5:50 恐羅漢公園線入口 気温5度 晴れ
7:00 那須・横川分岐
9:15 那須
9:55 風小屋林道終点
11:30 藤十郎
12:00 中三ツ倉
12:35 十方山
13:30 十方山登山口
14:00 二軒小屋
14:15 古屋敷
16:15 内黒峠
16:35 遭難碑
17:15 タキガ谷入口
17:25 柴木林道分岐
18:10 県道252入口
吉和へ行く県道296号線へ出る。山際に故陸軍兵の碑が並んでいる。民家の間に横川、那須へ行く古道が通っている。以前は「おっぱい山」の道標があったが、無くなっている。山へ入る坂を上がる。上本郷の街並みが見える。
古道に沿って洞穴が二つある。石垣の残る道から尾根の道へ出る。薄暗い植林地下にコガクウツギが咲いている。落ち葉が多い道にクリのイガが落ちている。スギ林の中に竹が倒れている。元々竹藪だった所にスギを植林したのだろうか。
30分ほどでおっぱい山分岐。そこから少し進むと、一旦、植林地から広葉樹に変わる。道横に水が溜まったヌタ場があった。中国電力の吉和郷無線中継局の建物がある。軒下にススメバチの巣があった。植林地を進み、出発から1時間ほどで、横川、那須分岐。石の道標があり、「右 横川 左 那須 道 戸河内村本郷 吉本厘太郎 明治4年10月」と書かれている。右へ行くと、恐羅漢山公園線(県道252)に出る。ポポポと鳴き声が響く。
コガクウツギ |
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マムシグサ |
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左の那須古道を進む。10分ほど登ると北側の作業道に接する。作業道は西尾根に上がっている。倒木が道を塞ぐ。林の間から鍋山が見える。スギ林下に幼木のトチ、イタヤカエデが葉を出し、マムシグサが咲いている。牛首三角点(715m)を過ぎた先に吉和郷町有林の看板がある。昭和35年にスギを植林とあるので、58年が経過している。周辺は細いスギが多いので、おそらく、その後に植林したものだろう。看板の後のスギは太かった。
スギ林下にチゴユリが多い。ミヤマガマズミ、クサイチゴが咲いている。クリのイガが多い。見上げると、山側は広葉樹で転がって落ちてきたものだった。コアジサイはツボミ。コシアブラの幼木が多い。倒れたミズナラが道を塞ぐ。
朽ちたミズナラのある那須の東に出た。ここからスギ林下を那須へ下る。林間から集落の民家が見える。ジャノクラキビレへ上がる分岐を過ぎ、道が切れた崖を通過。ジグザグに下ると、ヤブツバキの花がたくさん落ちている。途中にある昭和51年の墓は落ち葉に埋もれていた。
錆びた鉄橋を渡り、車道に出た。水田は田植えの真っ最中だった。薄緑の春の芽吹きが山を覆う。ヤマザクラが小さい実を付けていた。エゴノキはツボミ。ウラオレ谷で顔を洗い、水を補給。風小屋林道を上がる。
シナノキがある。ウリカエデの果実が下がる。タッチの墓の前に小型のユニックが止まり、白い砂利が積み上げられていた。トウジュウロウ谷へ入る山道に、白い砂利が敷き詰められていた。ハウチワカエデの花が残る。林道終点のヤマナシの花はもう散っていた。
登山道に入ると、植林地下に作業道が見える。作業道はトウジュウロウ谷を渡って南へ延びている。石垣のある辺りはダーガハラと呼ぶ山田の跡である。小屋、炭焼き跡の横を通り、760m付近の石垣の前に出る。この辺りが山田の最上部で、それより上をハブセゴウと呼ぶ。
ウリカエデ |
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ハウチワカエデ |
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植林地の小谷を登ると、ヤグルマソウが群生していた。谷から急な小尾根を登る。ミヤマガマズミが咲いている。オオカメノキはまだツボミ。破線道の主尾根に出る。登っていくと植林道に変わる。ウリハダカエデの花穂がたくさん落ちている。ウリハダカエデが地面から葉をだしている。ユキザサは小さいツボミ。
ウリハダカエデの落ちた花穂がどこまでも続いていた。林道終点から1時間半ほどで藤十郎。倒木に腰掛けて一休み。ブナの道を西へ進む。クロモジ、アサノハカエデ、オオカメノキが咲く。エンレイソウ、バイケイソウ、ミヤマカタバミも咲く。
トウジュウロウから30分ほどで中三ツ倉。オオカメノキが多い。尾根の途中、本郷への展望がある。ユキザサが小さいツボミを付ける。15分ほどで奥三ツ倉。女鹿平山を望む。オオカメノキの白い花が目立つ。十方山の道標が見える。
アサノハカエデ |
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ウリハダカエデ |
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ユキザサ |
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ユキザサ |
