山歩き

御境…島大林道…赤谷…小郷谷
2015/9/13

御境…島大林道…送電線尾根…488号線…赤谷林道…コゴウ谷…御境

■小河奥(オガワオク)749.6m:島根県益田市匹見町匹見イ1914番2

雲の掛かる御境から国道488号線を進む
488号線から島大林道に入る
植林地の島大林道
ササの繁る島大林道から左の山道に入る
34番鉄塔へ上がる分岐
倒木が山道を塞ぐ
深く掘下げられている36番鉄塔東の尾根中央部
空けている36番鉄塔
左 37番鉄塔に上がる山道
38番鉄塔西の分岐道
空けている41番鉄塔
41番鉄塔から階段を下る
尾根から北側の谷に出る
尾根の空けた所から赤谷奥の鉄塔が見える
488号線は封鎖されている
小河橋(小郷橋)を渡ると左に赤谷林道
白く泡立つコゴウ谷落口
赤谷に架かる橋
山道の上に石垣
コゴウ谷左岸の往還道に入る
炭焼跡
往還道を切る左岸の小谷
往還道にある石垣
コゴウ谷右岸の石垣
往還道を歩く
岩壁の下を通る
滝のある左岸で往還道が消失
クワノキ谷右岸の炭焼跡
コゴウ谷水源
7:45 御境  気温13度 晴れ
 

8:00 島根大林道
8:10 林道から山道へ
8:55 749三角点付近
10:20 小河橋(小郷橋)
10:30 コゴウ谷入口
12:00 小滝
12:10 クワノキ谷落口
15:15 御境


 雲の掛かる御境から488号線を進む。15分ほどで島大林道。入口に「島根大学農学部附属 匹見演習林」の看板がある。島大林道は国道を挟んで東側に、五里山1064ピークの北側まで延び、国道の北側に942ピークの先まで延びている。

 国道から北側へ、植林地の林道に入る。少し進むと西側に山道があるが、鉄塔へ上がる道のようだ。林道を10分ほど進むと、山道が植林地の中に入っている。入口に中電の標柱が立っている。

 山道の真ん中を、イノシシが深く掘った跡が残っている。山道は970ピークの南側を通る。34番鉄塔へ上がる標柱がある。しばらく進むと、倒木が道を塞いでいた。ナラの大木が倒れていた。ちょうどその辺り、尾根上に石垣が残る地点であった。

ママコナ

 そこから少し進むと、尾根の真ん中が深く掘られていた。谷が入り込んでいるのかと思ったが、おそらく鉄穴流し(カンナ)の跡であろう。少し先の36番鉄塔の東側も、同様に深く掘られていた。

 36番鉄塔に進むと、西側が空けている。送電線が続き、赤谷西の尾根には雲が掛かっている。山道にはイノシシが掘り返した跡が続いている。標柱のところから37番鉄塔に上がる。ここは展望はない。749m三角点は鉄塔の先の薮の中であった。

 37番鉄塔から尾根を西へ下ると標柱に出る。38番鉄塔を過ぎて少し進んだ所に、コゴウ谷側に分岐道がある。39番鉄塔を過ぎると、尾根が分かれるが、左の尾根に入る。

ギンリョウソウ

 40番鉄塔を通り、41番鉄塔へ出ると、前方が空け、山々が見える。右手に鈴ヶ岳が見える。そこから下は階段の山道に変わる。山道は北側の小谷へ下りる。小谷の左岸の踏み跡を辿ると、尾根の薮に出た。尾根の空けたところから赤谷の奥の鉄塔が見える。そこから小河橋へ下りた。尾根北側の小谷をそのまま下った方が大分楽だった。

 488号線入口は、新たに金網の門が作られ、封鎖されている。小河橋(小郷橋)を渡り、赤谷林道を進む。コゴウ谷出口は水しぶきをあげて落ちている。赤谷に架かる橋を渡ると、右岸に山道が入っている。

