山歩き

恐羅漢山…焼杉山…ボーギノキビレ…京ツカ山
2017/3/19

二軒小屋…恐羅漢山…旧羅漢山…ケンノジキビレ…焼杉山…ボーギノキビレ…京ツカ山…十方山林道…二軒小屋

■恐羅漢山(オソラカンザン)1346.4m:広島県山県郡戸河内町横川(点の記) (安芸太田町)
■旧羅漢山(キュウラカンザン)1334m:広島県山県郡戸河内町横川 (安芸太田町)
■焼杉山(ヤケスギヤマ)1225.2m:島根県美濃郡匹見町大字匹見字広見 (益田市)
■京ツカ山(キョウツカヤマ)1129.7m:島根県美濃郡匹見町大字匹見字広見 (益田市)

暗闇のゲレンデに入る
圧雪されたゲレンデ
ゲレンデの雪穴
空は薄赤くなる 5:40
西の空に半月
牛小屋を望む
砥石川山を望む
ゲレンデ上方を見る
十方山を望む
ゲレンデトップ
内黒峠の上に日の出 6:25
恐羅漢山
恐羅漢山北方向を望む
恐羅漢山山頂と日の出
旧羅漢山に進む
恐羅漢山南面から見た十方山
平太小屋原のスギ林を通る
旧羅漢山
広見山、半四郎山を望む
旧羅漢山南面から十方山を望む
旧羅漢山南面から焼杉山、五里山を見る
スギ林のスキー跡を辿る
ケンノジキビレの雪穴
焼杉山北面から見た旧羅漢山
焼杉山北面から見た十方山
焼杉山
ミズナラのクマ棚
焼杉山南面のブナ
焼杉山南面から冠山を望む
焼杉山南面から五里山方向を望む
ボーギのキビレ
1168P北面の大スギ
1168Pから冠山を望む
京ツカ山が近づく
トリゴエ谷水源
京ツカ山
京ツカ山南面から1158Pを望む
下山林道峠を見ながら1076P南東尾根を下る
南東尾根から丸子頭が見える
眼下に細見谷が見える
トリゴエ谷右岸に下りる
林道の西へカンジキ跡が続いていた
トリゴエ谷落口付近の細見谷
小川のようになった十方山林道
雪多い十方山林道
下山橋
焼杉山から靴跡が下りていた ナメラ渕上ノ谷上流
水越峠からスキー跡が続く
二軒小屋
4:45 二軒小屋 晴れ 気温−4度

6:20 ゲレンデトップ
6:40 恐羅漢山
7:10 旧羅漢山
8:15 ケンノジキビレ
9:00 焼杉山
9:55 ボーギノキビレ
11:00 1168P
11:25 京ツカ山
11:45 1076P
13:00 十方林道
14:50 下山橋
16:05 水越峠
16:20 十方山登山口
16:55 二軒小屋

 二軒小屋駐車場を出発。気温マイナス4度だが、風がなく寒くはない。スキー場へ上がる車道を進むと、何台か車が上がって行く。スキー場下の駐車場にはエンジン音のある車がすでに駐車している。

 西の空に半月が光るが、ゲレンデは暗闇だった。7年前はブルーにライトアップされていたのだが。ゲレンデは波板状に圧雪されている。滑り止めを付けてゲレンデを登る。傾斜が緩い所は登れるが、傾斜がきつくなると滑り止めが利かない。圧雪ゲレンデの端を歩く。

 ゲレンデの端の雪に穴が空いていた。5時半過ぎ、ヒエハタ尾根の緩斜面で一休み。南の空が赤みを帯び始める。内黒峠を下ってくる車のライトが見える。6時前には薄明るくなる。西側の林の中に半月が輝く。

ゲレンデトップの小屋

 時々、眼下の牛小屋や砥石川山を振り返りながら登る。ブナ板リフトの西側に出ると、十方山が見える。リフト最上部のゲレンデに出た。山側に「滑走禁止」の立札がある。ゲレンデを見下ろす小屋の横に座り込んでコーヒータイムにした。恐羅漢スキー場のホームページでは毎朝6時の積雪情報が載っているが、6時ごろ人が上がってくる様子がなかった(19日6時の積雪は155cm)。

 コーヒーを飲んでいると、内黒峠の上の方、灰色の雲の中に橙の点が見え始めた。点は段々と大きくなっていく。ゲレンデトップから頂上に向かう足跡を登る。太陽は雲を抜けて金色に輝き始める。

