山歩き

虫送峠…八幡原…スミ川…大休峠
2014/7/27

虫送峠…善龍寺…八幡小跡…スミ川水源(滝の平牧場)…県境尾根…大休峠(木束峠)…木束原川…姥御前…虫送峠

虫送峠
虫送峠のコウホネ
国道東側の水田 柴木川が流れる
押ヶ峠付近
橋田屋橋からみる木束原川落口
木束原川右岸の放牧された牛
クヌギの大木
善龍寺
愛宕鎮守社
草ロールが並ぶ
八幡小跡から滝の平牧場に向かう
水田の向こうに掛津山 新川溜池分岐付近から
分水界の鞍部に「アンデルセン芸北100年農場」の看板
分水界から広い低地に下る
角礫が多い道
県境に緩やかに流れるスミ川水源
作業道から県境の山に進む
県境に有刺鉄線の支柱が続く
スミ川は県境を越えると流れが勢いを増す
流れ落ちるスミ川
滝の左岸を巻く
堰堤に上がる
濁る周布川に落ちるスミ川
左周布川 右トマリゴヤ谷
角礫が多い周布川
鍋滝橋
伐採された大休峠(木束峠)
木束原
苅尾山
姥御前神社
8:05 虫送峠 曇り後晴れ 気温22度
 

8:30 鳥落橋
8:45 善龍寺
9:00 八幡小跡
9:15 分水界
9:45 県境
10:05 スミ川の県境
12:55 スミ川落口
13:35 鍋滝橋
14:05 大休峠
14:40 姥御前
14:55 虫送峠
  
 雨後の八幡は気温22度で、涼しい風が吹き抜ける。虫送峠の北側の湿地にスイレンが咲き、回りにコウホネが繁る。雨で濡れている歩道を北へ進む。虫送峠から北側は広い平地になっており、柴木川が八幡原に入っている。苅尾山は雲で見えない。

 国道191号線のカーブ付近を押ヶ峠と呼ぶ。191スキー場の峯と819ピーク(大林)の鞍部になっている。国道西側の水田跡がカキツバタの池になっている。八幡原へ入る道路沿いにヤブカンゾウが咲く。

 橋田屋橋下の柴木川は、雨の後で濁り、流れが速い。上流に木束原川の落口が見える。鳥落橋まで進むと黒牛が放牧されていた。日が差し始めた道路沿いの温度計は25度。少し進むと民家の横にクヌギの大木がある。山側にノリウツギが咲く。

虫送峠のスイレン
カキツバタ

 山手に善龍寺がある。階段上の入口に「浄土真宗本願寺派 城雲山善龍寺」の石柱が立っている。少し進むと北側が開け、土草峠が見えてくる。

 道路沿いに愛宕鎮守社の祠がある。祭神は大国主神、栗栖権守、天水分神、火之迦具神(火伏せ神)となっていた。看板に「発祥の歴史はさだがでないが古くは、村の鎮護として歓請をうけた火伏せ神を祭り、愛宕鎮守堂、愛宕山の地名が残ったと伝えられる」と書かれている。

 愛宕鎮守社の先に「八幡高原の浸命水」がある。道路の東側に白い草ロールが点々と積み上げてある。八幡小学校跡から滝の平牧場への道を進む。八幡小学校は昨年、アンデルセンが購入したようだ。

 右側水田の道を進む。雲が切れて掛津山が見える。新川溜池分岐を真っ直ぐ牧場に向かって上がる。坂を登りきると北側は広い平坦地になっている。「アンデルセン芸北100年農場」の看板がある。ここは周布川と柴木川の分水界になっている。スミ川は県境を越えて、八幡原に深く入っている。

カワラナデシコ
ヤブカンゾウ

 分水界から真っ直ぐに下っていく。コバギボウシが多い。建物を通り過ぎて下っていくと、道の砂利の中に20cm前後の角ばった石が多くなる。分岐を右へ進む。最奥の建物から左に進むと、薮の中をスミ川水源が県境に緩やかに流れている。

 作業道は水源を離れて県境に入る。作業道から植林地の県境をスミ川水源に向けて進む。県境沿いに有刺鉄線が張られてあった支柱が続いている。薮を分けて県境のスミ川に下りた。県境上では緩やかな流れは、島根県側に入ると急流となって落ちる。

 ササ薮を分けて植林地の谷を進む。谷が広くなった所で谷を進む。三段峡を小さくしたような急峻な谷である。滝の左岸を大きく回り込む。さらに下って堰堤に上がり、そこからほどなくスミ川落口に出た。周布川が茶色に濁っていた。

ノリウツギ
ネジバナ

 115号線を上がって、周布川とトマリゴヤ谷の合流点まで来ると、濁っているのはトマリゴヤ谷の方だった。周布川は澄んでいる。トマリゴヤ谷の大曲り橋を渡る。澄んだ周布川の川底を見ると20cm前後の角礫が多い。

