6:50 一軒家 気温5度 晴れ
7:20 52番鉄塔
7:35 タキガ谷林道入口
8:25 作業道終点
8:55 995三角点=アンテナ塔
9:30 タキガ谷林道終点
9:45 長平谷入口
10:30 冠造林地看板
11:10 ワサビ田石積
12:10 冠山
12:35 源流碑
13:20 展望地=岩
13:25 寺床
13:35 1164P
14:25 54番鉄塔
15:10 一軒家
一軒家の早朝の気温は5度で肌寒い。西へ入る林道を進む。冠山トンネルの喚起塔に出る。喚起塔の上部にスズメバチの巣がある。喚起塔の奥に51番鉄塔が見える。51番鉄塔へ上がる中電の道標を過ぎると、フカ谷落口に鉄橋が架かっている。以前は木橋だったが、今は舗装道が送電線下まで上がっている。
舗装道は砂利道に変わり、送電線下に出る。52番鉄塔に上がる。北東へ延びる送電線の右手にアンテナが二本立っているのが見える。引き返してタキガ谷林道に入る。最初の分岐を左に入る。小尾根の先端部が削られ、山肌が露出している。
マムシグサ |
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林道は49番鉄塔の西を通る。植林地を大分進むと、フカ谷側に段々畑のような造作が見える。分岐に出て右へ進み、次の分岐を上の作業道に入る。作業道の法面は黒土で覆われている。西へ進んだ所で終点。小谷の向かい側に作業道が通っており、そこから驚いたクマが急斜面の植林地を登って行った。
終点から植林地の尾根を登る。クマが居た作業道に通じる道に出る。クマが登った尾根から遠ざかるように、作業道を東へ進む。作業道は995三角点(平家)の東で終点。そこから尾根を登り、三角点のあるアンテナ塔に出た。「平成11年度吉和村移動通信用鉄塔」ともう一つアンテナ塔が立っている。
ユキザサ |
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クマがそのまま尾根を登っていれば、アンテナ塔で鉢合わせするのだが、幸いクマの気配はなかった。アンテナ塔を下って行くと、青空に1184ピークが高く見える。オオリュウズ水源に出る西側の林道は草薮になっている。北側に作業道が入っている。東側の林道を下る。途中、分岐からタキガ谷の奥へ進む。
林道終点から奥に滝が見える。中の谷から落ちる滝である。終点から右岸の巻道を登り、滝上の中の谷に出る。中の谷の左岸を進み、長平谷に下りる。しばらく谷を進むと、左岸に踏み跡が残っている。1093ピークの東に冠造林地の看板がある。
ツルリンドウ |
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谷は二つに分かれる。右に進めばクルソン谷から上がる登山道の分岐に出る。谷を西へ進む。標高1150m付近にワサビ田跡の石積が残っていた。水源に入り、谷から北方向の尾根を登る。1300m付近からスギ林に入る。登山者の話し声が聞こえ、ほどなく登山道に出た。長平谷から2時間半ほどで冠山。展望地へ出ると、今日は見通しが良かった。
遠く東西に送電線が横切っている。送電線の向こうに広見山、恐羅漢山、市間山の峯が並んでいる。左手に坊主山、大神ヶ岳の峯が続く。右手に立岩山、小室井山、手前に吉和の里が見える。
山頂から20分ほどで源流碑に下る。源流碑から樹林帯を西へ進む。林床にユキザサの赤い実が多い。標高を保ちながら山腹を進む。大きいブナが点々とある。すでに葉を落としたブナがあるが、黄葉したブナもある。笹原の中にツルリンドウやウバユリが見られた。
源流碑南のブナ |
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笹原から登山道に出て、源流碑から45分ほどで岩のある展望地に出た。寺床を過ぎてしばらく進むと、林間から先ほど通った二つのアンテナ塔が見えた。カラマツ林の1164ピークを通り、冠山南登山道を下る。展望地から1時間ほどで54番鉄塔に出た。
送電線の右手に小室井山、青笹山、板敷山の峯が並ぶ。周辺は伐採されて下る山道が分かりにくくなっているが、送電線の下に道が下りている。53番鉄塔に下ると舗装道がある。舗装道の向こうに52、51、50番鉄塔が並んでいる。ほどなく一軒家に帰着。
ムラサキシキブ |
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ウバユリ |
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クマシデ |
