山歩き

毛無山…阿佐山…三ツ石山…天狗石山
2016/12/3

登山口…姥御前神社…毛無山…横吹峠…阿佐山…早水越…三ツ石山…天狗石山…ホン峠…乳母御前神社

■毛無山(ケナシヤマ)1082.5m:広島県山県郡芸北町大字大暮字毛無山(点の記・毛無山) 北広島町
■阿佐山(アサヤマ・ドウゲン山)1218.2m:広島県山県郡芸北町大字大暮字阿佐山(点の記・阿佐山) 北広島町
■1090.6m三角点:島根県那賀郡旭町大字市木字畳山(点の記・深山=フカヤマ) 浜田市
■三ツ石山(ミツイシヤマ)1163.4m:島根県那賀郡旭町大字市木字畑平(点の記・三石山) 浜田市
■天狗石山(テングイシヤマ)1191.8m:広島県山県郡芸北町大字大暮字天狗石(点の記・天狗山) 北広島町

毛無山登山口
登山道に小屋が並ぶ
姥御前神社
山道にイノシシの掘った跡が続く
車道を横切って山道へ
カタジ谷を渡って山へ入るイノシシ
植林地に日が差し始める
毛無山のブナ
毛無山
横吹峠
横吹峠北のブナ
二十丁峠
阿佐山
阿佐山から見える雲海
ツチダキ 西へ下りる登山道の分岐
大岩の展望所
展望所から見た阿佐山と毛無山
畳山
苔で覆われたブナ 同形山西
1090三角点の北にリフトが上がっている
早水越
三ツ石山
キナイ原のスギ林
車道から見たアンテナ塔と天狗石山
真ん中のアンテナ塔の先にもう一つ
道標の奥にアンテナ塔
道標の所から見た三ツ石山、同形山、阿佐山
天狗石山から三ツ石山を望む
佐々木新道分岐を右へ
高杉山分岐から見えるカブリ山と才乙
高杉山を見ながらホン峠へ下る
ホン峠
乳母御前神社
ホン峠から植林地を下る
トリゴエ谷を下る
作業道から見た毛無山
深山新橋から見た大暮川
毛無山登山道に並ぶ小屋
6:50 毛無山登山口 気温−1度 晴れ
 

7:10 姥御前神社
7:40 車道
8:30 毛無山
8:50 横吹峠
9:20 二十丁峠
10:05 阿佐山
10:20 ツチダキ
10:30 展望所(展望岩)
10:45 同形山
11:20 1090三角点
11:35 早水越
12:00 三ツ石山 
12:25 天狗石山道標
13:45 天狗石山
13:10 ホン峠
13:15 乳母御前神社
14:25 車道(モデル水源の看板) 
14:50 深山新橋
15:15 毛無山登山口


  登山口前の駐車場を出発。入口に毛無山の道標がある。登山口から少し進むと、道に沿って小屋が並んでいる。西側が開けており、井屋山、小マキ山、高杉山が見える。並ぶ小屋を抜けて登山道を進む。

 20分ほどで姥御前神社。石碑に姥御前神社とあり、鳥居、社の後ろに小さい祠がある。鳥居に縄がかかり、シデと藁がぶら下げてある。山道にイノシシが掘り返した跡が続いている。東側から下りる小谷はゴーロになっている所が多い。姥御前から30分ほどで車道に出た。この車道は毛無山の南を通っている。

 車道を横切って登山道に入る。900m付近で、山道を下りてきたイノシシと鉢合わせした。親と子の3頭だった。親が一目散にカタジ谷へ降り、子が続く。子は瓜模様が無かったので、生後半年以上のようだった。イノシシはカタジ谷を渡り、山中に入って行った。寂地山でも遭遇したが、イノシシは親が真っ先に逃げるようだ。

エゾユズリハ

 イノシシと遭遇した地点からほどなく道が分岐。カタジ谷を渡って横吹峠へ上がる道と毛無山へ登る道とに分かれる。少し登ると、山道は植林地に入る。植林地を進む。東の尾根から日が差し始める。山道は一度ゴーロの谷を渡り、植林地を抜けて尾根の登山道に合流。間もなく、数本の大きいブナのある毛無山。

