山歩き

入江谷林道…伝法寺跡…銚子の口…鈴ノ大谷
2014/6/1

鈴ノ大谷入口…県道3号線…入江谷林道…林道の奥…尾根道…982P…伝法寺跡…銚子の口…鈴ノ大谷

■鈴ノ大谷山(スズノオオタニヤマ)1036.2m:島根県鹿足郡柿木村大字糀谷字鈴ノ大谷山(点の記 点名:大谷山) (吉賀町)

568ピーク
椛谷渓谷
椛谷ダム
椛谷堰堤上流
入江山橋と工事中の県道
コヤノエキ下流
小谷の石垣の堰堤
長者原付近
コズガエキのサワグルミ
鈴ノ大谷山登山口
鈴ノ大谷山
尾根道に上がるハシゴ
尾根西端の林道から見える青野山
左作業道 右主林道
右植林地に上がる作業道 左主林道
林道が西に延びるところで植林地の小谷に入る
青野山が迫ってくる
植林地の中のササ薮の982P北の鞍部
水源に赤い測量標柱
伝法寺跡に残る鉄柱
伝法寺の小谷から右岸の山道を進む
寺屋敷付近の平坦地
上の滝
奥の左から7mほどの滝が落ち、下流の釜に入る
真ん中の滝
左手から数メートルの滝が落ちる
伝法寺から落ちる滝
左側から落ちる真ん中の滝と合流
真ん中の滝の下流
下の滝
本流の滝
下の滝
左岸から落ちる滝
ゴルジュ入口 ここから500mほどの間に本流に3つの滝
左岸から落ちる2つの滝がある
左岸の石垣
右岸に鎖とロープが下がる 下は崖が切れ落ちている
軌道橋跡の石垣
急坂を下る
オシガ谷 石を敷き詰めた川床
左岸の軌道跡にレールが残る
ナカノ谷の橋跡にもレール
鈴ノ大谷左岸の橋脚
軌道橋を渡って右岸へ
水害碑
軌道跡の植林地
6:10 鈴ノ大谷入口 晴れ 気温13度
 

6:50 入江山橋
8:00 登山口
8:30 尾根登山口
8:55 林道から尾根へ
9:40 982P
9:50 928P北鞍部
10:45 伝法寺跡
11:05 寺屋敷
12:40 ゴルジュ入口
13:55 オシガ谷
14:50 歩道入口
15:15 出発点


 鈴ノ大谷へ下りる県道入口付近を出発。前方に568ピークが見える。県道西側の植林地は伐採されている。ウツギが一斉に咲いている。左岸から落ちるカドガ谷の先の、福川川上流に椛谷ダムが見える位置に椛谷渓谷の看板がある。それによると、上流の黒渕から椛谷の間を椛谷渓谷と呼んでいる。昭和28年から3年かけて建設され、その後改良工事が行われた。渓谷は約1億年前の火山灰が堆積してできた地層にあると言う。
 
 椛谷堰堤の横に石碑があり、昭和31年3月竣功と書かれている。堰堤上流のヒノキオ落口付近は、小石の川原になっている。モミジバシは岩の谷で、紅葉橋を渡る。ヤマザクラに実が生っている。口に含むと酸っぱい。工事中の県道を通り、40分ほどで入江山橋に出た。

ウツギ
ミヤコグサ

 橋を渡ると砂利道になる。入江谷川左岸の入江谷林道を進む。コヤノエキを過ぎると、林道は大きくU字に曲がり、コヤノエキに沿って上がる。再び、U字に曲がり入江谷左岸を上がっていく。コヤノエキの上流は水量は少ない。木に絡みついたツルアジサイが咲いている。小谷に石垣を組んだ堰堤がある。

 平成15年度、水源森林総合整備事業施工地の看板がある。コズガエキの谷は東側の谷より小さい。林道が岩盤の入江谷に接する。そこから少し進むと堰堤のあるハカノオ。周辺は平坦地になっており、長者原と呼ぶ。オオバアサガラが咲いている。

 入江谷に、平成15年度、入江山国有林第1号谷止と書かれた堰堤がある。コズガエキの谷にサワグルミが花穂をぶら下げていた。入江山橋から1時間ほどで、鈴ノ大谷山登山口。登山口から西へ延びる林道を進む。林道が北に延びると、鈴ノ大谷山が見えてくる。鈴ノ大谷山から下りる谷に大きい堰堤がある。

