻」「佐井之塔村」が記され、以下のように、伴蔵原の後に十方辻、その後に「佐井之塔村」の吉和の女鹿平山が記されている。
「〇波牟佐宇原 在佐西郡而隣周防大河流出…
〇十方辻 倭俗道路四通以日辻 十方辻在 佐西郡、南連 吉和、東北還 山縣郡筒賀村、西北接 石州境比喜美村、南西隣 周防境宇佐、其山突兀 四時常有雪、夏六月之中暫消、自 山頭 臨 見北海往来之船舶云々
〇佐井之塔村…自吉和村赴石州之道有大山日米加比良山往来…」(『芸備国郡志』国文学研究資料館HP)。
「佐井之塔村」の項の全文は次のようになっている。
「佐井之塔村 佐西郡塔村之山腹有沼地其大如湖廻其沼通テ石見州或施竹木於沼上而人馬往来自吉和村赴石州之路有大山日米加比良山往来自此山路通」
上記は『芸備文献』(熊見定次郎編・1896年)に次のように記されている。
「佐井之塔村 佐西郡塔村之山腹ニ沼地有リ其大、湖ノ如シ其沼ヲ廻リテ石見州ニ通ス或ハ竹木ヲ沼上ニ施シ而シテ人馬往来ス吉和村自リ石州ニ之赴ク之路大山有リ米加比良山ト曰フ往来此山路自リ通ス」(案、所謂佐井之塔村ハ今其處ヲ知ラズ)」
『芸備国郡志』によれば、吉和村から匹見へ通じる往還道は佐西郡塔村の山腹の沼地を通っていたようだ。
1600年代には「佐井之塔村」と呼ばれた地名は、明治になると、「佐井之塔村ハ今其處ヲ知ラズ」として、不明の村になっている。
下記の絵図では1835年と1825年で往還道の位置が違っている。1825年の『芸藩通志』では女鹿平山の西を通るが、1835年の絵図では東を通っている。
いずれにしても往還道が沼の原を通っていたのは間違いないだろう。
2015/7/18 伐採前の沼の原 |
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2015/7/18 伐採前の沼の原 |
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カシミール3Dデータ
総沿面距離21.7km
標高差402m
区間沿面距離
中津谷
↓ 8.2km
大向長者原林道
↓ 3.7km
沼長トロ山
↓ 2.6km
沼の原
↓ 7.2km
中津谷
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