山歩き

二軒小屋…横川越…三本栃…恐羅漢山
2019/4/20

二軒小屋…水越峠…マゴクロウ谷…横川越…広見林道…ハゲノ谷…カマノキビレ…旧羅漢山…恐羅漢山…牛小屋

■旧羅漢山(キュウラカンザン)1334m:広島県山県郡戸河内町横川 (安芸太田町)
■恐羅漢山(オソラカンザン)1346.4m:広島県山県郡戸河内町横川(点の記 点名:羅漢) (安芸太田町)
                          島根県益田市匹見町匹見亀井谷

サバノ頭
十方山林道
死人谷右岸の石垣
道路工事は死人谷の先まで
十方山登山口
水越峠
鎖止めの十方山林道
キンカネリへ下りる
十方山林道
下山橋
マゴクロウ谷入口
水源を進む
ササ薮のブナに進む
ボーギのキビレから十方山尾根を望む
スギ林を下る
オオアカ谷
トチの大木
オオアカ谷の滝
広見川右岸の建物跡
ノドガエキ落ち口下流 広見川の滝
ハゲノ谷林道入口
三本栃
三本栃の根本の空洞
三本栃の標柱
扇沢の大岩の上のスギ
カマのキビレ東の分岐
巨石帯の中に入る
羅漢山 獅子岩?
広見山、春日山を望む
恐羅漢山
サバノ頭を望む
かやばたゲレンデ上部から牛小屋谷を望む
十方山
6:30 二軒小屋 晴れ 気温5度
 

7:15 水越峠
8:00 マゴクロウ谷
8:45 横川越
9:50 広見林道
10:40 ハゲノ谷
11:20 三本栃
12:10 カマノキビレ
13:10 旧羅漢山
13:40 恐羅漢山
14:50 牛小屋
15:25 二軒小屋


 駐車場からサバノ頭を見る。林道を進むとキブシが花穂を下げ、ミツマタの花が咲く。横川川左岸に古い石垣が見えるが、明治の五万分一地形図では20軒ほどの民家がある。

 昭和14年11月30日に宮本常一がここを通過している。「いずれもさして古くない開墾部落で、寥々たるところであったというが、近頃では漸次家も殖えた。殖えたと言いつつまた家を捨てるものもあった。雪にうずもれた廃屋も見かける」(『村里を行く』)と書いている。

 林道を進む、カラマツの葉が出始めている。工事中の伐採地を過ぎて死人谷(シビト)に進む。シビト谷右岸に石垣があるが、ここが横川川左岸の最奥の民家であった(『結城次郎』)。明治の地図では横川川右岸の二十八万谷に二軒の民家が見える。マルコ谷にも民家が見られる。

キブシ
ミツマタ

 死人谷の先まで道路工事が進んでいる。タムシバの白い花が咲く。オオカメノキは花が咲き始めている。ミヤマキケマンが林道の日当たりに群生する。八百ノ谷の滝を見る。横川国有林の看板を過ぎて10分ほどで十方山登山口。旧羅漢山登山口へ進む。そこから5分ほどで水越峠。

 十方山林道はここから先、鎖止め。峠からショートカットしてキンカネリへ下りる。タイヤやテレビが散乱し、ゴミ捨て場になっている。スギ林のキンカネリから林道に出る。カンスゲが花穂を付ける。林道を進む。キケマンが群生する。ナラ、トチ、ブナの原生林を歩く。キブシの花穂はまだ出たばかり。オヒョウニレの葉が出始める。

 通行止めの下山橋で一休み。そこからすぐマゴクロウ谷。右岸のササ薮から取り付き、谷を進む。カンスゲが花穂をたくさん付ける。エンレイソウが咲く。水源を進みブナの手前まで出る。そこからササを分け、ブナの下に進む。ササを漕いで横川越に出て、スギ林に逃げる。気温は13度。ササ越に十方山南西尾根が見える。宮本常一は腰ほどの雪の中、水越峠から横川越まで2時間掛かっている。

オオカメノキ
ミヤマキケマン

 スギ林下にエンレイソウが咲く。スギ林を下る。石を巻き込んでスギが倒れていた。ゴーロに出た所で谷へ降りてみる。ササ薮になったところでゴーロの山側に戻る。長いゴーロを抜けて大トチノキに出る。トチの幼木から葉が伸びていた。そこから少し進むとオオアカ谷に滝が見える。峠から1時間ほどで広見林道に出た。