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掘割は深く抉れて、柔らかくなっている。水源の谷にバイケイソウが伸びる。那須から3時間ほどで十方山。南の登山道を登ってくる人が見える。カメラに収め、北の登山口へ進む。ピンクのショウジョウバカマが咲く。北のピークから北尾根を下る。
倒れたウリハダカエデから花穂が出ている。ユキザサが多い。こちらの山道にもウリハダカエデの花穂が落ちている。1時間ほどで十方山登山口。道標には獅子ヶ谷登山口と書かれているが、北尾根の登山道は示されていない。八百ノ谷の滝を過ぎと林道工事の看板があり、「林道横川西平線改良工事 425万円」と書かれている。
キブシ、ウワミズザクラ、ナガバモミジイチゴ、ミツマタの花が咲く。30分ほどで二軒小屋。サバノ頭を見ながら進む。道路沿いの八重桜が満開。オオバヤシャブシに茶色の実。古屋敷橋を渡り、内黒峠へ上がる古い林道に入る。入口は猛烈な灌木の薮。
薮を抜けると、ワタン谷左岸の道にでるが、すぐに崩している。右岸に渡り石垣の道を進む。林道は笹薮になっている。ガマズミが咲く。ササ薮の中に直径1.5mほどのクマの休み場である円座があった。ササの上に枝が数本並べてあった。
ササが無い湿った所にタチカメバソウが群生していた。イヨキリ谷が崩れ、岩が覆っていた。大岩が林道を塞ぐ。岩に枯れ葉が引っ付いていたが、よく見ると蛾が留まっていた。谷が崩壊し、林道が消えていた。その先に新しいコンクリートの電柱が二本立っていた。電線もなく、使われている様子が無かった。
ササ薮を進み、オオ谷から上がる分岐に出る。分岐道もササ薮だった。分岐を過ぎると、ササ薮が少なくなり、枯れたススキ道に変わる。展望所の下を通り、車道に出た。展望所に腰掛けて一休み。砥石川山と聖山が見える。手前には中山。
古屋敷から2時間ほどで内黒峠。峠から市間山、立岩山、日の平山、右に藤十郎の峯が見える。ミズキの花芽が出ている。ヤマフジが咲く。道路沿いに長葉の濃い紫のスミレが多い。ウリハダカエデが花を下げる。ガマズミが多い。
遭難碑から作業道に入る。タキガ谷水源は倒木で埋まっていた。車道に戻る。オオキビレを下り、那須の上に出ると、集落に向かって電線が下りている。柴木谷の水源、ジャノクラキビレの辺りをオダラギと呼ぶ。作業道の横を通り、オオカメ谷の水源まで下ると、前方の視界が開ける。高鉢山、大平山の峯が見える。
オオバアサガラの花芽は小さい。下るにつれて、ミズキの花芽が大きくなっている。キブシは実に変わりつつある。タキガ谷入口に丸太が積んであった。オオカメ谷右岸に伐採された植林地の境界面に、真っすぐ伸びたスギの幹が林立している。
柴木林道分岐を過ぎる。ホオノキ、トチノキが咲いていた。小屋床橋を渡り、クロヤマ谷右岸を進むと、釣り人がいた。10cm余りのゴギを釣り上げた所だった。開けた所から本郷の街並みが見える。内黒峠から2時間ほどで出発点に帰着。
クロヤマ谷のゴギ |
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イワカガミ |
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イワカガミ |
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ミヤマガマズミ |
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オオカメノキ |
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オオカメノキ |
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ウスギヨウラク |
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ミヤマカタバミ |
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クロモジ |
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クロモジ |
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イカリソウ |
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クサイチゴ |
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ホウチャクソウ |
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コアジサイ |
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コハウチワカエデ |
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エンレイソウ |
