山歩き

板ヶ谷…熊野滝林道…大平山…梶ノ木
2018/8/19

板ヶ谷…熊野滝林道…床尾峠…大平山…高鉢山…掘割…大杉…梶ノ木…板ヶ谷

■大平山(オオヒラヤマ)1014m:広島県山県郡戸河内町字松原(点の記) 安芸太田町(所有 松原部落共有地総代)
■高鉢山(タカハチヤマ)918m:広島県山県郡安芸太田町大字梶ノ木字梶ノ木(点名:作見谷=サクミダニ)

旧道から板ヶ谷の堰堤に出る
板ヶ谷
河内神社下の国道に出る
林道熊野滝線入口
熊ノ滝山
熊野滝橋を渡る
スギ林下の石垣
古い墓所
分岐 左側の林道
向山の峯と191号線
林道末端の有線ショベル
林道末端から見た滝
切り開きから見た深入山とホワイトバレー
切り開きを進む
ヨコエキ水源の林道に出る
砂利道の分岐から西へ作業道が入る
松原事業地の看板
深入山とホワイトバレー
伐採木が林道を塞ぐ オオブナ谷左岸
オオブナ谷水源に作業道が横切る
床尾峠の30m下を作業道が通る
床尾峠の南に道が入っている
大平山の北面に作業道が通る
大平山
高鉢山
高鉢山三角点 ICタグ unicodeの字が読める
掘割
掘割
廃屋の裏を通り車道へ
車道へ出る
大スギの看板
大スギ
幹の周囲は墓所
河内神社入口
河内神社
松ぼっくりのエビフライ
専立寺
5:40 板ヶ谷チェーン着脱場 気温15度 晴れ
 

6:25 熊野滝橋
7:25 熊野滝林道終点
7:45 作業道終点 
8:45 林道に出る
10:15 林道終点
10:50 床尾峠  
11:30 E峯
11:45 F峯
12:10 大平山 
13:25 高鉢山 
14:00 掘割 
14:50 車道
14:55 大杉
15:25 河内神社  
15:45 191号線 
15:55 板ヶ谷駐車場


 板ヶ谷駐車場から国道を横切り、板ヶ谷川右岸の旧道に入る。谷沿いにボタンヅル、ヘクソカズラが咲き、オオバアサガラ、エゴノキが実を付ける。民家の前を進むと、クズ、ヌルデ、アカメガシワが咲く。

 旧道から右岸の山道に入る。堰堤に出て川原に下りた。コウラ谷を渡り、角礫が多い谷を歩く。倒木を潜る。右岸のオオマツヨイグサが咲く作業道を上がると、河内神社下の国道に出た。

 国道を少し進み、旧道に入る。マサガ谷手前の板ヶ谷会館の前を通り、車道を進むと熊ノ滝山が見える。国道に出て、すぐに旧道に入る。電柱に「トガウチ」とある。国道の温度計は16度を示す。「林道熊野滝線」の看板の所から林道に入る。熊ノ滝山が大きく見える。

ボタンヅル
ヘクソカズラ

 眼下に青々とした水田が広がる。池に鯉が泳いでいた。熊野滝橋を渡ると、アマゴ禁漁区の看板がある。コハウチワカエデが実を付け、ヌルデが咲く。板ヶ谷左岸に平坦地が広がる。スギ林下に石垣がある。開地の山側に墓所があった。自然石を立てた、かなり古い墓だった。盆灯篭が一本立ててあった。

 林道を上オシガ谷でU字に回り、下オシガ谷へ上がる。ヒヨドリバナ、キンミズヒキ、ヌスビトハギ、リョウブが咲く。マタタビに虫こぶ。上オシガ谷に石垣がある。林道分岐の開地に出る。分岐付近に「水造」と書かれた赤い杭が打たれていた。

