山歩き

那須古道…十方山…古屋敷…内黒峠
2018/5/5

恐羅漢公園線入口(県道252)…那須集落…藤十郎…十方山…二軒小屋…古屋敷…展望所…内黒峠…恐羅漢公園線入口

■十方山(ジッポウザン)1319m:広島県佐伯郡吉和村吉和西(点の記) (廿日市市)

陸軍兵の碑
県道から民家の間を通る
上本郷
石垣の道
植林地のタケ
おっぱい山分岐
ヌタ場
中国電力の吉和郷無線中継局 軒下にスズメバチの巣
石の道標 右横川 左那須
鍋山が見える
吉和郷町有林 昭和35年 周辺のスギは細い
倒れたミズナラが塞ぐ
落ち葉で埋まる墓石 昭和51年
鉄橋を渡る
那須集落を通る
タッチの墓前
砂利が敷かれたトウジュウロウ谷へ入る道
林道終点
一番上の石垣 760m付近
主尾根に出る
トウジュウロウ
中三ツ倉の大岩
中三ツ倉道標
本郷を望む
奥三ツ倉
女鹿平山を望む 奥三ツ倉
冠山を望む
十方山と奥三ツ倉
十方山登山口
八百ノ谷
二軒小屋
古屋敷橋を渡る
薮の旧道入口
ワタン谷右岸の石垣
旧道を岩が覆う イヨキリ谷
岩が塞ぐ
旧道が消失
ササ薮が続く
枯れたススキの道
展望所の横に出る
展望所から砥石川山、聖山を望む
内黒峠
市間山、立岩山、日の平山、藤十郎の峯
昭和38年遭難碑
大平山を望む オオカメ谷水源
タキガ谷入口
オオカメ谷のスギ
柴木林道入口
本郷の街並み
5:50 恐羅漢公園線入口 気温5度 晴れ
 

7:00 那須・横川分岐
9:15 那須
9:55 風小屋林道終点
11:30 藤十郎
12:00 中三ツ倉
12:35 十方山
13:30 十方山登山口
14:00 二軒小屋
14:15 古屋敷
16:15 内黒峠
16:35 遭難碑
17:15 タキガ谷入口
17:25 柴木林道分岐
18:10 県道252入口

 吉和へ行く県道296号線へ出る。山際に故陸軍兵の碑が並んでいる。民家の間に横川、那須へ行く古道が通っている。以前は「おっぱい山」の道標があったが、無くなっている。山へ入る坂を上がる。上本郷の街並みが見える。

 古道に沿って洞穴が二つある。石垣の残る道から尾根の道へ出る。薄暗い植林地下にコガクウツギが咲いている。落ち葉が多い道にクリのイガが落ちている。スギ林の中に竹が倒れている。元々竹藪だった所にスギを植林したのだろうか。

 30分ほどでおっぱい山分岐。そこから少し進むと、一旦、植林地から広葉樹に変わる。道横に水が溜まったヌタ場があった。中国電力の吉和郷無線中継局の建物がある。軒下にススメバチの巣があった。植林地を進み、出発から1時間ほどで、横川、那須分岐。石の道標があり、「右 横川 左 那須 道 戸河内村本郷 吉本厘太郎 明治4年10月」と書かれている。右へ行くと、恐羅漢山公園線(県道252)に出る。ポポポと鳴き声が響く。

コガクウツギ
マムシグサ

 左の那須古道を進む。10分ほど登ると北側の作業道に接する。作業道は西尾根に上がっている。倒木が道を塞ぐ。林の間から鍋山が見える。スギ林下に幼木のトチ、イタヤカエデが葉を出し、マムシグサが咲いている。牛首三角点(715m)を過ぎた先に吉和郷町有林の看板がある。昭和35年にスギを植林とあるので、58年が経過している。周辺は細いスギが多いので、おそらく、その後に植林したものだろう。看板の後のスギは太かった。

 スギ林下にチゴユリが多い。ミヤマガマズミ、クサイチゴが咲いている。クリのイガが多い。見上げると、山側は広葉樹で転がって落ちてきたものだった。コアジサイはツボミ。コシアブラの幼木が多い。倒れたミズナラが道を塞ぐ。