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ウリハダカエデ |
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ウリハダカエデ |
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オオバアサガラ |
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ミズキ |
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スズシロソウ |
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■地名考
万葉集の「背向」
「背向」を「そがひ」と訓むことは、次の類歌二首較べることによって確かめられる。以下二首の原文。
吾背子乎 何處行目跡 辟竹之 背向尓宿之久
今思悔裳(1412番歌)
可奈思伊毛乎 伊都知由可米等 夜麻須氣乃
曽我比尓宿思久 伊麻之久夜思母(3577番歌)
この二首の「背向尓宿之久」「曽我比尓宿思久」は、どちらも「そがひにねしく」と読み、同句であり、3577番歌の方は仮名書きであるので、1412番歌の「背向」に相当する所に「曽我比」とあることによって、「背向」は「そがひ」と訓むことが明瞭に認められる。
「背向(そがひ)」は「うしろの方。背後。また、うしろむきであること」の意であるが、『日本国語大辞典』の補注は次のように記している。
(1)ソはセ(背)の母音交替形。「万葉集」には「背」「背向」などとも表記され、ソムカヒの縮約とみられる。多くの場合、「に」を伴って「見る」「寝る」といった動詞を修飾する。
(2)「前後」または「向かったり背にしたりする」意の漢語「背向」の翻訳語とみる説もある(河童老「万葉集を訓む」HPから)。
方言「ウラ」を「後ろ」の意とする地域
山形・茨城・山梨・栃木・群馬・埼玉・三河弁(愛知県東部)・丹波(兵庫県東部)・丹後
埼玉方言(裏と背)
うらが痒いから掻いて(背中を掻いて)
出雲弁(裏と向)
「うらむかい」「おらんこ」「おらみこー」
意味 向かい合った家
用例 まーず、あすこは、け、おらんこでよ けんくゎしてござー がの。
用例訳 まあ、あそこ(の家)は、もう、向かい同士でよく 喧嘩しておられる よね。
採取者 KEN[八雲]/【おらみこー】奥野[平田]/【うらむかい】児玉[横田]
ウラムカイ ウラムカ オラムカ オラミコー オランコ
背甲(せごう) 背。背中。手の甲、甲羅
背甲板背甲辺(セゴッペタ)
丸太を角材にする時に出る縁板
「名語記」(鎌倉時代の辞書)建治元年(1275)成立。
「いやしき物をせことなづく」とある。
向平と裏向
戸河内の那須地域に下地図のような地名がある。
向平(ムカイビラ) 那須地域の東端
裏向(ハブセゴウ) 那須地域の西
ムカイビラとハブセゴウは、集落を隔てた東西の、山の斜面の地名であり、対になっている。ハブセゴウは断面図から草刈り場である。
「裏向」は「セゴウ」と読むが、後ろの意と思われる。「背向」は万葉集では「ソカヒ」と読む。恐羅漢山の「ソカヒ」に共通する地名ではないか。「裏向」は「背向」ではないか。
ウラオレ谷は浦折谷と表す。裏と浦は同じ意と思われる。
恐羅漢山は「ソカヒ山」とも呼ぶ。
ソカヒ=背向であれば、「後ろ」の意である。
旧羅漢山と恐羅漢山が並ぶ
出雲弁
オッソ 後ろ(出雲・大田)
(用例 おっそから ぼいちゃげてくー)
(用例訳 後ろから 追いかけてくる)
ソカヒ+羅漢
後ろ+羅漢
オソ+羅漢
恐羅漢山は「後ろの羅漢山」の意。
オダラギ=ジャノクラキビレ付近の呼び名
オダラギ 伊方地方の方言に「タラノキ」の意
広島 タラオダラ=ハリギリ
和歌山・宮崎 オダラ=ハリギリ
三重・岡山 アオダラ=ハリギリ
静岡・三重 オダラ=タラノキ
山口・鹿児島 ダラギ=タラノキ
沖縄 ダラギ=ハリギリ
アイヌ語の「後ろ」
si-oka-un
シ・オカ・ウン
自分・の後・の方へ(萱野茂 アイヌ語辞書)
si-y-oka
シヨカ
自分・挿入音・の後(田村すず子 アイヌ語辞書)
si-okay-ne
シ・オカイ・ネ
自分の後の方(アイヌ語旭川方言)
知里幸恵アイヌ神謡集にある例。
sioka un inkaras awa
(後ふりかえって見ると)
taporowa sioka un aynu mosir cikohosari inkaras awa
(そこで後ふりかえって人間の世界の方を見ると)
この例から次の言葉が考えられる。
si-oka-hi
シ・オカ・ヒ(ソカヒ)
自分・の後・の所
アイヌ語では母音は二つ続くと、どちらかが省略される。
カシミール3Dデータ
総沿面距離28.9km
標高差1036m
区間沿面距離
恐羅漢公園線入口=県道252
↓ 6.0km
那須集落
↓ 6.3km
十方山
↓ 4.4km
二軒小屋
↓ 4.4km
内黒峠
↓ 7.8km
恐羅漢公園線入口
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