 東側林越しに高杉山、天狗石山、三ツ石山の峯が続くのが見える。一休みして尾根の登山道を引き返す。尾根の西側は植林地、東側は広葉樹の林が続く。背の低いユズリハが生える。20分ほどで横吹峠。峠からは植林地の中を進む。所々、大きいブナが生えている。登山道は中の丸見山の西を通り、横吹峠から30分ほどで二十丁峠。
 
 峠に阿佐山・毛無山の道標がある。ここから谷の小屋谷へ降りる分岐道がある。葉が落ちた広葉樹の明るい山道を進む。ナナカマドの赤い実がたくさん落ちている。右手に畳山が見える。山道の落ち葉の下から霜柱出ていた。二十丁峠から45分ほどで小屋とアンテナの立つ阿佐山。

ツルリンドウ

 東側遠くに雲海が見える。阿佐山北面を下る。地面あちこちに霜柱が見える。ツチダキに下ると西側に下りる登山道の道標がある。西側のツチダキ谷水源に林道が入っているので、おそらく、林道につながる山道だろう。分岐からすぐ先に東側に下りる道がある。下を見るとスキー場に上がる作業道が見える。

 山道の途中からゲレンデに出た。大岩の所が展望所になっていた。展望所に上がると、阿佐山から毛無山へ続く峯がくっきりと見える。眼前の畳山の左手に大朝の里が見える。里の左に寒曳山、その後ろに遠く雉子の目山が見える。

 展望所から同形山へ進む。リフト終点の所から山道が入っている。山道を北へ進み、スキー施設の裏手を通る。途中、ゲレンデに出ると丸瀬山が見える。スギ林を通る。湿気が多いのかスギやブナに苔が付いている。しばらく下ると、平坦な山道になる。古いクマ糞があった。

三ツ石山への道 ブナの落ち葉が多い

 植林地の中の1090三角点は見当たらなかった。北側のリフトをのぞいてみたが、まだ動いてなかった。同形山から50分ほどで早水越。ここから南へ下れば、水源の林道に出る。広葉樹の林を進む。落ち葉はブナが多い。緩やかに登り、早水越から25分ほどで三ツ石山。林で展望はない。三角点は少し離れた東側にある。

 一休みして平坦な尾根を進む。西側に岩が点在している。スギ林を通る。キナイ原は湿地のようになっている。キナイ原を抜けて、ススキ原に出る。前方にアンテナ塔と天狗石山が見えてくる。山道から車道に出る。林道が北側に下りている。電線道が西側に下りている。アンテナ塔を過ぎ、前方に2本のアンテナ塔が見え、その先に天狗石山が見える。

 真ん中のアンテナ塔は工事中だった。深山へ下る車道に出て、少し西へ上がると、天狗石山への道標がある。その奥に三つ目のアンテナ塔がある。道標の所から東側が開けている。阿佐山、同形山、三ツ石山への展望が良い所である。

ナナカマド

 道標の所から山道に入る。山頂に近づくと大岩が目立つ。道標の所から15分ほどで山頂の展望所に出た。北側に高速道の橋が見える。右手遠くに三瓶山が見える。

 山頂を少し下ると道標がある。左側は佐々木新道とあり、そこを右に下る。大岩の間を下り、笹原に出る。さらに下ると高杉山への古い道標がある。そこからカブリ山と才乙の里が見える。高杉山を見ながらホン峠に下る。天狗石山から25分ほどでホン峠。高杉山へ山道が続いている。

サカキのシデ
乳母御前神社を囲う藁縄

 西側へ社が見えたので、そちらへ下る。ホン峠西に乳母御前神社がある。社の周囲は藁縄で囲まれていた。縄にはワラが紙垂のようにぶら下げてある。社を囲む地面にサカキが刺され、サカキに紙のシデがぶら下げてあった。社の横に一升瓶が供えられている。

