山歩き

容谷山…ヤブガ峠…右谷山…
ミノコシ峠 2017/12/3

寂地峡入口…オソ越…容谷山…ヤブガ峠…右谷山(茅帽子山)…ミノコシ峠…五竜の滝…寂地駐車場

■容谷山(ヨウタニヤマ・鉢の敷山・鉢の浴山)1031.5m:山口県玖珂郡錦町大字宇佐字ハチノエキ(点の記) (岩国市)
■茅帽子山(カヤボウシヤマ・右谷山)1233.9m:山口県錦町大字宇佐(点の記・点名:鳥庭) (岩国市)

高鉢山を望む 右
羅漢山を望む
鬼ヶ城山
ミツバチの巣箱
オソ越
石垣の山道
浦石峡の鉄橋
橋から植林地を登る
アカマツの尾根を登る
クマ糞
右谷山からカラスバ山への峯
ヒノキ林に入る
間伐の丸太を繋いだ山道
容谷山南の尾根道に出る
容谷山
鬼ヶ城山
ヤブガ峠
大将陣山と小五郎山
右谷山
横山と鬼ヶ城山 ミノコシ峠手前から
ミノコシ峠
ワサビ田跡 タイコ谷
クロナメラ左岸の石垣
橋を渡って右岸へ
チゲン谷の滝
水車小屋跡
左岸の落石
竜ケ滝入口は通行禁止
木馬トンネル
トンネルの分岐
岩の間から崖を下る
6:55 寂地峡駐車場 気温−1度 晴れ
 

7:25 オソ越
7:40 浦石峡の橋
9:40 尾根道へ
9:45 容谷山
10:10 木目の滝分岐
10:20 カリマタノの峠分岐
11:00 ヤブガ峠
12:00 右谷山(茅帽子山)
12:35 ミノコシ峠
13:15 クロナメラ
13:30 チゲン谷
14:25 木場トンネル
14:50 寂地峡駐車場 


 駐車場の気温はマイナス1度で冷える。明るくなったところで出発。駐車場から宇佐八幡宮の前に出ると、南側の段々畑の向こうに高鉢山が見える。八幡宮のカラマツが黄葉し、ビワが花を付けていた。畑のカキノキにたくさんの実が付いている。

 イデ谷が下りる平(ヒラキ)付近に進むと、羅漢山が見え、その左に黒滝山が見える。日当たりにヤマボクチが咲いている。鬼ヶ城山が目前に見える。ミツバチの巣箱が空地に並べてあった。

 オソ越の曲がり角は崩れていた。そこから山道に下りる。地形図に破線道があるが、これは山道のようだ。この道は石垣のある古道である。15分ほどで浦石峡を渡る鉄橋に出る。橋を渡ると、植林地の中を登る山道がある。小尾根まで登ると、浦石峡右岸に下りる山道が続いているが、そこから急な尾根を登る。

ビワ
カキノキ

 ヤブコウジが赤い実を付ける。アカマツの生える尾根を登る。イノシシが掘り返した跡が続く。振り返ると、右谷山から下りるカラスバ山の峯が見える。730m付近の尾根を塞ぐ岩を乗り越えると、比較的新しい大きいクマ糞があった。表面は黒っぽいが、割ってみると、中はクリーム色で6、7mmの種が一つ見えた。暖かい日にはまだ動き回っているようだ。

 ササ尾根を登る。ヒノキ林の境界尾根から、右谷山とそこから続く尾根にカラスバ山が見える。ササ尾根からヒノキ林に入る。ヒノキ林の尾根を登っていると、植林道の三叉路に出た。西側と尾根を登る道と、下る道に分かれていた。

 尾根を登る道はヒノキ林の中をジグザグに登る。道を示すピンクのテープが巻いてある。間伐の丸太を縦に並べて繋いだ道になっている。この山道を進むと容谷山の南の尾根に出た。刈られたササの葉が残る山道を進み、5分ほどで容谷山。