 鍋滝橋まで来ると、弥畝山へ上がる林道は今年12月まで風力発電工事のため、通行止めの看板が立ててあった。トマリゴヤ谷が濁っているのは、この工事のためかもしれない。鍋滝橋を流れる川は関門川という。

 車道を大休峠(木束峠)へ上がる。峠の南側周辺は伐採されている。峠のすぐ下の木束原川の水源は砂と小さい角礫が多い。広い畑の平坦地を進む。ヒノキ谷は大きめの角礫が多く、緩やかに流れている。鞍部を抜けると苅尾山が前方に見えてくる。右手に姥御前神社の祠がある。日の照る車道を虫送峠に帰着。

ビッチュウフウロ
コバギボウシ
オカトラノオ
ギンバイソウ
ウバユリ
クサレダマ
ヒヨドリバナとウラギンヒョウモン
カンボク


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

 『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。

 「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。

 「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。

 「日本語、アイヌ語、さらには朝鮮語には、音韻上、文法上の特徴において、あるまとまりがあるみれれるといってよいであろう。あるまとまりがみられるということは、これらの言語には、共通の基盤があることを思わせる。
 …日本語、朝鮮語、アイヌ語の共通の基盤を、『古極東アジア語と名づけることにする』」(『日本民族の誕生』安本美典)。


●スミ川
 sum-ika-us-i
 スミ・カウ
 水が・越える・いつも越える・所


 柴木川水源の八幡川は、古代には虫送峠を通り、匹見川に流れていた。

 「カワヨシノボリ斑紋型(ハゼ科の淡水魚)が太田川水系内で確認されたのは八幡盆地だけであり、八幡盆地近隣の河川で分布しているのは別水系となる高津川水系匹見川のみである。また、匹見川と八幡盆地との間は不完全な分水嶺となっている虫送峠があり、これは川が流れていた痕跡とされる風隙と思われ両地域を連絡する河川がかつて存在したことを予測させる」(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範)。

 「八幡盆地は標高750m〜800mで、西中国山地の中でも最も標高の高い盆地である。周囲は1000mを越す山々をめぐらし、かなり広い面積を占めている。
 湖成段丘が780m〜810m標高にあることより、古八幡湖の水面は、800mから810m標高であった。
 盆地内の泥炭層の花粉分析から…古八幡湖は二度に渡って出現した。
 氷期または晩氷期に出現していた第一古八幡湖。第二古八幡湖の水が柴木川へ流出して、現在の状態になった」(「西中国山地」桑原良敏)。


 古八幡湖の800m標高線は、黒ボク土(Ysi−1)の分布曲線に沿っている。古八幡湖の湖岸に沿って山焼きが行われていたと考えられる。

 黒ボク土(Ysi−1)が取り巻く長者原で花粉分析が行われた。イネ科、カヤツリグサ科の花粉のピークは6000年前後にあることから、この時期に山焼き面積の増大があったと考えられる。黒ボク土(Ysi−1)の面積が湖岸全体に広がっている。

 その後、古八幡湖の水が引き、八幡盆地の柴木川周辺に腐食質黒ボクグライ土(Ygh 紫)が形成された。


 滝の平牧場へ上がる分水界は、現在標高800m以下で、古八幡湖の時代、分水界を超えて、スミ川へ流れ出たとも考えられる。しかし、「カワヨシノボリ斑紋型」は、周布川には生息していない。



●八幡原(ヤワタハラ)
 ya-wata-para
 ヤワタパラ
 陸の・海・広い


 八幡原周辺には旧石器時代から人々の出入りがあった。

 「樽床遺跡群は、人工湖である聖湖に面した丘陵を中心に立地している。旧石器〜縄文時代を中心とする遺物が採集され、旧石器時代の遺物は、縦長剥片素材の基部加工ナイフ形石器、掻器や整った形態の縦長剥片が多数採集されており、石材は黒曜石、安山岩などだが、黒曜石の割合が高く、理化学分析では島根県隠岐産という分析結果が出ている。

 出土石器は後期旧石器時代後半期に位置づけられるものと思われ、隠岐からの距離は直線で約200kmあることや石器群の特徴が山陰・北陸地域と関連を持つことなどから、今後の調査・研究の進展が期待される」(「広島大学埋蔵文化調査室」)。

 匹見川上流の新槙原遺跡から旧石器の異物が出土している。

 「匹見町内で、現在わかっている最も古い遺跡は新槙原遺跡である…第5層の上面から縄文早期の土器が出土し、間層をはさんで第7層からわずか1点であるが、縦長の石片が出土した…この遺物が姶良・丹沢パミスの地層から出土したことは、今から二万年以上前の旧石器ということになる」(『匹見町誌・遺跡編』)。

