山歩き

虫送峠…長者原…苅尾山…ウマゴヤ谷
2014/11/3

虫送峠…峠北の県境…191ゲレンデ…橋田屋橋…長者原湿原…苅尾山…ウマゴヤ谷登山口…橋田屋橋…虫送峠

■苅尾山(カリウザン・カリオサン)1223.4m:山県郡芸北町大字臥竜山(点の記) 北広島町

虫送峠から作業道へ
作業道入口の粘土層
作業道入口の岩盤
臼木谷の紅葉
角礫の作業道の先に粘土・シルト層の露頭が続く
粘土・シルト状の層は作業道に向かってだんだん下る
県境尾根の北側はゲレンデ
県境北側直下のシルト・粘土状の層
ゲレンデから見た県境尾根
菅原林道分岐 右は長者原湿原
長者原湿原のカラマツ
カルカヤ橋と長者原
城ヶ谷の山
苅尾山登山口
ブナの山道
展望岩
恐羅漢山とヒジリ山
苅尾山
ブナの道を下る
ウマゴヤ谷
ウマゴヤ谷登山口
黒色土
千町原南西 右岸崖の粘土状の層
崖下の礫
水路にあるアナグマの巣
191スキー場に向かって進む
県境からみた高岳
6:40 虫送峠 晴れ 気温9度
 

7:10 虫送峠北の県境
8:00 橋田屋橋
8:55 長者原湿原
9:25 苅尾山登山口
11:00 苅尾山
11:55 ウマゴヤ谷登山口
13:40 橋田屋橋
13:50 県境尾根
14:25 虫送峠

 虫送峠から島根県側の作業道に入る。作業道入口の露頭に白っぽい粘土状の層が見られる。虫送峠北の770m標高にも粘土層がある(柱状図20)。そこから先の露頭は岩盤となっている。

 作業道を進む。臼木谷の紅葉が綺麗だった。780標高の作業道に角礫があり、その先の790m標高にシルト・粘土状の露頭が現れる。さらに進んで尾根に上がり、角礫と粘土状の層を結ぶ北の延長線の先の尾根端に出る。尾根の北側の広島県側は191スキー場のゲレンデになっている。

 795m尾根の北側のすぐ下を少し剥いでみると、作業道にあるシルト・粘土状と同様の地層が部分的にある。ゲレンデを下り、露頭のある北端に進む。790m丘の直下に露頭がある。西側に回りこむとプールがある。東側から滑り降り、ジャンプ台からプールに飛び込む施設だ。

ツルリンドウ

 橋田屋橋に進み、川沿いを東に進む。玉木橋付近から丘の縁を進む。林を進み、林道菅原線の分岐に出た。長者原湿原手前の林道の露頭に回り、湿原に出る。湿原端のカラマツが一本、黄緑色に染まっていた。湿原にアキノキリンソウが残っていた。

 カルカヤ橋に出て、川沿いに進む。対岸の城ヶ谷の山(911ピーク)が紅く染まっていた。ミズナシ谷の先から登山口に入る。落葉を踏み、大きいブナの傍を通る。ユズリハが黒い実を付けている。

 林道に出て、また山道に入る。1053Pの先で林道を横切る。1時間ほどで展望岩。眼下に聖湖、その上にヒジリ山、恐羅漢山、砥石川山、左手に深入山が見える。休憩して苅尾山に進む。山頂は岩丘になっている。

アキノキリンソウ

 ウマゴヤ谷へ下る。林越しに八幡盆地が見える。林道終点を通り、ブナの山道を下る。右手にウマゴヤ谷の流れが見える。長い平坦地を進み、ススキ原に出る。ススキと紅葉のコントラストが美しい。

 登山口から北の車道を進むと、かなり厚い黒色土がある。そこから西の林道を進み、谷に下りる。右岸の795m標高に崖があり、少し剥いでみる。白い粘土状の層が現れる。

 車道に出て、丘の西に延びる水路を進んだ。途中で北方向に延びているのを確認して引き返した。水路の横の穴にアナグマが入るのが見えた。車道に出て191スキー場に真っ直ぐ進む。

 橋田屋橋に出て、ゲレンデから県境尾根に上がった。臼木谷の先に高岳が見える。しばらく休憩して虫送峠に下った。

エゾユズリハ
ウバユリ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

 『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。

 「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。

 「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。

 「日本語、アイヌ語、さらには朝鮮語には、音韻上、文法上の特徴において、あるまとまりがあるみれれるといってよいであろう。あるまとまりがみられるということは、これらの言語には、共通の基盤があることを思わせる。
 …日本語、朝鮮語、アイヌ語の共通の基盤を、『古極東アジア語と名づけることにする』」(『日本民族の誕生』安本美典)。


