7:05 御境 気温14度 晴れ後曇り
7:20 島根大林道入口
9:50 林道の地図上の終点
10:35 林道の折返し点
11:20 1064ピーク
12:25 地図上の五里山
13:35 林道
13:55 御境
御境から488号線を進む。林が空けたところから匹見方面の雲海が見える。御境から西へ延びる送電線の峯に日が射している。15分ほどで島根大学匹見演習林の南側の林道に入る。
国道から少し入ったところに、匹見演習林の許可標識がある。それをみると、演習林の区域は相当広い。林道入口から地形図上の林道終点までの、南側は県境尾根、北側は国道488号線までの範囲になっている。さらに国道から北へ延びる林道周辺の先の裏匹見峡までとなっている。
植林地の林道を進む。階段を上がって送電線鉄塔へ出てみた。鉄塔はペンキ塗り変えの途中のようだった。東側が空けている。五里山の峯の先に恐羅漢山が見える。鉄塔の傍に島根県の水防情報システムの設備がある。
アキチョウジ |
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ミヤマガマズミ |
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日の射す植林地の林道を進む。林道が半分崩れたところがあった。北側が空け、広見山から西側へ続く峯が見える。二つ目の崩れた地点に出る。ヒノキ林を進む。林道の北側は植林地だが、南側はブナの林が広がっている。イノシシが掘り返したヌタ場がある。
島根大学のマイクロバスがあった。そこから少し先に分岐道があった。山側の道へ少し上がってみたが、笹薮であった。大きいイタヤカエデが谷傍に立っていた。二台目の廃車があった。押しつぶされたように壊れている。その下の谷に石垣が見える。ナカノ谷の水源にあるワサビ田の跡だった。
保安林内の許可標識の看板が倒れていた。「(独)森林総合研究所の作業道継続使用」と書かれている。北側へ延びる尾根に沿う辺りから、林道は薮になる。林道が尾根を回りこんで東に向きを変えると、薮は消え、植林地の林道となる。山腹に大きいブナが見える。
林の間から広見山、半四郎山、向半四郎山が迫ってくる。その左手に春日山が見える。谷側に進むと、野生化したワサビの葉が見られる。この辺りはカドイシ谷の水源だが、ワサビ田があったようだ。ヌタ場に水が溜まっていた。
二番目のヌタ場 |
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アキノキリンソウ |
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クサギ |
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ハチガヒラ谷水源から見た左岸林道の薮 |
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折り返し点の薮を引き返す |
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所々、薮となっている林道を進み、三番目の廃車がある地点まできた。前方が空け、1158ピークが見える。向半四郎が目前に、右に半四郎山、広見山が迫る。地形図上の終点に近付くと、林道は薮と化す。終点を過ぎても、薮の道が続いている。1064ピークが頭上に現れる。
猛烈な薮道はハチガヒラ谷の水源まで下りていた。そこが終点かなと思っていた所、薮の道が谷の右岸に続いていた。薮を抜けると、林道は奥へ続いていた。谷側へ進むと、野生化したワサビの葉が出ていた。振り返ると五里山の峯が見える。
林道が薮になったところで引き返した。イノシシがワサビを掘り返した跡があり、ワサビの根を食べていたようだ。1064ピーク北東の鞍部から下りる小谷を登る。15分ほどで笹薮の鞍部に出た。ササを分けて鞍部から15分ほどで1064ピーク。
イノシシがワサビを掘り返した跡 |
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ツリフネソウ |
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ヤマボウシ |
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1064ピークから南側の植林地に進み、南西の鞍部へ下る。鞍部から植林地を登る。途中、北側の展望地に出た。十方山の長い南西尾根が見える。十方山と1158ピークの間にに丸子頭が見える。
植林地を抜けると笹薮になる。地図上に「五里山」と書かれたササの峯を通過する。1124ピーク南西の展望地に出た。周辺はガスで霞んでいる。リョウブが実を付けていた。展望地からガスが覆う峯を西へ下る。
ブナの周辺に枝がたくさん落ちていた。幹に爪痕があった。小熊のようだった。見上げると熊棚があった。ガスは霧雨に変わった。途中、植林地の県境尾根から南へくだり、林道に出た。
少し休んで林道を下る。まだシシウドの花が残っていた。アキノキリンソウが咲いている。10分ほどで国道に出た。林道の入口は閉じられていた。
アケボノソウ |
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ウド |
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ママコナ |
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ガンクビソウ |
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ヒヨドリバナ |
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マムシグサ |
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リョウブ |
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オタカラコウ |
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キクバヤマボクチ |
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シシウド |
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御境のクリ |
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ミカエリソウ |
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モミジガサ |
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サンインヒキオコシ |
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■地名考
「五里ナカエが県境を越す峠の名は、故甲佐直一氏より初めてオサカエという呼称を教えてもらったが、保矢ケ原では現在でもオサカエと呼んでいる人が多い。吉和側では、この峠が村里より遠く離れているため峠の名を知っている人に会わなかった(「西中国山地」桑原良敏)。
吉和村大向と匹見町野入を結ぶ石州街道は、匹見町側、吉和村側ともに昔から五里ナカエ≠ニ呼ばれており、この呼称は現在も使われている。「ナカア・ナカエ・ナカラ」は「…の間」を意味し、五里ナカエは五里の間、つまり石州街道自体の長さを表わしている(「西中国山地」)。
石州街道は大向から大町谷、角兵衛の墓、お関の墓、オセキガ峠、セキガ谷、長者原、オモ川、バンジョウ川、御境を通って小郷谷から野入へ抜けていた。もともと五里山という地名はなく、五里ナカエと呼ばれて、五里にわたる長い街道沿いの山々の意として使われていた。
オセキガ峠、セキヨ谷、セキヤ谷の地名は「関代」という娘の名を取って名づけられた地名である。オセキガ峠にはお関さんの墓とよばれる自然石の墓がある。津和野藩の若い武士と女郎お関との悲恋物語で、二人は兄弟であることがわかり、オセキガ峠で自害する。
「匹見町史」では石州街道の悲恋哀話として記されている。浜田藩の家中の関代と若い武士が相思の間柄となるが、兄弟であると分かり、五里山の山中で自害する(「西中国山地」)。
春日野満の『ひきみ川』では、二人は乞食の設定である。二人は匹見側のゲジガ谷から登り、御境を越えて、戸河内郷に出る押ヶ峠の炭焼小屋に一夜を明かす。オシガ峠が「おせきが峠」に設定されている。
匹見、吉和の両方で「オセキ」の地名が残っていることは、「オセキ」の呼名はかなり古くから知られていたと思われる。それが連想を生み、お関、関代の悲恋物語がつくりだされたのではないか。
●オセキ
●オシガ谷
周辺に狼地名は、聖山東に狼岩、狼岩山がある。安蔵寺山に狼岩、オオゼリがある。大神ヶ岳はダイジンと呼ぶがオオカミに関連する地名かもしれない。
聖山西にオシガエキとホテのタキがあり、狼岩が近い。ホテはアイヌ語でオオカミである。スズノオオ谷にオシガ谷とヨコセ谷、馬ノ背がある。
アイヌ語オオカミはオーセカムイと呼ぶ
wo-se-kamuy
オーセ・カムイ
ウォーと・吠える・神
日本語オオカミは狼であり、単語を分解しても意味はない。大神の意でもない。オオカミの語源はオーセカムイと考えられる。
カシミール3Dデータ
総沿面距離9.3km
標高差230m
区間沿面距離
御境
↓ 5.6km
島大林道折返し点
↓ 0.8km
1064ピーク
↓ 0.8km
五里山
↓ 2.1km
御境
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