山歩き

大谷川…ヒキジノオカ…十方山…那須集落
2011/10/9

立岩ダム…大谷川…イシノ小屋…ヒキジノオカ…遭難碑…十方山…奥三ツ倉…中三ツ倉…藤十郎…那須…立岩ダム

■十方山(ジッポウザン)1319m:広島県佐伯郡吉和村吉和西(点の記) (廿日市市)

霧が下りた立岩貯水池
大谷川川口
伐採された大谷川右岸の入口
スギ林の山道を進む
谷を左岸へ渡る
左岸の山道
谷を進む
谷を進む
谷のカツラ
谷を塞ぐイシノ小屋
大岩の下は流木で塞がれていた
左谷
大谷川右岸の岩壁
大谷川右岸のガレ場の山道
山道のクマ糞
小谷を登る
ヒノキ林のヒキジノオカに出た
1013P 周辺はスギ林
イノシシのヌタ場
ブナ林を進む
大岩
ササ薮を進む
遭難碑に出た
十方山
奥三ツ倉
前三ツ倉
藤十郎
那須集落を下る
6:20 立岩ダム 晴れ 気温10度
 
ツルリンドウ

6:35 大谷川入口
7:15 イシノ小屋
9:10 1013P
10:50 遭難碑
11:00 十方山 
11:35 奥三ツ倉
11:55 中三ツ倉 
12:20 藤十郎
14:00 那須小跡
14:40 那須橋
14:55 坂根
15:25 押ヶ垰
15:50 立岩ダム


 立岩ダムの駐車場を出発。ダム湖の周辺にガスが下りている。県道を下る。大谷川の出口は流木が多い。右岸の入口が伐採されていた。右岸のスギ林の中の山道を進む。300mほど入ると道は左岸に渡る。左岸の山道が高巻く所から谷へ下りた。ガスが煙るゴーロの谷を進む。谷の入口から40分ほどでイシノ小屋。大谷川と左谷の合流点を大岩が塞いでいる。

 以前は大岩の下を潜ることができたが、流木で埋まっていた。大岩の右岸を越し、左谷を渡って大谷川右岸を進むと、薄い踏み跡がある。右岸のガレ場のハイイヌガヤの山道を登る。古いクマの糞が残っていた。

クマノミズキ
マムシグサ


 ヒキジノオカの尾根の先端は岩壁となっている。山道はヒキジノオカへ上がる小谷で消失していた。この小谷を登った。小谷の左岸は岩壁である。尾根に出るとヒノキ林であった。ヒノキ林の尾根のアカマツの木の下に、マツカサの古い食痕がたくさん転がっていた。

 エビフライと呼ばれるマツカサの食痕はリスやムササビが食べた痕である。ニホンリスの吉和での生息は50年ほど前が最後で、広島県では絶滅したと考えられているのでムササビの可能性が高い。

 ヒノキ林の尾根を進み、1013Pに出た。一升瓶が枯葉にたくさん埋まっていた。この辺りはスギ林であるが、登って行くと広葉樹の尾根に変わる。イノシシが掘り返したヌタ場があった。周辺のササが泥だらけになっており、イノシシはヌタ場から尾根を登ったようだ。

マツカサの食痕
オトコヨウゾメ

 だんだんと大きいブナが多くなる。ゴーロの急な斜面を登りきると大岩があった。タンナサワフタギ、ツリバナ、ヤマボウシ、フウリンウメモドキなどの実がなる。ヤマボウシは甘く熟れていた。登山道の尾根に近づくと背丈を越える猛烈なササ薮に変わる。腰ほどのササ薮になると登山道を歩く人が見えてきた。

 大谷川入口から4時間ほどで遭難碑のある登山道に出た。登山道にはサワフタギ、フウリンウメモドキの実がなる。ほどなく十方山。あいにく周辺の山々は霞んでいた。論所へ下る。ナナカマドの真っ赤な実が多い。奥三ツ倉の手前にシナノキの大きい木があった。ユキザサが赤い実を付ける。