 入口から少し入ったところの上部に石垣がある。往還道の跡か小郷谷鈩の跡であろうか。山道を進むと、コゴウ谷左岸に幅広の山道が残っている。少し進んだところに炭焼跡の石積があった。

ミヤマシキミ

 そこから少し先の左岸の小谷が、山道を切り、滝になって落ちている。そこから間もなく石垣のある平坦地がある。往還道を通る人々のための茶店でもあったのだろうか。そこから少し進むと、右岸に石垣が見える、そこに山道が通っている。この辺り橋が架かっていたと思われる。ちょうど右岸の尾根の鉄塔を結ぶ道に分岐道があったところである。

 さらに先の上流右岸にも石垣が見え、山道が通っている。さらに進むと、山道が消えている。水流に抉られたようだ。崩壊地点を越えて進むと、また往還道があらわれる。次の崩壊地点を過ぎた小谷に石積があった。

 岩壁の下を通り、滝のところで往還道が消失している。クワノキ谷を渡ると、かなり大きい炭焼跡の石積がある。地形図では、往還道はクワノキ谷から尾根を通るようになっている。

ツリガネニンジン

 クワノキ谷右岸の山道を進んだが、クワノキ谷の奥へ入るばかりであった。途中から尾根を進むが、道らしきものは残っていない。尾根から再び谷へ下りる。谷を歩いていると、往還道に出た。しかしこの附近は点々と往還道が残っているだけだった。

 谷の分岐を越えて進むと、往還道は消え、谷歩きとなる。コゴウ谷の水源に入り、谷の入口から5時間ほどで御境に出た。峠のクリの木にたくさんの実が生っていた。



御境直下の水源
峠下
コゴウ谷水源から御境の標識の裏に出る
御境の国道に出る



ツリガネニンジン
キバナアキギリ
ヤマハギ
ヤマジノホトトギス
御境のクリ
リョウブ
アケビ
ウド


 保矢ヶ原から小郷谷を通り、御境に上がる匹見と吉和を結ぶ往還道があった。

 「当町の保矢原から右斜に、一里半にわたる五尺幅の小径を、一時間ばかりを要してさか上がると、標高960mの峠に達する。頂上の御坂には、据え石の休み場があり、附近には厳冬に遭難凍死した人の墓が数基も散在しておる。

 ここから吉和へ向かって下ると、三十分で麓の二軒茶屋に達する。この茶屋は旅行者に対し時に茶菓を供し、時に望にまかせて宿泊もさせた。山には、スギ・ブナ・クリ・クヌギ・トチ・ケヤキ・ナラが一面に繁っておる。山の斜面は当町側が急で、吉和側がやや緩である。

 明治の中期、広島の連隊へ入営する美濃郡内の入隊兵は、等しくこの五里山を越えたものであるが、見送り人は、保矢原で最後の別れに、名残を惜しんだと言う。

 今日広島県側には、林道を通じておるが、林道と言っても3m幅の立派な道が通じ、貨物自動車が疾走する点は、匹見側に比べて雲泥の差がある。明治36年、広見林道が通じてからは、五里山の山麓から広見へ向かって新しい道が出来た」


 「江田から半田をすぎ、橋を渡って山根下に出で、広見川に沿うて植地を通り、山根上に出る。ここには番所があった。かくて立野原を過ぎ、裏匹見峡の玄関口に当る夫婦渕の側を通り、夫婦渕の絶景を眺めながら保矢カ原を行き切るといよいよ五里山の登り口にかかる。

 スギ・ブナ・クリ・クヌギ・トチの密林をくぐりながら、次第に歩を運ぶと標高九四六mの頂上たる御坂に達する。ここは芸州との国境で石の休み場があり、又附近には厳冬に遭難死した人の墓が数基も散在しておる。

 五里山の匹見側にあたる三合谷に関代谷があって、そこには一基の石碑が建てられ、女主人公の悲恋哀話を世に留めている。

 …この街道は八幡原街道とともに、芸州へ通ずる幹線道であるが、地勢から見て、臼木谷から八幡原に通ずる道が自然であるが、矢張り往来は頻繁であった」(『石見匹見町史』矢富熊一郎)。


