山歩き

押ヶ垰…ジャノクラキビレ…内黒峠…那須集落
2017/5/7

坂根東…押ヶ垰…坂根…鳥越キビレ…那須古道…ジャノクラキビレ…内黒峠…那須集落…坂根東

■ジャノクラ 786.1m:広島県山県郡戸河内町字那須(点名:蛇ノ倉)(安芸太田町)

車道を進む
坂根谷
打梨小跡
県道から押ヶ垰集落へ入る坂
集落から立岩ダムを望む
集落から植林地に入る
押ヶ垰断層鞍部
山道の石垣
山道は石積の間を通る
669P西の断層鞍部
白井谷の左谷を渡る
白井谷の右谷の右側のガレ場を登る
四つ目の断層鞍部
石垣の間を通る
サカネ谷右岸から見た民家
サカネ谷奥の岩壁を望む
荒れているツリンボウノ谷入口
石垣の横を通る
ツリンボウノ谷断層鞍部
イデガ谷の右谷で道が消失
鳥越キビレに上がる谷の左岸の山道
鳥越キビレ
倒木のトリゴエ谷を下る
左岸の石垣の上に出る
車道に出る
那須川を渡る
那須川左岸の石垣
下の古道の石積
中の古道
上の古道
蛇ノ倉三角点
ジャノクラキビレから延びる電線は県道を越えて北側の尾根へ
札場の遭難碑
遭難碑の横から作業道が入る
内黒峠手前から立岩山を望む
植林地を下り石垣に出る
岩止堰堤
那須滝
6:05 坂根東 気温12度 晴れ
 

7:00 押ヶ垰集落
7:10 押ヶ垰鞍部A
7:35 669P西鞍部B
8:35 断層鞍部C
9:10 坂根
10:00 ツリンボウノ谷鞍部D
10:30 鳥越キビレE
11:15 トリゴエ谷入口
11:30 不明の古道
11:45 大古屋への古道
12:00 遊井への古道
12:40 蛇ノ倉三角点
12:45 県道 
13:20 遭難碑(札場)
13:40 内黒峠
14:50 那須集落
15:45 坂根東


 坂根東の鉄塔下の駐車地点を出発。県道を進むと、交通事故犠牲者の冥福を祈る地蔵堂がある。道路沿いにシャクが多く、川岸にツツジが咲く。コガクウツギが咲き始めている。ミツバウツギは先週と同じようにツボミのままだが、よく見るとツボミのまま枯れ始めている。

 坂根谷を渡り、民家を過ぎると打梨小学校跡がある。昭和3年11月の石碑がある。オニグルミの赤い雌花が出ていた。ハウチワカエデが花を下げる。イワガラミはツボミ。1時間ほどで押ヶ垰集落。

 石垣沿いの坂を登って集落に入る。段々の石垣の中に数軒の家屋が点在している。一番上の民家の横を通って、スギの植林地に入る。クサイチゴの花がたくさん咲いている。林地下はチゴユリの花が多い。10分ほどで、南から数えて二つ目の断層鞍部に出る。

県道の地蔵堂
打梨小 昭和3年の碑
チゴユリ

 押ヶ垰断層帯の断層鞍部=ケルンコルは、那須集落までに6つある。一つ目は立岩ダム西ののカヤノガ峠。鞍部から山道が山腹に続いている。植林地の山道を進む。小谷の先の倒木を越えると、石垣があった。

 山道を進むと、ゴーロの先に石積があった。石積と石積の間を山道が通っている。イタヤカエデがあり、周辺には大きいケヤキが多い。そこから少し進むとサワグルミの大きい株立ちの木がある。押ヶ垰鞍部から30分ほどで、669ピーク西の鞍部。壊れた碍子が転がっていた。

 山道はアカマツの多い山腹を通っている。岩が多い白井谷の左谷を渡る。白井谷の右谷の奥で山道が崩壊していた。少し引き返して谷へ下りる。崩壊地点の下まで来ると、左右の谷が崩壊していた。右側のガレを登り、山道に上がった。

クルマバソウ
マツカサの食痕=エビフライ

 山道を進み、ゴーロを過ぎた、アカマツの林に、マツカサの食痕が落ちていた。アカマツの多い、四つ目の断層鞍部に出る。明るいアカマツ林から、コゴヤの左岸を回る植林地を下りる。山道は石垣の間を通る。植林地となった棚田跡の山道を下り、サカネ谷に出た。右岸、左岸に階段があり、谷の渡り場だったようだ。

 谷を渡ると、坂根集落の一番上に出る。山を見上げると、サカネ谷の奥に岸壁が見える。民家に植えてあるキウイの花芽が大きく膨らんでいた。車道を下って振り返ると、山の岩壁が大きく見えた。

 車道からツリンボウノ谷へ入る。入口付近の山道は倒木と崩壊で荒れている。左岸に渡り、植林地の山道を登る。木橋を渡り、少し進むと石垣がある。棚田跡の植林地を登る。断層鞍部へ登る道に小さい石柱がある。そこから登って植林地の断層鞍部に出る。

