山歩き

平瀬橋…ウマノ谷…馬糞ヶ岳…田代集落跡
2014/5/18

須万地…鳥越隧道…平瀬橋…高木屋集落…馬糞ヶ岳…札ヶ峠…田代集落跡…新倉谷橋…鳥越隧道…須万地

■馬糞ヶ岳(バフンガダケ)985.2m:山口県玖珂郡錦町大字広瀬字嶽ノ岡(点の記) (岩国市)

旧国道から見た馬糞ヶ岳
ダム軸=水ノ尾山から下りる出崎の反対側
左 鳥越隧道 右 猿飛橋
錦川に架かる鉄橋を渡る 水ノ尾山の頭が見える
鉄橋から見た錦川上流方向
木谷川に架かる猿飛橋
錦川右岸の頁岩の岩盤=出崎の先端
錦川左岸の頁岩の岩崖
道を塞ぐ土砂 下流方向
平瀬橋から見た下流方向
石垣のある道を通る
大岩の横に大岩神社
集落に入る橋の横から左岸の山道に入る
右岸に大きい石垣がある
堰堤に出る
ワサビ田跡の石積
林道終点から伐採地の尾根を上がる
伐採地から見た水ノ尾山
根元から分かれた幹の大きいブナが数本ある
馬糞ヶ岳
札ヶ峠から植林地の古道に入る
馬乗り石
田代集落跡に入る
橋を渡ると古道が続く
橋の先にある植林地の古道
山城のような石垣の横を下る
道を塞ぐ崩れた家屋
民家に出る
V字滝
日下に入る橋
新倉谷橋の先に新国道
錦川に架かる橋から国道の橋を見る
ケヤキが塞ぐ旧国道
上流に菅野ダム・水越ダム
鳥越隧道
6:40 須万地 晴れ 気温11度
 

7:10 鳥越隧道
7:20 猿飛橋
7:40 平瀬橋
8:20 高木屋集落
9:30 堰堤
10:20 林道終点
11:05 登山道合流
11:20 馬糞ヶ岳
12:15 札ヶ峠(石の道標)
12:50 田代集落跡
14:00 クラ谷の民家
14:30 新倉谷橋
15:45 鳥越隧道
16:05 須万地

 国道434号線の旧道分岐の須万地を出発。向畑の左近の桜・カツラの木への道標がある。須万地から馬糞ヶ岳がよく見える。馬糞ヶ岳の手前に高圧線鉄塔が林立する。錦川右岸の旧国道を進むと、「平瀬ダム建設のための工事用道路維持工事」の看板がある。対岸の山腹を縫うように国道434号線が通る。

 ハタガセ橋を過ぎ、少し進むと、「ダム軸」と書かれた赤白の板が立ててある。山口県のホームページによると、この地点にダムが建設されるようだ。重力式コンクリートダムで堤高73m、堤頂長300m、総貯水容量29,500,000㎥という。平成33年の完成予定である。

 そこからほどなく鳥越隧道、錦川曲流部の根元をトンネルが貫いている。隧道手前に木谷口のバス停がある。バス停から水ノ尾山が見える。錦川右岸の車道を下る。川は渓谷になっている。出崎の山側は植林地。赤錆びた鉄橋を渡る。曲流部左岸の道を進む。木谷川に掛かる「猿飛橋」に出る。驚いたネコが草原の中に逃げ込んだ。

コガクウツギ
ノイバラ

 道を進み竹林を抜けると滝があった。錦川右岸の先端は岩盤だが左岸も崖の岩盤になっている。その先は崖が崩れ道を塞いでいた。上部の道路工事で崩れたようだ。道の横にシュロが伸びている。平瀬橋に出ると「橋の上にダンブが3台以上載ると危険」と書いてあった。

 ウマノ谷左岸の車道に入る。植林地の車道は谷の高い所を通っている。遠くから滝に見えたのは堰堤だった。もう一つの、南の高木屋に通じる車道の分岐を過ぎ、植林地の中に石垣の残る道を進むと、葉ワサビの畑があり、大岩の横に大岩神社があった。集落に入る赤い橋の所からウマノ谷左岸の山道を進む。