 オオアカ谷にアセビが咲き、クロモジに花芽が伸び、キブシが花穂を下げる。林道を進む。途中、作業道が入り、入口に水源林造成事業の看板がある。作業道入口にスミレが群生していた。川沿いに冬枯れのノリウツギの花びらが残る。ナメラ谷を過ぎて橋を渡ると、右岸に建物の基礎跡がある。これは三井木材益田工場の広見工場の跡かもしれない。

 『広見のナメラ谷に広見工場を設け、原木を伐採の上、この工場で製材し益田の本工場へトラックで送ったのである。広見の原木伐採は、ハゲノ谷・ミチガ谷・ヨコオノ谷・ナメラ谷・ノノハラ谷において行ったもので、さしも原始林の全部を切り払ったのである。広見工場の絶頂期には百五十人の労役者がここに働いていた』(『石見匹見町史』)。

エンレイソウ
トチノキ

 ヨコオノ谷は左岸のヨコガ谷のことか。林道を進み左岸に渡る。広見川に滝が見える。滝のすぐ上流にノドガエキの谷が落ちている。ハゲノ谷に架かる橋を渡るとハゲノ谷林道入口。「天然記念物広見の三本栃」の道標がある。林道を進むが日が当たり暑い、温度計は20度になったいた。林道終点の谷の岩に座って一休み。顔を洗って体を冷やす。

 左岸に渡りスギ林を進む。右谷を渡り山道を進む。小谷を渡ってスギ林の尾根道を登る。林道終点から20分ほどで三本栃。三本栃は二股の一本が谷側に倒れ、二本栃になっている。根本まで行って倒れた跡を覗いてみると、幹の根本は深く空洞になっており、首一皮で残りに二本を支えている状態だった。二本とも倒れるのは時間の問題だった。幹の裏側に古い標柱が残っていた。

 スギ林を登る。スギ林のゴーロを登る。林道終点の鞍部を見て、扇沢の大岩のゴーロ帯に入る。ゴーロの間から根が曲がったスギや木々が伸びている。岩の上に株立ちしたスギがあった。幹に取り込まれた鋼のロープに滑車がぶら下がっていた。三本栃から1時間ほどで、カマのキビレ東のヒノキ林の分岐尾根に出る。切り株に座って一休み。

旧羅漢山の石柱「山」
旧羅漢山の石柱「三四コ」
三笠宮登山記念の石柱 昭和53年10月30日

 ヒノキ林を登り、巨石帯の下に入ってみた。クマが棲みそうな岩穴が多い。登山道に戻り、巨石の間を進む。岩陰に雪が残っていた。三角点手前に「山」「三四コ」と書かれた石柱がある。カマノキビレから1時間ほどで旧羅漢山。大正時代の美濃郡図に「獅子岩山」とあるので、獅子は山頂の巨石のことかもしれない。三笠宮の登頂記念碑には昭和53年10月30日建立とあるので、この日が登頂日だろう。三笠宮の登頂写真には石柱とスコップが写っている。重たい石柱を何人掛かりで担いで上がったのだろうか。昭和53年の写真の横に見えるブナは今はもう無い。

 獅子岩の裏の展望岩に出る。広見山、半四郎山、向半四郎、春日山の後ろの山々は霞んでいる。登山道へ戻るとタムシバが咲いていた。3月末にはまだ雪で覆われていたが跡形もない。鞍部を過ぎて登りに入ると、照り付ける日が暑い。温度計は25度になっていた。展望地から十方山を望む。オオカメノキの花芽が膨らむ。

 恐羅漢山山頂から見るサバノ頭の後ろの山々は霞んでいる。山道を北へ進む。苅尾山の左手に薄く風車群が見える。立山尾根に出る分岐を過ぎてしばらく進んだ所に、「山」と数字の書かれた石柱があった。旧羅漢山で見たものと同様のものと思われる。花びらが残る冬枯れのツルアジサイがあちこちに落ちている。

登山道の石柱「山」
ショウジョウバカマ

 かやばたのキビレからゲレンデへ下る。眼下に牛小屋谷の堰堤池が見え、その周りを砥石川山、深入山、向山、サバノ頭が囲んでいる。恐羅漢公園線が内黒峠に延びている。右には十方山が見える。ゲレンデの急坂を下る。タムシバが咲く。ゲレンデにかたまってフキノトウが出ている。地下に水流があるようだ。ショウジョウバカマが花を出していた。

