5:55 柴木駐車場 気温15度 晴れ
8:05 ミズナシ川
9:25 蔵座高原
10:40 最早山
10:55 畳ヶ平
11:10 向山
11:25 バア堀跡
11:40 尾根に戻る
12:20 作業道終点
13:15 サイレン塔
13:40 トンネル出口
15:00 柴木発電所
15:15 駐車場
駐車場から柴木川左岸を進む。山手にカキノキ、スイカズラ、コガクウツギ、ウツギ、マムシグサの花が咲く。柴木川第一発電所の横の通路を通り、山道に入る。エゴノキの白い花がたくさん落ちていた。
山道から赤い長淵橋に出て、遊歩道を進む。黒淵渡舟営業中の看板が出ている。溪内は気温15度。龍ノ口出口の姉妹滝は水が少なめ。遊歩道にエゴノキの花が落ちている。
兜岩を見ながら遊歩道を進む。ウリノキ、ミヤマハハソはツボミ。ミズタビラコの小さい花が咲く。林下にコアジサイが咲いている。頭上に五立の懸崖が見える。赤滝を過ぎると、シライトソウが咲いている。
ミヤマハハソ |
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ミズタビラコ |
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庄兵衛岩直下のトンネルを潜ると、皆実高校遭難碑、花が手向けられている。女夫淵にヤマツツジが咲いている。侵食された岩の廊下、石樋を進む。その先に天狗岩が見える。石樋の端に石樋観音が見える。見る位置を少し変えると、ただの岩になってしまう。
コアジサイ、コガクウツギ、タツナミソウが咲く。ぐるの瀬を回る。天狗岩が頭上に見える。その下に蓬莱岩がある。そこを少し過ぎた所で、バイクが坂を下りてきた。天狗岩の下には落下した巨石が多い。北側に向山の峯が見える。遊歩道の山側にシライトソウが群生している。
渡舟場分かれから坂を上がる。眼下に舟が見える。黒淵は大分、土砂が溜まっている。眼下に黒淵荘へ渡る橋が見える。坂を下る。ハナイカダの葉に花が出ていた。黒淵荘の上流に釣り人が入っていた。釣り人の熊鈴が渓流に良く響いて聞こえる。釣れたか聞いてみると、エサが良くないのか、さっぱり釣れないとのこと。ウワバミソウが花を付ける。
シライトソウ |
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ヤマツツジ |
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仏岩のある角を回り、雌滝、雄滝を通る。細いツガが遊歩道に倒れていた。エゴノキがたくさんの花を付ける。蛇杉橋に出ると、ウリノキの花が咲いていた。オオバアサガラはツボミ。橋に巻き付いたサルナシに白い花が咲いていた。
南峰橋を渡り、大淵で一休み。トンネルを潜り、王城を回る。遊歩道に丸石の石垣が組まれ、セメントを流して、新しくなっていた。耶源の懸崖下を通る。柴木から2時間余りでミズナシ川。川には水が流れていた。駐車場に2台、留まっていた。
安芸太田町森林セラピー基地の新しい看板が作られていて、セラピーロードが描かれていた。ミズナシ川の車道を進む。ヤブウツギの赤い花、オオバアサガラが咲いていた。ホオノキの大きい花も見られる。車が降りて来ると、小屋の戸が開き、おじさんが料金を徴収していた。
コアジサイ |
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ハナイカダ |
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頭上のエゴノキが満開。たたら橋を渡り、トンネルを通る。岩の間をミズナシ川が通る。ツルアジサイが法面に咲いている。丸いツボミばかりのエゴノキがあった。ハウチワカエデに赤い翼が付く。キブシに玉がたくさんぶら下がる。車道にヘビが轢かれて皮だけになっていた。
U字カーブを回った所で、前方に深入山が頭が見えた。ニガナが咲く。さらに続くU字を回った所から南側にサバノ頭が見える。ヤマボウシの花が残っていた。クマシデに果穂が下がる。ミズナシ川に導水トンネルが露出している地点に出た。コハウチワカエデも翼を下げる。トチノキの花が咲く。
蔵座高原に出て191号線を進む。深入山の看板が見える。蔵座高原別荘村の車道に入る。丸太を並べた伐採地の行き止まりに出た。作業道の奥で伐採していた。伐採地点の後に回り、作業道を進むと周囲6.6mトチノキのある地点に出た。
ウリノキ |