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ノコンギク |
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ミヤマシキミ |
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ミヤマシキミ |
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キクバヤマボクチ |
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喚起塔のスズメバチの巣 |
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■地名考
冠は古くは「かがふり」といった。頭にかぶるもの、かぶる、位階、頂く・受けるなどの意がある。
古事記、万葉集に冠(かがふり)がある。
古事記の冠(カガフリ)
「次、於投棄御冠飽咋之宇斯神」(原文)
「次に投げ棄つる御冠(みかがふり)に成りませる神の名は、飽咋の大人(あきぐひのうし)の神」
ここにいう冠(かがふり)とは帽子のことで、頭にかぶるもの。
万葉集(3858)の冠(かがふり)
比来之 吾戀力 記集 功尓申者 五位乃冠(原文)
このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠(訓読)
このごろの 私の恋力を 記集めて 功績として申請したら
五位の冠ものだ(訳)
ここでの冠は位階を示す。
万葉集(4321)の加我布理(かがふり)
可之古伎夜 美許等加我布理 阿須由利也 加曳<我>牟多祢<牟> 伊牟奈之尓志弖(原文)
畏きや命被り明日ゆりや草がむた寝む妹なしにして(訓読)
畏れ多い命令を頂き 明日からは草と寝ることになる 愛しい妻はいないままに(訳)
ここでの加我布理(かがふり)は命令を頂く・受けることを示す。
カガフリ カウブリ カウブル カウムル カブリ カムリ カンムリ などと変化したと考えられる。
万葉集(4238)に「かづらかむ」がある。
「縵可牟」(かづらかむ=原文)で、「かづらを被る」の意である。「かぶる」「かむる」の用例は古くからあったと思われる。
アイヌ語では次の用例がある。
hup-ka-kamu-mun
フプ・カ・カム・ムン
はれもの・の上を・覆う・草
「フカカム」と呼び、マイズルソウのことである。樺太では患部を舞鶴草の葉で覆い、膿の吸出しに用いた。
神(カミ)の由来
日本語の神は、カミで神の意で、カミを分解しても意味はない。
アイヌ語の神=カムイは「カム・イ」「カ・ム・イ」に分解でき、以下の意がある。
カム・イ かぶさる・もの
カ・ム・イ 上・ふさがる・もの
このことはカムイが日本語からアイヌ語に入ったものではないことを証明している。
アイヌ語より前に縄文語「カ・ム・イ」があり、それを音節ごとの意味どおりに引き継いだのがアイヌ語、それに対して渡来系の人々は、表面の意味だけを受け継いだとみられる。
日本語のカミは古くはカムという音だった。神歌(カムウタ)、神サビ(カムサビ)、神祖(カムオヤ)、神懸(カムガカリ)、神集う(カムツドウ)、神上がる(カムアガル)など複合語の中に現れる。
大野晋はカミの古形として kamui を推定している。
宮古島、多良間島、伊良部島では、神はカムの音で、日本語の古い特徴なのではないかといわれている。
(ミドゥむマ ヤーヌ カむ=女は家の神様=琉球語音声データベース・宮古方言)
万葉集に雷を含む歌が四首ある。原文に雷を含む歌が二首あり、「イカヅチ」と詠む。他の二首は伊加土山(イカヅチヤマ)、可未奈那里曽祢(カミナナリソネ)である。
可未奈那里曽祢(3421)の訓読と意味は以下のとおり。
伊香保嶺に雷な鳴りそね
我が上には故はなけども子らによりてぞ
伊香保の嶺に 雷よ鳴らないでくれ
私は何ともないが 子らは恐がるから
他に訓読「鳴る神」が七首ある。原文に鳴神(三首)、動神、響神、雷神(二首)とあり、「ナルカミ」と詠む。
これらの歌から雷は神鳴りであることがわかる。
雷光や雷鳴は上から恐ろしい威力で覆いかぶさる存在、恐ろしい威力で人間を覆うものと考えられる。
カム・イ かぶさる・もの
カ・ム・イ 上・ふさがる・もの
カシミール3Dデータ
総沿面距離14.4km
標高差647m
区間沿面距離
一軒家
↓ 4.8km
995三角点
↓ 1.9km
長平谷
↓ 2.0km
冠山
↓ 2.3km
1164P
↓ 3.4km
一軒家
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