ミヤマガマズミ
ノイバラ

 林道の展望地から松茸山と弟見山が見える。30分ほどで尾根に上がる登山口。ハシゴが立てかけてある。北西方向に展望があり、法師山の右手に青野山が頭を出している。左手に高岳山が見える。

 鈴ノ大谷山西尾根の先端の林道に「保安林内作業許可標識」がある。それによると、平成25年8月から30年9月まで間伐作業道の開設が行われる。地図を見ると、主林道から網の目のように間伐道が延びている。

 林道を進むと、崖が崩れている。間伐道がインクラへ下りる山道に向かって下りている。あちこちの山肌が剥き出しになり、間伐道が下りる。植林地の中を山に上がる間伐道もある。30分ほど林道を進み、林道が西に延びるところで、尾根の鞍部に上がる小谷に入った。ササ薮の鞍部を進むと、黄色のテープの続く尾根道に出た。

 982ピーク北の植林地から青野山が間近に見える。林道から1時間ほどでピーク北の鞍部に下りた。ササ薮を下って水源に出ると、赤い測量の標柱が立っていた。この辺りまで林道が延びるのかもしれない。倒木の多い小谷を下り、1時間ほどで伝法寺跡。間伐された植林地の中に、8年前、伝法寺跡を示す板が掛かっていた鉄柱だけが残っていた。

伝法寺跡 2006年9月10日

 少し休んで谷を下ると、左岸から続く山道が、右岸に入っている。植林地の山道を進むと、平坦地に出る。「西中国山地」にある寺屋敷付近であろうか。山道はまだ奥へ続いていたが、平坦地から鈴ノ大谷水源の谷を下った。

 少し進むと、懸崖の滝に出る。右岸を下り滝下に出た。奥の左側に落ちた滝は、流れ出て小さい釜に落ちる。谷を進むと、また滝があり、伝法寺から落ちる滝と合流する。ここも右岸を回り、滝の下流に出た。谷を少し遡って滝下に出る。右岸から本流の滝が落ち、左岸から伝法寺の谷の滝が落ちる。

 さらに下ると本流に滝があり、少し下の左岸から小滝が落ちている。ゴルジュ入口の小滝は右岸を進み、平坦地に下りた。この滝の続く谷は、上部の寺屋敷下流まで500mほどの長いゴルジュになっており、本流に三つの滝、左岸から落ちる二つの滝がある。

クマシデ
ヤマボウシ

 平坦地の谷に下りると魚影が走る。右岸の石垣の上の山道は、すぐに左岸に渡る。道は橋跡の石垣から右岸の石垣に渡る。右岸の谷に入る山道は崖の所で切れている。左岸にロープ、右岸にロープと鎖が垂らしてある。左岸のロープを使って、右岸の鎖とロープが下がる所まで下り、少し登って切れ落ちた崖の谷を越える。

 岩崖を通る山道を回りこむと、橋脚跡の石垣が残り、道は谷を回りこんで対岸の石垣に出る。そこから急勾配の坂が真っ直ぐオシガ谷に落ちている。オシガ谷に出ると、朽ちた橋の下から下流に向かって、川底に石が敷き詰めている。そこから大きいモミの林を通って、左岸の道に出た。

 レールの残る道を進み、鈴ノ大谷山へ上がる山道のあるインクラの石垣の所に出た。橋跡の石垣のあるナカノ谷を渡る。小谷に架かるコンクリート橋を渡り、道が回りこむところに橋げたが残っている。鈴ノ大谷に架かる軌道橋を右岸に渡ると、ここにもレールが残っている。

 そこからほどなく水害碑がある。「水害遭難死者精霊位」の石碑があり、碑の横に「昭和十一年九月十一日」とある。植林道を進み、歩道入口に到着。そこまで車道が入っている。柿木村生椎茸菌床センターの横を通り、福川川、カドガ谷を渡って県道に出た。

ヤマザクラ
アヤメ
コアジサイ
コツクバネウツギ
ヤブデマリ
タニギキョウ
ミヤマシキミ
タツナミソウ
ホオノキ
ミツバウツギ
オオバヤシャブシ
ハナウド
コガクウツギ
ナツグミ
オオバアサガラ
ミズタビラコ
ツタウルシ
コケイラン
ハイノキ
モミ林 オシガ谷右岸



地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

 『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。

 「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。

 「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。


 盛太ヶ岳の東側に縄文遺跡が多い。

★向津原遺跡(コウヅバラ 柿木村大野原)
 