 朽ちたミズナラのある那須の東に出た。ここからスギ林下を那須へ下る。林間から集落の民家が見える。ジャノクラキビレへ上がる分岐を過ぎ、道が切れた崖を通過。ジグザグに下ると、ヤブツバキの花がたくさん落ちている。途中にある昭和51年の墓は落ち葉に埋もれていた。

チゴユリ
ツリバナ
エゴノキ

 錆びた鉄橋を渡り、車道に出た。水田は田植えの真っ最中だった。薄緑の春の芽吹きが山を覆う。ヤマザクラが小さい実を付けていた。エゴノキはツボミ。ウラオレ谷で顔を洗い、水を補給。風小屋林道を上がる。

 シナノキがある。ウリカエデの果実が下がる。タッチの墓の前に小型のユニックが止まり、白い砂利が積み上げられていた。トウジュウロウ谷へ入る山道に、白い砂利が敷き詰められていた。ハウチワカエデの花が残る。林道終点のヤマナシの花はもう散っていた。

 登山道に入ると、植林地下に作業道が見える。作業道はトウジュウロウ谷を渡って南へ延びている。石垣のある辺りはダーガハラと呼ぶ山田の跡である。小屋、炭焼き跡の横を通り、760m付近の石垣の前に出る。この辺りが山田の最上部で、それより上をハブセゴウと呼ぶ。

ウリカエデ
ハウチワカエデ

 植林地の小谷を登ると、ヤグルマソウが群生していた。谷から急な小尾根を登る。ミヤマガマズミが咲いている。オオカメノキはまだツボミ。破線道の主尾根に出る。登っていくと植林道に変わる。ウリハダカエデの花穂がたくさん落ちている。ウリハダカエデが地面から葉をだしている。ユキザサは小さいツボミ。

 ウリハダカエデの落ちた花穂がどこまでも続いていた。林道終点から1時間半ほどで藤十郎。倒木に腰掛けて一休み。ブナの道を西へ進む。クロモジ、アサノハカエデ、オオカメノキが咲く。エンレイソウ、バイケイソウ、ミヤマカタバミも咲く。

 トウジュウロウから30分ほどで中三ツ倉。オオカメノキが多い。尾根の途中、本郷への展望がある。ユキザサが小さいツボミを付ける。15分ほどで奥三ツ倉。女鹿平山を望む。オオカメノキの白い花が目立つ。十方山の道標が見える。

アサノハカエデ
ウリハダカエデ
ユキザサ
ユキザサ

 掘割は深く抉れて、柔らかくなっている。水源の谷にバイケイソウが伸びる。那須から3時間ほどで十方山。南の登山道を登ってくる人が見える。カメラに収め、北の登山口へ進む。ピンクのショウジョウバカマが咲く。北のピークから北尾根を下る。

 倒れたウリハダカエデから花穂が出ている。ユキザサが多い。こちらの山道にもウリハダカエデの花穂が落ちている。1時間ほどで十方山登山口。道標には獅子ヶ谷登山口と書かれているが、北尾根の登山道は示されていない。八百ノ谷の滝を過ぎと林道工事の看板があり、「林道横川西平線改良工事 425万円」と書かれている。

 キブシ、ウワミズザクラ、ナガバモミジイチゴ、ミツマタの花が咲く。30分ほどで二軒小屋。サバノ頭を見ながら進む。道路沿いの八重桜が満開。オオバヤシャブシに茶色の実。古屋敷橋を渡り、内黒峠へ上がる古い林道に入る。入口は猛烈な灌木の薮。

バイケイソウ
ショウジョウバカマ
旧道の円座

 薮を抜けると、ワタン谷左岸の道にでるが、すぐに崩している。右岸に渡り石垣の道を進む。林道は笹薮になっている。ガマズミが咲く。ササ薮の中に直径1.5mほどのクマの休み場である円座があった。ササの上に枝が数本並べてあった。