 江戸期、虫ヶ谷から広見に抜ける広見街道があった。

 「広見は全く四周から隔絶された別天地である。従って江戸期の通路は、不便きわまるものであった。江田・半田・萩原から虫ヶ谷に通ずる道は、ここから東南に向かって、山中に入り小虫に出る。

 ここから東南に向かうと、広見小学校の上に出る。ここから道を東北にしばらく取り、さらに東に歩を運ぶと、芸石の国境を越えて、芸州の佐伯郡に入り、道を東北に向かうと、傍示峠を越えて山県郡の二軒小屋に出る。

 さらに広見下から南上すると、五里山の頂上、御坂の国境に出で、芸州の吉和に下ることが出来る」(『石見匹見町史』)。


 匹見から吉和に出る道は三つあったようだ。

 コゴウ谷の往還道。

 ゲジガ谷からイチロエキを通り御境に出る道。

 赤谷から堀割、ニソウ谷、バンジョウ川を通る道。




地名考

 十方山(恐羅漢山)から広見に「加江ノ川」が流れていた。

 「山田郷内(匹見)の東村には、加江(かえ)ノ川が流れておる。その源泉は、芸石の境を限る広見河内の奥にそびえたつ十方山から流れ下っており、住民の飲料水として、人々ののどをうるおしておる…

 附言山田郷内東村、有加江乃川。源芸石広見河内奥、自十方山下流而到干此(山田郡匹見八幡宮祭神帳−慶安八年=1655年)」(『石見匹見町史』)。

 広見川は古代には「加江ノ川」(カエノカワ)と呼ばれていたようだ。ヒキミの呼名も平安末期に遡る古い地名である。

 元暦元年(1184年)に疋見丸毛別府、元暦2年に疋見別府の地名がみられる(『益田家什書』)。


 御境(オサカエ)、 五里ナカエの呼名は、広見川の古名「加江ノ川」と関連があるのだろうか。



●加江ノ川(カエノカワ)
 kaye
 カィエ
 曲がり・川

 裏匹見峡の広見川は、曲流する川である。


 アイヌ語地名・アイヌ語

 e-kay-cis
 エ・カイ・チシ
 頭・折られている・岩山

 pet-kay
 ペツ・カイ
 川が・折れた

 kay-un-nay
 カイ・ウン・ナイ
 曲がり川

 penke-ho-kay-nutap-nay
 ペンケ・ホ・カエ・ヌタフ・ナイ
 川下・尻・折れる・ヌタプ・川

 pet-kaye
 ペツ・カイ
 川が・折れる(別海)

 kaye-watara
 カィエ・ワタラ
 折れ・岩

 kay カイ
 kaye カィエ
 kayhe カィヘ
 折れ波

 kay-kay
 カイカイ
 折れ波・くだけ波・白波




●御境(オサカエ)
 osan-kaye
 オサン・カィエ
 山から下る・曲がり・川

 オサカエの呼名はいつごろからであろうか。広見川の古名カエノカワと関連ある地名であれば、川の曲流地形をあらわしているのではないか。

 アイヌ語・アイヌ語地名

 osan
 オサン
 降りる・下る・出る・山上から山下へ出る

 ru-o-san-i
 ルオサニ
 道が・そこで・浜の方へ・出る・所

 apka-o-san-pe
 アプカ・オ・サン・ペ
 雄鹿・そこへ・出てくる・所

 so-san
 ソウ・サン
 滝・流れ出る


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カシミール3Dデータ

総沿面距離8.2km
標高差620m

区間沿面距離

御境
↓ 0.7km
島大林道
↓ 3.5km
小河橋(小郷橋)
↓ 2.0km
クワノキ谷
↓ 2.0km
御境
 

41番鉄塔から西側を望む
尾根から赤谷奥を望む
  
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)