山歩き

笹山…青野山…法師山…南谷川
2014/5/11

笹山…青野山…沼原…唐人屋トンネル…法師山…願成就温泉…9号線…南谷川…226号線…笹山

■青野山(アオノヤマ)907m:島根県鹿足郡津和野町笹山(点の記)
■法師山(ホウシヤマ・古名:船方山)906m:島根県鹿足郡柿木村大字福川(点の記:点名法師)
■木野(キノ)758m:島根県鹿足郡津和野町大字笹山字材木(点の記)

笹山登山口
青野山登山口の説明看板
登山口の鳥居
植林地を登る
木の階段を登る
野坂山と十種ヶ峰 登山道の展望地から
山頂の道標
青野山山頂
眼下に9号線 右手に三子山
青野山王権現
青野山王権現
山頂から薮に入る
沼原に下りると鉄柵が囲む
沼原=ノンバラ
車道から津和野街道に入る
唐人屋トンネルに出る
作業道を上がり唐人屋西の鞍部に出る
伐採されたばかりの木野三角点
植林地の尾根を進むと作業道終点に出た
850m付近から猛烈な薮尾根になる
ササに覆われていた法師山三角点
植林地の登山道に土塁がある
左岸の林道に出た
願成就温泉
野坂山
展望地から津和野城下を望む
西津和野大橋下の林道に入る
林道終点から橋を渡る
南谷渓谷左岸の山道を進む
南谷渓谷左岸の山道
左岸の遊歩道に出た
南谷川に架かる橋を渡る
笹山の石橋 渡ると津和野街道
青野山
6:10 笹山登山口 晴れ 気温13度
 

7:00 青野山
8:25 沼原(ノンバラ)
8:40 津和野街道入口
9:00 唐人屋トンネル
9:15 唐人屋トンネル西の鞍部
9:40 758P(木野)
10:10 780P
11:25 法師山
13:20 願成就温泉
14:05 西津和野大橋下の林道
15:00 226号線
15:25 笹山登山口

 登山口傍の駐車場を出発。南風が強い。笹山登山口道標の前を進むと鳥居があり、山道が植林地に入っている。登山口の説明板によると、青野山は古くは妹山(イモヤマ)とも呼んでいたようだ。

 石積の間を通ってスギ林の中を登る。樹木に名札が取り付けられている。下から順番に記しておく。ケヤキ、クリ、オニグルミ、アベマキ、ヤマザクラ、ネズミモチ、サカキ、ウリハダカエデ、コナラ、アセビ、クヌギ、リョウブ。

 オニグルミの下には花穂がたくさん落ちていた。木の階段を進む。古い標柱が倒れている。「平成元年度 技術の森 複層林・・・の文字」が見える。ヒノキ林の下にギンリョウソウが多い。ジグザグの階段路の一角に展望地がある。徳佐盆地の左右に三ツヶ峰、野道山、野坂山、十種ヶ峰への展望がある。

ギンリョウソウ
ミヤマガマズミ

 ウリハダカエデの花穂がたくさん落ちている。山の上部ではまだ花穂を付けた木が見られた。山頂近くにはミヤマガマズミが咲いていた。1時間ほどで山頂に出た。「青野河原駐車場1.5km」の道標がある。山頂周辺は薮の林に覆われているが、東側に展望がある。逆光で霞んでいるが、白旗山から鈴ノ大谷山への展望がある。

 北側に進むと、眼下に9号線が見え、遠く日本海を望む。右手に三子山が見える。山頂北側には「青野山王権現」(アオノサンノウゴンゲン)が祀られている。山頂の説明看板に「青野山は四季折々の山容の変化をもって農耕の暦とし天候を占い、日本海沿岸の漁民の航海の標識・漁網張りの基点ともなり人々の崇拝の対象であった」とある。

 山頂に戻り東側の薮に入る。山頂周辺は潅木が覆うが、下るに連れて歩き易くなる。クロモジが多い。林間から沼原の田んぼが見えてくる。ヒノキ林を下り、大きい二本のケヤキの所に出た。張り巡らされた鉄柵を越えて小屋の横から車道に下りた。車道の東側は水田で奥に民家がある。沼原はノンバラの呼ぶ。