 社横の石碑に「乳母御前神社由来 才乙地名阿佐山由来」と書かれている。石碑によると、祭神は安徳天皇二位の局で、壇之浦の滅亡後、安芸の山間に逃れ、当地にも隠れた。当地の未開民に機織の業を授け、梭の音(さいのおと)から才乙の地名をつけたと言う。平家一族隠棲中当地方の協力に対し、阿佐山は才乙村、大暮村、米沢村、移原村、高野村の五ヶ村入相として、授けられたと言う。右の如き伝説により山の守護神として古代より部落民の尊敬最も厚く社殿御神体共に再建したとある。

 昭和26年9月3日の日付になっている。周辺の地面に刺されたサカキに下がる紙のシデはまだ新しく、日頃から才乙の村人の信仰が厚いと感じられる。

ムラサキシキブ

 ホン峠に戻り、踏み跡のある東に下るが、踏み跡はすぐになくなり、植林地に入る。トリゴエ谷水源を下る。樹林の中にムラサキシキブが輝いていた。炭焼き跡の大きい穴が残っていた。水源で顔を洗い、一休みする。空洞の大きいブナがあった。

 植林地の中の山道に出た。まっすぐ伸びる三本スギがあった。薮になった作業道が東西に通っていた。さらに下ると、植林地が終わり、車道まで200mほどの所で薮になっていた。トリゴエ谷を下り、ホン峠から1時間ほどで車道に出た。

 車道から毛無山が見える。「モデル水源林」と書かれた車道から、トリゴエ谷左岸の作業道を下る。この道は背丈を超えるススキの薮になっていた。途中に「21世紀の森」の看板があった。25分ほどで深山新橋に出た。途中にある御前滝は水が少ない。橋から25分で登山口に帰着。

ナナカマド
クマシデ
ミヤマシキミ
ミヤマシキミ
キクバヤマボクチ
ツルアリドウシ
リョウブ



地名考

 阿佐山周辺には旧石器・縄文から近世に続く遺跡がある。北側から内ヶ原城跡、森迫城跡、米屋山遺跡、堀田上遺跡、今佐屋山遺跡、郷路橋遺跡である。

 石見山間部に人々が住み始めたのは旧石器時代にさかのぼる。堀田上遺跡では2〜3万年ぐらい前の石器が出土した。郷路橋遺跡では、食料用のトチの実を蓄えた跡を残す6000年前のムラが見つかっている。

 「瑞穂町市木の堀田上(ほりたうえ)遺跡では、1989年、石見最古、後期旧石器時代前半の出土品があった。槍先などの狩猟具やナイフ形、台形様、切り出し状などの石器、それに皮なめし用のスクレイパー(削器)がある」(山根美神館HP)。

阿佐山周辺の旧石器・縄文遺跡
遺跡名 遺物
森迫城跡
もりさこじょうあと(旭町市木)

縄文 縄文土器(晩期)・時代不明の黒曜石

中世・近現代

内ヶ原城跡
うちがはらじょうあと(市木内ヶ原)

弥生 弥生土器(後期)・柱穴・時代不明の石臼、砥石、石鏃、土錘、土製人形、黒曜石

中世・近世

堀田上遺跡
ほりたうえ
(邑南町市木)

旧石器 ナイフ型石器・台形様石器・スクレイパー・剥片・石核・砕片・切出し状石器

縄文 
竪穴住居・土坑・柱穴・溝
弥生 
土坑・柱穴
古墳 
土坑・柱穴

縄文
 縄文土器(早期)・石皿・剥片・石鏃・磨石・スクレイパー・楔形石器・礫石器・敲石・石錐・凹石

弥生土器(前期・中期)

堀田上遺跡の旧石器時代の石器
(島根県HPから)

今佐屋山遺跡
いまさややま
(邑南町市木)

旧石器 ナイフ型石器

縄文 
柱穴
古墳 
竪穴住居・柱穴

縄文
 縄文土器(早期)・石鏃・尖頭器・スクレイパー・磨石・敲石

古墳・平安

米屋山遺跡
こめややま
(邑南町市木)

