山歩き

釣橋林道…ニソウ谷…大神ヶ岳…三坂八郎林道
2016/5/22

千両橋北…釣橋林道…ニソウ谷…堀割…三坂谷林道…大神ヶ岳…登山口…三坂八郎トンネル…千両橋北

■大神ヶ岳(ダイジンガタキ)1170m:島根県美濃郡匹見町 (益田市)

三坂八郎林道を下る
スギ林を下る
ツリハシ林道入口
釣橋林道入口
ツリハシ谷左岸のがけ崩れ
ニソウ谷へ越す峠
ラグビーボール状の巨石
ラグビーボール状巨石の右に巨石の頭が見える
倒木が被さる二艘船岩
二艘船岩 二つのラグビーボール状巨石が並ぶ
ニソウ谷林道はここから先で終点
堀割
堀割から山道に出る
鞍部から三坂谷林道に出る
三坂谷林道から見える大神ヶ岳
三坂谷林道は大神ヶ岳山腹に延びる
大きいブナの所からスギ林に出る
スギ林の中のオオイタヤメイゲツの大木
大神ヶ岳 右手に小五郎山
大神ヶ岳から赤谷山へ続く峯 左に安蔵寺山
植林地の中をミサカ谷が下りる
冠山
大神ヶ岳東端から見た三坂八郎林道
三坂山と千両山
懸崖下の三坂大明神
三坂大明神から崖下左回りに小道が入っている
潜り岩
山葵(ヤマアオイ)天狗社
山葵天狗社
平岩
スギのアーチ橋
大神ヶ岳登山口
登山口の看板
三坂八郎トンネルから見た大神ヶ岳
ミサカ谷水源に上がる三坂谷林道
三坂八郎トンネル
7:15 千両橋北 気温15度 晴れ
 

7:30 釣橋林道入口
8:15 ツリハシ林道峠
8:40 二艘船岩
9:00 堀割
9:55 三坂谷林道
10:15 林道西端
10:50 大神ヶ岳
11:50 大神ヶ岳登山口
12:10 三坂八郎トンネル
12:30 千両橋北

 千両橋北のイワイ谷を出発。三坂八郎林道を下る。サワグルミが果実をぶら下げている。斜面には大きいスギが伸びている。ツリハシ谷に架かる千両橋に出る。釣橋林道入口付近に伐採されたスギの丸太が山積され、その横にショベルカーがある。
 
 釣橋林道入口に特別母樹林の看板がある。樹種は八郎スギ、面積は4・5ヘクタールとなっている。鎖止めされた入口に「釣橋線」の標柱がある。ツリハシ谷左岸の林道を進む。左岸の崖が崩れていた。崖下にショベルカー先端のバケットが放置してあった。

母樹林の看板
イワイ谷のミツバウツギ
サワグルミの果実

 林道は右岸に渡る。ヤブデマリが咲き始めている。林道が東へ分岐している。日が射す林にスギが高く伸びている。トチノキの花が咲いている。スギ林を進む。アオダモはもう花期が過ぎている。林道が分岐する。この分岐道は県境に向かって一旦上がり、三坂八郎トンネル付近まで下って行き止まる。

 ニソウ谷へ上がる分岐を過ぎて、林道を東へ進む。左の崖が崩れている。四艘船岩へ越す谷まで進み、引き返す。この谷には巨石は見られない。ニソウ谷へ越える峠にアオダモが咲いていた。スギ林からニソウ谷の広葉樹の原始林に下る。

 ニソウ谷水源の林道を下ると、林の間からラグビーボール状の巨石が見える。林道から薮の谷へ下りて巨石に近付く。巨石の上に上がり、周辺を見渡す。この巨石はニソウ谷の水源にあり、南側は林道の峠で、東西は起伏の緩やかな丘、周囲に急峻な崖は無い。この地点は二艘船岩と峠の中間にある。この巨石の西隣に一回り小さい巨石がある。

ヤブデマリ
ツリハシ林道峠のアオダモ

 巨石からニソウ谷左岸の林道を50mほど下ると、二艘船岩がある。二艘船岩は、薮と倒木に覆われて、林道からは見えない。船岩を一回りした。倒木が船岩に寄り掛かっていた。林道に戻って、ニソウ谷水源を下る。堀割に入る入口は池になっている。ニソウ谷林道は北側の先で終点。

