山歩き

松の木峠…ガクガク山…三葛…ヒロコウ谷
2014/7/20

松の木峠…ガクガク分岐…額々山…ガクガク山…後谷山…三葛…ヒロコウ谷林道…作業道…大沼田ノ丘…松の木峠

■額々山(ガクガクヤマ)1229m:島根県美濃郡匹見町大字紙祖(点の記) (益田市)
■ガクガク山(ガクガクヤマ)1227m:島根県美濃郡匹見町大字紙祖(後谷三角点・937Pの所在地) (益田市)
■後谷山(ウシロダニヤマ)937m:島根県美濃郡匹見町大字紙祖(点の記) (益田市)

松の木峠
寺床
寺床先の展望地から鬼ヶ城山、羅漢山を望む
冠山分岐
ガクガク尾根分岐
ヨケ岩
額々山三角点
重なる岩
ガクガク山
右谷山と小五郎山 展望岩から
尾根のブナ ヨケ岩東
尾根を塞ぐ西のヨケ岩
後谷山
ワサビ田の小屋
ウエミチ谷
安蔵寺山
三葛
殿屋敷遺跡
殿屋敷遺跡
ヒロコウ林道終点のヒロコウ谷作業入口
大山祇神
作業道沿いのワサビ畑
作業道終点
小屋跡
スギ林の尾根を登る
5:35 伴蔵 晴れ 気温18度
 

7:05 寺床
7:30 冠山分岐
8:10 ガクガク分岐
8:30 額々山
9:00 ガクガク山
10:15 西ヨケ岩
10:55 後谷山
12:10 三葛
13:35 ヒロコウ林道終点
15:20 作業道終点
17:35 大沼田ノ丘
18:25 寺床
19:30 伴蔵 


 伴蔵から松の木峠を通り、冠山登山道に入る。冠山トンネルを越えると、小ピークのレイホウカタケ。マンシュウボダイジュのあるジャノウツ谷の鞍部を過ぎると、長い尾根への登りになる。高速道を走る車両の音が聞こえてくる。

 植林地の尾根を進み、1時間半ほどで寺床の平坦地。寺床北の岩のあるピークに出ると、西側が開け、眼下に高速道が走り、その先に鬼ヶ城山、羅漢山が見える。この辺りからヤマアジサイが咲いている。ナツツバキの花が道にたくさん落ちていた。

 ブナとスギの原生林に入る。冠山分岐、オオヤマレンゲ自生地を過ぎ、登山道はウシロカムリの西に入る。原生林の中にヤマアジサイが群生していた。大沼田ノ丘のブナとスギの原生林を通り、出発から2時間半ほどで寂地山手前のガクガク尾根分岐。

ギンバイソウ
ヤマジノホトトギス

 植林地を下って少し進むと、岩壁が尾根を塞ぐ。この岩をヨケ岩と呼ぶ。岩壁を回りこんで上に出ると、額々山の三角点がある。その直ぐ先にヒロコウ谷へ下りる分岐がある。薮尾根をしばらく進むと重なる岩がある。さらに進むと大岩があり、そこから少し進むとガクガク山。

 ガクガク山の南側は懸崖で、ハンカイ尾根が河津谷に落ちている。ガクガク山から西へしばらく進むと展望岩がある。岩に上がると、ツタウルシの葉の中にマムシが潜んでいた。立岩山、大神ヶ岳、右谷山、小五郎山への展望がある。

 岩尾根をしばらく進む。大岩が尾根を塞ぐ。大きいタコブナがある。しばらく進むと尾根を西のヨケ岩が塞ぐ。右側を回り込む。そこからほどなく大きいブナがある。薮尾根を進み、ガクガク山から2時間ほどで後谷山。

ヤマアジサイ
トチバニンジン

 少し下ってウシロ谷水源へ下りる。少し下ると小屋がある。小屋周辺はワサビ田になっている。ワサビ田の石垣道を下ると山道に出る。山道は山腹に続き、ウエミチ谷を通って三葛に下りている。山道から安蔵寺山が見える。後谷山から1時間ほどで三葛に下りた。松の木峠から三葛まで6時間半ほどであった。

