山歩き

恐羅漢山…旧羅漢山…広見林道…焼杉山
2015/11/21

二軒小屋…恐羅漢山…旧羅漢山…三本栃…広見林道…オオアカ谷…イワクラ谷…焼杉山…トチ谷…ケンノジ谷…十方山林道

■恐羅漢山(オソラカンザン)1346.4m:広島県山県郡戸河内町横川(点の記) (安芸太田町)
■旧羅漢山(キュウラカンザン)1334m:広島県山県郡戸河内町横川 (安芸太田町)
■焼杉山(ヤケスギヤマ)1225.2m:島根県美濃郡匹見町大字匹見字広見(点の記) (益田市)

二軒小屋を出発
新設道路分岐点の道標
ゲレンデに出る
林間コースに入る
砥石川山
リフトトップを回る
トップの看板
トップから見た深入山
ヒエ畑尾根登山道に出る
比尻山・苅尾山・砥石川山
恐羅漢山
十方山
旧羅漢山
眼下の広見山
ミズナラのクマ棚
ヌタ場
二本になった三本栃
広見林道とハゲノ谷入口
広見川の滝のすぐ上流にノドガエキ
メンギガエキ 奥に滝がある
植林地の奥に見えるナメラ谷の滝
ナメラ谷の対岸にノノハラ谷の滝が落ちる
オオアカ谷の滝の横を通る
イワクラ谷落口
長い滝が続く
滝の間に出る
谷は岩壁の下を通る
岩を重ねたような崖
ゴーロの植林地を登る
笹薮の焼杉山
4.2mブナ
十方山林道崩壊地点
6:50 二軒小屋 気温4度 晴れ
 

8:20 スキー場トップ
8:40 恐羅漢山
9:10 旧羅漢山
9:45 カマノキビレ手前
10:20 三本栃
10:55 広見林道
11:45 オオアカ谷
12:15 イワクラ谷
15:35 焼杉山
16:50 ケンノジ谷
17:00 十方山林道
17:15 水越峠
17:20 十方山登山口
 17:45 二軒小屋


 サバノ頭を見て、二軒小屋駐車場を出発。ナエマン谷、デミセノ谷の水量が多い。いつも通る車道の上に新しい道路が作られていた。新設道路の入口に新しい道標が立てられている。車道を真っ直ぐ上がり、ぶな板・立山スキー場に出る。

 スキーゲレンデを上がる。スキー場上部は日が当たり始めた。振り返ると彦八の頭、1166ピークの尾根が大きい。日の当たるゲレンデまで登ると暑く感じる。途中からリフトの下を通り、西端のゲレンデを登る。

 デミセノ谷水源を渡り、林間コースのゲレンデに入る。林間コースはジグザグに登り、上部はナエマン谷水源を渡っている。林間コースからゲレンデ上部に出る。コース上に小石が続くところがある。ナエマン谷の水源であろう。

ルイヨウショウマ

 スキー場の最上部に上がり、リフトのトップを回りこむ。眼下に展望が広がる。深入山の右手の雲海が盆地を蔽っていた。ゲレンデから山道に入りヒエ畑尾根の登山道に出る。国設スキー場5分と書かれた道標がある。

 尾根の登山道に出ると苅尾山への展望がある。台所原分岐を過ぎると、すぐに山頂。山頂から南へ進むと十方山が見える。平太小屋原へ下る。鞍部のスギ林を通り、大岩のある旧羅漢山へ。岩の上に上がると、眼下に広見山の峯が横たわる。

 巨石の間を抜けて北西の尾根を下る。ミズナラにクマ棚があった。植林地を下り30分ほどでカマノキビレの手前に出る。道はそこから尾根を外れ、ハゲノ谷水源を下る。イノシシのヌタ場があった。カマノキビレから30分ほどで三本栃に出た。

ミヤマシキミ

 三本栃は二本の幹になっていた。谷側に二つの幹が倒れていた。11年前には根元から4本の幹が立っていた。11年前に立っていた匹見町教育委員会の標柱では周囲8.5m、樹高25m、推定年齢450年とあった。