縄文 弥生 中世 近世 近現代
 
縄文土器(前期・晩期)・石鏃・打製石斧
 弥生土器(前期)
 磨製石斧(縄文か弥生)
 砥石(時代不明)

★田丸遺跡(タマル 真田)
 石斧

★河内遺跡(注連川 河内)
 縄文・弥生・奈良・平安・中世・近世

 石器(縄文か弥生) 打製石斧(縄文か弥生)

★前立山遺跡(マエタテヤマ・注連川 三助)
 弥生・古墳・奈良・平安・中世

 竪穴住居(後期14) 
 土壙墓(中期1・時期不明4) 
 木棺墓1 溝 祭壇状遺構 
 サヌカイト製石鏃工房 
 土坑 柱穴 

 弥生土器(中期・後期) 
 石鏃 磨石 砥石 石包丁 棒状石製品 
 鉄鎌 勾玉 土玉 ミニチュア土器
 石皿(後期)

★仲の原下遺跡(ナカノハラシタ・注連川)
 須恵器(古墳)

★仲の原中遺跡(ナカノハラナカ・注連川)
 須恵器

★山入遺跡(田二穂 部栄 注連川西)
 弥生土器

★藤安遺跡(注連川)
 須恵器(古墳)

★沖場遺跡(注連川)
 土師器(古墳)

★堂面遺跡(注連川)
 縄文土器


 縄文時代の区分
 草創期(約12000〜9000年前)
 縄文早期(約9000から6000年前)
 縄文前期(約6000〜5000年前)
 縄文中期(約5000〜4000年前)
 縄文後期(約4000〜3000年前)
 縄文晩期(約3000〜2300年前)




●銚子の口(チョウシノクチ)
 so-us-no-kut-i
 チョウシノクチ
 滝・多い・真の・崖の・所

●伝法寺 デンポウジ
 tennep-or
 テンポ
 湿っている・所


 島根県遺跡データベースによると、伝法寺跡は860ピーク東の鈴ノ大谷ゴルジュに入る下流の位置になっている。桑原良敏の「西中国山地」地図では、銚子の口の上流に寺屋敷がある。

 香川県の小豆島に伝法川と銚子滝がある。由来は不明だが、鈴ノ大谷に銚子滝の近くに伝法寺があり、似通っている地名に驚かされる。

 寺屋敷から鈴ノ大谷を下ってみると、500mほどのゴルジュの間に、本流に3つの滝、左岸から落ちる2つの滝があり、滝の多い谷であった。

島根県遺跡データベースにある伝法寺跡
位置は860ピークの東になっている
出土遺物は陶磁器と灰 時代は中世
(出典は柿木村誌)

小豆島の
伝法川と銚子滝


●スズノオオ谷
 susu-nu-oo
 ススヌオオ
 ヤナギ・ある・深い谷

 深いとは、山が深いという意。

●スズノオオ谷
 yuk-sut-tuye-no-wose-us-i
 スツノオオ
 鹿の・根・絶やす・十分の・狼・いる・所

 知里幸恵のアイヌ神謡集に次の一節がある。

 yuk sut tuye chiki
 ユク・スツ・ツィエ・チキ
 鹿の・根を・絶やす・ことを我らする

 オシガ谷、馬ノ背、ヨコセ谷などの地名から狼を連想した。

●オシガ谷
 wose-kamuy
 オセカ

●馬ノ背(ウマノセ)
 oman-wose
 オマノセ
 奥へ行く・狼

●ヨコセ谷(オシガ谷北側)
 yoko-wose
 ヨコ・セ
 獲物を狙う・狼

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カシミール3Dデータ

総沿面距離17.5km
標高差622m

区間沿面距離

鈴ノ大谷入口
↓ 6.4km
登山口
↓ 4.7km
伝法寺跡
↓ 3.0km
オシガ谷
↓ 3.4km
鈴ノ大谷入口
 





鈴ノ大谷山西尾根端の林道から
法師山と青野山
鈴ノ大谷の上の滝
奥の左から落差7mほどの滝が落ち、下流の釜に入る
鈴ノ大谷の真ん中の滝
奥の左から落差6mほどの滝が落ちる
鈴ノ大谷の真ん中の滝
伝法寺の谷から落差7、8mほどの滝が落ち、左側から落ちる本流の滝と合流する
鈴ノ大谷の下の本流の滝
鈴ノ大谷の下の本流の滝の下流左岸から落ちる滝

保安林内作業許可標識の地図から
林道から網の目のように入る間伐道
 
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)