ハナイカダ
ハナイカダ

 鞍部から山道を進み、イデガ谷の右谷の所で道が消失。鳥越キビレへ登る谷へ入り、倒木を避けて左岸を登ると山道に出た。D鞍部から30分ほどで鳥越キビレ。鳥越の断層鞍部から山道はトリゴエ谷へ下る。谷の分岐まで下りると山道は消失した。

 トリゴエ谷を下る。ヤグルマソウが群生している。所々踏み跡がある。左岸に石垣が見えたので、そこへ上がる。水田跡の石垣のある山道を下り、車道のあるトリゴエ谷入口に出た。

 飛び石伝いに那須川を渡る。那須川左岸にも、水田跡の石垣がある。石垣の間を通り、尾根に取り付く。570m付近に石積のある古道が通っていた。上を通る二つの古道とは別の古道のようだ。

ミヤマガマズミ

 さらに尾根を登り、大古屋へ通る古道に出る。さらに尾根を進み、横川分岐を経て遊井に向かう古道に出る。岩に座り込んで休んでいると、12時の鐘が鳴った。広葉樹の林を登る。登るに連れてアカマツが多くなる。車道から1時間半ほどでジャノクラ三角点。ガマズミの花が咲いていた。

 ピークを下り、ジャノクラキビレに下りる。「西中国山地」の地図では車道がキビレを通っている。このキビレに県道から電線が下りて電柱が立っている。何のための電柱か分からなかった。県道に上がって見ると、キビレへ下りる電線は県道の電線とは別で、県道から北側の尾根に延びていた。

 県道を進む。道沿いにクロモジ、キブシがある。札場の遭難碑の横から新しい作業道が入っていた。作業道はナカノ谷水源の方に延びていた。内黒山の南に下りる小谷に水場があり、その横から階段が上がっている。県道に出てから1時間ほどで内黒峠手前の、那須に下りる地点に到着。

ウリハダカエデ

 県道から市間山、立岩山、日の平山、大井原山の峯が見える。県道から坂道にロープが下りている。下っていくと錆色の水が溜まっており、そこに筵が敷いてある。それを越えて、植林地の中の山道を下る。ソトグロ谷水源からイタホシ谷水源に移る所で山道が崩れていた。

 イタホシ谷をしばらく下ると棚田跡の石垣がある。さらに下ると、岩止めの新しい大堰堤が作られていた。堰堤の看板に「井出ヶ谷川支川通常砂防堰堤」とある。イタホシ谷、ソトグロ谷の下流は井出ヶ谷とも呼ぶようだ。

 堰堤から作業道を下ると、津波橋に出る。さらに下って、ウラオレ橋で一服し、顔を洗った。那須小跡を通り、車道を下る。川沿いにミツバウツギが咲く。那須滝を過ぎると、川の流れは緩やかになる。那須橋からハチガ谷の頭が見える。那須から1時間ほどで出発点に帰着。

 

キシツツジ
キシツツジ
イワガラミ
オニグルミ
シャク
ヤマブキ
コガクウツギ
エンレイソウ
ツリバナ
ホウチャクソウ
ユズリハ
ヤマフジ
ツタウルシ
ヒメレンゲ
キウイ
ヤグルマソウ
キブシ

 

地名考

 「<クビレ・キビレ>もこの地域特有な方言で、尾根の鞍部の意である。古くから使われており、『防長地下上申』宇佐郷村の境目書にも出てくるし、『戸河内森原家手鑑帳』(1713年・正徳5年)の他村境覚書の項にもある。内黒峠は<大くびれ>と呼ばれていた。

 現在も戸河内町横川で使われており周辺に<夏焼のキビレ>、<ボーギのキビレ>、<カマのキビレ>の呼称がある。ここでは

 クビレ→キビレ 

と訛っているが、広島県西部、島根県西部地方では、結ぶことをくびる→きびるという転訛の事例があるように、ク→キと訛っている場合が多い

 <ボーギのキビレ>は、榜木の立ててある鞍部の意であるが、この鞍部には必ず径が通じていたので、国境の峠の別称と理解してよい」(「西中国山地」桑原良敏)。


 西中国山地では他に、アカゴウキビレ、オオキビレ、カザゴヤキビレ、ケンノジキビレ、ジャノクラキビレ、ジョシのキビレ、バーのキビレ、十文字キビレなどがあり、クビレは、ホンゾウのクビレ、七人小屋のクビレ、三ノ谷クビレなどの地名がある。