 ゲレンデの左右の山の林にはヤドリギが目立つ。よく見ると白い実のものと朱色の実のものがある。ゲレンデ下部にはスイセンが植えられている。途中から立山登山道に出て牛小屋に下りた。そこから30分ほどで二軒小屋に帰着。

かやばたゲレンデのヤドリギ
ゲレンデ下部のスイセン
 
 
かやばたゲレンデのタムシバ
オオカメノキ
ヤドリギ
クロモジ
カラマツ
カンスゲ
ネコノメソウ



地名考


 旧羅漢山の山行記録

 「『広島山岳会会報』(昭和七年)に、結城次郎氏の記録があり、恐羅漢山の山行記録としては初見と思われる…結城氏は案内人と一緒に、サカモリ谷を登り死人谷を降りている。登りついた巨岩大岩のある山頂を、案内人の言うように恐羅漢山の山頂としてあるが、検討してみると旧羅漢山の可能性も充分ある」(「西中国山地」桑原良敏)。

 サカモリ谷から頂上を目指し鞍部に出た、鞍部から巨岩大岩に達した、大岩の上で昼食した、三角点が無かった、南東に一直線に下って死人谷に下りていることなどから、恐羅漢山ではなく旧羅漢山であったと思われる。

 ちょうど同じ時期に広見側から旧羅漢山に登った記録がある。

 「棒石の谿門を過ぐれば廣見の部落がある。井戸の底の様な山の中に、僅かの棚田があり四五軒の家が見える…これからは急勾配の登山道となって、改修道路に折お別れする。薊、熊笹、山牛蒡などの柴草径を押分け繰押分け、次第に森の闇に踏み入る。右も左も、前も後も樹々木々、何人抱とも知れぬ巨木に、斑牛の肌の様な気味の悪い苔が蒸して、大蛇の様に曲がりくねった枝、狂女の髪の様に乱生した寄生木、そして枝と梢が蜘蛛の巣の様に錯綜し、濶葉樹の天井を作る、樵(ぶな)、楢、栃などの原生木が充ち満ちて、天日の光も漏れぬ常闇の世界なのだ…風蘭や山紫陽花の花が、山の精の様に木下闇に浮いて居る。息づまる様な凄愴な山気の中に、杜鵑と老鶯のみが霊夢の郷から蘇らせて呉れる

 幾度も苔清水に咽喉を潤して、時には胸を衝く様な峻険も攀ぢ、喘ぎ登る事二時間、漸く辿り着いた山の脊梁海抜四千尺の絶巓、眼界は忽ち豁然と開けて、登山者の誰もが味ふ最大の壮快味と、最大の愉悦に思ハズ万歳を三唱する。見渡す限り雄大なる峰巒の波濤、すぐ後に迫る陰陽の分水嶺を限界として、美濃一帯の連山が鳥瞰される。此の處石見、安藝群山の枢軸を形成し、五六町の尾根傳ひを行けば、廣島、島根の両縣界、一歩を印すれば廣島縣佐伯郡吉和村なのである」(『石見物語』木村晩翠 昭和7年=1932年)。

 この登山記録から、広見川水源の扇沢から旧羅漢山へ登ったと思われる。匹見では、この山は羅漢山と呼ばれていた。

 「谿門を割って流れる匹見川の利用は、早くから企業家に着目されて居たが、索道の開通に機を得て、匹見川工業の発電所が大資を投じ、三年を経て竣工した。羅漢山(らかんやま)の谷水は四百尺の落差を作って電力を発し、全村に点燈して居る」(前同)。

 『島根県産業要覧』所収『島根県産業地図』(昭和11年=1936年)に、旧羅漢山の位置に「ラカン山」の山名がある。

 『島根県美濃郡統計一覧』(大正9年=1920年の美濃郡図には、旧羅漢山は「獅子岩山」としている。「獅子岩山」は、『大日本管轄分地図・島根県管内全図』(明治33年=1900年)にも山名がある。