●八幡原(ヤワタハラ)
 ya-wata-para
 ヤワタパラ
 陸の・海・広い

 八幡原周辺には旧石器時代から人々の出入りがあった。

 「樽床遺跡群は、人工湖である聖湖に面した丘陵を中心に立地している。旧石器〜縄文時代を中心とする遺物が採集され、旧石器時代の遺物は、縦長剥片素材の基部加工ナイフ形石器、掻器や整った形態の縦長剥片が多数採集されており、石材は黒曜石、安山岩などだが、黒曜石の割合が高く、理化学分析では島根県隠岐産という分析結果が出ている。

 出土石器は後期旧石器時代後半期に位置づけられるものと思われ、隠岐からの距離は直線で約200kmあることや石器群の特徴が山陰・北陸地域と関連を持つことなどから、今後の調査・研究の進展が期待される」(「広島大学埋蔵文化調査室」)。

 縄文・旧石器時代を通じて、八幡原や樽床に隠岐や姫島(大分県)産の黒曜石を持ち込んでいた人々は、広い海を知っていた人々である。

 海の朝鮮語 pata,pada

 アイヌ語彙
 atuy-okake アトウィ・オカケ 海の跡
 atuy-pa アトウィ・パ 海の頭
 atuy-kes アトウィ・ケシ 海の末
 atuy-noski アトウィ・ノシキ 海の真ん中
 watara ワタラ 海中の岩
 wa ワ 渡渉する・渡る
 wawa ワワ 渡渉する・渡る

 at または wat アッ・ワッ オヒョウニレ

 万葉集の海=わた
 海神 わたつみ
 海中 わたなか
 海の底 わたのそこ

 日本書紀・古事記の海
 海北 わたのきた
 海西 わたのにし
 海表 わたのほか

 アイヌ語地名
 ya-ta-cis ヤタチシ 陸の・方の・立岩
 ya-kus-i ヤクシ 丘を・通る・所
 ya-un-kur ヤウンクル 陸・の・人
 ya-wa-an-pet ヤワンペッ 陸の・方に・ある・川

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 旧期八幡湖成層(@図)

 
「(八幡)盆地周辺の山峰には、聖山や臥竜山・掛頭山などの山頂のように、平坦面が認められるが、これらは中国地方の脊梁山地に発達する高位平坦面の遺物と解釈されている。

 広義の八幡盆地はこれらの高位平坦面より300〜500mも低く、現在湖底に水没した樽床と八幡原の間に展開されている。南北8km、東西1〜4kmに及ぶ広さで、730〜800mの高度にあったが、760mの長者原を境に、さらに、南北の2区に区分される。その南半部はすでに回春による侵食が進み、かつて、ところどころに河岸段丘も見られたが、すでに水没してしまって現在は見られない。これに対して、長者原以北の狭義の八幡盆地は未だ開析は進んでおらず、高度760〜800mの盆地面はきわめて平坦な水田地域で、ところどころに湿原が見られ、柴木川の自然流路は小さい蛇行・曲流を示している。これらの状況は、近い時代に、ここに湖水の発達していたことを思わせるに十分である。

 狭義の八幡盆地では、北部は本坪谷・上西から、中央部の菅原・大林、南部は長者原に至るまで、周辺の丘陵地で高度760〜798mの範囲のところどころに、礫、砂、粘土の若い地層が残されている。同様の堆積物は木束原や、さらに、南は樽床堰堤の東西両側の県道沿いでも認められる。これらの若い地層は多くの基盤の火成岩類を不整合におおい、基底部は淘汰不良、古期岩類の円礫・亜円礫と砂・粘土質物とからなる礫層である。その上位には、ときに若干の砂層をはさむところもあるが、主として層理不明瞭な青灰色ないし淡褐色粘土層・シルト層が重なる。またときどき、鳥落の旧兵舎跡の露頭で見られるように、やや不規則形の褐鉄鉱の薄層が、ほぼ水平にはさまれているところがある。