 左側の林道を進むと展望がある。向山からカナクラ峠の峯の下に191号線が見える。山の西面にはヒノキの幼木が植林されている。林道の末端に重機が置いてある。「有線ショベルです。不意に動きだす危険があります」と書かれていた。谷を見下ろすと、板ヶ谷に滝が落ちているのが見える。熊ノ滝山の直下で、クマノ滝とはこの滝のことかと思われる。

アカメガシワ
ヌルデ

 引き返して右側の終点に進む。鎖止めがあり、作業道が続く。進むに連れてホワイトバレーが見え、その左に深入山の頭が覗く。15分ほどで終点。終点から切り開きが続く。ササや灌木が伐採され、目印の枝杭が立ててある。切り開きが途切れた所で尾根へ登った。そこから北の小尾根を下ると林道に出た。

 林道はヨコエキの谷へ下りている。林道を南へ進む。林道はところどころ薮や湿地と化している。南端の砂利が敷かれた分岐に出た。そこから西側の山に向かって作業道が入っている。林道を北東へ進む。「センター造林地 松原事業地」の看板がある。

 林道にイノシシの糞が転がっている。ウドが咲く。林道から深入山が大きく見える。林道は北方向から南へU字に大きく回り、オオブナ谷左岸を進む。途中、伐採木が林道に積まれ、道を塞ぐ。分岐を過ぎてコンクリートの道に変わる。途中、分岐の谷で一休み。分岐道は谷を渡って右岸の北へ延びている。

イノシシの糞
コハウチワカエデ
ツルリンドウ

 さらに林道を進むとオオブナ谷水源で終点。作業道が東側へ続いている。ヒノキ林の山道へ入る。途中、作業道が横切る。ぬかるんだ作業道にイノシシの足跡があった。床尾峠手前の作業道に重機が停まる。そこから30mほどで床尾峠。

 床尾峠の南側まで道が入っていた。ヒノキ林の西尾根を進む。北側に作業道が見える。965ピークを過ぎ、床尾峠から40分ほどでE峯。12年前には枯木林だった所は、すっかり木が茂っていた。F峯、G峯を通過し、尾根の東側に作業道が見える。床尾峠から1時間20分ほどで展望の無いササの大平山。気温24度。H峯手前まで、作業道が見えた。

 943ピークを過ぎて、岩のところで一休み。岩の傍の枯れ木に蝉の抜け殻が残っていた。ミーンミンミンミンと鳴き声が響く。ヒノキ林を通り、大岩を過ぎると高鉢山。大平山から1時間余り。三角点にコインのようなものが埋め込んである。点の記によると、「平成21年11月5日基準点現況調査 ICタグあり」とあり、ICタグのようだ。高鉢山を過ぎると大岩が多くなる。大岩の間を通り、急坂を下る。高鉢山から30分ほどで掘割。

蝉のぬけがら
ヒヨドリバナ
キンミズヒキ

 スギ林の鞍部で一休み。鞍部は深く掘り下げてあった。鞍部の西側に林道が通っている。鞍部横の林道にヌタ場があった。鞍部から谷に沿う林道を下る。地面から赤い指のようなキノコが出ていた。猛毒のカエンタケのようだった。林道は車道手前で行き止まりになっていた。谷へ下りると山道が通っていた。

 山道を進むと、廃屋の裏手から車道に出た。林の中は25度を越えることがなかったが、車道に出ると気温は一気に30度になっていた。車道の西側に畑が広がっている。近くの「梶ノ木の大スギ」に寄る。大スギの前に看板がある。

 「広島県天然記念物 梶ノ木の大スギ この大スギは、梶ノ木集落の最も高い所、海抜600mにあり、樹下は梶木家の墓所である。根回り周囲12.65m 目通りり幹囲10.22m 樹高36m 枝張り東西約20m南北約18m 推定樹齢約800年 現在、県内で知られている中では、最大の巨樹である 昭和60年11月」とあった。