縄文 縄文土器(早期)・石鏃

土師器(時代不明)

郷路橋遺跡
ごうろばし
(市木猪子山)

縄文 竪穴住居・土坑・柱穴
中世 
掘立柱建物
近世 
掘立柱建物・土坑・溝

縄文
 縄文土器(早期・前期・後期・晩期)・剥片・石斧・敲石・磨石・石皿・種実(トチ)

中世(陶磁器)
近世(陶磁器)

トチの実の貯蔵穴
(島根県HPから)

トチの実




●毛無山
(ケナシヤマ)

 kenas 
 ケナシ 
 林

 「『芸藩通志』には、この山についての記述はないが、『国郡志御用に付下調書出帳・高野村』(1819年)に山林名として毛なし辻山≠ェある。『国郡志御用に付下調書出帖・大暮村』には、これも山林名として毛なし山≠ニあって、大暮側の呼称が山名として一般に用いられるようになったことがわかる。現在も山麓の村里では、この山名が使われている」

 「毛無山という山名は、辞典にはハゲ山の意としたものが多い。しかし、北海道から中国地方にかけて<ケナシ>という山は二十数個あるが、これが全部ハゲ山とは限らないようだ。山中襄太氏がケナシはアイヌ語の Kenash Kenas-i であり、<木の生えている原>の意であることを指摘してより、ケナシ山は木の生えている山、生えていない山と論議をよんだようだ」(以上「西中国山地」桑原良敏)。


 万葉集(1466)
に「毛無乃岳」(ケナシノオカ)がある。

[原文] 神名火乃 磐瀬之<社>之 霍公鳥 毛無乃岳尓 何時来将鳴

[訓読] 神奈備の石瀬の社の霍公鳥毛無の岡にいつか来鳴かむ

[仮名] かむなびの,いはせのもりの,ほととぎす,けなしのをかに,いつかきなかむ

 (原文・訓読・仮名はバージニア大学HPから)


 斑鳩町の法隆寺の北に「毛無池」の地名がある。このあたりは松尾山の南山麓で、標高200から300mの丘である。石瀬の社は法隆寺・龍田神社南西の三室山(神奈備山)付近のことである。地形図では「石瀬の社」より「毛無の岡」の方が大きい森に見える。

 「毛無乃岳」は「ならしのおか」と訓む説もあるが、ホトトギスが来て鳴くくらいだから、不毛の地というより森のある岡と考えられる。以下のような論考がある。


 『巻8・1466の第4句の「毛無」は、古訓にナラシとあって、今も定訓のようになっている。巻8・1506に「奈良思」という地名があり、そのナラシと同一地を指すものと考えられたらしいが、「毛無」を「不毛の」義の用字とする理由づけには苦しいものがあり、また京大本の赭訓にケナシとあること、『八雲御抄』が「ならしの岡」と共に「けなしの岡」を別地として挙げること、生駒郡三郷村に伝わる旧名にケナシ及びケナシの岡のあることから、「毛無」と「奈良思」とは異名であり、別地であるとする。さらに、ケナシが林をいうアイヌ語(kenash又はkenashi)の系統を引き、もと森林のあった地の称呼とする方が、踏みならした「不毛」の義とするよりも、霍公鳥の来鳴く地により適切であると論じる』(万葉集主要論文所収歌句データベースHP『「毛無乃岳」の訓』春日政治)。


 『1466番歌の4句目「毛無乃岳」の「毛無」については、従来義訓として「ナラシ」と訓む説があり、春日政治氏により「ケナシ」と訓むべきという説が提出されてからも定訓を得ているとはいえない。この問題について、著者は字面にしたがって「ケナシ」と訓むべきであると述べる。また、その場所についても従来確定がなされなかったが、斑鳩町大字法隆寺に「毛無」の地名が見られ、その地名が12世紀までさかのぼりうることを確認できたことからも、「毛無」を「ケナシ」と訓むべきであるという』(万葉集主要論文所収歌句データベースHP『毛無(けなし)乃岳の所在』大井重二郎)。