 ササが無い湿った所にタチカメバソウが群生していた。イヨキリ谷が崩れ、岩が覆っていた。大岩が林道を塞ぐ。岩に枯れ葉が引っ付いていたが、よく見ると蛾が留まっていた。谷が崩壊し、林道が消えていた。その先に新しいコンクリートの電柱が二本立っていた。電線もなく、使われている様子が無かった。
 
 ササ薮を進み、オオ谷から上がる分岐に出る。分岐道もササ薮だった。分岐を過ぎると、ササ薮が少なくなり、枯れたススキ道に変わる。展望所の下を通り、車道に出た。展望所に腰掛けて一休み。砥石川山と聖山が見える。手前には中山。

タチカメバソウ
キブシ
キブシ
車道のスミレ

 古屋敷から2時間ほどで内黒峠。峠から市間山、立岩山、日の平山、右に藤十郎の峯が見える。ミズキの花芽が出ている。ヤマフジが咲く。道路沿いに長葉の濃い紫のスミレが多い。ウリハダカエデが花を下げる。ガマズミが多い。

 遭難碑から作業道に入る。タキガ谷水源は倒木で埋まっていた。車道に戻る。オオキビレを下り、那須の上に出ると、集落に向かって電線が下りている。柴木谷の水源、ジャノクラキビレの辺りをオダラギと呼ぶ。作業道の横を通り、オオカメ谷の水源まで下ると、前方の視界が開ける。高鉢山、大平山の峯が見える。

 オオバアサガラの花芽は小さい。下るにつれて、ミズキの花芽が大きくなっている。キブシは実に変わりつつある。タキガ谷入口に丸太が積んであった。オオカメ谷右岸に伐採された植林地の境界面に、真っすぐ伸びたスギの幹が林立している。

 柴木林道分岐を過ぎる。ホオノキ、トチノキが咲いていた。小屋床橋を渡り、クロヤマ谷右岸を進むと、釣り人がいた。10cm余りのゴギを釣り上げた所だった。開けた所から本郷の街並みが見える。内黒峠から2時間ほどで出発点に帰着。

クロヤマ谷のゴギ
 
イワガラミ
イワガラミ
ミヤマガマズミ
オオカメノキ
オオカメノキ
ウスギヨウラク
ミヤマカタバミ
クロモジ
クロモジ
イカリソウ
クサイチゴ
ホウチャクソウ
コアジサイ
コハウチワカエデ
エンレイソウ
ウリハダカエデ
ウリハダカエデ
オオバアサガラ
ミズキ
スズシロソウ


地名考

 万葉集の「背向」

 「背向」を「そがひ」と訓むことは、次の類歌二首較べることによって確かめられる。以下二首の原文。

 吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向尓宿之久 今思悔裳(1412番歌)   

 可奈思伊毛乎 伊都知由可米等 夜麻須氣乃 曽我比尓宿思久 伊麻之久夜思母(3577番歌)

 この二首の「背向尓宿之久」「曽我比尓宿思久」は、どちらも「そがひにねしく」と読み、同句であり、3577番歌の方は仮名書きであるので、1412番歌の「背向」に相当する所に「曽我比」とあることによって、「背向」は「そがひ」と訓むことが明瞭に認められる。

 「背向(そがひ)」は「うしろの方。背後。また、うしろむきであること」の意であるが、『日本国語大辞典』の補注は次のように記している。  

 (1)ソはセ(背)の母音交替形。「万葉集」には「背」「背向」などとも表記され、ソムカヒの縮約とみられる。多くの場合、「に」を伴って「見る」「寝る」といった動詞を修飾する。  
 (2)「前後」または「向かったり背にしたりする」意の漢語「背向」の翻訳語とみる説もある(河童老「万葉集を訓む」HPから)。


 方言「ウラ」を「後ろ」の意とする地域

 山形・茨城・山梨・栃木・群馬・埼玉・三河弁(愛知県東部)・丹波(兵庫県東部)・丹後 

 埼玉方言(裏と背)

 うらが痒いから掻いて(背中を掻いて)