 縄文土器が出土した殿屋敷遺跡を通り、ヒロコウ林道に入る。コウイ谷付近の石止め堰堤の上流に釣り人が入っていた。谷沿いにオオバギボウシが咲いている。三葛から1時間半で林道終点。

 鎖止めの作業道に入る。ジグザグを繰り返す長い道のりであった。1時間半ほどでようやくヒロコウ谷に下りる。橋を渡った先に、大山祇神のりっぱな祠がつくられていた。ワサビ畑の林を抜けて、作業道終点に到着。ここもワサビ畑になっている。

 ワサビ畑の間を通って、左岸の山道に入る。小屋の残骸の残る跡を通り、オサカエノエキから緩やかな尾根を登る。原生林の尾根を通り、大沼田ノ丘に上がる。そこから少し下って登山道に出た。長い尾根を下り、松の木峠に出るとまだ明るかった。

ユキザサ
ツタウルシに潜むマムシ
クロモジ
キツリフネ
ウバユリ
オオバギボウシ
ミツバウツギ
ニシノヤマタイミンガサ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

 『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。

 「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。

 「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。


 三葛の中ノ坪遺跡から石鏃が多数出土した。中ノ坪遺跡の石鏃は匹見縄文遺跡の中でも突出して多い。

 「石器類では石槍・磨製、打製石斧・凹石・石錘・石匙・石銛・スクレイパー・石鏃などが出土した。うち石鏃は400点余りと多く、狩猟に力点をおいた生活誌であったことを垣間見せるとともに、石匙も28点と注意すべき数量である。

 これらの石材の大半は安山岩を用いているが、5%は黒曜石であり、そのうち7割は乳白色をした黒曜石である。剥・砕片を含めて四千点余り出土した大半の安山岩質のものは、直線にして8キロの広島県廿日市市吉和の冠山産の可能性が強い…匹見の縄文文化の豊富さの要因は、落葉広葉樹帯で食料確保が容易であったということも然ることながら、こうした石材産地と接近性にあったといってよいだろう」(『匹見町誌・遺跡編』中ノ坪遺跡)。

 中ノ坪遺跡は縄文前期の遺跡で、轟式土器が出土している。縄文前期に轟式が出土するのは、匹見では澄川の寺ノ前遺跡で、直線距離でも15kmほどある。

 周辺遺跡と比べても、配石遺構は他の匹見町の遺跡、三葛から下流の石ヶ坪・水田ノ上・ヨレ遺跡(紙祖川下流)などとは異なる方法になっている。

 中ノ坪遺跡と冠遺跡群を比べてみると、下表のような共通点がある。

 縄文前期に轟式土器。
 冠高原から安山岩原石を運搬。
 中ノ坪遺跡は石器製作遺跡である。
 中ノ坪遺跡の西側は黒ボク土になっている。
 冠高原全体が黒ボク土。
 吉和に「中の坪」の地名(奈良・平安に遡る)。


冠遺跡群と中ノ坪遺跡の共通点と中ノ坪遺跡の特異性
冠遺跡群 中ノ坪遺跡
九州系の轟式土器
瀬戸内系羽島下層式土器
(『中国山地の縄文文化』)
轟式土器
(『匹見町誌』遺跡編)

広義の羽島下層U式
(『中ノ坪遺跡概要』)
石器石材原産地
石器製作遺跡
石器類を製作する過程で出る砕・剥片
(『匹見町誌』遺跡編)
  石材の大半は冠山産の角閃石安山岩
(『匹見町誌』遺跡編)
冠遺跡群全体に黒ボク土
(Ysi−1・Ysi−2)
中ノ坪遺跡西側に黒ボク土(Azo−2)
吉和川右岸に「中の坪」の地名(奈良・平安に遡る)  
妙音寺遺跡(吉和)
異形穿孔器=勾玉状・上半中央に穿孔あり
玦状(ケツジョウ)耳飾
  配石遺構は他の匹見町の遺跡、石ヶ坪・水田ノ上・ヨレ遺跡(紙祖川下流)などとは異なる方法
(『匹見町誌』遺跡編)

