山歩き

前匹見峡…和又…碁盤嶽…旧街道
2011/6/4

落合トンネル…千原取水堰堤…前匹見峡…和又川…和又集落…409三角点…ワサビ田跡…街道跡…落合トンネル

■碁盤岩(ゴバンイワ)409m:島根県美濃郡匹見町大字落合(点の記 点名:高スロ タカスロ) (益田市)
■平内田遺跡 (縄文遺跡 小字名:五百田  所在地:匹見町落合)

落合トンネル
千原集落
落合城の尾根の先端の石原
千原取水堰堤とつり橋
千原堰堤の魚道
下流から見た千原堰堤
霧がかかる碁盤嶽と和又トンネル
前匹見峡入口 針のミズ
鬼の釜
小天狗
小天狗の下
山族淵
和又橋
和又橋から見たえんこうだな淵
和又集落
上流から見た和又集落
鋤が出土した畑
竹薮を抜けると街道跡に出る
旧街道は鞍部から東へ続く
掘り返された409三角点
岩尾根を進む
眼下に見える国道
尾根の先端から見た対岸の小天狗
石垣のある街道跡
碁盤岩
ワサビ田跡を下る
ワサビ田から旧街道に出る
街道の石垣
千原堰堤魚道のアオサギ
エゴノキ
ツルグミ
シオデ
ヤマツツジ
6:30 落合トンネル 晴れ 気温18度
 
コナスビ

6:55 千原取水堰堤
7:15 和又トンネル
7:25 鬼の窯
7:50 山族淵 
8:00 和又橋
8:20 和又集落 
9:15 409三角点
9:40 尾根の末端
10:20 街道跡鞍部
12:00 ワサビ田跡の街道
12:30 国道
13:05 落合トンネル


 落合トンネル付近を出発。トンネル手前から川沿いの道を進む。ウツギが咲き、クマノミズキが咲き始めている。道は尾根の先端を回りこんでいる。尾根上には小規模な中世の落合城(茅谷城・かやたん)があった。霧の降りる匹見川の対岸に千原の集落が見える。

 尾根の突端の川原は石原となっている。匹見川は緩やかに流れて千原取水堰堤に出る。堰堤から上流50m、下流180mは採捕禁止区域となっている。堰堤の水は澄川発電所に送っている。堰堤につり橋が架かり、糞が点々と転がっていた。左岸に魚道があり、つり橋からしばらく魚道を覗ったが、魚影は見えなかった。

 マタタビが花芽を付ける。車道はトンネル手前で行き止まり。488号線を進む。前方に和又トンネルが見える。碁盤嶽は霧がかかり、上部が見えない。トンネル手前から、匹見川は急に川幅が狭くなる。この辺りを「針のミズ」と呼んでいる。前匹見峡の入口である。

バイカウツギ

 「前匹見峡は匹見川の中流、広瀬の新殿に始まり、全長一キロにわたっておる。この峡谷は京都の嵐山をそのまま髣髴とさせるものがあり、清澄で優美な『小嵐山』とその上流にそばだつ両岸の奇岩怪石、更に高さ一〇〇mにも余る『碁盤嶽』の奇勝とがある。左岸の道側にあるのを大天狗、川の向いにあるのを小天狗といい、両者とも磐石の上に磐石が重なっておる。碁盤嶽の少し上手のカヤ谷に榧(かや)ノ滝がある。この滝は匹見街道から五〇m離れた所、左右に分かれて二ヶ所の瀑布がかかり、すこぶる景観である。このカヤ谷を一名飲まずが谷ともいう」(『石見匹見町史』)。

 「碁盤嶽付近は、岸壁が佇立していて、簡単に登降出来る所ではなかった。だから川幅も非常に狭く、両岸の山と山は手にとる様に迫っていて、とても杣人等の寄りつける所ではないのである。旧街道から峰伝いにでも、この碁盤嶽に来れば来られない事もないだろうが、碁盤岳そのものには、真上に見上げられる所までは来られても、登って見る事は出来ないと云う話である

 碁盤岳と云うのは、碁盤岩があるからそう云うので、大天狗一帯の突出した所に、四角な大きな岩が乗りかかって見える。誰もその近くには寄りつけないから、遠い山の頂上から見下しての話であるが、その四角な岩は、恰も碁盤の目のように縦横に筋目が入っていて、大きな碁盤のように見えるから、これを大天狗様の碁盤だと云い出したものと思われる」(『ひきみ川』)。

コマユミ

 右岸の道を進むと「鬼の窯」の案内板がある。左岸の岩が洞穴のようになっている巨大な甌穴である。10人以上の子どもがいっぺんに入れると言う。道を進むと左岸の頭上に岩壁が見えてくる。右岸の碁盤嶽の大天狗に対して、小天狗と呼ぶ。匹見川の岸から岸壁が切立っていいる。

 岸壁を抜けると石原が続き、その先は淵となる。山族淵である。頭上の山に先日歩いた送電線が通る。碁盤嶽の尾根を回りこんで和又橋に出た。和又川の落口が淵になっており、えんこうだな淵と呼ぶ。「和又出土地(鋤)」の看板がある。