ウリハダカエデ
ウリハダカエデ

 一日三本通る沼原のバス停を通り、ヤブデマリ、ガマズミの咲く車道を進む。植林地の津和野街道に入り、杉ヶ峠(スンガタオ)に向けて進むが、途中で路が消失、唐人屋トンネルの入口に出ると、車道の向こう側に作業道が上がっていたのでそこを進む。作業道は唐人屋トンネルの西の鞍部を通り南西側に下りていた。鞍部に「柿木村大字福川字杉ヶ峠」の看板があった。

 鞍部から尾根を登る。植林地の尾根を進み、758P=木野三角点に上がった。ヒノキ林を進むと、大きいアオダイショウが尾根に居座る。ほどなく作業道の終点に出た。作業道が南側に下りはじめたところで、再び尾根を進む。間伐された木が尾根を塞ぐ。掘下げた古道が尾根に沿って続いている。

 植林地を過ぎると、尾根は潅木とササの猛烈な薮尾根になった。悪戦苦闘して山頂間近で東側の植林地に入った。津和野街道に入って2時間半ほどでようやく伐採された山頂に着いた。以前登った時は植林地の中に三角点があったが、伐採されてササ薮の下に隠れていた。周辺のササを刈って、標識と三角点が見えるようにした。

クヌギ
クロモジ

 山頂は周辺が林のため展望は無い。元笹山へ下りる予定だったが、潅木を避けて西側の登山道を下った。テープを頼りに登山道を下る。土塁が山頂に向けて通っている。山道は植林地をしばらく下り、広葉樹の林から南側の谷に下りていた。

 谷沿いの右岸の山道は荒れている。ゴーロの川原に出て右岸の植林地を下ると大きい堰堤に出た。左岸に渡ってようやく林道に出た。そこからほどなく願成就温泉。正面に野坂山が座る。

 国道9号線を野坂トンネル、門林トンネル、桧谷隧道を進む。展望地に出ると、眼下に津和野城下の町並みが見える。東側に青野山の頭が見える。西津和野大橋に出ると、橋下に林道が通っていた。橋を渡って林道へ下りた。地形図では南谷川の右岸に破線路があるが、植林地の林道を進むと、林道は終わり壊れた橋を渡ると左岸に山道が通っていた。

 南谷川は眼下に滝が続く渓谷となっている。山道を進み、東側から落ちる谷にある崩壊した木橋を越えて登ると遊歩道に出た。遊歩道は途中崩壊しているが、進むと赤い橋に出る。橋を渡って226号線に上がった。

 車道を進むと笹山の石橋がある。南谷川に石橋が掛かり、津和野街道が東へ入っている。青野山が正面に見える位置に出た。六地蔵道標を見て振り返ると杉ヶ峠から法師山への尾根が見える。ほとなく登山口に帰着。
 

チゴユリ
アカエビネ
エビネ
ヤブデマリ
ムラサキキケマン
ダイセンミツバツツジ
ミズキ
ウリカエデ
オニグルミの花穂
ヤブヘビイチゴ
笹山の石橋


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

 『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。

 「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。

 「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。


 青野山周辺に縄文遺跡が多い。津和野城跡西の喜時雨遺跡(キジュウ・キジウ)では旧石器のナイフ型石器が出土しており、縄文時代以前から人々の出入りがあった。

 また下記に記した遺跡をみると、縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近代へと連続した遺跡があることから、人々が継続してこの地に住んでいたことが伺える。

 縄文土器は後期・晩期のものが出土しており、4000年〜2300年ほどさかのぼる。山崎遺跡は縄文草創期の遺跡で9000年さかのぼる。

 縄文時代の区分
 草創期(約12000〜9000年前)
 縄文早期(約9000から6000年前)
 縄文前期(約6000〜5000年前)
 縄文中期(約5000〜4000年前)
 縄文後期(約4000〜3000年前)
 縄文晩期(約3000〜2300年前)