 堀割から島根県側の本谷左岸の薮の山腹を進む。しばらく進み、頭上に山道が見えた。山道を進むと、崩壊地点で道は途切れる。迂回して崩壊点の先の山道に出る。この道は三坂谷水源の鞍部に出るようになっている。堀割から三坂谷水源に出る馬道があったようだ。

 「保矢ケ原の老人より赤谷の奥より広島県側のバンジョウ川水源のニソウ谷へ越す馬道があったことを聞き出した。この道が県境を越える所が掘割になっており現在もその跡が残っているが、この掘割から三坂谷へ向かって馬道があったのではないかという。そうなれば石州街道の間道はハチロウ谷を通らずバンジョウ川―ニソウ谷―掘割―ミサカ谷のルートが考えられ、県境を越える掘割の地点が御坂とよばれていたのかも知れない」(「西中国山地」桑原良敏)。

サワハコベ
エンレイソウ

 鞍部から南側に林道が見える。林道は南側と西側へ延びている。南側は三坂谷水源を下って、三坂八郎林道に出るものだろう。西側へ進む。この林道は最近、薮となっていたのを刈ったようだ。大神ヶ岳が見える。林道は西端から南側の大神ヶ岳の山腹に向かって延びていた。

 林道の西端から小谷を登り、尾根に出る。大きいブナのある地点からスギ林に変わる。スギ林の日が入る所にカエデの巨木があった。見上げる葉はハウチワカエデに見えるが、葉柄が長いオオイタヤメイゲツのようだった。オオイタヤメイゲツの幹から羽状の葉が伸びていた。

 スギ林から登山道に出た。登山者が立岩山(赤谷山)に向かって進んでいた。林道から40分ほどで大神ヶ岳。赤谷山へ向かう尾根の左に安蔵寺山、目立つ小五郎山、その手前に高井山、さらに左に冠山が見える。眼下を見下ろすと、スギ林の中を三坂谷が下りている。

オオイタヤメイゲツと思われる葉 葉柄が長い
オオイタヤメイゲツの幹に羽状複葉の葉が見える

 岩の間から咲くヤブウツギが枯れかけていた。濃い赤紫色のダイセンミツバツツジの花が残る。東側の岩に移る。ミヤマシキミの花が咲く。イワカガミの可憐な花が残っていた。西端の展望地に出る。眼下に三坂八郎トンネルの入口が見える。

 冠山の左手に坊主山、正面に見えるのは千両山で周辺はスギ林である。その左に三坂山、左背後に十方山、恐羅漢山、広見山と続き、手前に小郷山が見える。

 登山道を下る。見上げる懸崖にヤブウツギの花が見えた。岸壁直下の祠に出る。三坂大明神である。横に昭和57年9月25日の石柱が立っている。石柱には「第37回くにびき国体炬火採火之地」と書かれている。祠には注連縄が張られている。

大神ヶ岳のヤブウツギ
イワカガミ

 祠の前から懸崖下を東側に回る小道が続いている。少し道に入ってみたが、懸崖を一周して裏に回れるようだ。登山道を下り、二つの巨石の間の潜り岩を通る。さらに下ると山葵天狗社がある「山葵」はワサビと読まず、「ヤマアオイ」を呼ぶ。祠の奥にある台座に蒼い天狗の面と団扇が刻まれて祀られ、左右に木の先につけた紙の幣が立ててある。

 「大神ヶ岳 山頂に巨大な墓石が立っているように見える懸崖の山で、同じ尾根にある西の赤谷山とは指呼の間である。その昔、修験者が修業していたことから、天狗伝説が残され、岩場には今も三坂大明神が祀られる。昭和57年のくにびき国体は、この山の頂上からレンズを使って太陽光から採火し、炬火リレーに使った。またその翌年から、ワサビの豊作を祈願する山葵天狗社が新たに祀られている。毎年地元三葛の人たちによって、六月第一日曜日に神楽を奉納する神事が行われる」(『匹見町誌』)。