クマ糞 小さい種が見える
イノシシが掘り返したアカマツの根本
ヤブコウジ

 林の間から右谷山が見える。鬼ヶ城山が間近に見える。その左に大峯山が大きく見える。冠山の頭が覗く。北へ下る。15分ほどで木目の滝へ下りる分岐。1027ピークへ登る。右谷山から冠山へ続く峯が見える。

 ササが刈られた山道を進む。西側に小五郎山が見える。ほどなくカリマタノ峠へ下りる分岐。霰が降ったのか、氷状の粒が白く残っている。前方に964ピークが見える。容谷山から1時間余りでヤブガ峠。

 峠の道標に浦石峡まで1.5kmとある。峠から植林地を進む。木の階段を登る。鬼ヶ城山、横山が見える。登山道はウリハダカエデの落ち葉が覆っていた。振り返ると、小五郎山が見える。展望地に出ると、眼下に容谷山の峯が見え、小五郎山の間に大将陣山が見える。

マユミ
マユミ

 登山道を進むと、右側が植林地の右谷山が見える。ヤブガ峠から1時間ほどで右谷山。南側のササ尾根に踏み跡がある。休憩して尾根の登山道を進む。北のピークから下って行く。峠手前で南側が開け、鬼ヶ城山へ続く、長い尾根が見える。右谷山から30分ほどでミノコシ峠。

 峠の道標に駐車場まで100分とある。峠から少し下ると、マユミがピンクの実をたくさん付けていた。山道はタイコ谷を下る。谷にワサビ田跡の石積が残っている。クロナメラまで下ると、左岸に石垣がある。橋を渡り、右岸を進む。

 智元の丸子の東を通り、二つめの橋を渡る。しばらく進むと、チゲン谷の滝が見えてくる。お椀型をした釜が見える。以前、滝の上を遡上したことがあるが、緩やかな谷であった。途中、谷の岩で一休み。石垣を過ぎて、少し進むと渕があり、その先に、水車小屋跡の石垣がある。

シロダモ

 そこから少し進むと橋があり、右岸に渡る。さらに右岸から落ちる谷を渡る橋がある。少し進むと、崖に手摺の付いた遊歩道がつくられている。石垣を登り、谷沿いの山道を進む。シロダモに赤い実が付いていた。

 次の橋を左岸に渡る。橋の傍に巨石が落ちていた。そこからまもなく、竜ケ滝の登り口に出る。「落石あり通行禁止」となっていた。そこから橋を渡り、右岸を進む。ほどなく木馬トンネル。ライトを付けて割れ目の分岐に出る。Bコースの「五龍の滝」を下る。