ツリバナ
タンナサワフタギ

 奥三ツ倉で一休みして進む。登山道はナナカマドの赤が目立つ。大岩のある前三ツ倉から藤十郎へ下る。シナノキの小木があった。ブナ林を抜けると、大きいミズナラのある藤十郎。シマヘビが登山道を塞ぐ。アカマツの下を注意深く見たが、こちらにはエビフライの食痕は無かった。

 登山口の駐車場に出た。ヤマナシの大きい実が生っていた。道沿いにサラシナショウマが咲く。十方山から3時間ほどで那須小学校跡。車道を下り、那須滝を経て40分ほどで那須川入口の那須橋。県道296号線は車の行き来が多かった。

 押ヶ垰のトンネルの中にスズメバチの巣があった。県道沿いのアカマツの下に新しいマツカサのエビフライが落ちていた。押ヶ垰やヒキジノオカはムササビの痕跡のある所であった。十方山から5時間ほどで立岩ダムに帰着。

押ヶ垰のマツカサの食痕
ヤマボウシ
ホソバノヤマハハコ
サワフタギ
ナナカマド
ナナカマド
十方山登山道のシナノキ
マユミ
ユキザサ
フウリンウメモドキ
ウグイス? 十方山
サラシナショウマ
アケボノソウ
ナメラダイモンジソウ
 
那須滝
太田川 坂根付近
押ヶ垰集落とケルンバット



地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と考えられ、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


 「十方山という山名は十方の展望をよくすることのできる山という意からでたものと思われる」(『西中国山地』桑原良敏)。

 十方を見渡せる山は多いが、山名として「十方」を含む地名は意外になく、京都にあるぐらいだ。

 十方山の記録の初見は、黒川道祐『安芸国郡志』(1663年)で、「十方辻」とある(『西中国山地』)。

 「『ツジ』が山頂を表わす地形方言であることは、藤原与一氏の調査で明らかにされている。十方山頂の平坦地に、十方辻と名のつく所があるように考えるのは誤りである」(『西中国山地』)。

 「つじ」=「山の頂上」としているのは、兵庫・島根・岡山・広島・山口・香川・大分・福岡・長崎などである。石見弁では、「つじ」=「てっぺん」の意で、「山のつじ」の用例がある。

 「西中国山地」で山頂を辻と呼んでいるのは、毛なし辻山(毛無山)、三方辻(柏原山・大潰山)、 大谷辻(小五郎山南)の三つがある。アイヌ語、縄文語で次のように考えられる。

●毛無辻山(ケナシツジヤマ)
 kenasi-tu-sir
 ケナシ・ツ・シ
 林の・二つの・山

 毛無山の尾根の北に中の丸見山がある。

●三方辻(サンポオウツジ)
 san-pa-tu-sir
 サン・パ・ツ・シ
 尾根の・頭の・二つの・山

 尾根に柏原山と傍示山がある。

●大谷辻(オオタニツジ)
 ootani-tu-sir
 オオタニ・ツ・シ
 大谷の・二つの・山

 大谷の水源に大谷辻と十王山がある。


 十方山には北の1328ピークと南の1319ピークの二つの山がある。

●十方辻(ジッポウツジ)
 situ-pa-tu-sir
 シツ・パ・ツ・シ
 尾根の・頭の・二つの・山

 十方山は南西に長く延びる尾根を持っている。その尾根の頭に二つの山がある。

●十方山(ジッポウザン)
 situ-pa-san
 尾根の・頭の・棚

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カシミール3Dデータ

アキノキリンソウ

総沿面距離18.4km
標高差920m

区間沿面距離
立岩ダム
↓ 5.7km
十方山
↓ 6.2km
那須小跡
↓ 2.5km
那須橋
↓ 4.0km
立岩ダム
 

 


イシノ小屋 大谷川
霞む女鹿平山  十方山から
藤十郎のブナ
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より