青野山周辺の縄文遺跡

■青野山西側
★東中祖遺跡(ヒガシナカグミ)
 鹿足郡津和野町中座東中組
 縄文・弥生
 石匙・縄文土器・弥生土器

★山崎遺跡(ヤマサキ)
 鹿足郡津和野町中座山崎
 縄文草創期・弥生・古墳・奈良・平安・中世・時代不明
 石核・剥片・磨製石斧・弥生土器

★僧原遺跡
 鹿足郡津和野町中座門林
 縄文
 打製石斧・磨製石斧

★観音平遺跡(カンノンダイラ)
 鹿足郡津和野町中座観音平
 縄文・弥生・古墳・中世
 石匙・石鏃・弥生土器・石鏃

★西中祖遺跡(ニシナカグミ)
 鹿足郡津和野町中座西中組
 縄文・弥生・中世・時代不明
 縄文土器後期・晩期・磨製石斧・黒曜石姫島産・弥生土器

★石田遺跡(イシダ)
 鹿足郡津和野町中座石田
 縄文・弥生
 石鏃

★大蔭遺跡(オオカゲ)
 鹿足郡津和野町鷲原三谷
 縄文・奈良・平安・古墳・中世・時代不明・弥生
 縄文土器後期・晩期・刃器・石皿・石鏃(姫島産黒曜石・サヌカイトなど)・打製石斧・磨石・円礫・剥片・石核・磨製石斧・石匙・土玉・焼け石・石錘・弥生土器

★高田遺跡(タカタ)
 鹿足郡津和野町高峯高田 
 縄文・近世・奈良・平安・古墳・中世・弥生・近現代・時代不明
 打製石斧・縄文土器晩期・弥生土器

★喜時雨遺跡(キジュウ)
 縄文・近世・奈良・平安・古墳・中世・弥生・旧石器・時代不明
 旧石器ナイフ型石器・縄文土器後期・石錘・磨石・打製石斧・木製品・弥生土器

■青野山東側
★権道路遺跡
 鹿足郡津和野町笹山権道路
 縄文・弥生
 石鏃

■青野山北側
★和田遺跡(ワダ)
 鹿足郡津和野町耕田和田
 縄文・弥生
 打製石斧

★直地遺跡(タダチ)
 鹿足郡津和野町直地直地
 縄文
 集落跡


 青野山は、溶岩が盛り上がった溶岩円頂丘で、同様の丘が南西方向に野坂山、段原山、三原山などと続いている。青野山火山群の活動は約128万年前から10万年前頃まで続いていた(山口大学HP)。


 黒ボク土の層厚は、下の土壌図簿冊から20cm〜60cmである。

 冠遺跡のある松の木峠の冠遺跡群(D地点)の黒ボク土は厚さ70cmで、1万年前にさかのぼる。同様の条件で黒ボク層が形成されたと仮定すると、青野山周辺の黒ボク土は、2800年から8500年ほどさかのぼると考えられる。


 「黒ボク土」(黒土)は山焼き・野焼きによって形成された。以下は『黒土と縄文時代』(山野井徹)からの要旨である。

 『旧石器時代の石器は赤土の中から、縄文時代の遺物は黒土の中からでてくることが多い。また、縄文期のものが赤土から出てくることはあっても、旧石器のそれが黒土から出ることはない。すなわち,黒土に埋没する土器は縄文期以降に限られるという不思議な必然性がある。

 従来黒土は「クロボク土」とよばれ、「火山灰土」と考えられてきた。

 クロボク土は植物遺体や腐植が分解されずに残っているという特性をもっている。クロボク土の特質が植物遺体が分解されないことであるならば、その条件こそがクロボク土の形成要件であろう。

 植物が分解されずに地層中に残る条件は2つある。1つ は植物遺体が酸化的な環境ではなく、還元的な環境におかれ続けることである。
 もう1つは分解される前に燃焼に よって炭化することである。クロボク土の生成環境は酸化的な環境であり植物遺体は分解されてしまう。したがって前者の条件は消えるから、後者の炭化条件が残る。
 そこでクロボク土層中の黒色破片は炭化した後に堆積した植物破片ではなかろうかという見通しが得られる。

 筆者は植物遺体を燃焼させ、その細片を顕微鏡で観察した。その結果、クロボク土中の黒色破片の形態はススキの燃焼炭粒子と共通していることを見出すことができた。よって、クロボク土中の黒色破片は燃焼炭の微粒子(以後「微粒炭」という)と考えるのが最も妥当である。

