山歩き

一軒家…クルソン佛岩…冠山…冠山南登山道
2014/4/19

一軒家…中の谷落口の滝…古道…クルソン佛岩…冠山…源流碑…寂地山分岐…寺床…鉄塔道…一軒家

■冠山(カムリヤマ・コウソンカムリ)1339m:広島県佐伯郡吉和村字吉和西(点の記) (廿日市市)

林道に入る
伐採地
タキガ谷に下りる
左中の谷 右長平谷
頓原造林地の古い看板
古道に出る
ゴーロを登ると1129P西の鞍部
クルソン分岐
クルソン佛岩と冠山
雪の残る登山道
冠山
展望地から見た広高山
源流碑
冠山南登山道の寂地山への分岐付近
寺床
54番鉄塔

54番鉄塔から
    女鹿平山  日の平山         小室井山

山道を下る
ゴルフ場の先の板敷山
伐採されたスギ
フカ谷に架かる木橋
ウワミズザクラ
6:10 一軒家 晴れ 気温4度
 

7:10 中の谷の滝
7:40 山道
8:45 クルソン分岐
8:50 クルソン佛岩
9:50 冠山
10:15 源流碑
10:35 寂地山分岐
10:55 寺床
11:50 54鉄塔
12:30 フカ谷の橋
12:50 一軒家

 一軒家の駐車場から霧の車道を進み、アマゴ禁漁と書かれた看板の所から林道に入る。静かな林にウグイスの鳴き声が響くが、直下の高速道を走る車の音がかき消す。林道は伐採地を通り、タキガ谷の西に入る。

 霧の植林地に朝日が煙る。林道分岐を北へ進み、ヘイケ谷を渡る。眼下に波立つタキガ谷が見える。林道はタキガ谷に接して、U字に曲がり分岐に出る。分岐を西に進むとフカ谷水源に出る。北へ進みタキガ谷水源に入る。

トチノキ
キブシ

 林道はタキガ谷水源の滝の手前で終点。谷を進むとタキガ谷左岸に「センター造林地頓原事業区」の看板が見える。中の谷から落ちる滝と長平谷の分岐に進み、滝の手前を左岸に渡る。

 地形図では左岸に破線道があるが、道らしき跡は無かった。「公社造林頓原造林地」の古い看板があったので、その辺りを道が通っていたと思われる。植林地を東へ進むと、頓原から上がる古道に出た。そこから地形図にある破線道が北へ上がっていた。

 破線道が右へ曲がり小尾根に出た所で、道が消失。日の差すスギの植林地の下にニシノヤマタイミンガサが群生していた。尾根を進むと再び古道に合流。古道は小谷に入り、冠山登山道国体コースのあった1129ピークの西の鞍部に出るようになっていた。

エンレイソウ
ニシノヤマタイミンガサ

 谷のゴーロから鞍部に出て、薮尾根を進むと、ちょうど登山道のクルソン分岐に出た。ローソク岩に上がるとタムシバが咲いていた。青空にクルソン岩と冠山が映える。その右に広高山の頭がのぞく。

 引き返して登山道を進む。雪の残る道を登り、1時間ほどで冠山山頂。北の展望地に出る。広高山の北に続く広い峯峰への展望があるが、霞んでいる。山頂周辺のカタクリはまだ花を閉じていた。南へ下り、源流碑に寄った。近くに大きいブナがある。

 大沼ヶ原はまだ雪に覆われていた。足跡があちこちに入り乱れている。寂地山への分岐まで出ると。南側の登山道には雪が無かった。土滝山を過ぎた陽だまりにカタクリが咲いていた。寺床まで下ると、日差しが強く暑くなってきた。

ローソク岩のタムシバ

 寂地山分岐から1時間半ほどで、松の木峠手前の赤いドラム缶の所まで下った。そこからスギの小木を抜けて、送電線の下に出ると、ちょうど54番鉄塔である。そこから山道を下る。ゴルフ場の向こうに板敷山が見える。クロモジの花が咲いている。

 下の53番鉄塔に出ると、山道が送電線の東側に続く。アセビがたくさん花をつけている。道横のスギが伐採されている。年輪を数えてみると20年ほどのスギであった。フカ谷と伴蔵川の合流点に木橋が架かっている。「換気塔・PCB」の建物を過ぎ、植林地の間を抜けて一軒家に帰着。

冠山山頂のカタクリ
冠山南登山道のカタクリ
クロモジ
ミヤマシキミ
ヤマウグイスカグラ
アセビ
アカシデ

地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

 冠山周辺には縄文遺跡が多い。冠遺跡群は旧石器時代から続く遺跡であるが、冠山の南側にはそのほかに、頓原遺跡、焼山遺跡、飯山貯水池遺跡があり、吉和川沿いに縄文遺跡が多い。北側には匹見町に数多くの縄文遺跡があり、とくに三葛では多数の石鏃が発掘され、冠遺跡群の安山岩が使用されている。


