山歩き

立岩ダム…瀬戸滝…十方山…坂根
2016/1/11

立岩ダム…瀬戸滝…十方山…奥三ツ倉…中三ツ倉…藤十郎…断層鞍部…坂根集落…立岩ダム

■十方山(ジッポウザン)1319m:広島県廿日市市吉和字吉和西(点の記)(廿日市市)

立岩ダム
女鹿平山
大谷川川口
観音地蔵
ニノワラノリュウズ
十方山登山口
セト谷の遊歩道を進む
瀬戸滝
瀬戸滝上部
トラバース道からカラ谷水源を渡る
薄雪の登山道
三ツ倉の遭難碑から十方山を望む
雪の登山道
ササが覆うコノタノギシ北
十方山尾根の平坦地に出る
昭和59年遭難碑
積石
雪道を進む
十方山と奥三ツ倉
論所を進む
十方山を振り返る
奥三ツ倉
中三ツ倉に「前三ツ倉」の道標
藤十郎
植林地の尾根を下る
巨石の横を通る
植林地の断層鞍部
ツリンボウノ谷の水田跡の石垣
坂根集落に出る
7:20 立岩ダム 気温2度 曇り時々晴れ
 

8:00 十方山登山口
8:15 瀬戸滝
9:35 三ツ倉(昭和10年遭難碑)
10:50 十方山
11:20 奥三ツ倉
11:35 中三ツ倉
12:05 藤十郎
13:40 押ヶ垰断層鞍部
14:10 坂根集落
14:55 押ヶ垰集落
15:05 立岩ダム


 曇り空の立岩ダムを出発、気温2度で寒くはない。立岩貯水池の上流に女鹿平山が見える。大谷川の入口は流木が転がっている。大谷川右岸の観音地蔵は立岩山に向いている。湖岸にいた一羽の水鳥が驚いて沖へ離れていき、やがて鳴きながら上流へ飛び立った。
 
 岸の柿木の実が残っていた。ニノワラノリュウズを見て40分ほどで十方山登山口。セト谷の遊歩道を進む。15分ほどで滝下。そこから上の木馬道へ上がる途中に、二段滝の上部が見える。木馬道はアライ川を渡って滝の上部に出るようになっていたが、崩壊している。

沖へ離れる水鳥
貯水池岸の柿

 木馬道を少し下り、十方山登山道に繋がるトラバース道を上がる。カラ谷水源を渡り、30分ほどで登山道に出る。水場から水源に入ると、ようやく雪があらわれるが、登山道の雪は斑状である。登山口から1時間半ほどで三ツ倉。十方山山頂付近は低い雲が流れている。

 昭和10年遭難した伊藤四郎の碑を通り、三ツ倉ピークから急坂を下る。冷たい風が吹く尾根の気温は0度。三ツ倉を越えると、登山道はは雪で覆われはじめる。ノウサギの足跡が続く。

 コノタノギシを過ぎ、広い平坦地に入り、笹原の間の雪道を進む。例年だと、この辺り白一色だが、今年は大分雪が少ない。十方山尾根の平坦地に出たが、ガスに覆われて視界が悪い。時々ガスが切れ、周辺の山々のシルエットが浮かぶ。59年遭難碑周辺も雪が少ない。

登山道の霜柱
雪の花

 雪の花が咲く登山道を進み、登山口から3時間ほどで十方山。時折日が射し、辺りが明るくなる。低い雲の先に立岩山や女鹿平山が見える。風を避けて東の登山道へ下る。東の尾根道は雪が多く、カンジキの跡が続いていた。

 一休みして樹林帯を進む。ササはまだ雪に覆われていない。深く掘下げた堀割を過ぎると、急に日が射し青空が覗く。ブナの枝に雪の花が咲いていた。振り返ると、明るくなった十方山に小さい道標が見える。

 30分ほどで奥三ツ倉。女鹿平山が薄っすらと見える。三ツ倉から北へ進むと、大きいスギが白く雪を被っていた。雪の中から葉を出すミヤマシキミに花芽が付いていた。奥三ツ倉から15分ほどで中三ツ倉。

カンジキの跡が続く尾根道
花芽が出るミヤマシキミ

 踏み跡は北へ続いているが、藤十郎へ下りる登山道に足跡は無かった。那須分れ道標から東へ入ると「前三ツ倉」の道標があるが、「西中国山地」では中三ツ倉であり、前三ツ倉は丸子頭付近の呼び名である。

 大岩の前を通り、東の尾根を下る。ササが倒れ、登山道を見失うが、イノシシの足跡が登山道の上を踏んでいる。所々、イノシシが掘った跡がある。大ブナの横を通り30分ほどで藤十郎。

 一休みして東の尾根を下る。少し進むと、ブナにクマ棚があった。幹に爪痕が多くあった。ブナの木の下は折られた枝が散乱していた。植林地の尾根に大きいブナがあった。ヤマドリの足跡が尾根を横切る。尾根の先端に大岩があった。そこからしばらく岩尾根が続く。さらに下に巨石が二つあった。

イノシシの足跡
ブナのクマ棚
クマの爪痕

 植林地の中にエゾユズリハが点々とある。藤十郎から1時間半ほどで植林地の中の押ヶ垰断層鞍部に下りた。この鞍部を横切る山道がある。那須集落と坂根集落、押ヶ垰集落を結ぶ道だろうか。山道は鞍部からツリンボウノ谷左岸に続いている。

 植林地のツリンボウノ谷を下ると水田跡の石垣が残っている。荒れた山道は右岸、左岸と渡り、小尾根を越えて坂根集落廃屋の上に出る。車道に出て集落の上まで進んだ。引き返して県道に出る。

