山歩き

苅尾山…掛津山…鷹の巣山…尾崎沼
2014/11/23

押ヶ峠…ウマゴヤ谷…苅尾山…掛津山…土草峠…八幡洞門…八幡三方辻…鷹の巣山…尾崎沼…押ヶ峠

■苅尾山(カリオサン・カリウザン)1223.4m:山県郡芸北町大字臥竜山(点の記) 北広島町
■刈尾山(カリオヤマ)1123m:山県郡八幡村大字東八幡原字苅尾(点の記) 北広島町
■掛津山(カケヅヤマ)1126.1m:山県郡八幡村大字東八幡原字掛頭(点の記) 北広島町
■二川(フタゴウ)998m:山県郡八幡村大字西八幡原(点の記) 北広島町
■鷹巣山(タカノスヤマ)943.3m:浜田市金城町波佐(点の記)

橋田屋橋(牛渡)から見た湖成段丘
人参畑跡
ススキ原の登山口 雲の下りる狩尾山
登山道から千町原を望む
大きいブナがあらわれると林道終点
苅尾山=臥竜山
ブナ尾根を北へ
倒れたブナ
掛津山のアンテナ塔
サルキ峠
車道から望む深入山 苅尾山
カシワの多い掛津山
枯木ヶ平山
北端のアンテナ塔から山道に入る
眼下の雲耕
土草峠
八幡洞門の上
土塁を進む
八幡三方辻
本坪谷から上がる林道に下りる
鷹の巣山
オザキ谷水源に上がる作業道
尾崎沼の遊歩道
オザキ谷水源
マツ林が囲む尾崎沼
尾崎沼湿原
遠望地から古代八幡湖を望む
大歳神社のブナ
6:45 押ヶ峠 晴れ 気温1度
 

7:15 人参畑跡
7:20 登山口
8:10 菅原林道終点
8:30 苅尾山
8:55 1123三角点(刈尾山) 
9:20 サルキ峠
9:55 掛津山 
10:25 土草峠
10:50 二川三角点
11:10 八幡洞門
11:50 八幡三方辻
12:25 林道
12:35 鷹の巣山
13:10 作業道
13:40 尾崎沼遊歩道
14:05 古代八幡湖遠望地
14:10 大歳神社
14:45 押ヶ峠


 押ヶ峠から橋田屋橋を渡り、刈り取られた田んぼが続く盆地を通り、湖成段丘に上がる。ここは800m標高の丘である。藩政時代の人参畑跡を通り、ウマゴヤ谷登山口に出る。苅尾山は雲が下りている。

 登山口から枯れススキの道を進む。ススキの向こうに千町原のススキ野が見える。ススキ原から雑木林に入り、ウマゴヤ谷を渡ると山道になる。山道にクマ棚は見られない。900m付近にホオノキの実が多く落ちている。

 大きいブナの山道を通り、菅原林道終点に出た。そこから20分ほどで苅尾山。登り始めは、雲が下りていたが、山頂は薄日が射していた。林越しに八幡盆地が見える。

ホオノキ
葉が残るブナ

 濡れたササ尾根を北へ進む。ブナ林に日が射している。倒れた大きいブナの横を通る。林道終点への分岐に出ると、そこから東側はスギ林になっている。ブナに紅葉した葉がたくさん残っていた。1123三角点は笹薮の中にある。尾根を下り始めると、掛津山のアンテナ塔が見えてくる。

 所々とクマ棚がある。カシワがあらわれると、サルキ峠が近い。苅尾山から1時間ほどでサルキ峠。キリガ谷から山道が上がっている。いったん車道に出て、すぐ山道に入る。ここもカシワが多い。再び車道に出ると、南面への展望がある。苅尾山の左に深入山が見える。

 車道からカシワの林に入る。二つのアンテナ塔を過ぎると、掛津山三角点。苅尾山から1時間半ほど。周辺はカシワの林である。東面のスキーリフト終点に下りる。リフトの先に枯木ヶ平山が見える。北東方向に見える天狗石山の山塊が大きい。

カシワが多い山道 山頂南

 掛津山から車道を北端に進む。東面はブナ林になっている。アンテナ塔の先に山道が下りている。大岩の横を下る。林越しに雲耕の里が見える。落ち葉を踏み、30分ほどで土草峠。車道が雲耕へ下りている。