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ヤブウツギ |
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少し進んで、スギ林の尾根に入る。再び作業道に出た。しばらく作業道を進む。ヤブデマリが咲く。1000m付近からオトコヨウゾメが咲く。作業道が東側へ延びる所で、広葉樹の山に入る。オトコヨウゾメが多い、ユキザサが咲く。10分ほどで最早山の大岩に出た。別荘村に入ってから1時間ほどであった。
少し休憩して向山へ進む。畳ヶ平を過ぎた所に大きいヤマザクラがあった。コマユミの花が咲く。ササ薮が深くなる。クマの大きい糞があった。表面は古そうに見えるが、枝で突いてみると、中は黄緑色で水っぽく、新しかった。おそらく谷沿いの草本を食べて、上がってきたのではないか。
最早山から30分ほどで向山。樹林で展望はない。ヒノキ林にオトコヨウゾメ、ユキザサが咲く。バア堀へ進む。大きいスギ林の所から窪地に下る。湿った地面にコケが生えている。炭焼跡へ進む。トイガ谷の里人の話では、炭焼き場のすぐ横まで池があり、ミズバショウのような花が咲いていたと言う。
ホオノキ |
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エゴノキ |
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12年前ここへ来た時、雨で水が溜まっていたが、水は途中から地下に吸い込まれて消えた。東側を通る導水トンネルができた後に、堀が消失したと言われている。炭焼跡から少し進むと、バイケイソウにツボミが出ていた。
尾根に戻り、南東に下る。1000m付近の東の眼下に作業道が見える。おそらく最早山の北側から続いているものだろう。作業道は下っている尾根に沿って延びている。大きいヒキガエルが居た。逃げようとするが、大きすぎて動作が鈍い。
作業道が尾根の傍に近づいた所で、道に出てみた。道はまだ下へ続いている。さらに尾根を下ると、尾根上の作業道終点に出た。終点にはヌタ場の水溜まりがあった。イノシシが山へ入る所のササが泥だらけになっていた。
ハウチワカエデ |
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ギンリョウソウ |
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植林地を進み、大岩の下を回り、地図の導水管破線の上を通る。エゾユズリハにツボミ。水が溜まったヌタ場がある。作業道終点から1時間ほどでサイレン塔に出た。サイレン塔から尾根を下ると、山道が明瞭になる。分岐に出た所で、トンネル出口に回ってみた。出口の上に建物がある。
コンクリート壁に「第1固定台」「bQ伸縮継手」のプレートが付けてある。タンナサワフタギが咲いていた。引き返して導水管の上に出る。展望があり、大平山の峯が見える。731m三角点の横を通り、導水管に沿う山道を下る。途中、林中を下る分岐があるが、管に沿って階段を下る。
管の東側の林が泥だらけになっていた。周辺にヌタ場があるようだ。傾斜が急になった所で、ジグザグ道に入る。眼下に柴木の里が見える。山道は導水管と林の間をギグザグに下りている。電気柵を外して、発電所の横に出る。道に出ると、日が暑かった。
ヤブデマリ |
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オトコヨウゾメ |
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ユキザサ |
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ウツギ |
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スイカズラ |
カキノキ |
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マムシグサ |
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コガクウツギ |
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タツナミソウ |
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ウワバミソウ |