 出雲弁(裏と向)

 「うらむかい」「おらんこ」「おらみこー」
 意味 向かい合った家

 用例 まーず、あすこは、け、おらんこでよ けんくゎしてござー がの。

 用例訳  まあ、あそこ(の家)は、もう、向かい同士でよく 喧嘩しておられる よね。

 採取者 KEN[八雲]/【おらみこー】奥野[平田]/【うらむかい】児玉[横田]

 ウラムカイ ウラムカ オラムカ オラミコー オランコ


 背甲(せごう) 背。背中。手の甲、甲羅

 背甲板背甲辺(セゴッペタ)
 丸太を角材にする時に出る縁板

 「名語記」(鎌倉時代の辞書)建治元年(1275)成立。
 「いやしき物をせことなづく」とある。


 向平と裏向
 
 戸河内の那須地域に下地図のような地名がある。

 向平(ムカイビラ) 那須地域の東端
 裏向(ハブセゴウ) 那須地域の西 

 ムカイビラとハブセゴウは、集落を隔てた東西の、山の斜面の地名であり、対になっている。ハブセゴウは断面図から草刈り場である。

 「裏向」は「セゴウ」と読むが、後ろの意と思われる。「背向」は万葉集では「ソカヒ」と読む。恐羅漢山の「ソカヒ」に共通する地名ではないか。「裏向」は「背向」ではないか。

 ウラオレ谷は浦折谷と表す。裏と浦は同じ意と思われる。


 恐羅漢山は「ソカヒ山」とも呼ぶ。

 ソカヒ=背向であれば、「後ろ」の意である。

 旧羅漢山と恐羅漢山が並ぶ

 出雲弁
 オッソ 後ろ(出雲・大田)
 (用例 おっそから ぼいちゃげてくー)
 (用例訳 後ろから 追いかけてくる)

 ソカヒ+羅漢
 後ろ+羅漢
 オソ+羅漢

 恐羅漢山は「後ろの羅漢山」の意。


 オダラギ=ジャノクラキビレ付近の呼び名

 オダラギ 伊方地方の方言に「タラノキ」の意

 広島 タラオダラ=ハリギリ
 和歌山・宮崎 オダラ=ハリギリ
 三重・岡山 アオダラ=ハリギリ
 静岡・三重 オダラ=タラノキ
 山口・鹿児島 ダラギ=タラノキ
 沖縄 ダラギ=ハリギリ


 アイヌ語の「後ろ」

 si-oka-un
 シ・オカ・ウン
 自分・の後・の方へ(萱野茂 アイヌ語辞書)

 si-y-oka
 シヨカ
 自分・挿入音・の後(田村すず子 アイヌ語辞書)

 si-okay-ne
 シ・オカイ・ネ
 自分の後の方(アイヌ語旭川方言)

 知里幸恵アイヌ神謡集にある例。
 sioka un inkaras awa 
 (後ふりかえって見ると)
 taporowa sioka un aynu mosir cikohosari inkaras awa
 (そこで後ふりかえって人間の世界の方を見ると)

 この例から次の言葉が考えられる。
 si-oka-hi
 シ・オカ・ヒ(ソカヒ)
 自分・の後・の所

 アイヌ語では母音は二つ続くと、どちらかが省略される。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離28.9km
標高差1036m

区間沿面距離
恐羅漢公園線入口=県道252
↓ 6.0km
那須集落
↓ 6.3km
十方山
↓ 4.4km
二軒小屋
↓ 4.4km
内黒峠
↓ 7.8km
恐羅漢公園線入口
 


 
那須集落の地名

ハブセゴウ(裏向) 向平 表平

那須における地名群と土地利用
(『西中国山地における山村の土地利用と環境認識』古田充宏)
 
那須集落 断面図

ハブセゴウ(裏向) 向平
那須集落 断面図
 
 
冠山 奥三ツ倉から
砥石川山と聖山 展望所から
市間山 立岩山 日の平山 藤十郎の峯 内黒峠から
大箒山と大平山の峯 オオカメ谷水源から
上本郷
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)