 木橋を過ぎて山道が一端切れるが、竹林の中に迂回道がある。進むと左岸に大きい石垣がある。さらに奥にも石垣がある。間伐されたスギの林を過ぎて、少し進むと道が分岐する。分岐を左に少し入ってみたが、引き返して左岸の道を進むと堰堤に出た。堰堤の上部に林道が通っていた。

オドリコソウ
ウリノキ

 堰堤で少し休んで、ウマノ谷水源を進む。堰堤上流にワサビ田跡の石積が残っていたが、山道はそこで消失。谷を進むと左岸から山道が上がり右岸に入っていた。そこから少し進んで左岸の林道に出た。林道は844ピーク西側鞍部で終点。

 林道終点から伐採地を登り、ササ薮に入る。北側に水ノ尾山が見える。樹林に入ると、根元が分かれた幹の大きいブナが数本あった。ブナにヤドリギが寄生していた。しばらく進むと登山道と合流した。堰堤下流にあった左側に入る分岐道がここに続いているのかもしれない。

 少し進むと休猟区のプレートがあり、大きいブナを過ぎて、長野山から続く尾根の分岐に出た。分岐にウマノ谷への道標がある。そこからまもなく馬糞ヶ岳山頂。東側に展望があるが、霞んでいる。日が差して暑かった。引き返して西へ下る。少し進むと笹を開いた分岐道がある。1時間ほどで札ヶ峠。

ヒメレンゲ
サワハコベ
 
札ヶ峠の石の道標
東面 南面 北面
西面 弘化三年=1846年

 札ヶ峠に古い石の道標がある。東面に「左 すま 右 ひみつを こんけん」、南面に「左 こんけん 右 ひろせ」、北面に「左 ひろせ 右 すま」とある。秘密尾、広瀬、須万、こんけんへの道標だが、「こんけん」はどこの地名だろうか。秘密尾の北に「権現山」があるが。西面に「弘化三年丙午六月」とある。1846年で170年ほど前の道標である。

 札ヶ峠から東の旧道を進む。植林地の山道を進むと、「公社造林 馬乗り石事業地」の看板がある。山道は地形図の破線道とずれている。尾根から下りる分岐を過ぎて、次の分岐を下ると、田代集落跡に出た。植林地の中に石垣が残る。下ると鉄橋に出る。橋を渡って少し進んでみると、幅広の道が東側に続いていた。ここで旧道と繋がったようだ。

ギンリョウソウ
コケイラン
  
集落道のミニチュア模型
田代集落跡のシャガ

 引き返して田代集落跡を下る。山城のようなりっぱな石垣が続く。山道にトラックのミニチュア模型が落ちていた。崩れた家屋が道を塞ぐ。周辺にはシャガが咲き乱れていた。所々、日が入るところは薮と化している。壊れた橋の手前から左岸に渡る。橋を渡ると古い林道に出た。植林地の中のシュロが実を付けていた。

 大分下って民家に出た。少し下ると川の合流点に出た。橋を渡ると、右穴ヶ浴に入る山道が通っているが、薮になっている。V字滝を過ぎると、日下へ入る橋がある。そこからほどなく倉谷川に架かる新倉谷橋に出た。新しい434号線に通ずる橋である。

 新国道まで出て引き返し、旧道を下る。錦川の古い橋の上に、新国道の大きい橋が架かっている。旧国道の標識に錦町倉谷とある。錦川右岸の旧国道を進む。ケヤキが倒れ道を塞いでいた。ダム放流注意の看板がある。上流に菅野ダム、水越ダムがある。ノイバラ、オオバアサガラ、エゴノキが咲いている。鳥越隧道を通り、旧国道を1時間半ほど歩き帰着。

ヒメフウロ
ハハコグサ
ジャケツイバラ
オオバアサガラ
エゴノキ
ハナウド
ブナに寄生するヤドリギ
ナンゴクウラシマソウ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

 『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。

 「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。

 「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。


 平家ヶ岳の北側と沿岸部に縄文遺跡がるが、周辺には無い。黒ボク土も無い。長野山の古名から下記のように推測してみた。

 縄文時代の区分
 草創期(約12000〜9000年前)
 縄文早期(約9000から6000年前)
 縄文前期(約6000〜5000年前)
 縄文中期(約5000〜4000年前)
 縄文後期(約4000〜3000年前)
 縄文晩期(約3000〜2300年前)



