5:40 柴木 晴れ 気温7度
6:40 県道内黒線
6:55 那須横川分岐
8:30 那須集落
8:45 ウラオレ橋
9:05 林道終点
10:35 藤十郎
11:15 中三ツ倉
11:25 奥三ツ倉
11:35 論所
11:50 十方山
12:55 丸子頭
13:30 藤本新道分岐
13:45 彦八の頭
14:35 内黒峠
14:55 内黒山
16:00 内黒山登山口
16:15 柴木駐車場
三段峡駐車場を出発。東側に薮ヶ迫山が見える。三段峡入口手前からタキガ谷北の林道に入る。内黒山登山口を通り、タキガ谷を渡り民家の横を進むと、旧内黒山登山口に出る。この山道はタキガ谷から上がって、林道を横切っている。タキガ谷下流方向に展望が開け、高鉢山が見える。
林道はジグザグに折れ、オオ谷水源のオオマキ峠jに出る。峠から下っていると、落ち葉に頭を突っ込んでいたアナグマが、慌てて山の斜面に逃げた。クロヤマ谷の橋を渡ると県道内黒線。
明治の道標 |
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県道を少し下ると山道がある。県道沿いの古道を進むと那須集落への分岐道に出る。この道は上本郷のおっぱい山登山口から上がる、石畳の残る古道である。ここから横川と那須に通じていた。分岐には石の道標があり、「右 横川 左 那須 道 戸河内村本郷 吉本厘太郎 明治4年10月」とある。
分岐から植林地の古道を進む。少し進むと北側に林道が通っていた。この辺りにはイヌブナがある。南側に鍋山が見える。その左手に天上山の山並み。古道は715ピーク(牛首)の南を通る。
山道にはササ薮が所々あるが、「吉和郷町有林」の看板の辺りから、植林地の道になる。昭和35年にスギを植林している。50年を過ぎたスギ林だが若いスギが多い。再度植林されたものか、古い看板がそのまま残っているのかもしれない。
ミヤマガマズミはまだ小さいツボミであった。ジャノクラキビレから南に下りる尾根を回り込むと、林の間から那須集落が見えてくる。県道へ上がる分岐を過ぎ、古道は那須川へ下りる。ヤブツバキの赤い花がたくさん落ちている。那須ギャラリーの上手の古橋を渡って那須集落に入る。三段峡から3時間弱だった。
コブシ |
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ショウジョウバカマ |
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少し休憩して、コバノミツバツツジやサクラの咲く那須川を進む。ウラオレ橋から林道風小屋線を進む。差す日が暑い。林道終点にヤマナシの花が咲いていた。ダイガハラの尾根を進む。オオカメノキが咲いている。大岩を通り、植林地を登ると平坦地に出る。タムシバの白い花が咲く。那須から2時間ほどで藤十郎のミズナラ。
ブナ林を進む。水源にバイケイソウが生える。市間山、立岩山方向へ展望が開ける。ピーク直下に雪が残る。大岩のある中三ツ倉から尾根の登山道を進む。奥三ツ倉へ上がると女鹿平山が見える。論所へ下ると雪解け水が多い。雪の斜面を上がり十方山山頂に出た。
南風が強い、霞む景色をカメラに収め引き返す。中三ツ倉を過ぎると前方が開け、恐羅漢山、丸子頭、砥石川山、深入山、向山が見えてくる。丸子頭へ寄ってみると、三角点の傍にあったナナカマドが伐採されていたが、切り株から枝が伸び葉が出ていた。
トキワイカリソウ |
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ウリカエデ |
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オオカメノキの咲く1152ピークを下り、藤本新道分岐に出る。ブナが多いカザゴヤキビレから、彦八の頭へ上がる。キビレからササ原がウラオレ谷に落ちる。その向こうに藤十郎の植林地の尾根がある。風の吹く鞍部にヤドリギが落ちていた。彦八の頭南面から恐羅漢山、砥石川山への展望がある。登山道にニシノヤマタイミンガサ、ミヤマカタバミが多い。
1166ピーク南面(彦八の道標)からも恐羅漢山への展望がある。北面に出ると東側への展望が開ける。眼下に県道内黒線が見える。大ミズナラを通り展望地に出ると、目前に内黒山からサバノ頭が見える。十方山から2時間45分で内黒峠に下りた。
峠から内黒山を通り、薮ヶ迫山(宮里山)の道標まで来ると、大勢の高校生が登ってきた。林の間から深入山が近くに見える。ショウジョウバカマの多い登山道を下る。コブシの白い花が咲いていた。内黒峠から1時間半ほどで登山口に下った。
ウスギヨウラク |
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アキグミ |
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ミヤマキケマン |
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コバノミツバツツジ |
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那須への古道のイヌブナ |
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古道のミヤマガマズミ |
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ショウジョウバカマ |
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イワカガミ |
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ミヤマカタバミ |
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ハウチワカエデ |
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ヤマナシ |
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丸子頭のナナカマド |
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オオカメノキ |
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ヤドリギ |
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キブシ |
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ミヤマシキミ |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。
「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。
「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。
三段峡の上流には樽床遺跡群がある。下流には土居、上殿の縄文遺跡がある。内黒山から十方山へ続く長い尾根には黒ボク土があり、縄文期から山焼きが行われたと考えられる。縄文人の出入りが早くからあったと思われる。
●柴木川(シワギガワ)
●那須(古名・ナスガハラ)
●ウラオレ谷
●三ツ倉(ミツクラ)
●十方山(ジッポウザン)
●丸子の頭(マルコカシラ)
尾根が黒ボク土=縄文期に山焼き。
●内黒峠(オオキビレ)
●内黒峠(オオクビレ)
●薮ヶ迫山(ヤブガサコヤマ)
●宮里山(ミヤリ・薮ヶ迫山別名)
カシミール3Dデータ
総沿面距離25.1km
標高差991m
区間沿面距離
柴木
↓ 4.5km
那須横川分岐
↓ 3.2km
那須
↓ 6.1km
十方山
↓ 6.7km
内黒峠
↓ 4.6km
柴木
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