 日の射す南面の尾根には、エゾユズリハが多い。アカマツの入る尾根を登る。二川三角点を通り、植林地を下る。尾根道にイノシシの跡が続いている。土草峠から40分ほどで八幡洞門。下のトンネルは雲耕へ降りている。鞍部を電線が通る。

 尾根道を進む。陸軍のセメント標柱がある。いつの間にか土塁の上を歩いていた。土塁の右は植林地。陸軍標柱と大佐山への道標のある八幡三方辻に出た。北側に大原山が見える。西へ進むと分岐がある。明瞭な山道は西へ続いているが、ここで南へ折れる。

 八幡三方辻から30分ほどで、本坪谷から上がる林道に出た。林道を少し山手に上がると、山道へ入る踏み跡がある。10分ほどで鷹の巣山。ここにも陸軍標柱がある。

クマ棚 サルキ峠南

 南の尾根を下るが、薮である。薮の林道にいったん出て、さらに植林地の薮尾根を下り、本坪谷の林道に下りた。林道を少し下ると、オザキ谷水源に作業道が上がっていた。作業道から水源の薮を下る。30分ほどで尾崎沼(新川溜池)の遊歩道に出た。

 濡れている遊歩道の木道はよく滑る。沼の周りはマツ林になっている。潜っていた黒いカワウが驚いて飛び立つ。土手に出て、尾崎湿原を通る。車道から古代八幡湖遠望地に出る。この辺りの標高は775mである。この標高面が、柴木川沿いに下流に広がっている。

 八幡湖遠望地から真っ直ぐ南に進む。新開橋の上流、下流に小堰堤がある。大歳神社には大きいブナの木があった。経塚橋を渡り、押ヶ峠に帰着。

エゾユズリハ
ツルシキミ
スイカズラ
オオミズゴケ



地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

 『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。

 「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。

 「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。

 「日本語、アイヌ語、さらには朝鮮語には、音韻上、文法上の特徴において、あるまとまりがあるみれれるといってよいであろう。あるまとまりがみられるということは、これらの言語には、共通の基盤があることを思わせる。
 …日本語、朝鮮語、アイヌ語の共通の基盤を、『古極東アジア語と名づけることにする』」(『日本民族の誕生』安本美典)。

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 古代八幡湖の消滅と出現

 「八幡盆地は標高750m〜800mで、西中国山地の中でも最も標高の高い盆地である。周囲は1000mを越す山々をめぐらし、かなり広い面積を占めている。

 …多雨域なので、盆地内の平坦地には湿地が多く、特異な景観をなしている。

 …湖成段丘が780m〜810m標高にあることにより、古八幡湖の水面は、800mから810m標高であった。

 …八幡盆地の水は、柴木川となり、現在盆地の周辺にある休ヶ峠(木束峠)は798m、虫送峠は770mで、古八幡湖の水面より低くなっている。これは周布川、匹見川の源頭部の急速な侵食によるものと説明されている。

 …盆地内の泥炭層の花粉分析から…古八幡湖は二度に渡って出現した…氷期または晩氷期に出現していた第一古八幡湖…第二古八幡湖の水が柴木川へ流出して、現在の状態になった…第一古八幡湖の消滅と第二古八幡湖の出現の機構はどう考えればよいのだろう」(「西中国山地」桑原良敏)。


 中村純氏は盆地内の泥炭層の花粉分析を行い、次のことが明らかとなった(『八幡湿原の花粉分析学的研究』)。

 @ 氷期または晩氷期には、八幡盆地付近は亜寒帯性の針葉樹林におおわれ、山麓地帯には落葉広葉樹が分布していた。その当時は第1古八幡湖が盆地内に形成されていた。

 A ついでこの湖沼の水位の低下とともに、湖底堆積物は剥脱作用を受け、この状態はRU末期まで継続した。この間露出された湖底面には、周囲の植物の侵入が行われ、ハンノキ、時にはスギの叢林すら見られた。

 B しかしその後水位の回復とともにこれらの叢林は水没して姿を消し、第2古八幡湖が形成された。その当時はイネ科花粉の粒径頻度によると、既に付近にはイネ科植物の栽培が行われていたらしい。たま Quercus(コナラ属) の同様な頻度図によると現在より常緑性カシ類の頻度が高く、現在よりもいくぶん温和な気候下にあったらしい。かくして第2古八幡湖はしだいに陸化して、現在のごとき湿原となり、その一部は水田となり、周囲の森林も伐採を受け、特にスギは減少してアカマツがその跡地に侵入し現在の植生状態に達したものであろう。