猛毒のカエンタケ
マタタビ 虫こぶ
ガンクビソウ

 大スギの幹の回りに多数の墓石が取り囲んでいた。大スギから車道を進む。民家の軒下に大きいススメバチの巣があった。途中、河内神社に寄る。遊谷、川手の人が本殿新築記念の石柱を寄進していた。

 車道のアカマツの下に松ぼっくりのエビフライがたくさん落ちていた。梶ノ木にはムササビが多いようだ。専立寺は屋根に穴が開き、廃寺になっていた。国道に出て、10分ほどで駐車場に帰着。 
 
 

梶ノ木の大スギ
 
ムクゲ
エゴノキ
オオバアサガラ
クズ
ウド
リョウブ
クマシデ
クマノミズキ


■地名考

 国絵図、安藝国図(聖心女子大学図書館デジタルギャラリ―=下図)に、戸河内の地名があり、その東に殿河内、坪野、津加がある。戸河内の南に筒加がある。殿河内の地名があることから、上殿河内村、下殿河内村に分かれる前の地名を表していると思われる。

 慶長検地(1601年)に戸河内村があり、寛永地詰(1638年)で、戸河内村、殿河内村に分かれた。
 「書出帳・上殿河内村」(文政2年・1819年)によると、正保2年1645年に、上殿河内村は、殿河内村より分かれたとある。安藝国図は1638年ごろの地名をあらわしていると思われる。

 「津加」はツカと読むのか。

 「元和5年(1619)、浅野藩治のはじめは、現在、大字名で残されている上筒賀、中筒賀、下筒賀(旧殿賀村の一部、現加計町)の区域で1村を形成していましたが、寛永15年(1638)の地詰めの際、3村に村切りされました」(旧筒賀村HP)。

 「つつが」の由来に、「昔、本地域は栂(とが、通称つが)の原生林がおい繁り、その樹林をきり開いて村落が形成されたことに起源するというものです」(旧筒賀村HP)。

 「戸河内村と中筒賀村との境にあった二ツ城の場所が『筒賀尾』(つかお)とされていることは注目されよう。筒賀の地名由来を栂の木に求める伝承があるように、筒賀と栂に何らかの関係があることは否定できない」(「筒賀村史」)

 広島県の遺跡に二城山城遺跡がある。中世の城跡で、郭、堀切、土塁が残っている。二ツ城跡、二城跡、二歳山城跡などと呼ばれている。土居の対岸、太田川右岸の峯にある。津加は筒賀の旧名を表しているのかもしれない。


 大田郷、戸河内の由来
 
(『中世における開発と環境』)

 中世に突然, 史料に出る大田郷や戸河内の呼称の由来は何であるか

 大田郷の初見 1352年
 「文和元年(1352) 武田氏信が熊谷彦八(直平) に安芸国大田郷津波村地頭職を預け置く」

 戸河内の初見 1428年
 安芸国山県郡大田郷戸河内村実際寺領理地庵邸の文書(応永35年=1428年)

 外河内の初見 1542年
 天文十一年(1542)元就が家臣に宛てた 一文

 「戸河内かいさご名かいの上二反, 屋敷面三反, 爲給地遣候, 可知行之状如件」

 「戸河内ゆの木名之内家の面三反, 土橋面二反, 爲給地遣候, 可知行之状如件」

 「外河内かいさご名之内屋敷面三反同分二反, 爲給地遣候, 可知行之状如件」 

 「戸河内代名内まこもさご六段爲給地遣候, 可知行之状如件」

 外河内は戸河内の前身か


 古事記、倭名類聚抄(承平年間 931‐938年)の安芸国の地名

 古事記 阿岐国

 和名類聚抄 安藝國 
 沼田 奴太
 加茂
 安藝
 佐伯 佐倍木
 山縣 夜萬加多
 高宮 太加三也
 高田 太加太
 沙田 萬須多今沙作豊止與太

 和名類聚抄 安藝郡
 漢辨 (可部)
 彌理 美利 (三入)
 河内 加布知 (小河内、温井、中調子、川内)
 田門 多土 (三川)
 播良 波良 (東原、西原)
 安藝 (府中町)
 舩木 布奈木
 養隈 也乃 (熊野川流域の熊野盆地)
 安満 安萬 (矢野町、呉市、江田島町、音戸町)
 驛家
 宗山