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コケイラン |
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クルマバソウ |
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サルナシ |
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ツルアジサイ |
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ヤマボウシ |
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クマシデ |
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オオバアサガラ |
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トチノキ |
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コマユミ |
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エゾユズリハ |
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タンナサワフタギ |
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■地名考
最早山周辺の三角点の「点の記」の所有者欄に共有が多い。最早山は村人共有の山という意味合いで、モヤイヤマ≠ニ呼ばれていたと思われる。
●点名 向井山(731m 四等三角点)
所有者 柴木部落共有地総代
●点名 作見谷(918m 三等三角点)
所有者 共有地総代(25名)
●点名 犬ヶ谷(915m 四等三角点)
所有者 共有者代表
●点名 大平山(1014m 四等三角点)
所有者 松原部落共有地総代
●点名 後山(787m 四等三角点)
所有者 財団法人松原自治会
●点名 大坊木(1013m 二等三角点)
所有者 財団法人松原自治会
モヤイの由来
モヤイの初出は、『山家集』、『平家物語』にあり、「むやひ」「もやひ」と表している。
『山家集』(さんかしゅう)平安末期 西行法師の歌集
『ともぶねはむやひつゝ』
(友舟どうし舟をつなぎ合わせ)
『平家物語』(鎌倉時代に成立)
『千余艘の纜舳綱を組み合はせ中に舫を入れ歩み板を引き渡し渡いたれば舟の上は平々たり』
(一千余艘の艫綱や舳先の綱を組み合わせ、間にもやいを入れ、歩み板を渡すと、舟の上は真っ平らになった)
広辞苑のもやい
@もやい 舫い もやうこと。船と船ををつなぎ合わせること。むやい。太平記(14世紀中ごろ)「流れ淀うたる浪に筏のもやいを押し切られて」
A催合と書く。二人以上の者が一緒に仕事をすること。共同。おもやい。部落内の共同作業。また、利益の共同分配。
舫い繫り 船一隻に錨を入れ、この船に他の船をもやい、またその船に他の船をもやい、幾隻も一緒に碇泊すること。
舫い杭 船をつなぐために河中や河岸に立てた柱。かせ。
舫い綱 船をつなぐ綱。
もやう モヤフ 舫うと書く。船と船をつなぎ合せる。杭などに船をつなぐ。むやう。
もやい 方言
おもやい 東京・愛知。
おもやいで・おもやで・おもやん(共同で)神奈川。
しない 静岡。
みやい 愛知。
もえー 神奈川。
もやい 東京・神奈川・静岡・岐阜・三重・和歌山。
もーやいこ 愛知。
もーやーこ 愛知。
もよー 船と船とをつなぎ合せる 山形。
もよい 仲間 静岡。
もより 神奈川。
(以上「昔の茨城弁集」から)
モエー 南九州
今帰仁方言
ムヤールン(もやい合う)同じ食器から多くの者がとって食べる。
ムエー 模合・無尽講・頼母子講 ムエイともいう
首里・那覇方言
ムエー(模合)・ユレー、ユーレー(寄合) 相互扶助システム(無尽講・頼母子講)
宮古島方言
ムヤイ(模合) 相互扶助的な金融組織
模合墓(1766年)
与論島 ムエー・ユイケ―・ユイタバー 結い
久高島 ムエー 頼母子講・頼合・無尽
徳之島 ムエ 頼母子
模合の歴史