 狭い岩の間から急崖を下る。眼下に竜頭滝の釜が見える。さらに竜門の滝へ下る。次は白竜の滝、最後に竜尾の滝で登竜の滝を見過ごした。ミノコシ峠から2時間掛かった。

ヤマボクチ
 
竜頭の滝
竜頭の滝
竜頭の滝
竜門の滝
白竜の滝
竜尾の滝



地名考

 島根県に秋鹿郡(アイカ)がある。

 出雲風土記に秋鹿郡があり、「秋鹿と名付けるわけは、郡家の正北に秋鹿日女命(あきかひめ)が鎮座していらっしゃる。だから秋鹿という」とある。

 「所以號秋鹿者、郡家正北秋鹿日女命坐。故云秋鹿矣」(出雲風土記原文)。

 「佐田大社之記」(1684年)によると、秋鹿は足日でアシカとも呼んでいたという。


 常陸風土記に遇鹿(あふか)、安布賀(あふか)、相鹿(あふか)がある。

 「助川の駅家(すけかはのうまや)あり。昔は遇鹿(あふか)と号(なづ)く」

 「伊多久(いたく)の郷(さと)・布都奈(ふつな)・波取武(はずむ)の野・安布賀(あふか)の邑(むら)」

 「田の里より南に相鹿(あふか)、大生(おほふ)の里がある」


 肥前国風土記、松浦郡条には、逢鹿駅(あふか)の起源を次のように伝承する。  
 
 気長足姫尊が道で鹿に会った故に逢鹿駅と名付けた。
 
 「曩者 気長足姫尊 欲征伐新羅 行幸之時 於此道路 有鹿遇之 因名遇鹿駅」(肥前国風土記)。

 整理すると次のようになる。

 島根県 
 秋鹿(アイカ、アシカ)

 茨城県
 遇鹿(アフカ)
 安布賀(アフカ)
 相鹿(アフカ)

 佐賀県
 逢鹿(アフカ)


 遇鹿、相鹿、はアイカとも読め、現在はアイカと読んでいる場合が多い。

 佐賀県相鹿はオウカ
 茨城県相賀はアイガ
 三重県相賀はアイガ

 島根県秋鹿は「アヒカ」とも表される。茨城県や佐賀県のように「アフカ」であった可能性がある。日本の東と西で「アフカ」と呼ぶ地名があったことから、他の地域でもアフカ地名があったと思われる。

 島根県の阿佐山の東に生家(オブカ)があり、周辺に縄文、弥生遺跡が多い。アフカはオフカに転訛する場合がある。平家ヶ岳の東にアイガエキ、ヤブガ谷の地名、三段峡にヤブガサコがある。


 狩人の言葉に、ヤブカケ(長野県上伊那郡)がある。

 この語は長野県上伊那郡から、南の愛知・静岡の山間部にかけて分布する。上伊那郡仙丈ヶ嶽の狩人は鹿、猪、羚羊(かもしか)などをとれば山で腹を出す。このとき胸の骨のところの軟らかいものを木の枝にかけて、山の神に進ぜるのをこの名で呼ぶ。

 こうして一度ヤブカケをし、山の神をまつった場所はそれから神のまします聖地と考えられるので、その後ここを通る猟師はかぶりものを脱いで、今日も獣を授けてくださいと拝んでいく。また他の猟師がヤブカケをした場所を知っていれば、自分のヤブカケと同じことをする(『民俗語彙データベース』)。

 マナバス サオシカ

 叉のない角を持つ若鹿を大分県の山村でこう呼ぶ。宮崎県西諸県郡狭野村付近でもマノバスといい、徳島県三好郡祖谷山(いややま)地方ではマナバシと呼ぶ。箸からの連想であろう。マナバスの角は落ちないものと考えられ、少くも今までにこの一本角を拾った者はないといわれる。大分県南海部郡因尾村(本庄村)ではこの鹿をサオシカ、二叉以上の角あるものをオオシカという。徳島県三好郡の山地では二歳鹿がニノマタ、三歳鹿を三ノマタ、大鹿をオオザンという(『民俗語彙データベース』)。

 ヤブガミ(民俗語彙)

 藪神。地主神などと似て、ふだんは目につかぬのに、突如崇をあらわしたりする神。奈良県南大和地方では、藪から出て子供を驚かす魔のようなものといい、愛媛県大三島では、十一月十五日は風の吹く日を、ヤブガミノアレといい、また同地では六月二十八日の山の神祭のときに、ヤブガミにも甘酒を供える(『民俗語彙データベース』)。

 ヤブ(マタギ語 阿仁)

 深雪。または雪をラッセルして山道をつけて進むこと

 アブキ(マタギ語 阿仁 四肢)
 アブケ(マタギ語 阿仁 クマの毛のこと)


 アイヌ語に以下がある。

 apka アプカ 雄鹿

 yapka ヤプカ 雄鹿

 アイヌ語地名

 アブカシャンベ沢 abuka 北海道
 (雄鹿・出る・川)