 八幡湿原花粉分析地=資料bP7地点の深度135cmが7090±145yrB.P.であることが分かっている。この地点は@とAの境目になる。135cm地点より上は、ハンノキ花粉が急増している。

 長者原湿原でも花粉分析が行われ、6500〜4000年前にかけて、ハンノキ花粉が急増する。

 このことは、湖沼の水位の低下とともに、湖沼周囲にハンノキなどの侵入があったと考えられている。

 ところが、4000年前以後、長者原湿原では、ハンノキ花粉が急減する。八幡湿原でも75cmより浅い地点からハンノキ花粉が急減する。

 これらのことから、湖沼水位が回復しと考えられている。長者原湿原は深度125cmで8000前に遡る。


 八幡湿原から20km東の枕湿原で花粉分析が行われ(芸北町美和地区)、次のような分析結果になっている(『中国地方の湿原堆積物の花粉分析学的研究 W枕湿原』三好教夫・波田善夫)。

 RT期 9000〜10000年前
      ツガ・マツ・トウヒ・カバノキ時代

 RU期 4000〜9000年前
      スギ・コナラ落葉・ハンノキ時代

 RVa期 1500〜4000年前
      コナラ落葉・コナラ常緑・ハンノキ時代

 RVb期 0〜1500年前
      マツ・スギ・コラナ落葉時代


 長者原湿原、枕湿原の花粉分析結果を、八幡湿原に当てはめると、次のように表すことができる。

 RT期 9000前〜
      マツ・モミ・ツガ・トウヒ時代

 RU期 1800〜9000年前
      スギ・コナラ・ハンノキ時代

 RV期 0〜1800年前
      マツ・コラナ時代

 マツ属・モミ属・ツガ属・トウヒ属の針葉樹時代に、八幡湖が形成されていた。トウヒは7000年前まで、枕湿原では8000年前まで出現している。7000年より前(135cm以下)、コナラ属が減じているが、長者原湿原では6500〜8000年の間に、コナラ属(落葉型)のピーク(125〜100cm)がある。

 枕湿原では9000年にコナラ属(落葉型)のピークがあり、それより以前(RT期)には減じている。八幡湿原では7〜9000前年付近の堆積物が剥脱されていると考えられる。

 八幡湿原では、7000前年以後、水位の低下とともに、堆積物が剥脱されたが、長者原湿原では、堆積物の剥脱はなかったと考えられる。

 7000前、水位の低下とともに、ハンノキなどの叢林が侵食面に成立する。7000年前以後、120〜70cm付近にハンノキ花粉が異常に多数検出される。長者原湿原では6500〜4000年前にかけて、ハンノキ花粉が急増する(100〜70cm)。長者原湿原でも水位の低下があったと考えられる。

 その際、長者原湿原の水位の低下は、八幡湿原より500年遅れて発生したと考えられる。古代八幡湖の湖面標高が800m、長者原湿原が780mであることから、その標高差が水位低下の遅れとなったのではないか。

 ハンノキ花粉は60cm付近から急減する。スギ、コナラも減ずる。長者原では4000年前以後、ハンノキ花粉が急減し、スギ、コナラも減ずる(70cm付近から)。

 4000年前後、水位は再び回復に転じ、ハンノキなどは水没して姿を消し、第2古八幡湖が形成された。


 8000年前、第1古八幡湖が盆地内に形成されていた。湖面標高は約800〜810mで、湖の排水口は810m以下であったと考えられる。

 周辺では、カワヨシノボリ斑紋型が、匹見川と八幡盆地にのみ生息することから、古代には、匹見川の水源は八幡盆地であったと考えられる。

 「カワヨシノボリ斑紋型(ハゼ科の淡水魚)が太田川水系内で確認されたのは八幡盆地だけであり、八幡盆地近隣の河川で分布しているのは別水系となる高津川水系匹見川のみである。また、匹見川と八幡盆地との間は不完全な分水嶺となっている虫送峠があり、これは川が流れていた痕跡とされる風隙と思われ両地域を連絡する河川がかつて存在したことを予測させる」(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範)。