 基底礫層の厚さは約1〜2m、上位のシルト層・粘土層の厚さは約1〜5m程度である。この上位粘土層の上限に近い部分に、淡黄褐色の浮石質火山灰層がはさまれているところがある。これら浮石質火山灰層の認められる所は次の通りである。

 a 本坪谷入口東側794m標高(A柱状図1・@地質図1)。

 b 千町原から西方の大林へ流出する渓流の北西側攻撃面の断崖795m標高(A柱状図15・@地質図15)。

 c 八幡橋の北西西。押ヶ峠丘陵の切取崖770m標高(A柱状図11・@地質図11)。

 a と b は、ともに約795mの高度に火山灰が分布している。c 地点は、それより25mも低い高度に分布している。

 火山灰層の起源は…青野山火山にその可能性が考えられないだろうか。

 湖成層の分布高度を見ると大体2グループに分けられる。

 湖成層の分布高度が790から795m前後のもの(柱状図1・2・5・7・8・9・13・14・15・16・18・19)。

 上記より7〜8m低位にあるもの(柱状図3・4・6・10・11・12・17・20・21・22・23)。

 湖成層は、柴木川の上流から下流へ下るにしたがって、河岸段丘の場合のように、次第に高度が低下する。しかし、狭義の八幡盆地に発達する旧期湖成層が、すべて、同時期のものであることは、浮石質火山灰層が高位の1(西上)・15(大林ほ北東河岸崖)の外、低位の11(押ヶ峠)にも残存することから明らかであろう。この高度差は湖水形成期における湖盆地形の起伏と湖水の深さの限界を示唆するものであろう。

 旧期八幡湖の排出口は柴木川と推定されるが、湖面の高度は795mを越えていた筈である。これは匹見川を流下する臼木谷の谷頭、虫送峠の高度765mよりはるかに高い。また木束原の西、波佐川の谷頭、休ヶ峠の高度にまさり、三島の湖成層分布地5(芸北100年農場の分水付近)は、柴木川斜面と波佐川のさらに別の無名谷の谷頭との分水嶺にあたっている。これらは、日本海に注ぐ山陰側河川の谷頭侵食が、柴木川のそれに比べ、如何に急速であったかを物語っている。

 新期八幡湖成層(B図)

 1、池ヶ原 下位より厚さ20〜30cmの基底礫層、厚さ20cm程度の灰白色・粘土交りの中粒砂層、厚さ30cm程度の淡黄褐色粘土層、厚さ60cm以上の黒色土・泥炭層。

 2、菅原 約30cmは基底礫層、粘土質シルトをはさむ青灰色中粒砂層・シルト層、暗褐色シルト層、暗褐〜黒褐色土・泥炭層・腐植物遺体(砂層・シルト層基底部に倒木をはさむ)。

 3、菅原近接地 基底礫層、小礫交り淡黄褐色砂層・シルト層・倒木含む、泥炭質シルト層で厚さ約20cm、やや暗褐色細砂層で厚さ約50cm、暗褐色シルト層、黒色土・泥炭層厚さ約50cm。

 4、新川橋南側東岸 水面上約30cmの青灰色粘土層、類似色の砂層・シルト層は基底礫層の直上に分布・倒木をはさむ、上位に黒色土・泥炭層。

 5、小学校南側 基盤は花崗斑岩、湖成層は下位より、基底礫層厚さ30cm、暗灰色細砂層・シルト層・植物片含む厚さ20cm、帯黄灰色粘土層厚さ約150cm、淡黄褐色土・粘土・無色透明な長石の小片を含む。

 結語

 旧期湖成層は湖成段丘上に分布し、礫・砂・粘土層を主とし、ときに褐鉄のシームや浮石質火山灰の薄層を伴うものである。他方、新期湖成層は盆地底の水田や湿原下に発達するもので、礫・シルト・粘土層と更に泥炭層や黒褐色土により構成されている。旧期湖成層の地質時代は洪積世後期、新期湖成層は沖積世のRT(12000〜8000B.P)・RU(8000〜3000B.P)後期からRV期(3000B.P以降)と推定されている」。

 (以上は「八幡高原の地質、特に八幡盆地の湖成層について」今村外治=三段峡の陸水と生物 総合学術調査研究報告からの要旨)

作業道のシルト・粘土状の層
県境北側のシルト・粘土状の層

 虫送峠北の780m標高の作業道上に角礫があり、790m標高の露頭に、シルト・粘土状の地層がある。地層は緩やかに下って、角礫のある作業道に下りている。

 角礫、シルト・粘土状の層を結ぶ延長線上にある尾根の直下に、作業道の露頭にあるようなシルト・粘土状の層が部分的に見られる。スキー場ができる前の地図では、この付近の尾根は広い平坦面となっている。

 旧期八幡湖の湖面高度は795mを越えていたとされる(今村外治)。湖面の排出口の一つは、虫送峠の北の県境尾根の795m付近から南に流下していたと考えられる。

 a b c 地点に、浮石質火山灰層があることから、「狭義の八幡盆地に発達する旧期湖成層が、すべて、同時期のものであることは、浮石質火山灰層が高位の1・15の外、低位の11にも残存することから明らかであろう」とされている。