日の出前 トップから眼下を望む
トップから見た日の出
山腹から見た日の出
恐羅漢山

 北側の峯々は靄がかかって薄いシルエットになっている。山頂に着く頃には太陽は雲の上にあがっていた。道標は頭をだしているが、山頂岩はまだ雪の下だった。西側を見ると、半四郎山、広見山が白い頭を出している。

 スノーシューの跡を辿り、雪の尾根を南へ進む。右手に広見山が見える。左側が空け、十方山が見える。旧羅漢山を見ながら平太小屋原の鞍部に下る。スギ林を通り、大岩のある旧羅漢山に出る。道標が雪の中に見える。

旧羅漢山の道標
春日山
半四郎山、広見山

 西端に立つと、旧羅漢山から広見山、半四郎山へ続く尾根が眼下に延びる。広見山の右手に春日山が見える。旧羅漢山からスキー跡を南へ進む。十方山とその長い南西尾根が見えてくる。踏み跡に靴が抜けた雪の深い穴があった。

 焼杉山が見える開地で休憩した。雪が覆う大岩にツララが下がっていた。少し進むと、京ツカ山、五里山方向への展望が開ける。霞んでいるが冠山が見える。南の尾根のスギ林へ下る。スキー跡がスギ林の中を通っている。

  途中から踏み跡を離れ、ケンノジキビレに向けて下る。リョウブの雪原を進む。キハダの実が枝に残っている。殻が割れたリョウブの実が多くぶら下がっている。右手に広見山、半四郎山が見える。実が残るキハダの木が多い。

キハダ ケンノジキビレ東
キハダ
リョウブ

 鞍部に下りると雪原に穴が開き、地面が現れていた。旧羅漢山から1時間ほどでケンノジキビレ。緩やかに登る南面の雪は柔らかい。ブナが多くなる。1201ピークに座り込んで、旧羅漢山を眺めながら一休み。

 ピークから少し下って登る。キツネとウサギの足跡が交差する。十方山が見えてくる。振り返ると旧羅漢山が見える。ウサギの糞が転がっていった。焼杉山北面のブナの所に出る。十方山が見渡せるようになる。旧羅漢山から2時間ほどで焼杉山。三角点は深い雪の下だった。

焼杉山北面のブナ
焼杉山南面の4.2mブナ

 十方山を見ながら、この付近では一番大きい周囲4.2mブナに寄る。小枝が少なく明らかに弱っていた。隣の若いブナと比べると一目瞭然。幹の下は空洞で、そろそろ寿命かもしれない。

 南面に進むと、ミズナラにクマ棚が多くなる。ここから細見谷の下山橋に向かって下りる尾根にもクマ棚が多いので、この付近はクマの生息密度の高い所と思われる。幹にくっきりとした爪痕があった。

折られたミズナラの枝
ミズナラの爪痕
スギの皮剥ぎ
ツルアジサイの花殻

 スギ林を通ると、樹皮が剝がされていた。かなり上の方も剥げていた。ネズミによるものだろうか。幹に絡みついたツルアジサイの実・花殻が上の方までたくさん残っている。尾根を西よりに下ると展望が良い。冠山が大分近づいてきた。ヨゴウ谷水源は雪原を割り込んでいる。

 植林地境界を下る。ヤマドリの足跡が横切る。焼杉山から1時間ほどでボーギのキビレ。カンジキ跡が南側の尾根からマゴクロウ谷へ下りていた。五里山方面から横川越へ下りてきた踏み跡だった。

ヨゴウ谷水源
ヤマドリの足跡
カンジキ跡がマゴクロウ谷へ下りる
ツルアジサイ

 キビレから南尾根の踏み跡を辿る。ブナの尾根を進む。1078ピークを通り、さらに進んで振り返ると焼杉山が見える。東側にバーのキビレが見える。ツルアジサイの花殻やキハダの実が落ちている。

 大スギを過ぎて焼杉山を振り返る。1168ピークに出ると冠山が大分鮮明に見えてきた。十方山南西尾根のバーのキビレの向こうに立岩山、南西尾根の端に女鹿平山が見える。

 広い尾根を進む。リョウブの実が多い。踏み跡はスギ林を通り、さらに続く。京ツカ山が見えてくる。冠山も見える。トリゴエ谷水源を通り、焼杉山から2時間半ほどで京ツカ山。広い平坦地で展望がない。アセビが蕾をたくさんつけていた。