 クロボク土の中には必ず微粒炭が含まれていることから、この微粒炭の生産を、古代人の生活と関連させて考えた。古代人が火を使い、草木の燃焼炭が粉塵となって堆積し、そこに腐植が吸着したものがクロボク土であると考えた。

 すなわち、クロボク土の形成にとっての必要条件は、燃焼炭(微粒炭)の生産にある。つまりクロボク土の形成には微粒炭を生産したような火の使用が必要不可欠の条件となる

 さて、微粒炭を生産するような火の使用とは一体,どんなものであろうか。広大な範囲に微粒炭を堆積させるよう な火の使い方は、炊事や土器焼きのような居住地周辺での小規模なものではなく、野焼き、山焼きのような大規模なものであったと想定される』

 
 青野山は昔山焼きが行われた山のようだ。津和野町のホームページに、青野山の山焼きについて「青野山北斜面で上山と下山を一緒に焼く。昭和35年まで続いていた」とある。

 「昭和7年ごろは冬になれば競って青野山にスキーに行ったものと見える。近年は青野山も山焼きをしなくなったので、潅木が生い茂るようになってスキーのできるようなスロープは無い」(『つわぶき57号』=津和野の自然と歴史を守る会)。

 「その頃の農家の屋根は殆んど茅葺屋根であったので、その茅葺用としてススキを育てるために毎年秋になると山焼きが行われ美しいトロイデ火山の姿が見られました。しかし、今は全く荒れ果て、また津中時代よくスキー練習に通ったところも雑木が繁り昔の面影はありません」(『つわぶき3号』)。

 昭和54年の植生調査では青野山の北と東に大きいススキ原がある。かっての山焼きの名残りであろう。

 法師山も防火線の土塁が残り、かつて山焼きが行われていたと思われる。青野山・法師山周辺の黒ボク土は縄文人の山焼きによって形成されたと考えられる。


●青野山(アオノヤマ)
 ao-nup
 アオヌ
 青い・野原

 
 黒ボク土=縄文期から山焼きが行われ、ススキ草原が広がっていたと考えられる。青野山は文字通り青い野原であった。

●妹山(イモヤマ・青野山別名)
 i-ma-or
 イモ
 それを・焼く・所(黒ボク土=縄文期から山焼き)

●妹山+青野山
 i-ma-or-ao-nup
 イモアオヌ
 それを・焼く・所の・青い・野原

 青野山の古名=妹山はイモアオヌと呼ぶ縄文語であったと思われる。

●沼原(ノンバラ)
 nuy-nu-hur-an
 ヌンフラ
 炎・もつ・丘・ある

 沼原は黒ボク土 Mnr で層厚50cm以上とある。縄文時代から山焼きが行われていたと思われる。

●船方山(フナカタヤマ)
 pu-ne-kat-ar
 プネカタ
 庫・のような・形の・反対側

 『防長風土注進案』『防長地下上申』では「船方山」という。船方牧場が西側にあったので、この辺りの地籍名であろうか。法師山の古名=フナカタは、庫のような形の青野山の反対側にある山のことをいう。

●法師山(ホウシヤマ・古名 船方山)
 ho-us-i
 ホウシ
 狼・いる・所

 ho-us-pe 
 ホウシペ

 「狼いるところ」というアイヌ語地名がある。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カシミール3Dデータ

総沿面距離14.9km
標高差677m

区間沿面距離

笹山登山口
↓ 1.4km
青野山
↓ 4.6km
法師山
↓ 3.1km
願成就温泉
↓ 3.1km
南谷川
↓ 2.7km
笹山登山口
 

 
 
 
 
青野山・法師山周辺黒ボク土(国土交通省土壌図+カシミール3D)
青野山と法師山に黒ボク土がある
Azo-1 A層が20cm前後
Azo-2 A層が極めて深い
Rkg 深さ30〜60cm(青野山北)
Ikd 深さ 30cm(青野山北)
Mnr 深さ50cm以上(青野山東の沼原)
 土壌図凡例
ccc
 
青野山・法師山周辺植生図(第2回植生調査植生図(昭和54年)+カシミール3D)
青野山の北と東にススキ原があった(黄色31・14)
 植生図凡例
ccc
青野山周辺縄文遺跡の位置
青野山
法師山へ続く尾根
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より
津和野町の遺跡(津和野町HPから)