山歩き

梅の里鬼後…猪山…内隠谷…五輪山
2019/3/9

滝山橋南…鉄塔道…コンクリート桝…梅の里…垰集落…猪山…内ヶ倉林道…五輪山…滝山川車道

■五輪山(ゴリンザン)832.6m:広島県山県郡安芸太田町大字加計字東五輪(点の記)

駐車地から見た滝山川発電所と導水管
墓所と1番鉄塔
滝山橋から見た滝山川発電所
発電所に下りる導水管
小谷の入口 左岸に山道
手摺のある階段道
鉄橋を渡る
二つ目の橋
三つ目の橋
最後の橋
導水管の上に出る
高鉢山と滝山
階段を登る
最上部から見た加計の街
分岐の階段を登る
2番鉄塔に出る
巨大なコンクリート桝が尾根を塞ぐ
コンクリート桝
右側の階段を登る
コンクリート桝の上部に登る
上から見たコンクリート桝
展望地から見える2番鉄塔と加計の街
4番鉄塔と5番鉄塔
伐採されたヒノキの枝
スギの間伐
梅の里に出る
梅の里 管理棟とトイレ
梅の里全景
向山黒滝の峯を望む
梅の里へ入るゲートは閉じられている
鬼後トンネル
垰集落
日露戦役紀念碑
大歳神社入口
猪山小跡
盆徳滝
内ヶ倉線入口
内隠谷取水堰堤
鹿篭頭・猪山分岐
昭和27年竣工碑
分岐の建物
五輪山東へ入る林道
コナラのクマ棚
五輪山へ上がる作業道
山頂手前の五輪塔と由来の看板
五輪山
寺屋敷
林道終点に下りる
23番(18)鉄塔
石垣の横を通る
鉄塔道に下りる
導水管の建屋に出る
6:40 滝山橋南駐車地 気温−1度 晴れ
 

6:50 小谷入口
7:20 導水管階段
7:35 2番鉄塔
7:45 コンクリート桝(サージタンク)
8:20 4番鉄塔
8:55 猪山梅の里鬼後
9:30 垰集落
10:20 新盆徳橋
10:45 内ヶ倉林道(内隠谷川)
10:55 内隠橋(ウチガクレ)
11:55 昭和廿七年竣工碑
12:20 五輪山へ入る林道入口
13:50 五輪山
14;05 寺屋敷
15:00 導水管
15:55 車道
16:05 駐車地 

 滝山川右岸の駐車地を出発。駐車地から導水管が尾根から下りているのが見える。墓所前を通り滝山橋を渡る。一番鉄塔の上の山肌は岩壁になっている。橋の近くに居たアオサギが飛び、上流の大岩に留まった。滝山川発電所と導水管の間を通り下って行くと小谷が落ちている。

 左岸に山道が入り、入口に「火の用心」の黄色いプレートが掛かっている。山道は手摺のある階段道を登る。小滝の横を通り登って行くと右岸へ渡るの鉄の橋がある。橋の上流は堰堤になっている。右岸にNO2号の標柱がある。堰堤上流から左岸に渡る。

 手摺のある山道を登ると右岸に渡る鉄橋がある。さらにもう一つ鉄橋を渡る。最後の木橋を渡ると山道は西の山を登る。橋のたもとの標柱に「NO3号下」「NO2号」と書かれている。山道を登り尾根に出ると標柱があり、南側に2番鉄塔がある。

 尾根を登り導水管横の階段に出た。展望地から滝山、高鉢山が見える。高鉢山の山腹を林道が通る。導水管横の階段を登る。導水管の先に2番鉄塔が見える。振り返ると眼下に加計の街が見える。導水管上部の建屋に出る。建屋の横で道は分岐し、尾根に登る道と東側の送電線道に出る道に分かれる。