 獅子岩は山頂にある巨石と思われる。


 匹見町にみる旧羅漢山登山

 島根県山岳競技大会は、昭和37年8月恐羅漢山山塊ではじまった。広見山登山口をスタートし、十方山、恐羅漢山など44キロの行程を踏破した(『石見匹見町史』)。

 「昭和53年10月29日から11月2日までは、三笠宮寛仁親王殿下をお迎えし、道川の西日本登山センターを中心に中国5県高校登山大会が開かれた」(『匹見町誌』)。

 匹見羅漢―恐羅漢―台所原―中川山―天杉山―三の滝へのコースは、昭和57年の島根国体山岳競技の縦走コースとなった魅力的なコースである。春はヤマザクラ、ツツジなどが彩り、ブナ、トチノキ、ナラ、カエデなどの広葉樹が新芽を出し、楽しませてくれる。片道(広見扇沢から登り山頂まで)所要時間約2時間。旧羅漢山の西側に開ける広大な扇沢には、スギの人工林の床に岩海が眠っている」(『匹見町誌』)。



 絵図、地誌に見られる地名

 『改正日本輿地路程全圖』文化8年
(1811年)
 
安藝 ソカヒ山
 石見 道川、御宿、星坂

 『懐寳畿内掌覽附録中國両道掌覽』
慶應2年(1866年)
 
安藝 ソカヒ山、長谷、吉和、中浦、筒賀、戸河内
 石見 底見、御宿、東村、西村

 『大日本西国四国九州地図』(葎窓貞雅)
明治7年(1874年)
 ソカヒ山

 〈大日本管轄分地図〉『島根県管内全図』
明治33年(1900年)
 美濃郡 山は東南の国境に、大神(おほがみ)山、獅子岩山、匹見尾山等あり皆高山なり

 鹿足郡 東に青野山 南より西北に馬頭山、十種ヶ峯、盛大ヶ嶽の三高山なり
 地図 十方岳、大亀谷山、廣瀬川

 『島根縣管内明細全圖』
明治14年(1881年)
 道川、匹見、紙祖、匹見尾山

 『山陰五箇國明細全圖』
明治16年(1883年)
 石見國美濃郡 道川、匹見、紙祖、匹見尾山(石見・安芸境)、銚子瀑布

 『広島県管内全図』明治34年
(1901年)
 大亀谷山

 『島根県精図』(川岡清助)
明治40年(1907年)
 能入、大亀谷山、岩倉山、五里山

 『島根県美濃郡統計要覧』
大正5年(1916年)
 匹見尾山、獅子岩山、十方山

 島根県美濃郡統計一覧 絵地図 
大正9年(1920年)
 獅子岩山(匹見上村)4050尺、大神嶽2300尺、五里山3728尺、岩倉山(道川村)3375尺、春日山(道川村)3265尺 

 『日本交通分県地図』(其二十三島根県)
大正14年(1925年)
 十方山 広見ー横川越ー古屋敷

 『石見物語』(木村晩翠)
昭和7年(1932年)
 「羅漢山の谷水は四百尺の落差を作って電力を発し、全村に点燈して居る」

 『島根県産業要覧』所収『島根県産業地図』
昭和11年(1936年)
 ラカン山

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カシミール3Dデータ

総沿面距離19.0km
標高差636m

区間沿面距離

二軒小屋
↓ 5.6km
横川越
↓ 4.3km
ハゲノ谷
↓ 3.7km
旧羅漢山
↓ 1.0km
恐羅漢山
↓ 4.4km
二軒小屋
 

『島根県産業要覧』所収「島根県産業地図」(昭和11年=1936年)
旧羅漢山の位置に「ラカン山」がある。
『島根県美濃郡統計一覧』(大正9年=1920年)
美濃郡図 旧羅漢山の位置に『獅子岩山』がある。
島根県美濃郡統計要覧(大正5年=1916年)
御境へ上がる道がある。
『島根県地理小学』(明治20年=1887年)
『獅子岩山』がある。『大神岳』は広見の鈴ヶ岳のこと。
五万分一地形図 三段峡(明治32年測図昭和7年修正)
二軒小屋付近に民家が点在する。死人谷、二十八万谷、マルコ谷に民家がある。

旧羅漢山の三笠宮 1978年10月30日
(『匹見町誌』2007年)
匹見町内の山と登山コース(『匹見町誌』2007年)
三本栃
2004年11月13日の三本栃
旧羅漢山西 巨石帯の岩
広見山と春日山
広見山と半四郎山
獅子岩
十方山

かやばたゲレンデから
牛小屋谷と砥石川山、深入山、向山、サバノ頭
恐羅漢公園線と内黒峠
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)