●カラヌタの尾山
(カラヌタノオヤマ 1740年 長野山の古名)
 kara-nutap-not-or
 カラ・ヌタ・ノ・オ
 回る・川曲り地の・出崎の・所(長野橋の所の出崎)


 「長野山の山名は『防長風土注進案』鹿野村の村内大山のことの項にあるが、これが初見と思われる。この山の西麓に長野集落があり、それと関連がありそうだがよくわからない『防長地下上申』広瀬西分に『カラヌタの尾山』とあるのがこの山の広瀬村側の呼称と思われる。カラヌタは乾燥した湿地の意と考えると山頂が広い平坦地となっているこの山の自然地名として穏当と思われる」(「西中国山地」桑原良敏)。


●長野(ナガノ)
 nokan-not
 ノカ・ノ
 小さい・出崎

 カラヌタの尾山、長野の地名は、長野集落付近にある川の曲流地形の呼び名と考えられる。西中国山地地形方言に「ヌタ」「ノタ」「ノダ」があるが、湿地の意である。

 アイヌ語「ヌタプ」は「川の湾曲内の土地」「山下の川沿いの平地」などの意がある。

 ナガノは川の曲流部の小さい出崎を意味する。

長野山西の長野集落付近の川曲り地
カラヌタノオヤマ=長野山
 
北海道網走刑務所南側の川の曲流点
タンネ・ヌタプ=長い・川曲りの中の袋地

 「網走川を遡ると、網走刑務所の南の所で大きく屈曲して袋地を囲んでいて、この辺りの地名は大曲である。知里博士小辞典はそのことを『原名はタンネ・ヌタプ tanne-nutap(長い・ヌタプ)で、ヌタプとはそのような湾曲内の土地を言うのである』と書いた。ヌタプという語は、土地により人により意味が違って解に苦しむことが多いが、ここは川曲がりの中の袋地を呼んでいた例である」(「北海道の地名」山田秀三)。


 長野山=カラヌタノオヤマが長野集落付近の地形表現であるなら、馬糞ヶ岳は地形を表す呼び名とも思われる。


●馬糞ヶ岳(バフンガダケ)
 pa-ahun-kata-ke
 パ・フン・カタ・ケ
 頭・入る・形の・所(木谷川口の出崎が頭)

 「カラヌタの尾山」が曲流地形を表すように、「バフンカタケ」も曲流地形を表す。鳥越隧道のある川の曲流部が「頭入る形」である。アイヌ語「パ pa」は、「頭」「出崎」の意がある。「出崎が入る形の所」の意である。


 アイヌ語 ahun 地名
 kamuy-ahun-i
 カムイ・アフニ
 神・入る・所


●温木木山(ユキキヤマ=馬糞ヶ岳古名)
 yuki-kim
 ユキ・キ
 鹿・山

 温木木山(ユキキヤマ)は、馬糞ヶ岳の古名であるが、アイヌ語に「ユク」「ユキ」は、鹿の意味がある。


●水ノ尾山(ミズノオサン)
 pit-not-or
 ピツ・ノ・オ
 石・崎の・所

 馬糞ヶ岳と同様、ミズノオサンが地形表現であるとするなら、南に伸びる、錦川に落ちる出崎=鳥越隧道の東側の出崎であると考えられる。


 鳥越隧道にある川の曲流部の出崎は頁岩で、錦川はこの頁岩を侵食して曲流している。鳥越隧道の出崎の東側に水ノ尾山の出崎が錦川に落ちている。この出崎は砂岩である。

鳥越隧道付近の表層地質図
カシミール3D+国土交通省表層地質図

ms=頁岩:緑色
ss=砂岩:薄茶色


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カシミール3Dデータ

総沿面距離22.4km
標高差881m

区間沿面距離

須万地
↓ 5.7km
高木屋
↓ 3.4km
馬糞ヶ岳
↓ 2.4km
田代集落跡
↓ 3.7km
新倉谷橋
↓ 7.2km
須万地
 





国土交通省5万分の1都道府県土地分類基本調査(鹿野)の簿冊より

須万地から見た馬糞ヶ岳
鳥越隧道の出崎の先端部=北西端
林道終点南の伐採地から
               清水ヶ浴                                       水ノ尾山
田代集落跡の石垣
登路(「カシミール3D」+「地理院地図」より)

平瀬ダム 山口県HPから