コンクリート桝横の階段
桝の上に出る階段

 尾根に入る階段を登ると、ほどなく2番鉄塔に出る。さらに登ると巨大な円柱形のコンクリート桝が尾根を塞いでいた。この桝はサージタンクと呼び、加計発電所に下りる導水管の上に立っている。桝の右側に階段が続いている。鉄の階段を登り桝の上部に出る。桝の上の穴が見える。東側に送電線鉄塔が見える。

 コンクリート桝の上部の尾根は急坂になっている。南側の展望が開け、2番鉄塔の先に加計の街が見える。3番鉄塔に出る。「滝山川金城線 昭53.6」のプレートが付いている。ソヨゴの赤い実に虫こぶが付いていた。タヌキの溜糞があった。4番鉄塔に出る。五輪山へ続く峯が見える。そこから少し先の分岐の標柱にNO23,NO4,NO5の表示がある。

溜糞
4番鉄塔北の標柱 NO23,4,5

 分岐からNO23の方向へ進む。五輪山が見える。ヒノキの枝が散乱している。水源鞍部の分岐を北へ下る。間伐されたスギの丸太が林下を覆っている。周辺のスギより倍以上太いスギが伐採されていた。丸太が転がる右岸の道を進む。途中左岸へ渡る。谷に架かる橋を渡り梅の里に出る。

 梅の里の管理棟は閉まっていた。看板によると、猪山梅の里鬼後(いのしやまうめのさとおにご)には7品種が植えられている。南高、小粒南高、花香実、梅郷、玉織姫、加賀地蔵、信濃小梅。梅団地を見渡すと花が咲いているのはほんの一部だった。手前の花が咲いているA団地の花香実、D団地の花香実の所へ下りた。日に照らされてA団地では白梅が、D団地では紅梅が咲いていた。

A団地 花香実
花香実
D団地 花香実
花香実

 梅の里から車道を下る。送電線の先に向山黒滝へ続く峯が見える。赤いイイギリの実がたくさん残っている。アセビの白い花が咲く。黄色のアテツマンサクが咲く。梅の里車道入口のゲートが閉じられ、「都合により閉園 戸河内」と書かれていた。西側に鬼後トンネルが見える。車道を北へ進む。

 あちこちにアテツマンサクの黄色が咲いている。日の当たる垰集落を通る。スイセンの花芽が膨らみ、フキノトウが顔を出す。五輪山、梅の里の道標がある。北へ進む。大歳神社の手前に日露戦役紀念碑の大きい石碑がある。同じ表題のものが寺領にもある。大歳神社の階段の横に忠魂の石碑、寶祚無窮(ホウソムキュウ)の碑がある。

五輪山、梅の里道標 垰集落
イイギリ
アセビ
寶祚無窮
開学百年碑 猪山小

 車道を進むと広場に出る。猪山小跡である。「百三十四年の学舎の灯が消える」と書かれている。校庭の端に開学百年の碑があった。碑の裏に「明治十四年八月六日猪山分教場開校」とあった。日当たりに白梅が咲く。車道を下る。西側に向山黒滝の峯が見える。道沿いにサザンカが咲く。新盆徳橋の左岸にアテツマンサクが咲く。眼下に盆徳滝を見る。右岸にもアテツマンサクが咲いている。

 306号線を進む。NTT猪山電話交換所を過ぎると猪山簡易郵便局。しばらく車道を進み林道内ヶ倉線に入る。桧谷川右岸の林道を進む。黄色い花のアテツマンサクが多い。内隠谷取水堰堤がある。水利使用標識に一級河川水系内隠谷とあり、桧谷川は内隠谷川と呼ぶようだ。堰堤からほどなく内隠橋で左岸に渡る。影の岩盤に薄氷が張り、ツララが下がる。

猪山小近くの梅
新猪山大橋と向山黒滝の峯
猪山簡易郵便局
アテツマンサク
フキノトウ
内隠谷川 取水堰堤下流の取水調整ゲート
内隠谷川 取水堰堤
内隠谷川
薄氷が張りツララが下がる