 三本栃を下り、谷を渡ってハゲノ谷林道の終点に出た。そこからほどなく広見林道に出た。ハゲノ谷林道入口に「天然記念物広見の三本栃」の新しい道標がある。この道標が朽ちる前に三本栃が倒れるのではないかと思われた。

 ハゲノ谷に架かる橋を渡り、広見林道を下る。少し進むと右岸にノドガエキの谷がある。落口のすぐ下流の広見川は滝となっている。次のメンギガエキの谷の奥は滝になっているのが見える。

ツルリンドウ

 メンギガエキを過ぎると林道は右岸に渡る。左岸のヨコガ谷を過ぎると道は左岸に渡る。スギ林の奥に岩を滑り落ちる滝が見える。ナメラ谷である。対岸を見るとノノハラ谷が滝となって落ちていた。焼杉山から下りる長い尾根の先端の南側に古い作業道が入り、山腹に上がっていた。

 ハゲノ谷から50分ほどでオオアカ谷。谷は広見川に滝となって落ちている。左岸の植林地に入ると奥に滝が見える。植林地を進むと大きいトチノキがある。そこから谷へ下りていくとイワクラ谷に出る。

 イワクラ谷落口は岩で埋まっている。谷に入るとやはり岩で埋まっている。岩の谷がどこまでも続く。右岸上部に岩壁がある。長い滝の谷に出た。右岸を巻いて滝の真中に出る。左岸を巻いて滝傍を登る。

アキチョウジ

 さらに上っていくと谷は岩壁の下を通る。右岸に岩を積み重ねたような崖があった。谷にウバユリの実が残っていた。ゴーロと倒木の進みにくい谷となる。その辺りから右岸の植林地を登る。登って行くと大岩のゴーロに出る。

 植林地を過ぎると笹薮に変わる。オオアカ谷から4時間ほどで焼杉山。ササと潅木の薮に覆われた山頂に三角点は見当たらなかった。山頂から南へ進むと周囲4.2mのブナがある。ここから南東面の尾根に大きいブナが多い。

 植林地のトチ谷水源を下る。ケンノジ谷に下り、山頂から1時間半ほどで十方山林道に出た。林道を進むとすぐ道が崩壊していた。北側の谷から林道上に流れ出た水流が道を抉っていた。15分ほどで水越峠。死人谷付近から下流は道路工事を行っており、舗装道路がさらに南進するようだった。

ウバユリ


地名考
 
 「恐羅漢山という山名は、広島県戸河内町の呼称である。『戸河内森原家手鑑帳』(1715年)の他村境覚書きにおそらかん山≠ニあるのが初見と思われる」(西中国山地)。

 「『芸藩通志』(1825年)の戸河内村絵図にヲソラカン山≠ニあり、山林の項の十方山の所に『一に西十方をおそらかん山とよぶ、日本興地図に、石見界に高山そかひ山としるすは、おそらかんのことなるべし』とあるのはよく知られている」(「前同」)。

 「旧羅漢山は、広島県側横川の呼称である。いつの頃からこう呼ばれ出したか明らかでない。吉和村側では西十方と呼んでいた。『芸藩通志』の佐伯郡の山林の項にあり、吉和村の三浦一介所蔵『吉和村絵図』(江戸末期)にも、はっきり十方山と西十方山がわけて画かれている」(前同)。

 「西中国山地」にある、恐羅漢山と旧羅漢山の山名の初見と変遷は以下のとおりで、大亀谷山は匹見側の呼称である。

 恐羅漢山

 明治21年 大亀谷山 陸軍局測量部
 大正12年 大亀谷山 島根県史
 大正14年 大亀谷山 石見誌

 1715年 おそらかん山 戸河内森原家手鏡帳
 1738年 おそらかん山 申定鈩山約束之事
 1819年 オソラカン 書出帳・戸河内村
 1825年 ヲソラカン山 芸藩通志
 
 1825年 そかひ山 芸藩通史志(日本興地図引用)
 1834年 ソカヒ山 大日本興地便覧
 1837年 ソカヒ山 国郡全図

 旧羅漢山

 1825年 西十方山 芸藩通志
 江戸末期 西十方 吉和村絵図
 匹見町史
 (匹見町の人々は匹見羅漢)