古くは琉球王国の尚敬王の時代(1735年 - )、1733年の『球陽』でその記述が見られるが、これは備荒貯蓄のことであり、貧窮者救済の意味があったとされる。無尽講を意味する模合の発祥は詳しくはわかっていないが、18世紀以前から行われていたようである。当時の模合は、貨幣ではなく農産物などの食料品などが模合の対象であった。変わり種としては「労働力の提供」というのもあった(ウィキペディア)。
『データベースれきはく 民俗語彙』から
ムヤマ(共山) 共有山林 佐渡 ムヤイヤマの転訛か
ムヤ 横穴の風葬 共同で使用。 喜界島
モヤイマトギ 共同の狩り、平等の分配 高知県高岡郡梼(ゆず)原村
モヤヤマ 共同薪山、共同山作業 熊本県
モヤウ 共同仕事 東京都南多摩郡恩方村
ユイの由来
家々の間で労働力を交換しあって作業を相互に手伝うこと。ユイの発音が変化してイイ、エエ、ヨイあるいはヨイコなどと各地で呼ばれる。沖縄でユイーマールという。
田植、稲刈りや脱穀など種々の農作業、屋根ふきなどの際にユイが行われた。
ユイを結ぶ相手の家は、村内在住の親類や近隣の家々と行うのが一般的である。
平安時代の歌集『堀河院百首』(1105年成立)に
『残り田はそしろにすきし明日はただゆひもやとはで早苗とりてん』(隆源)
とあり、ユイはやとうものとして歌われている。
ユイとは
それは本家や手作地主が分家、従属農民に労働力を提供させることを東北地方や北九州でヤトイといったことに通じるものである。かつてはこのように、労働力の提供とそれに対するさまざまな反対給付という形で結ばれた本家末家的ユイが基本であり、それに加えて分家や従属農民が互いに結ぶ小農的ユイが併存していた。
近世になり後者のみがユイと呼ばれるようになり、本家末家的ユイはヤトイとかスケ、テツダイと呼ばれるようになったものと考えられている(『岩井國臣の世界』より)。
『雇はれて老なるゆひが田歌かな』
几菫 「井華集」(寛政元年 1789年)。
「ゆい」の語源は「雇人(ゆひ)」だ。
広辞苑のゆい
ゆい 結い
@結うこと。
A標(しめ)を結うこと。
B田植などの時に互いに力を貸し合うこと。また、その人。てまがえ。
ゆい 方言
江戸時代からある農作業を助け合う相互援助組織。冠婚葬祭も助け合った。=『いい』『よい』。
てまっかり・てまっかーり 群馬。
ゆい 宮城・福島・群馬・神奈川・山梨・静岡。
ゆいまーる 沖縄。
(以上「昔の茨城弁集」から)
今帰仁方言
ユイ 労働の交換
ユイセー ユンセー (ゆいし合い)労力の交換をし合うこと。
ユイマールー 労力交換を順に行うこと。
メーユイ 稲を束ねること。
ユールン 結う・縛る
ユン 寄る
首里・那覇方言
ユーユン 結う・縛る
カラジユーユン 髪を結う
ユユン 寄る・集まる
モーユン 踊る・舞う
沖永良部島
ユーユン 結う
ユイムン 寄り木(海岸に漂着した木や物)
ヨーユン 寄る・集まる・共同する・力を合わせる
モーユン 回る・回転する
万葉集のゆひ
標結 しめゆひ しめゆふ
印結 しめゆひ
緘結 しめゆひ
髪結 かみゆひ
手結 たゆひ
足結 あゆひ
紐結 ひもゆふ
標結 占有を示す標識として、縄などをむすんで巡らす。また、草などをむすんで目印をつける。
紐結 霊威ある紐をユフことにより相手の無事を祈り、神の加護や神意を留める。再会を願う呪術。
髪結 髪は神の宿るものであり、髪をユフことにより神に選ばれたことを示すという
アイヌ語 ムィエ
muye ムィエ 束ねる・縛る・結ぶ
muyepa ムィパ 縛る
muyehe ムィヘ 束
i-muye-uras イ・ムィエ・ウラシ
それを・束ねた・笹の枝葉
(それで屋根や側壁を葺く)
kamuy sapa muye カムイ・サパ・ムィエ
神の・頭を・束ねた
(ヨモギの茎を束ねた草人形)
『蝦夷拾遺』(文政4年・1821年 下に原文)にアイヌ語ムエがある。
ムエ 結
当時のアイヌの発音を聞いて「ムエ」と表したと思われる。
沖縄など南西諸島では「模合」を「ムエー」と呼ぶところが多い。『蝦夷拾遺』の「ムエ」は「結ぶ」の意であるが、方言「ムエ」とアイヌ語「ムエ」が重なる。
モヤイの古形はムヤイである。
ユイとモヤイは共に「むすぶ」の意がある。元々同じ語源なのか。
カシミール3Dデータ
総沿面距離20.2km
標高差738m
区間沿面距離
柴木
↓ 6.7km
ミズナシ川
↓ 4.2km
蔵座高原
↓ 3.3km
向山
↓ 3.0km
サイレン塔
↓ 3.0km
柴木
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