 関東の奥多摩町の奥の奥秩父連峰にクビレ地名が多い。

 鞘口ノクビレ、大クビレ、大京谷クビレ、梯子坂ノクビレ、巳ノ戸ノ大クビレ、クタシノクビレ(秩父市)などがあり、いずれも山の鞍部の地名である。

 秋田県湯沢市に大クビレがある。

 上クビレ沢(カミクビレサワ)は山形県西川町にある。

 クビレ地名は西中国山地だけではないようだ。


 峠データベースに久比里坂(クビリサカ)がある。横須賀三浦半島の端にある峠名である。クビリサカは古い地名のようだ。

 「◯小名 …△久比里村南の惣名なり、元祿の改には西浦賀村之内久比里村と載す、相傳ふ鎭守若宮社に納むる石より地名起れり」(「新編相模国風土記稿」1841年)。

 鹿児島市に喜入の地名がある。

 「喜入」(キイレ)の名は、1414年島津久豊がこの地で上げた戦勝を祝して給黎を「喜入」と改めたのが最初です(鹿児島市喜入町HP)。

 給黎郡は『和名抄』によると、「岐比礼」と読み「給黎郷」の一郡一郷だった。給黎郡創設は646年とあります。

 『きひれ 給黎(薩郡)岐比礼《キヒレ》 給《キフ》ヲ「キヒ」ニ用ヒタリ』(「地名字音転用例」本居宣長)とあり、喜入は元々、「キヒレ」と呼んだようだ。

 喜入町は、鹿児島市の南に位置し、錦江湾沿いに南北16km、東西6.2kmと長細い地形を成しています。また16kmに及ぶ長い海岸線は、沖合い1.5kmまで遠浅となっています(喜入町HP)。


 「クビリ」は沖縄では坂の意である。

 イシクビリ 石のある坂(首里・那覇方言)

 ミーマクビリ 嶺間・坂(首里台地北側の地名)

 『フィラ /hwira/ 1 (名詞) 「猶追ひて黄泉比良坂の坂本に到る時に(古事記上巻) の「比良」と関係ある語かと思われ、「比良」もまた坂の意であったかと思われる。また、ヌファヌ イシクビリ nuhwanuqqisikubiri[伊野波の石くびり] 、語の語末の部分と関係あるか。 ミニマクビリ minimakubiri [みにまくびり]など。なお、サクフィラ  sakuhwira(急な坂) という語もある。サカ(坂)にフィラを使用する際は、ウリをつけてウリビラとする。アイヌ語や古朝鮮語のピラに関連する語と考えられる』(首里・那覇方言データベース)。


 沖永良部島の喜美留(キビル)は、薩摩藩統治時代には、「木枇留」(キビル)と表していた。キビルは島の東側の平地にある。


 クビレ、キビレの地名は中国地方だけでなく、各地に点在している。かつては共通語であったものが、これらの地に残ったのか、あるいは別の理由なのか。


 アイヌ語では次のような地名、方言がある。

 ri-kipir
 リ・キピリ
 高い・崖(力昼=リキビル)北海道

 ho-kipir
 ホ・キピリ
 川尻・崖(濃昼=ゴキピル)北海道

 atuy teksama kipir
 アトィ・テクサマ・キピリ
 海・辺の・崖(旭川方言)

 atuy sama kipir
 アトィ・サマ・キピリ
 海・辺の・崖(旭川方言)

 kipiri
 キピリ
 丘(小山)(木のない丘)(樺太方言)


 アイヌ語小辞典には以下のようにある。

 kipir キピル 
 kipiri キピリ

 @水際からそそり立っている崖
 A海岸の砂丘=hunki フンキ(北見地方)

 kipir → kip-ir (額・ひとつづきのもの)

 kipiri-ka キピリカ 海岸段丘の上の平地


 沖永良部島の喜美留(キビル)、鹿児島市の喜入(給黎、岐比礼=キイレ)は、海岸沿いの平地地形であり、アイヌ語 kipir (海岸の砂丘、丘)に近い地形と思われる。

 沖縄のクビリは坂の意味があり、万葉集には坂は峠の意として使用されている。

 万葉集(歌番号・原文・訓読)
 3192 三坂越(み坂越ゆ)
 3442 欲妣左賀 古要(呼坂越え)
 3477 欲婢佐可 古要(呼坂越え)
 3523 佐可故要(坂越え)
 3962 山坂古延(山坂越え)
 4154 山坂<超>(山坂越え)


 中国地方のキビレ、クビレ、沖縄のクビリ、横須賀のクビリサカ、奥秩父のクビレ地名などは、アイヌ語 kipir =砂丘、丘と関連ある地名であるかもしれない。


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カシミール3Dデータ

総沿面距離17.6km
標高差590m

区間沿面距離
坂根東
↓ 2.7km
押ヶ垰集落
↓ 5.3km
トリゴエ谷入口
↓ 3.9km
内黒峠
↓ 2.6km
那須集落
↓ 3.1km
坂根東
 

峠データベースHP 「坂」を含み「峠」を含まない1750件の内の1−999件の分布(〜坂の地名)
峠データベースHP 「坂」を含み「峠」を含まない1750件の内の1000−1750件の分布(〜坂の地名)
 
内黒峠手前から立岩山を望む
井出ヶ谷川支川通常砂防堰堤=イタホシ谷
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)