 冠高原から三葛まで6時間半ほどで、安山岩原石はガクガク尾根を通るルートで運ばれたと思われる。

 縄文前期、同じ轟式土器が使用されていることなどから、三葛と吉和には縄文期に頻繁に交流があったか、吉和縄文人が三葛に移住したとも考えられる。

 ガクガク石、ガクガク岩は、冠山安山岩運搬ルート等の往来の中で生まれた地名ではないか。

●ガクガク岩・ガクガク石

 kakka-us-iwa
 カッカ・ウシ・イワ
 背負う・いつも背負う・岩(安山岩)

 カッカウシ → カクカクイシ
 カッカウシイワ → カクカクイワ


 アイヌ語に以下がる。

 負ぶう
 kay カイ 
 pakkay パッカイ 
 kakka カッカ

 背負う
 se セ
 sike シケ
 pakkay パッカイ

 かつぐ
 kukew クケウ

 アイヌ語地名
 pakkay-us パッカイウシ 子を背負う・いつもする 
 pakkay-suma パッカイスマ 背負石

 アイヌ語辞典
 ay-ay kakka アイアイカッカ 赤ちゃんおんぶ 
 kakka popo カッカポポ おぷって 


 石見方言
 かたぐ 肩に担ぐ
 かかる 交尾する
 
 周南方言
 かるう 背負う

 柳井方言
 かたぐ・かるう 背負う

 出雲方言
 えなう 担ぐ・背負う
 かーこ ワラ製の背負い袋
 かめがら 背負い籠の材料にする木
 かかる 交尾する
 かっか 

 福井・大阪・兵庫・徳島・愛媛方言
 かく 二人で持ち上げる・担ぐ

 かいかい おんぶ 九州地方

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 山のアイヌ語

 nupuri ヌプリ 山

 ヌプリは北海道と東北に残っているが、西日本にそれが無いか。

 東北地方では山のことを「〜のもり」、四国では「〜かもり」と呼んでいる。

 これはヌプリの変化したものではないか。

 ヌプリ → ノモリ
 カムイ・ヌプリ → カプリ → カモリ

 西中国山地には次のような地名があり、次のアイヌ語が対応する。

 カブリ山(才乙) カムイ・ヌプリ

 ノベリ(才乙) ヌプリ

 カモリ山(佐伯町) カムイ・ヌプリ

 カムリ山(吉和冠山) カムイ・ヌプリ

 ウシロカムリ(後冠) オシロ・カムイ・ヌプリ
              後に座る・神・山

 ノボリ(大朝・鹿足河内など9ヶ所) ヌプリ

 西日本にもヌプリ地名はあると思われる。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離27.3km
標高差802m

区間沿面距離

伴蔵
↓ 5.9km
ガクガク分岐
↓ 6.4km
三葛
↓ 4.2km
ヒロコウ林道終点
↓ 5.7km
大沼田ノ丘
↓ 5.1km
伴蔵
 





三葛・中ノ坪遺跡の竪穴住居と配石(『匹見町誌・遺跡編』)
 
三葛の「熊祭り」
昭和57年(1982)ごろ行われた熊祭り (『匹見町誌・遺跡編』より)
 
ケボカイの神事をとり行なう雲沢のマタギ(秋田県角館町)
(ケボカイ=獲物の皮を剥ぐ神事 『マタギ 消えゆく山人の記録』より)
                              
匹見川水系縄文遺跡の石鏃数(中ノ坪遺跡の石鏃数が突出している)
 
匹見町遺跡の消長
 (『匹見町誌・遺跡編)から
 
寺床北のピークから
                             羅漢山                                   法華山
                       鬼ヶ城山

登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)