 アブカナイ川 abuka 北海道
 (雄鹿・川)


 ap アプ 釣針 (aw アゥ 木或いは鹿角の枝) 
           (aw で釣針を作った)
 ay アイ 矢、とげ、イラクサ、カジキマグロのツノ

 ap-ka アプ・カ 角・鹿

 ay-ka アイ・カ 角・鹿

 aw アゥ 木や鹿角の枝 kir-aw キラゥ=角

 yaw=aw ヤゥ


 高知県上折渡の地名 薮が峠(ヤブガトウ)

 島根方言
 アイタロウ・アイノウオ=アイゴ(アイ=棘)

 宮古方言アイミャン=アイゴ  

 青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島・富山・岐阜・岡山・宮崎 アイコ=ミヤマイラクサ


 今帰仁方言

 パイ pai 針
 ヤブー はり(鍼)(鍼灸をする人)
 ヤフー jahuu 櫂

 首里・那覇方言
 チンバーイ ciNbaai 金針の意。鍼。

 宮古方言
 ヤイ jay 槍


 寂地山はもともと「じゃくじ山」と平仮名でかかれいて、後に漢字を当てたものである。「寂地」としたため「ジャクチ」の呼び名が通用するようになった。

 「寂地山の入口にあたる宇佐の村里のすぐ横に竜ヶ懸崖(リュウガタキ)の尖峯があり山頂に祠がある。この祠はもともと、石神(ジャクジ)を祭ったものであり、それが山名になったものではなかろうか」(「西中国山地」桑原良敏)。

 柳田國男はミシャグジ=塞の神(サイノカミ)=境界の神であり、すなわち、大和民族と先住民がそれぞれの居住地に立てた一種の標識であると考察している(ウィキペディア)。

 ミシャグジはシャクジ(石神)ともいう。

 ミシャグジ信仰は東日本の広域に渡って分布しており、当初は主に石や樹木を依代とする神であったとされる。地域によっては時代を経るにつれて狩猟の神、そして蛇の姿をしている神という性質を持つようになったと言われている。信仰の分布域と重なる縄文時代の遺跡からミシャグジ神の御神体となっている物や依代とされている物と同じ物が出土している事や、マタギをはじめとする山人達から信仰されていたことからこの信仰が縄文時代から存在していたと考えられている(ウィキペディア)。

 古代、『常陸国風土記』行方郡条によれば、継体朝(507年〜531年)のとき、行方郡家の西の谷の葦原の開発に際し、麻多智が開墾すると夜刀神(蛇)の妨害にあったが、麻多智は武装し、夜刀神を追い払い、山谷の入り口に境の杖を立てて言った。

 「夜刀(やつ)の神に告げていひしく、此より上(かみ)は神の地と為すことを聴(ゆる)さむ。此より下は人の田と作(な)すべし…」(常陸風土記)。

 ヤマト勢力がヤツ(谷地)を開発し、境に標の杖を立てて、先住民を追い出そうとした。天皇の命令にしたがわないものは、クニツカミとして、先住民のリーダーを「蝦夷の賊首、嶋津神、国津神」(『書記』)とよんだ。先住民は古墳時代になっても、縄文時代の生活を続けていた。

 ヤブガ峠の西にはカリマタノ峠がある。北の三葛には、マタギの慣習に似た「熊祭り」の風習が残っていた。寂地山、ガクガク山、大神ヶ岳、五里山には、マタギにつながる古い地名が残っている。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離12.8km
標高差768m

区間沿面距離
寂地峡駐車場
↓ 2.1km
浦石峡の橋
↓ 1.8km
容谷山
↓ 1.8km
ヤブガ峠
↓ 2.5km
ミノコシ峠
↓ 4.6km
寂地峡駐車場
 

右谷山、カラスバ山、横吹山
鬼ヶ城山 右谷山から
右谷山、大将陣山、小五郎山
ミノコシ峠から見た鬼ヶ城山
竜頭の滝
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)