 ヤマドリが悠々と林の中に逃げる。内ヶ倉橋にマンサクが咲き、橋下が岩盤になっている。林道分岐の手前に北へ林道が入っている。鹿篭頭・猪山分岐を猪山側へ入る。林道入口は立入禁止の鎖止めがある。咲いている花はアテツマンサクだけ。途中に「昭和廿七年五月 竣工 共同事業」と書かれた石碑があった。林道開通の石碑だろうか。

 分岐に建物があるが使われていない。林道を進み空山窯跡手前から五輪山東へ向かう林道に入る。安中道分岐を過ぎ、南へ延びる林道を進む。750m付近のコナラにクマ棚があった。赤土の法面から霜柱が出ていた。五輪山の北側で作業道が上がっていた。林道を進み五輪山東尾根を回り込むと、西側へ作業道が入っていた。

林に逃げるヤマドリ
内ヶ倉橋下
鹿篭頭・猪山分岐 猪山入口は鎖止め
イノシシの足跡
作業道のヌタ場

 そこから作業道に入る。作業道にヌタ場がある。イノシシの蹄痕がくっきりと残っていた。最上部の分岐を北へ進み、五輪山の東側から山を登る。五輪山の由来の看板の所を通り三角点に上がる。引き返して作業道に下り、北へ進むとすぐに終点。登山道へ登って西の寺屋敷へ下る。さらに西へ下り寺屋敷林道終点へ下り、23番鉄塔へ進む。

 鉄塔のプレートを見ると「下山線18 平25・11」となっていた。23番でなく18となっている。周辺にある幾つかの標柱では23番のはずなのだが。送電線が北へ延びている。スギ林の葉は赤く、いまにも弾けそうであった。南側の小谷の鉄塔道を下る。スギ林の中に標柱があり「24・25」を示す。

 石垣の横を通り急坂を下ると崖下に出る。崖を横切ると石垣がある。下側にも石垣があり、3段になっている。植林地を下り、鉄塔道に出る。東側に送電線と鉄塔が見える。山道を進み導水管の最上部の建屋に出た。一休みして長い階段を下る。階段道から尾根に進むとアセビの花がたくさん咲いていた。そこから30分ほどで滝山川の車道に降りた。

内隠谷川のアテツマンサク
内隠谷川
ミスミソウ
ハコベ
サザンカ
フキノトウ
フキノトウ


■地名考


 「とごうち石の文化」から
 (戸河内町教育委員会・戸河内町郷土史研究会)

 猪山大歳神社
 社殿改築が寛文5(1665)年との記録があるが、石段の年代は不明

 金屋子神祠
 猪山大歳神社裏山

 石灯篭(明治12年)
 猪山大歳神社参道

 猪山地蔵堂
 猪山大歳神社参道入口
 地蔵菩薩、不動明王、道祖神、鉄山の守り神

 道祖神
 造立、亨徳3(1454)年、緑岩製
 裏面に「京吉田関上」とあり、二体とも剃髪し、僧衣をもとい、合掌した僧の像で、京から移り住んだ人が運んで来たものと伝えられている。

 地蔵(猪山)舟形光背、浮彫立像、70cm

 地蔵(猪山)舟形光背、浮彫立像、30cm

 自然石板碑(いたび)(垰)
 板碑は中世に見られる板状の石を用いた供養塔。正面に「南無阿弥陀仏」、側面に「信者日田嶋三郎」と刻んである。昔の往還道の道端にある。

 石灯篭
 平見谷大歳神社
 造立、宝□元年(宝永元=1704)年と考えられる。

 狛犬(昭和30年=1955)
 平見谷大歳神社 
 大歳神社創建650年を記念して奉献された。創建713年になる。

 地蔵 畑ヶ谷


 とごうちの民話

 第11話:滝の金毘羅神の話
(平見谷)

 寿永二年(1183)、安徳天皇がおしのびでこの地に来られたとき、道中、次々と川に渡ることが多いので、京都からお供して来た金毘羅神を、平見谷の滝の上にまつられました。