京ツカ山のアセビ

 緩やかな尾根を下ると1158ピークが見える。その右手に小郷山が見える。大分下った所で、緑の葉が目立つ木があった。よく見ると、ツルマサキが巻き付いていた。1076ピークを通り、ブナを過ぎると、山腹のブナにクマ棚が残っていた。

 カンジキの跡は1158ピークへ向かっていた。ここで踏み跡に分かれ南東尾根を下る。ミズナラにクマ棚があった。前方に下山林道峠を見て、ブナの小尾根を下る。大きいブナが多い。下って行くと西側はスギ林になる。

ツルマサキ
ブナのクマ棚
ミズナラのクマ棚
南東尾根のブナ

 細見谷の上流側に丸子頭が見える。眼下に雪で覆われた細見谷の広い河川地が見える。高度が下がると、ササが目立つようになる。急坂を下り、トリゴエ谷右岸に下りた。十方山林道は深い雪に覆われていた。尾根にあったカンジキ跡が林道に続いていた。

 細見谷の両岸にはまだ深い雪が覆っていた。雪で覆われた林道を進む。林道はところどころ水流で割れて、小川のようになっている。ケヤキ原のワサビ田は柵が設置され拡大されたように見える。ワサビ田上流の堰堤直下に魚影が多く見られた。

 マゴクロウ谷右岸から踏み跡が下りていた。下山橋が見える。橋は深い雪に覆われていた。ナメラ渕上ノ谷の先の尾根から新しい靴跡が下りていた。焼杉山を下ったものだろう。踏み跡を辿る。

 踏み跡がケンノジ谷へ入っていた所で分かれ、キンカネリの小谷に入る。急坂を登り、靴跡のある林道に出て水越峠。十方山林道に下りてから3時間ほどかかった。水越峠からスキー跡も加わった。

 旧羅漢山登山口からも踏み跡が下りていた。十方山登山口にも踏み跡がある。踏み跡の多い林道を進む。横川川は2週間前と変わらず深い雪が残っていた。十方山登山口から30分ほどで二軒小屋に帰着。

トリゴエ谷落口
細見谷ケヤキ原
長者原上ノ谷
下山橋
細見谷ナメラ渕下流



地名考

 「恐羅漢山という山名は、広島県戸河内町の呼称である。『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)の他村境覚書きにおそらかん山≠ニあるのが初見と思われる」(西中国山地)。

 「『芸藩通志』(1825年)の戸河内村絵図にヲソラカン山≠ニあり、山林の項の十方山の所に『一に西十方をおそらかん山とよぶ、日本興地図に、石見界に高山そかひ山としるすは、おそらかんのことなるべし』とあるのはよく知られている」(「前同」)。

 「旧羅漢山は、広島県側横川の呼称である。いつの頃からこう呼ばれ出したか明らかでない。吉和村側では西十方と呼んでいた。『芸藩通志』の佐伯郡の山林の項にあり、吉和村の三浦一介所蔵『吉和村絵図』(江戸末期)にも、はっきり十方山と西十方山がわけて画かれている」(前同)。

 「西中国山地」にある、恐羅漢山と旧羅漢山の山名の初見と変遷は以下のとおりで、大亀谷山は匹見側の呼称である。

 恐羅漢山

 明治21年 大亀谷山 陸軍局測量部
 大正12年 大亀谷山 島根県史
 大正14年 大亀谷山 石見誌

 1715年 おそらかん山 戸河内森原家手鏡帳
 1738年 おそらかん山 申定鈩山約束之事
 1819年 オソラカン 書出帳・戸河内村
 1825年 ヲソラカン山 芸藩通志
 
 1825年 そかひ山 芸藩通史志(日本興地図引用)
 1834年 ソカヒ山 大日本興地便覧
 1837年 ソカヒ山 国郡全図

 旧羅漢山

 1825年 西十方山 芸藩通志
 江戸末期 西十方 吉和村絵図
 匹見町史
 (匹見町の人々は匹見羅漢)