 「三葛地区に岩頭で聳え立つ標高千百七十メートルの大神ヶ嶽という山がある。天狗が棲んでいたとか、三坂大明神という女神が祀られているので、女性が登ると焼きもちをやかれて荒天となるので、仏ヶ原という所からは入山することができなかったといった口伝がある…女人禁制といった中世の修験道の関与がみられるものの、山神に通じる女神としていることをみると、古い山岳信仰を引きずっているものと思われる」(『匹見町誌・遺跡編』)。

登山口の鳥居
ホオノキ

 山葵天狗社から山道を下ると平岩がある。平岩には三坂大明神、潜り岩、山葵天狗社、平岩の位置図がある。スギのアーチ橋を渡り、スギ林を下って、鳥居の立つ登山口に出た。鳥居には山葵天狗社、大神ヶ嶽、三坂大明神と書かれている。登山口左手に「市指定史蹟名勝 大神ヶ嶽」の看板がある。その横の看板には「毎年6月第一日曜日例祭」と書かれている。鳥居の右横には「橄欖岩から成る急峻な大神ヶ嶽…」と書かれた古い標柱がある。

 登山口駐車場は車で一杯だった。この辺りは仏ヶ原と呼ぶ。日の照りつける三坂八郎林道を登る。谷沿いにミズキの花が咲く。ホオノキに白いツボミが出ていた。20分ほどで三坂八郎トンネル。そこから大神ヶ岳東端の岩峯が見える。三坂谷水源に林道が上がっている。三坂八郎トンネルは1980年3月の竣工。延長350mとある。中に入ると涼しい。トンネル内の気温は19度であった。

 トンネルを抜けると、トチノキの花が咲いていた。スギ林を下る。軽トラックがトンネルに向かって進んで行った。ほどなくイワイ谷の出発点に帰着。

トチノキの花
ミヤマガマズミ
キブシ
ニシノヤマダイミンガサ
ウリハダカエデ
ミヤマシキミ
ダイセンミツバツツジ
ミズキ


地名考

 二艘船岩、四艘船岩付近の地質

 恐羅漢山から赤谷山までの地質は、1億年前から6500万年前に噴火した火山の岩石(デイサイト・流紋岩類)で、二艘船岩、四艘船岩付近もこの地質に含まれる。

 ラグビーボール状の巨石は三坂山周辺に見られる。三坂山の東西に見られる四艘船岩と二艘船岩のほかに、三坂山の北東に一つ、二艘船岩の南に二つのラグビーボール状の巨石がある。これらはデイサイト・流紋岩類の地質中にある。

 旧羅漢山の北に岩海がある。頂上から直下までは巨石群、その下側に大岩の岩海、さらにその下に、大岩より小さい岩の岩海がある。一番下の岩海の岩は丸みを帯びている。

 旧羅漢山の上部北面は崖を形成しているが、三坂山周辺に崖はない。二艘船岩南の巨石の周辺は平坦地である。これらのことから、山中にあった堅い岩石が、時間の経過とともに周辺の風化土が流れ去って表面に表れ、さらに風化によってラグビーボール状の岩を形成したと考えられる。


 三葛のマタギ

 三葛は、周防、安芸、石見の3ヶ国に面したという意味の「三ヵ面(つら)」によるという。『石見八重葎』『石見私記』に、「三境之所にて三ケ表にて成すべし哉、後人誤りて三葛と書来れり」とある。

三葛の殿屋敷遺跡の遺構
(以下は三葛の説明板から)
殿屋敷遺跡の周辺復元想像図(天正年間)
殿屋敷遺跡の中世遺物出土品
殿屋敷遺跡前にある
宝篋印塔 (左)と五輪塔(中)
福井県から運ばれた日引石製とみられる

 三葛の殿屋敷遺跡から縄文後期・晩期の土器・石器とともに、中・近世の遺物も出土した。陶磁器関係では常滑・亀山系などの十一世紀前後のもの、備前・瀬戸焼の十四世紀後半から十六世紀のもの、美濃・唐津焼のものからは十七世紀に終焉をむかえたことがわかる。十五・十六世紀のものには中国製の青磁、白磁、朝鮮系のもの、タイ製のものもみられた。