樽床遺跡群出土の石器
(北広島町の文化財)
樽床の鏃発掘地点
(故児玉集さんインタビュー録) 


 wata は、万葉集にある。朝鮮語 pata(海)との関連が指摘されている。アイヌ語の海は atuy アトウィ、watara ワタラは、海中の岩で、atuy は、watuy とも言ったと考えられる。


 『日本海の周囲に分布する「周日本海型」の生物がいる。ウラジロミドリシジミ、メスアカミドリシジミなどのチョウ類、ヒメザゼンソウ、ツバメオモトなどの植物である。 

 周日本海型を示す生物は洪積世の氷河期、少なくともウルム氷期(約7万年〜1万年前まで)を生き延びた種で、周日本海地域は氷河期における避難的な場所であった

 ウルム氷期には日本海は外海から隔離された内陸海となっており、周辺の陸地より温暖だったため、ここで多くの生物が氷河期を生き延びたといわれる』


 周日本海気候の温暖性は、日本海の周りに生物を繁栄させ、日本海周辺に細石器文化が生まれる。そこに

 「日本海を取り巻く人の交流により古極東アジア語が成立した」。

 「およそ1万〜2万年前には『古極東アジア語』の行われた地域は、日本海を内海としたかこみ、地つづきであった。日本海も結氷のため、渡りやすい部分が多かったであろう。そのこをは、『古極東アジア語』は、環日本海語として、あるていどの統一性をもっていた可能性も大きい。音韻体系、文法体系、基礎語彙における共通性をもっていたとみられる。

 その後、日本列島が大陸から離れるにつれ、古日本語(日本基語)、古朝鮮語、古アイヌ語は、船による移動などで、たがいに接触をつづけながらも、しだいに方言化し、さらには、異なる言語となっていった。この三つの言語のいずれかから、いずれかが派生したという関係では、なさそうである

 古日本語(日本基語)の系統をひく言語は、その後稲作などの渡来とともに、長江(揚子江)下流域からのビルマ系言語などの影響をうけ、倭人語(日本祖語)が成立する」(『研究史 日本語の起源』安本美典)。

 海 wata が朝鮮語、アイヌ語、日本語で似ているのは、『古極東アジア語』からそれぞれに派生したとも考えられる。


 海の朝鮮語 pata,pada

 アイヌ語彙
 atuy-okake アトウィ・オカケ 海の跡
 atuy-pa アトウィ・パ 海の頭
 atuy-kes アトウィ・ケシ 海の末
 atuy-noski アトウィ・ノシキ 海の真ん中
 watara ワタラ 海中の岩
 wa ワ 渡渉する・渡る
 wawa ワワ 渡渉する・渡る

 at または wat アッ・ワッ オヒョウニレ

 万葉集の海=わた
 海神 わたつみ
 海中 わたなか
 海の底 わたのそこ

 日本書紀・古事記の海
 海北 わたのきた
 海西 わたのにし
 海表 わたのほか


 アイヌ語地名
 ya-ta-cis ヤタチシ 陸の・方の・立岩
 ya-kus-i ヤクシ 丘を・通る・所
 ya-un-kur ヤウンクル 陸・の・人
 ya-wa-an-pet ヤワンペッ 陸の・方に・ある・川

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カシミール3Dデータ

総沿面距離14.1km
標高差193m

区間沿面距離

虫送峠
↓ 3.5km
分水界
↓ 3.7km
スミ川落口
↓ 2.4km
鍋滝橋
↓ 1.2km
大休峠
↓ 3.3km
虫送峠
 





八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ(『八幡高原(広島県芸北町)のカワヨシノボリ』吉郷英範)

 a 柴木川(八幡原) o 匹見川 28 周布川 d 橋山川 e 大佐川
 
『広島県北広島町長者原湿原堆積物の花粉分析』(『高原の自然史』第12号)

「長者原湿原堆積物の草本花粉および胞子の分布図」から抜粋(右端に深度・年代を付け加えた。)
左が堆積物の柱状図。 胞子の分布図は省略した。
イネ科、カヤツリグサ科の花粉のピークは6000年前後にある。
イネ科、カヤツリグサ科の花粉の増大は古八幡湖の縮小・山焼き面積の増大によると考えられる。
 
旧石器時代の地形(約12万年前〜1万3000年前)
 (紀伊風土記の丘HP)
 
 
古極東アジア語圏(日本列島が大陸と陸続きであった時代に成立)
(『研究史 日本語の起源』安本美典)
 
日本語祖語成立期(紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろ)
(『研究史 日本語の起源』安本美典)
 
 
愛宕鎮守社の看板
 
八幡原周辺の黒ボク土(カシミール3D+国土交通省土地分類基本調査土壌図)

紫線(790m標高線) 
赤茶(黒ボク土 Ysi-1) 紫(腐植質黒ボクグライ土 八木橋 Ygh) 茶(厚層黒ボク土 Azo-2) 薄茶(黒ボク土 Azo-1)

登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)
 紫線は790m標高線