 倭名類聚抄にある「河内」は、「加布知」(カフチ)と読む。河内は太田川の下流域にある小河内、温井、中調子、川内辺りのことと思われる。


 河内の初見
 日本書紀巻19(欽明天皇 539-571年)に、「別以安羅日本府河内直通計新羅」、「百濟本記云、加不至費直」とあるので、河内は書紀の時代には、加不至(カフチ)と読んでいた。


 太田川沿いの「河内」地名(上流順)
 戸河内、上殿河内、江河内、下殿河内、小河内、中河内、川内

 戸河内周辺の「河内」字名
 堂河内(本郷)、孝哉河内(本郷、上殿)、三次河内(川手)、江河内(下殿河内)、新屋河内(ニイヤ与一野)

 戸河内周辺の「河内」ほのぎ(小字名)
 こみかふち(吉和郷)
 江河内(下殿河内)=芸藩通志絵図


 戸河内の「ほのぎ」(寛永地詰 17世紀前半=小字名)に、「こみかふち」があることから、戸河内は古くは「とかふち」と呼んでいたと思われる。


 戸河内の地元での読み
 トガーチ
 トガワチ
 トガウチ(電柱のプレートにある)

電柱にトガウチ


 戸河内の古名は「トカフチ」で、トカウチ、トガウチ、トゴウチと変化したと思われる。


 和名抄の河内地名

 畿内国 河内郡(加不知)
 常陸国 河内郡 河内(甲知)かっち こうち
 常陸国 那珂郡 河内
 常陸国 久慈郡 河内
 下野国 河内郡
 河内国 河内郡
 参河国 碧海郡 河内
 丹波国 多紀郡 河内
 出雲国 出雲郡 河内
 隠岐国 隠地郡 河内(加無知)
 播磨国 加茂郡 川内 こうち
 美作国 大庭郡 河内
 安芸国 安芸郡 河内(加布知)
 肥後国 飽田郡 川内 かわち
 

 万葉集の河内は「かふち」

 万葉集の河内(歌番号、原文、訓読、仮名の順)

 36 山川之清河内跡 山川の清き河内と やまかはのきよきかふちと

 38 多藝津河内尓 たぎつ河内に たぎつかふちに

 909 瀧之河内者 瀧の河内は たきのかふちは

 1316 河内女之 河内女の かふちめの

 3368 可布知尓伊豆流湯能 河内に出づる湯の かふちにいづるゆの

 4003 吉欲伎可敷知尓 清き河内に きよきかふちに

 4006 吉欲伎可布知尓 清き河内に きよきかふちに


 戸河内地名
 戸河内(とがうち) [島根県邑智郡邑南町]
 戸河内(とごうち) [広島県山県郡安芸太田町]
 戸河内(とごうち) [広島県三次市布野町]

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カシミール3Dデータ

総沿面距離19.6km
標高差739m

区間沿面距離
板ヶ谷
↓ 4.7km
熊野滝林道終点
↓ 6.1km
床尾峠
↓ 1.7km
大平山
↓ 2.6km
掘割
↓ 4.5km
板ヶ谷

 

 
 
国絵図、安藝国図(聖心女子大学図書館デジタルギャラリ―)

戸河内、殿河内、坪野、津加、筒加の地名がある。
 
殿河内遺跡
(三刀屋町大字殿河内)

「殿河内」の地名変遷
戸野賀内 殿垣内 殿河内 殿川内 殿河内
 
深入山とホワイトバレー
梶ノ木の大スギ
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)