 トンネルを三つ通って、押ヶ垰集落の下に出る。県道沿いの柿木にたくさんの実が生っていた。石垣と道路の間に黄色の花が咲いていた。ダイコンの根のようなものが出ていた。カブの花か。河内神社の上を通る。立岩山から市間山にかけて青空が見える。

ヤマドリの足跡
ミヤマシキミ
エゾユズリハ
フユイチゴ
県道沿いの柿木
カブの花? 根っこが見える
 
 
押ヶ垰断層の看板と押ヶ垰集落とケルンバット

 立岩貯水池から那須集落に向かって、押ヶ垰断層が通っている。その東側にケルンバット(断層丘陵)が6ヶ所ある。カヤノガ峠、押ヶ垰、669ピーク、650ピーク、658ピーク、797三角点の6つである。

 押ヶ垰断層の断層破砕帯の露頭が坂根と那須にある。坂根の断層破砕帯は幅約1m、一部に幅約10cmの薄い黄緑色の粘土が生成している。

 那須の断層破砕帯の露頭は那須の河岸に現れており、断層破砕部は5m以上確認でき、粘土鉱物化(緑色)している。

 K−Ar放射年代測定が実施され、坂根の露頭の粘土鉱物は59.7+1.3Ma、那須の粘土鉱物は69.5+1.6Maを示した。断層の活動開始時期は粘土鉱物のK−Ar放射年代よりも古いことになる(『広島県西部、花崗岩中の断層破砕帯に生成している粘土鉱物のK−Ar年代』)。



地名考

押ヶ垰の河内神社
河内神社の石柱

 とごうちの民話 第3話:光る石(打梨)  

 「昔、押々峠(おしがとう)の集落が谷底にあったころ、作兵衛さんが牛に犂(すき)をひかせて耕していると、カチンと音がして急に牛が立ち止まりました。犂先のあたりの黒土から、金色の光が射し出ています。掘り出してみると、握りこぶしほどの金色に光る石です。  

 作兵衛さんは、まぶしく輝く光に目をパチパチさせながら眺め入っていましたが、これは珍しいものを拾った、持って帰って家の宝にしようと、そっと自分の懐に忍ばせました。  

 うれしさに踊る胸をおさえ、知らぬ顔をして牛を使っていますと、急に空が曇り、黒雲が寄ってきました。やがて、その黒雲の間からまばゆい光がさし、どこからともなく厳かな楽の音が鳴り響いてきました。  

 そうして紫の雲に乗り、白髪白衣の神様が降りてきて、かたわらの畦(あぜ)の上に立ち、射抜くような鋭い目で、作兵衛さんの胸を見つめておられます。恐ろしくなった作兵衛さんは、懐からそっと光る石を取り出して、かたわらの大岩の上に置きました。神様は大きくうなずき、にっこり笑って、再び響いてくる音楽とともにもとの雲に乗り移り、しずしずと昇って行かれました。

 作兵衛さんは、さっそく村の人々と相談して、りっぱなお社を建てて、この不思議な光る石をおまつりしました。これが押々峠の社の始めだそうです。  

 集落が上の段丘に移るにつれ、社も今の所に移されました。押ヶ峠断層のあたりは、昔もいろいろな鉱石が出たところなのです」

 (戸河内町教育委員会発行「とごうちの民話」より)


 「とごうちの民話」によると、押ヶ垰の「光る石」が掘り出された地点は、集落の県道の下にある河内神社付近である。

 光石(ヒカリイシ)の地名が各地にある。

 山口県玖珂郡美和町日宛 光り石
 佐賀県武雄市東川澄 光石
 熊本県八代市坂本村 光石
 熊本県阿蘇市南阿蘇村 光石
 大分県由布市湯布院町 日光石(ヒカリイシ)
 鹿児島県垂水市海潟 光石
 鹿児島県枕崎市枕崎 光石
 鹿児島県薩摩郡さつま町 光石
 鹿児島県南大隈町根占 光石

 光石(ヒカリイシ)の地名は中国地方と九州にあり、特に鹿児島県に多い。


 これらはいずれも山中にあるもので、アイヌ語イカルの転訛と考えられる。

 ika-ru-us-i 
 イカルウシ 
 越える・道・ある・所

 イカルウシ → ヒカリイシ の転訛

 怒り越し(鳥取県)
 伊賀地峠、伊賀地越(山口県)
 伊加利、雷山(福岡県)
 伊賀峯(長崎県)
 碇石(熊本県・鹿児島県)
 五十山(宮崎県)

 の地名がある。

 光峠(島根県)、光武(佐賀県)、日光=ヒカリ(熊本県・鹿児島県)、光ヶ迫(宮崎県)、光(宮崎県)、光り迫(鹿児島県)、足光(鹿児島県)などの地名もある。

押ヶ垰集落

 押ヶ垰の光る石はイカルウシと呼ぶ地名であったと思われる。周辺に押ヶ垰、カヤノガ垰の地名があり、峠越の地点にある。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離17.8km
標高差902m

区間沿面距離

立岩ダム
↓ 4.4km
瀬戸滝
↓ 4.6km
十方山
↓ 2.3km
藤十郎
↓ 2.7km
坂根集落
↓ 3.8km
立岩ダム
 

 
瀬戸滝
十方山尾根の登山道
雪の花
十方山から奥三ツ倉を望む
論所付近
奥三ツ倉西
十方山を望む
ブナのクマ棚 藤十郎東
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)