 安徳天皇の身代わりというのは、あちこちによくありますが、私は、所の爺さんに聞いたことを話します。京都から三次を通って大朝に出たとき、夜が明けたから「おおあさ」と言われたので  ”大朝”。

 平見谷に着いたとき、滝の上の山頂に金毘羅神をまつられたが、そこから見ると、谷が平たく見えるので、「平らな谷よのう」と言われ、”平見谷”(ひらみだに)となったそうです。

 その後、畑ヶ谷を下ると”王渡り”(おうわたり)。小さな原に出たで”小原”(こばら)。また、細い道を通ったので”細見”(ほそみ)。何日か泊まられたところを”王泊”(おうどまり)といいます。

 王泊ダムの左側の山、泉水山(せんすいざん)の上に登り、日が暮れたところを”大暮”(おおぐれ)といい、奥に入ると”御前滝”(ごぜんたき)があり、また奥に入ると”生御前滝”があります。

 その後、金毘羅神のご神体が何者かに盗まれたそうですので、後のご神体を朴(ほお)の木で刻んだそうです。平見谷ではそれ以来、朴の下駄は作らないそうです。

 ※この話で出てくる地名は、現在、広島県山県郡内の各町で使用されている町名や字等です。
 (猪山 佐藤滝仁)


 『芸藩通志』戸河内村絵図の地名

 猪山、追付郷、平見谷、畑谷、黒瀬
 盆徳滝

 大仁古(鬼後)
 建 江平山(ゑの平山)(榎平山)


 『ほのぎ』地名(寛永地詰=1638年)

 猪山のほのぎ名

 あらい川、あんちう、やすね田、きつなか谷、こさこ、しんぎょうか垰(垰)、はた、むかいた、ゑの平、山ね、上山根、大にこ、大井川、中きれ、中の原、鳥目、かきの木た、弐つ町、桧木谷

 ねね、かすね田(葛根迫)、むかい田

 「大にこ」は「鬼後」
 「しんぎょうか垰」は「垰」

 平見谷のほのぎ名

 おつけ谷、くろせ、こたわ、こみ山平、なかえ、はたか谷、まき迫、まつか谷、よこみち(上、小たき)、家の上、小田、道の上


 戸河内村山帖の山名(享保10年=1725)

 猪山 ゑの平山、大原山、中ノ原山
     (ゑの平山は榎平山か、芸藩通志では江平山)

 平見谷 後山、原山、上野山

 近世後期の戸河内村編成
(『夏上納并御免割帳』文久3年=1863)

 平見谷組の郷 安中、勝僧、平見谷

 猪山組の郷 猪山


 『手鑑帳』の村境の地名

 『手鑑帳』(正徳5年・1715年・戸河内町大歳神社蔵)に戸河内村と橋山村、細見村、小原村の境が記されている。

 「一、橋山村境、小板ヶ原分上り尾辻迄峯水走り限り、松原分上り尾辻よりいゝの山さげの尾ぜうとく垰こせぎ垰、しゝごやの尾下垣内谷迄峯尾限り、それより下垣内谷限り、本川へ出少し上り境原谷、それより赤瀧中代頭迄弥七郎谷しもの尾限り、中代頭より助右衛門落仁蔵垰迄道限り、それより雨堤の峯水走り限り、猪山分牛首大田押の尾続き、尻はどろくふち限り、黒瀧山分峯水走り限り

 一、細見村境、猪山分平見谷分大渡り迄大川限り

 一、小原村境、平見谷分大渡りより畑ヶ谷迄川限り次第に小谷限り、それよりくびれを越え、それより谷を少し下り、それより谷を少し上り、僧ヶ墓迄大道限り」

 一、溝口村境、平見谷僧ヶ墓のくびれより、後山尾続き水越迄大峯尾限り

 一、戸谷村境 略

 一、長篠村境 略

 一、加計村境、勝草分うへは狼城の尾次第に境目谷限り、向へ渡りしたは引地谷うへは小岡限り、それより安中分穴ヶ迫のうへの尾より木戸岩迄大峯尾水走り限り、猪山分木戸岩よりきづなが迫のしもろんでんの益限り、それより尻は谷、うへは梅のがうろの頭へ続き、五輪ヶ尾次第に寺屋敷の尾続き峯水走り限り、それより次第に下は本谷大川迄谷限り、それより温湯境大川限り、向へ渡り高すろ限り、それより次第に尾続き松原分迄大峯尾水走り限り、松原分温湯さかへ大ざう田大床尾かうげ休み迄大峯尾水走り限り、但し後山の内也」