 「『角川日本地名辞典・島根県』には『阿佐山の山名は古代阿波忌部部族にちなんで<麻山>とつけられたもののようである』と記されているが<麻山>の字の使用例は筆者は未だ見ていない(「西中国山地」)。

 忌部氏は、5世紀後半から6世紀前半頃にその地位を確立したとされ、阿波忌部部族の始祖は、現在の奈良県橿原市忌部町周辺を根拠地にしていたという。忌部町は「毛無乃岳」から南へ10km余の所にある。「毛無」の本来の意を解する人々が、阿佐山周辺に暮らしていたとも考えられる。

 毛無山の北に丸瀬山がある。「丸瀬山は島根県側ではよく知られた山である。初見は『石見風土記』(736年)にさかのぼる」(「西中国山地」)。

 「通道。従邇摩郡堺南北安芸国山県郡三石山。或丸瀬山通五十五里一百歩。正西美濃郡通り二十里計」(『石見風土記』)。

 丸瀬山、三石山、アサ山は古代に遡る地名と思われる。


阿佐山(アサヤマ)

 at-sam 
 アッ・サム 
 オヒョウニレ・の傍

 阿佐山周辺にオヒョウニレが多い。早水川、猪子谷川、ドウギョウ谷、タテバシリ、カタラ谷、ツチダキ谷などの水源にみられる。ココノ峠の尾根筋にもある。吉和の細見谷の水源にも多いが、阿佐山の場合、山全体にオヒョウニレが見られる。


 万葉集に「毛武尓礼」(3886)がある。「もむ楡」はハルニレである。当時、ハルニレの樹皮の粉末を食用にしていた。万葉の時代、ハルニレを「モムニレ」と呼んでいたと思われる。

 ハルニレのアイヌ語は「チキサニ」と言う。

 ci-kisa-ni
 チ・キサ・ニ
 われら・こする・木

 アイヌはハルニレで発火棒と発火台を作り、発火棒を揉んで火を起こした。国語辞典に「揉む」は「両方の手のひらで物を挟んでこする」とある。古代にハルニレは火を起こす木として使われたのではないか。それで「モムニレ」と呼んでいたのではないだろうか。


 本草綱目啓蒙(小野蘭山・ホンゾウコウモクケイモウ・1803年)に「アツ」「アツシ」がある。

 「一種蝦夷の産にアツと云ものあり。誤てアツシとも呼ぶ。春月新葉を生ず。形榛の葉に似て長さ三四寸、本は狭くしてー寸許、末は広く二寸余、葉頭に岐ありて矢筈の如く互生す。この木大木となる。蝦夷人この皮を剥て紡績して布とす。これをアツシと呼ぶ。夷人の常服なり。又蝦夷にては、此木を以て小き盤を作り、中を凹して同木の棒を以て摩て火を取る。その盤をシヨツポと云ひ、棒をカツチと云ふ。既に燧火の條に弁ず。又一種花戸に鉄刀木と呼者あり。春新葉を生ず。加條の葉に似て鋸歯粗く、皴文ありて互生す。これに一種枝幹共に巨羽を生ずる者あり。共にニレの類なり」(「楡の小百科」HP)。

 ニレ科ニレ属にはハルニレ、アキニレ、オヒョウニレがある。オヒョウはアイヌ語 opiw オピウが語源である。

 江戸期にはオヒョウを「アツ」と呼んでいたようだ。

 小野蘭山(おのらんざん)は、江戸後期の本草学者。名は職博(もとひろ)。京都に生まれ,松岡恕庵(じょあん)に学び,さらに独学で学識を深めた。日本各地を歩いて,植物のほか動物,鉱物を採集。自宅で本草学を講じるが,71歳で江戸幕府の医官となり,医学館で本草を講じた。