 ソカヒ山は戸河内の呼称である。江戸期の安芸国の絵図にソカヒ山があるが、石見国の絵図には見られない。

 『国郡全図』安芸国(1837年)を見ると、八幡原の上に柴木川が通り、石見国境の二つの山の先の恐羅漢山付近にソカヒ山が描かれている。

 二つの山は高岳と聖山と思われる。二つの山の左に長谷の地名が見られる。この付近の長谷と呼ぶ地名は、樽床にナガ谷があり、山林名の長谷(818三角点)がある。

 恐羅漢山から俯瞰すると、十方山から内黒山へ続く峯が障壁となり、戸河内の里は見えない。恐羅漢山を戸河内から見た場合、障壁の後にある山なので、見えない。

『大日本與地便覧』安芸国 1834年
戸河内と底見の間にソカヒ山
(神戸大HP)
『国郡全図』安芸国 1837年
底見と八幡原の上にソカヒ山

(神戸大HP)


 万葉集に「そがひ」を含む歌が12首ある。

 『万葉集の解釈において未だ定説をみない語句の一つに「そがひ」がある。集中に12例を数え、曽我比(6例)、背向(3例)、背(2例)、背匕(1例)の4つの表記法がある』(『万葉集の「そがひ」に関する若干の考察』藤田富士夫)。

 以下のように、原文に「曽我比」を含む歌が6首あり、東歌が2首、ほかに富山、北陸、出雲の歌である。「背」を含む歌は大和地方にみられる。「曽我比」は古い用例で、後に「背」の字を当てたのではないか。


 万葉集歌(番号順)の「そがひ」を含む歌

357 背向尓所見(そがいにみゆる) 兵庫
 (山部赤人 724−736に生存)

358 背尓見乍(そがいにみつつ) 兵庫・淡路
 (山部赤人)

460 背向尓見乍(そがいにみつつ) 大和=奈良
 (大伴坂上郎女 700前後〜750以後)

509 背尓見管(そがいにみつつ) 淡路
 (丹比真人笠麻呂 大宝‐和銅=701−715)

917 背匕尓所見(そがいにみゆる) 紀州 和歌山
 (神龜元年=724年)

1412 背向尓宿之久(そがいにねしく)
 (
東歌に似た歌あり 作者未詳)

3391 曽我比尓美由流(そがいにみゆる) 筑波山
 (東歌 作者未詳)

3577 曽我比尓宿思久(そがいにねしく)
 (東歌 作者未詳)

4003 曽我比尓見由流(そがいにみゆる) 富山 剣岳
 (大伴地主 738−757頃に記録)

4011 曽我比尓見都追(そがいにみつつ) 富山 高岡
 (大伴家持 718−785)

4207 曽我比尓所見(そがいにみゆる) 北陸
 (大友家持)

4472 曽我比尓美都々(そがいにみつつ) 出雲
 (安宿奈杼麻呂 756年に記録)


 広辞苑に「背向」(そがい・そがひ)がある。@背を向かい合わせること。背中合せ。Aうしろの方。後方。背面とある。

 ソカヒ山は山名ではなく、戸河内の里から見て、後方にある山の意と考えることができる。 


 次のようなアイヌ語がある。

 si-oka-un
 シ・オカ・ウン
 自分・の後・の方へ(萱野茂 アイヌ語辞書)

 si-y-oka
 シヨカ
 自分・挿入音・の後(田村すず子 アイヌ語辞書)

 si-okay-ne
 シ・オカイ・ネ
 自分の後の方(アイヌ語旭川方言)

 知里幸恵アイヌ神謡集にある例。
 sioka un inkaras awa 
 (後ふりかえって見ると)
 taporowa sioka un aynu mosir cikohosari inkaras awa
 (そこで後ふりかえって人間の世界の方を見ると)

 この例から次の言葉が考えられる。
 si-oka-hi
 シ・オカ・ヒ(ソカヒ)
 自分・の後・の所

 アイヌ語では母音は二つ続くと、どちらかが省略される。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離20.0km
標高差569m

区間沿面距離
二軒小屋
↓ 3.0km
恐羅漢山
↓ 3.5km
焼杉山
↓ 3.9km
京ツカ山
↓ 2.0km
十方林道
↓ 7.6km
二軒小屋
 

 
 
 
 
ゲレンデから見た十方山
内黒峠上部の日の出
山頂から見た日の出
恐羅漢山南面から見た十方山
旧羅漢山から見た半四郎山、広見山
焼杉山北面から見た旧羅漢山
焼杉山北面のブナ
焼杉山南面4.2mブナ
焼杉山南面から五里山への峯を望む
1168P北面から見た十方山
1168Pから見た冠山
京ツカ山から見た1158P
細見谷ケヤキ原
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)