 銭貨では天聖元宝(1023年)・皇宋通宝(1039年)、永楽通宝(1408年)、宣徳通宝(1426−33年)など宋・明銭、豆板銀(大森銀山製・1601−95年)などが出土し、豊な経済力を有したことがわかる。また精錬・鍛冶技術を習得し、武器などを製作していた(『匹見町誌』)。

 殿屋敷遺跡に、大谷氏のものと伝わる宝篋印塔と五輪塔が置かれている。福井県から運ばれた日引石製とみられている。大谷平内(1570−72)は天正3年に益田元祥に滅ぼされた地侍で、殿屋敷は大谷氏族の住居址であった。

 遺構は四周を柵で囲んで警固されていた。山間の僻地でありながら、土豪とまではいえないものの地侍級がいたということは不思議である。文安3年(1446)には陣ヶ原で合戦が行われている(『匹見町誌』)。

 殿屋敷に近接して七九市屋敷、コウリン屋敷、新井屋畑、清左衛門田の地名がある。


 「三葛地区には『熊祭り』が行われていた…昭和57年(1982)ごろ大谷瀧次郎(故人)は…熊を捕った場合、その狩猟具の槍などを用いて熊の周りを囲むように七本立て…『アブラウンケソー』と三回唱えた」(『匹見町誌・遺跡編』)。

 「アブランケソワカ」「アビランケインソワカ」は阿仁・仙北・鳥海・雄勝のマタギ言葉で、「阿毘羅吽欠蘇婆訶」と表わし、マタギたちが山で唱える呪文で、地水火風空を意味するサンスクリット語。大日如来の真言の呪文である(『マタギ 消えゆく山人の記録』)。

 マタギの成立は平安時代とも鎌倉時代とも言われている。「山立根本巻」(1193年ごろ)によると、清和天皇(850−881年)の頃、日本全国の知行を許されたとされている。マタギの成立が900年頃とすれば、マタギ系の人々が三葛へやってきたのはそれ以降ということになる。マタギが唱えるサンスクリット語の伝来は天平年間(729−749年)と見られている。

 漂白の民と呼ばれる人々がいる。山地ではマタギ・サンカ・木地屋・鑪などである。鑪は道川に稼行するのは延享・寛延年間(1744−50年)、銅山は慶長年間(1596−1614年)に道川に開山している。木地師は正保4年(1647)から文政13年(1830)までの183年間で、三葛・広見・七村・道川に多く見られる。このような漂白民とともにマタギ系の人々がやってきたのかもしれない。


●大神ヶ岳(ダイジンガタキ)

 東北地方では山のことを「〜のもり」と呼ぶ。これはアイヌ語の山を意味する「ヌプリ」の変化形と言われている。

 nupuri → nomori

 東北地方に「台」「岱」「平」と表わす、「タイ」「ダイ」地名が多い。「堆」「袋」「帯」の字を当てたものもある。これらの地名は山頂付近、山腹、河岸段丘、谷底平地など場所を問わない。もともと「タイ」「ダイ」と呼んでいた地名に様々な漢字を当てたと思われる。

 方言にチンギリ(神奈川・山梨・愛知・静岡)、ジンギリ(静岡)などがあり、片足跳びのことである。十津川方言ではチンギルと言う。同じく、チンチンは、猪捕りの足くくり罠のことである。

 アイヌ語、cin(チン)は、脚の意で、地形では崖脚の意がある。同じく、tay(タイ)は林の意

 大神(ダイジン)は、tay-cin タイ・チン 林・崖脚の意と考えられる。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離8.2km
標高差234m

区間沿面距離

千両橋北
↓ 2.4km
釣橋林道峠
↓ 1.8km
三坂谷林道
↓ 1.2km
大神ヶ岳
↓ 2.8km
千両橋北
 

 
産総研HP(地質図Naviから)
恐羅漢山から赤谷山まで1億年から6500万年前に噴火した火山の岩石(デイサイト・流紋岩類=茶色)

 
 
三葛 殿屋敷遺跡の周辺復元想像図(天正年間) 『匹見町誌・遺跡編』
 
ラグビーボール状巨石の位置 
 
大神ヶ岳から
              坊主山                         冠山  広高山                    寂地山
大神ヶ岳から
        広見山                恐羅漢山                      十方山
               小郷山
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)