 最上徳内、坂倉源次郎、菅江真澄などに「ヲヒヤウ」「アツシ」「アツ」の記述がある。

  「妾どもには家を造り渡し置のみ、外に衣食の手當もなく閣けども、獨り我身を營成し、ヲヒヤウといふ樹の皮を煉り、アツシといふ太布のごときものを織て衣服となして夫に贈るは、蝦夷の夫人の習はせ也」(「蝦夷草紙」最上 徳内 1754−1836年)。

 「衣はヲヒヤウと云木の皮を以てメノコシ手織にし、是をアツシと云」(坂倉源次郎「北海道筆」1739年)。

 「よきアツシはヲヒヤウといふ木の皮をはぎ糸として、これをアツといふ」(菅江真澄「蝦夷廼天布利」1791年)。


 アイヌ語地名に和寒(ワッサム・北海道上川郡和寒町)がある。

 at-sam
 アッ・サム
 オヒョウ・の傍(樹皮・の傍)



万葉集(3886)
[題詞](乞食者<詠>二首)

[原文] 忍照八 難波乃小江尓 廬作 難麻理弖居 葦河尓乎 王召跡 何為牟尓 吾乎召良米夜 明久 <吾>知事乎 歌人跡 和乎召良米夜 笛吹跡 和乎召良米夜 琴引跡 和乎召良米夜 彼<此>毛 <命>受牟跡 今日々々跡 飛鳥尓到 雖<置> <々>勿尓到雖不策 都久怒尓到 東 中門由 参納来弖 命受例婆 馬尓己曽 布毛太志可久物 牛尓己曽 鼻縄波久例 足引乃 此片山乃 毛武尓礼乎 五百枝波伎垂 天光夜 日乃異尓干 佐比豆留夜 辛碓尓舂 庭立 <手>碓子尓舂 忍光八 難波乃小江乃 始垂乎 辛久垂来弖 陶人乃 所作龜乎 今日徃 明日取持来 吾目良尓 塩と給 <セ>賞毛 <セ賞毛>

[訓読] おしてるや 難波の小江に 廬作り 隠りて居る 葦蟹を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや 明けく 我が知ることを 歌人と 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り 置くとも 置勿に至り つかねども 都久野に至り 東の 中の御門ゆ 参入り来て 命受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻縄はくれ あしひきの この片山の もむ楡を 五百枝剥き垂り 天照るや 日の異に干し さひづるや 韓臼に搗き 庭に立つ 手臼に搗き おしてるや 難波の小江の 初垂りを からく垂り来て 陶人の 作れる瓶を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗りたまひ きたひはやすも きたひはやすも

[仮名] おしてるや,なにはのをえに,いほつくり,なまりてをる,あしがにを,おほきみめすと,なにせむに,わをめすらめや,あきらけく,わがしることを,うたひとと,わをめすらめや,ふえふきと,わをめすらめや,ことひきと,わをめすらめや,かもかくも,みことうけむと,けふけふと,あすかにいたり,おくとも,おくなにいたり,つかねども,つくのにいたり,ひむがしの,なかのみかどゆ,まゐりきて,みことうくれば,うまにこそ,ふもだしかくもの,うしにこそ,はなづなはくれ,あしひきの,このかたやまの,もむにれを,いほえはきたり,あまてるや,ひのけにほし,さひづるや,からうすにつき,にはにたつ,てうすにつき,おしてるや,なにはのをえの,はつたりを,からくたりきて,すゑひとの,つくれるかめを,けふゆきて,あすとりもちき,わがめらに,しほぬりたまひ,きたひはやすも,きたひはやすも
(原文・訓読・仮名はバージニア大学HPから)

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カシミール3Dデータ

総沿面距離18.4km
標高差538m

区間沿面距離

毛無山登山口
↓ 7.2km
阿佐山
↓ 4.2km
三ツ石山
↓ 1.7km
天狗石山
↓ 1.0km
ホン峠
↓ 4.3km
毛無山登山口

 
 
 
 
ホン峠西 乳母御前神社の石碑

天狗石山から見た三ツ石山
天狗石山から見た三瓶山
天狗石山から見た大江高山
カブリ山と才乙 高杉山分岐から
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)