 『日本語とアイヌ語』(片山龍峯)、『日本語とアイヌ語の起源』(鳴海日出志)では、「和語」と「アイヌ語」を比較し、つぎのように述べている。

 「日本語とアイヌ語、このふたつの言語がともに共通の祖先から流れ出た姉妹語である」(片山)。

 「かなり規則的に和語の語根に対応することを見れば、アイヌ語と和語は、太古、同源であるか、強い借用関係にあったとも推定される」(鳴海)。


 クルソン地名

 クルソン、クロソン、クルソなどの地名は西日本側にある。仏陀にその名の由来があるとされている。主なクルソン地名に以下がある。

★狗留尊山(クルソンヤマ・御岳オダケ・狗留孫観音)
 山口県下関市
★狗留孫山(クルソンサン)
 山口県山口市
★狗留孫岩(クルソンイワ・狗留孫神社)
 宮崎県えびの市
★黒尊岳(クロソンダケ)
 鹿児島肝付町
★黒尊渓谷(クロソンケイコク)
 高知県四万十市
★倶留尊山(クロソヤマ・柱状節理の大障壁)
 奈良県曽爾村
★狗留孫山(クルソン)
 三重県藤原町

 宮崎県の狗留孫岩は冠山のクルソン佛岩と同様の大きな尖塔である。「クルソン」地名は山名につけられる場合が多い。あるいは由来する巨石が周辺にあるのかもしれない。また付近に神社や観音を伴っている。冠山は山頂が巨大な岩の塔である。

 『西中国山地』(「桑原良敏」)によると、冠山・後冠山の呼び名は次のようになっている。

★高そん加むり山(吉和村御建野山腰林帳・1725年)
★冠山の名がない(佐伯郡廿ヶ村郷邑記・1806年)
★冠山の名がない(安芸郡佐伯郡図・1810年)
★かむり山(下調べ書出帳吉和村・1819年)
★冠山(芸藩通志・1825年)
★カンムリ(吉和村絵図・江戸末期)
★ウシロカムリ(吉和村絵図・江戸末期)


 冠山の初見にみる呼び名は「コウソンカムリヤマ」、後冠山は「ウシロカムリ」であったようだ。

 また、『吉和村御建野山腰林帳』には次のようにある。

 「高そん加むり山、この山の内。来留尊佛と申石御座候」

 『安芸郡佐伯郡図」には「クルソン仏石」とある。

 以上の事柄から、次のように推測してみた。

 「コウソンカムリヤマ」=「クルソンカムリヤマ」と呼んでいたのではないか。


●クルソンカムリヤマ(冠山)
 samaykur-san-kamuy-nupuri
 クル・サン・カム・リ
 サマイクル神が・下りる・神・山

●ウシロカムリ(後冠山)
 samaykur-osi-rok-kamuy-nupuri
 オシ・ロ・カム・リ
 サマイクル神の・後に・座る・神・山


 北海道のアイヌ語地名に以下がある。

 samaykur-san
 サマイクル・サン
 サマイクル神の・棚

 知里真志保はサマイクルについて次のように言う。

 saman-ye-kur
 サマ・イェ・クル
 シャマンを・言う・神

 saman-ye-kamuy
 サマ・イェ・カムイ
 シャマンを・言う・神

 冠山とは「サマイクル神が下りる山」の意であったと思われる。「クルソン」地名の周辺には、縄文土器、縄文文化に共通性が見られるのではないか。

 「西中国山地の広島・島根・山口県の境界に位置する冠山山地の北西部の匹見町一帯でも、縄文時代遺跡の発見が相次いでいる。石ヶ坪遺跡では、縄文中期の土器の中には九州系の並木式・阿高式とよばれるものが相当量含まれている。後期の土器では、九州系の鐘崎式土器が相当量含まれていることは注目される。

 石ヶ坪出土の縄文中期の九州系の並木式・阿高式土器や台形土器、また水田ノ上出土の環状列石状の配石遺構や装身具・呪術品類などは、中国山地一帯では特異な遺物である。

 広島県北西端の冠山周辺にも、縄文時代遺跡が分布する。冠遺跡群からは、縄文前期初頭の九州系の轟式土器や瀬戸内系羽島下層式土器が出土している。

 中国山地を東西・南北に連なる文化の伝播ルートが存在したことを示している」(『中国山地の縄文文化』新泉社=以上要旨)。

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カシミール3Dデータ

総沿面距離12.4km
標高差644m

区間沿面距離

一軒家
↓ 4.8km
クルソン佛岩
↓ 1.7km
冠山
↓ 1.3km
寂地山分岐
↓ 1.2km
1164ピーク
↓ 3.4km
一軒家
 

 
 
 
 
クルソン・クロソン・クロソ地名の位置
山周辺の黒ボク土(赤茶)
Ysi-1 Ysi-2
(国土交通省土壌図+カシミール3D)  
松の木峠南側の黒ボク土(赤茶) 
クルソン佛岩と冠山(コウソンカムリ)
           羅漢山  鬼ヶ城山
ローソク岩から
          恐羅漢山           十方山                            女鹿平山
源流碑近くのブナ
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より