 下の絵図、『石州古図』(石見国絵図)1818年には春日山と並んで十方山があるが、ソカヒ山はない。

 『石見国全図』1876年には、安芸国に狩尾山があるが、石見国、安芸国ともその他の山名はみられない。

『石州古図』(石見国絵図) 1818年
道川村・下道川村に春日山・十方山
(島根大HP)
 
 『石見国全図』 1876年
狩尾山があるが他の山名はない
(島根大HP)


 下の絵図、『大日本與地便覧』安芸国1834年にソカヒ山がみられるが、『大日本與地便覧』石見国には、底見周辺に山名がない。

『大日本與地便覧』安芸国 1834年
戸河内と底見の間にソカヒ山
(神戸大HP)
 
『大日本與地便覧』石見国 1834年
底見周辺に山名がない
(神戸大HP)

 下の絵図、『国郡全図』安芸国1837年にはソカヒ山があるが、『国郡全図』石見国の底見の周辺に山名がみられない。

『国郡全図』安芸国 1837年
底見と八幡原の上にソカヒ山
(神戸大HP)
 
『国郡全図』石見国 1837年
底見と八幡原周辺に山名はない
(神戸大HP)

 「『一に西十方をおそらかん山とよぶ、日本興地図に、石見界に高山そかひ山としるすは、おそらかんのことなるべし』とあるのはよく知られている」(「西中国山地」)とある。

 「石見界に高山そかひ山」とありながら、古い絵図では安芸国の絵図だけにソカヒ山があり、石見国の絵図にはソカヒ山が全く見れらない。

 島根大学のHPでは石見国の絵図が23図あるが、いずれもソカヒ山はない。

 「『芸藩通志』の編者のように『おそらかんのことなるべし』と言いきることはとてもできない。両地区に記されている位置からいって、むしろ吉和村の女鹿平山の可能性が考えられるが、目下のところソカヒ山は調べようがなく、幻の山というほかない」(「西中国山地」)。


 石見国の古い絵図にソカヒ山はないが、古文書に「カエノ川」がある。

 十方山(恐羅漢山)から広見に「加江ノ川」が流れていた。

 「山田郷内(匹見)の東村には、加江(かえ)ノ川が流れておる。その源泉は、芸石の境を限る広見河内の奥にそびえたつ十方山から流れ下っており、住民の飲料水として、人々ののどをうるおしておる…

 附言山田郷内東村、有加江乃川。源芸石広見河内奥、自十方山下流而到干此(山田郡匹見八幡宮祭神帳−慶安八年=1655年)」(『石見匹見町史』)。

 広見川は古代には「加江ノ川」(カエノカワ)と呼ばれていたようだ。

 『石州古図』(石見国絵図)1818年に石見国の山として十方山があり、『匹見八幡宮祭神帳』(慶安八年=1655年)にも十方山がある。広見川の水源は旧羅漢山であり、石見国では、この付近の山を十方山と呼んでいたと考えられる。

 石見国で「ソカヒ」と呼ぶ地名に近い地名に「カエノ川」がある。

 カエノ川

 カイノ川

 ソカイ → ソカヒ のように転訛した。

 阻カヒ=険阻なカエノ川の意ではないか。


●加江ノ川(カエノカワ)
 kaye
 カィエ
 曲がり・川

 裏匹見峡の広見川は、曲流する川である。


 アイヌ語地名・アイヌ語

 e-kay-cis
 エ・カイ・チシ
 頭・折られている・岩山

 pet-kay
 ペツ・カイ
 川が・折れた

 kay-un-nay
 カイ・ウン・ナイ
 曲がり川

 pet-kaye
 ペツ・カイ
 川が・折れる(別海)

 kaye-watara
 カィエ・ワタラ
 折れ・岩

 kay カイ
 kaye カィエ
 kayhe カィヘ
 折れ波

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カシミール3Dデータ

総沿面距離17.8km
標高差622m

区間沿面距離

二軒小屋
↓ 3.8km
恐羅漢山
↓ 4.5km
広見林道
↓ 5.1km
焼杉山
↓ 1.3km
十方山林道
↓ 3.1km
二軒小屋
 

深入山
広見山
三本栃
三本栃と倒れた二本の幹
2004年11月13日の三本栃
4.2mブナ 焼杉山南面
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より) 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)