 虫送峠北の県境尾根の795m標高に粘土・シルト状の層があり、その下側に角礫がある。県境尾根の北側にも粘土・シルト状の層がある。第1古八幡湖の排水口は、虫送峠北の県境尾根にあったと考えられる。

 その後、水位が回復し、第2古八幡湖が形成された。第2古八幡湖の排水口は、虫送峠北の県境尾根にあったが、排水口が除除に侵蝕され、虫送峠に下っていった。その後、柴木川の谷頭浸食が進み、柴木川に河川争奪された。

 古代八幡湖、8000年前と4000年前の、2度にわたる古代八幡湖の消滅と出現を、旧石器人、縄文人は目撃していたと考えられる。

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●八幡原(ヤワタハラ)
 ya-wata-para
 ヤワタパラ
 陸の・海・広い

 八幡原周辺には旧石器時代から人々の出入りがあった。2度にわたる古代八幡湖の出現を、旧石器人、縄文人は目撃していたと考えられる。

 「樽床遺跡群は、人工湖である聖湖に面した丘陵を中心に立地している。旧石器〜縄文時代を中心とする遺物が採集され、旧石器時代の遺物は、縦長剥片素材の基部加工ナイフ形石器、掻器や整った形態の縦長剥片が多数採集されており、石材は黒曜石、安山岩などだが、黒曜石の割合が高く、理化学分析では島根県隠岐産という分析結果が出ている。

 出土石器は後期旧石器時代後半期に位置づけられるものと思われ、隠岐からの距離は直線で約200kmあることや石器群の特徴が山陰・北陸地域と関連を持つことなどから、今後の調査・研究の進展が期待される」(「広島大学埋蔵文化調査室」)。

 縄文・旧石器時代を通じて、八幡原や樽床に隠岐や姫島(大分県)産の黒曜石を持ち込んでいた人々は、広い海を知っていた人々である。

 海の朝鮮語 pata,pada

 アイヌ語彙
 atuy-okake アトウィ・オカケ 海の跡
 atuy-pa アトウィ・パ 海の頭
 atuy-kes アトウィ・ケシ 海の末
 atuy-noski アトウィ・ノシキ 海の真ん中
 watara ワタラ 海中の岩
 wa ワ 渡渉する・渡る
 wawa ワワ 渡渉する・渡る

 at または wat アッ・ワッ オヒョウニレ

 万葉集の海=わた
 海神 わたつみ
 海中 わたなか
 海の底 わたのそこ

 日本書紀・古事記の海
 海北 わたのきた
 海西 わたのにし
 海表 わたのほか

 アイヌ語地名
 ya-ta-cis ヤタチシ 陸の・方の・立岩
 ya-kus-i ヤクシ 丘を・通る・所
 ya-un-kur ヤウンクル 陸・の・人
 ya-wa-an-pet ヤワンペッ 陸の・方に・ある・川

●シジリ谷(カジヤ谷)
 si-siri シ・シリ 大きい・崖

 シジリ谷はカジヤ谷とも呼ぶ。聖山はシジリ谷が山名になっている。検地帳では「シシリ谷」と呼ぶ。シジリ谷は樽床ダムの懸崖の間を通って、三ツ滝に落ちる谷である。
 シシリ→シジリ→ヒジリと転訛した。

●二川(フタゴウ)
 hutat-kowen
 フタ・コウ
 ササ・悪い

 ▲西中国山地「フタ」地名

 フタ谷(三段峡) hutat フタ ササ谷

 フタツバラノ谷(小室井山) hutat-para フタッ・パラ ササ・広い

 フタツバシ(大峯山) hutat-has フタッ・ハシ ササ・枝

 スグフタ(築山) tuk-hutat ツク・フタ 生える・ササ

 アイヌ語
 知里神謡138 nesko wakka kowen クルミ・水・悪い
 知里別巻1-185 nesko-wakka-ko-wen
 アイヌ語入門 hutat-sar フタッ・サル 笹・やぶ

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カシミール3Dデータ

総沿面距離20.0km
標高差454m

区間沿面距離

押ヶ峠
↓ 5.1km
苅尾山
↓ 3.3km
掛津山
↓ 4.1km
八幡三方辻
↓ 1.5km
鷹の巣山
↓ 1.7km
尾崎沼
↓ 4.3km
押ヶ峠
 

深入山と苅尾山
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)