 その場合一つの見方として、低位の押ヶ峠(c=11)の火山灰層については、「最初現在ほど高度差のなかった湖底で堆積したものが、その後に変位した」ことが考えられる。

 古代八幡湖は、虫送峠北の県境尾根の795m標高から流下していたとすれば、変位前、その標高付近に湖成層が堆積していたとも考えられる。

作業道入口の粘土状の地層

 虫送峠の島根県側の作業道入口、770m標高付近に、粘土状の層がある。柱状図20は、虫送峠北の広島県側の地層であるが、770m標高付近に粘土層がある。

 押ヶ峠丘陵の急激な変位の後、旧八幡湖の排出口は、虫送峠から臼木谷に流下したと考えられる。

古代八幡湖の範囲
750− 800m標高面=水色
5万分地形図+カシミール3D

 古代八幡湖は湖成層の位置から、南端は樽床ダムに達する、かなり大きな湖であったと考えられる。八幡湖は虫送峠、樽床ダム付近、木束峠、あるいはスミ川水源のいずれかを越えていたと思われる。

 第一古八幡湖は虫送峠を越え、第二古八幡湖は柴木川を下った。これがどのような過程を辿ったのか、興味あるところである。


 カワヨシノボリ斑紋型(C・D図)

 カワヨシノボリ斑紋型が八幡盆地に生息することから、匹見川と八幡盆地が古代にはつながっていたことを裏付けている。

 「カワヨシノボリ斑紋型(ハゼ科の淡水魚)が太田川水系内で確認されたのは八幡盆地だけであり、八幡盆地近隣の河川で分布しているのは別水系となる高津川水系匹見川のみである。また、匹見川と八幡盆地との間は不完全な分水嶺となっている虫送峠があり、これは川が流れていた痕跡とされる風隙と思われ両地域を連絡する河川がかつて存在したことを予測させる…

 …カワヨシノボリ斑紋型が分布する高津川水系匹見川の上流にあった八幡盆地域の水域は侵食を進めた太田川水系柴木川による河川争奪(あるいは古八幡湖の氾流)の結果により太田川方向へ流路変更が行われたと考えられる。

 このため、太田川水系の中でも八幡盆地域には旧匹見川に由来するカワヨシノボリ斑紋型が特異的に分布しており、三段峡などの障壁の存在は他の太田川水系とも水域的に隔離されてカワヨシノボリ無斑型の侵入を阻んでいたものと考えられる。この八幡盆地周辺の河川争奪に関する著者の推定する仮説の概略については図5に示す」(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範)。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離15.0km
標高差459m

区間沿面距離

虫送峠
↓ 3.6km
長者原湿原
↓ 4.3km
苅尾山
↓ 2.3km
登山口
↓ 4.8km
虫送峠
 

@八幡高原の地質図+カシミール3D
 
「八幡高原の地質、特に八幡盆地の湖成層について」今村外治)
 地図の番号と柱状図の番号が対応する
 
A旧期八幡湖成層の高度分布と柱状図
 
「八幡高原の地質、特に八幡盆地の湖成層について」今村外治)
 
B新期八幡湖成層

 (「八幡高原の地質、特に八幡盆地の湖成層について」今村外治)
 
八幡湖成段丘と湿地(「三段峡と八幡高原 総合学術調査研究報告」から)+カシミール3D

191スキー場ができる前の地図では795m標高の県境尾根に広い平坦面がある
八幡湖成段丘と湿地(「三段峡と八幡高原 総合学術調査研究報告」から)+カシミール3D 全体図
 
シルト・粘土状の層が角礫のある作業道に向かって下っている 790m標高
虫送峠北の県境尾根の北側 795m標高
千町原南西 右岸崖の粘土状の層 795m標高
滝の平牧場
白と褐色のシルト・粘土状の層 790m標高
 
B新期八幡湖成層図のBの地点(「八幡高原の地質、特に八幡盆地の湖成層について」)

 菅原の川岸土壌断面
 g 暗褐色砂層をはさむ小礫礫層
 s 砂層
 sl シルト層
 si 黒褐色土・泥炭層
 f 水酸化鉄の滲出
 
B新期八幡湖成層図の@の地点
(「八幡高原の地質、特に八幡盆地の湖成層について」)

 池ヶ原の新期湖成層
 Gp 花崗斑岩
 g 基底礫層
 s 粘土質砂層(石鏃発見)
 c 粘土層
 si 黒褐色土
 hg 改修工事の際の盛土
 
C八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範)

 a 柴木川(八幡原) o 匹見川 28 周布川 d 橋山川 e 大佐川
 
D八幡盆地の河川争奪に関する仮説図(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範 2003年4月)
 
カワヨシノボリ斑紋型と無斑型(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範 2003年4月)
 
太田川水系のカワヨシノボリ(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範 2003年4月)
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)