 「上り辻尾」は道戦峠

 橋山村との東側の境は黒瀧山の水走

 細見村の「大渡り迄大川限り」は王泊貯水池付近

 僧ヶ墓 924m三角点

 引地谷 丁川西岸

 五輪ヶ尾=五輪山

 寺屋敷

 大川=滝山川

 温湯=温井

 後山の内 大箒山から床尾山の西斜面


 『ほのぎ』と現代地名

ほのぎ(猪山) 現代地名
あらい川 洗川
あんちう 安中
やすね田  
きつなか谷 木津名
橘中(書出帳)
キツナ(芸藩通志)
こさこ  
しんぎょうか垰
はた
むかいた  
ゑの平 榎平
江平山(芸藩通志)
山ね  
上山根  
大にこ 鬼後
大仁古(芸藩通志)
大井川  
中きれ  
中の原  
鳥目  
かきの木た  
弐つ町  
桧木谷 桧谷
かすね田 葛根田・葛根迫
 
ほのぎ(平見谷) 現代地名
おつけ谷 追付
くろせ 黒瀬
こたわ  
こみ山平  込平山
なかえ  
はたか谷 畑ヶ谷
畑谷(芸藩通志)
まき迫  
まつか谷  
よこみち  
小たき 小滝
家の上  
小田  
道の上  
鹿篭頭 
鹿龍津(書出帳)


 猪山字名

 耕地
 垰(タオ)
 猪山(イノシヤマ)
 木津名(キズナ)
 檜谷(ヒノキダニ)
 
 山
 鬼後(オニゴ)
 洗川(アライカワ)
 畑(ハタ)
 猪山(イノシヤマ)
 守岩(マモリイワ)
 垰(タオ)
 大平(オオヒラ)
 長谷(ナガタニ)
 空山(ソラヤマ)
 舟石(フナイシ)
 下山(シモヤマ)
 折目(オリメ)
 獅子谷(シシダニ)
 葛根迫()
 向イ山黒滝(ムカイヤマクロタキ)
 中倉(ナカクラ)
 坂取(サカトリ)

 平見谷
 耕地
 畑ヶ谷(ハタガダニ)
 紺屋(コンヤ)
 黒瀬(クロセ)
 平見谷
 追付郷(オッツケゴウ)
 鹿篭頭(カロウズ)
 中山(ナカヤマ)

 山
 内ヶ倉(ウチガクラ)  内隠(ウチガクレ)
 鎧甲
 東山(ヒガシヤマ)
 後山(ウシロヤマ)
 堅岩
 垰奥(タオオク)
 原(ハラ)
 中山
 小滝(コダキ)
 瀬戸(セト)
 段原(ダンバラ)
 宮山(ミヤヤマ)
 黒瀬
 真峯(マミネ)
 鴛鴦ヶ谷
 東榎平山(ヒガシエノヒラヤマ)
 西榎平山(ニシエノヒラヤマ)

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カシミール3Dデータ

総沿面距離23.2km
標高差626m

区間沿面距離
滝山橋南駐車地
↓ 3.7km
梅の里鬼後
↓ 4.5km
新盆徳橋
↓ 11.0km
五輪山
↓ 3.9km
駐車地
  

 
 
高鉢山と滝山 導水管展望地から
尾根を塞ぐサージタンク
加計の街を望む 3番鉄塔手前から
梅の里
梅の里
猪山小跡
盆徳滝
アテツマンサク
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)