 和又川沿いの車道を進む。谷が開けると右岸に集落が現われる。小迫谷川を横切り、谷の分岐で車道終点。鉄の橋を渡って草の道を進んでみたが先で終点。引き返して地元の人に尋ねた。和又古墳跡は畑の中で、示すものは無いとのことだった。碁盤嶽への道は落合に抜ける街道跡があるが、もう薮だろうとのことだった。碁盤嶽は「タキ」と呼ばれていた。

マタタビ

 山道を右の谷に進むと橋があった。小道は竹薮となっていた。鉈を振り下ろしながら、数十メートル進むと幅広の街道跡の道となった。スギ林を抜け炭焼き跡を通り、小尾根の鞍部に出た。山道は東に続いていた。鞍部から409三角点に出た。点名タカスロと言う。三角点の周辺だけイノシシが掘り返し、地が現われていた。

 この辺りエゴノキが多い。小尾根を南へ下ると、岩尾根となり、眼下に国道が見える。尾根の末端に出ると、対岸の小天狗が見え、下に山族淵が見えた。碁盤岩が見当たらない。西側へ回り込んでみたが大岩は無かった。鞍部まで戻り、落合への街道跡を進んだ。

 スギ林の中に石垣があった。街道跡は所々薮となり、道が消えている。道を塞ぐ竹の枝にシマヘビが巻き付いていた。南が開けた所から碁盤嶽が見え、中腹に碁盤岩の石塔が見えた。先ほど下った尾根の末端より大分東側の方であった。石塔の上部が平たい四角形をしている。早朝国道から見た時には霧がかかり見えなかった所であった。碁盤岩の向うに小天狗が見えた。

コアジサイ

 山道はスギ林に入り消失。ワサビ田跡の谷を下った。ワサビ田跡の下の末端部に山道があった。そこが街道跡で、街道はワサビ田の谷を横切っていた。旧街道を進むと石垣が残っていた。道は小谷を回り込んで国道のすぐ上に続いているが、また薮となっている。薮の途中から国道に出た。

 千原堰堤まで戻ると、魚道にアオサギが居た。しばらくながめていたが、魚影が無いのかアオサギは動かなかった。上流にもアオサギ、オシドリが居た。堰堤上流に鮎が走る。日の照りつける道を出発点に帰着。国道から霧の晴れた碁盤岩を確認してみた。

シラキ
ハンショウズル
テイカズラ
クマノミズキ
ヤブヘビイチゴ



地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と考えられ、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


 平内田(ヘイナイダ)遺跡(落合川入口)

 落合川入口の平内田遺跡(ヘイナイダ)から打製石斧が出土。上流の石田地点、矢尾の久保田地点から近世期の陶磁器片が出土している。道谷から矢尾には、古代から人々の出入りがあったと思われる。

 「本遺跡は、島根県益田市匹見町落合に所在し、そこの字(あざ)名は五百田といわれ ている…至近に存在する周知遺跡の平内塚の名称をもつて平内田(へいないだ)遺跡と命名することにした。

 縄文時代から古墳時代に至る約40点の遺物が混在して確認されており…本遺跡には該当期における遺物・遺構などが検出されたことは事実であり、そのことは小規模ではあるけれども小集落が形成されていたと捉えられるとともに、またその周辺域においても、該当期における遺跡の存在を示す可能性の一端を窺えるものと思えるのである(『平内田遺跡調査報告書』益田市教育委員会)。


●ヘイナイ(平内田・平内塚)
 pe-nay
 ペ・ナイ
 水・川

 ipe-nay
 イペ・ナイ
 サケ・川

 pe-nai の転訛。

 アイヌ語地名
★ pe-pe-nay ペーペナイ 水・水・川(弁辺)
★ sano-ipe-nay 浜側の・魚・川


●落合川
 ipe-ochi-ay-pet
 イペ・オチ・アイ・ペッ
 サケ・群来する・イラクサ・川

 ochi-ai の転訛。

 アイヌ語地名
★ ipe-ochi イペオチ 鮭の多くいる所(江部乙)
★ ipe-ot-i イペオチ 鮭の多くいる所(江部乙)
★ mata-ru-kus-ay-pet マタ・ル・クシ・アイ・ペッ 冬・道・通る・愛別川


●矢尾(ヤオ)
 ya-o-i
 ヤ・オ・イ
 網・ある・所

 アイヌ語地名
★ ya-o-moy ヤオモイ 網・ある・湾

 
●千原(チバラ)
 cep-aru
 チェプ・アル
 鮭(魚・食料)

 chep-ara の転訛。

 アイヌ語地名
★ chep-ot-pet チポッペ(千保・樺太)
★ chep-un-to チェプント(知恵文・チエブン)
★ cep-haru サケ(魚・食料) haru=aru chep=cep


●和又(ワマタ) 
 wat-mata-cep 
 ワッ・マタ・チェプ 
 群れ来る・サケ

 wa-mata の転訛。

 アイヌ語・アイヌ語地名

★知里別巻1動物編 
 mata-cep サケ=冬・魚=冬になって川に入る鮭
★アイヌ語小辞典 at 群来する 

★ at-cha-us-i 群来を・獲る 
★ kat-cha-rausi 群来る・岸
★ at-ta-us-i 群来・取る・よくした・海岸
★ at-tomari 群来る・停泊地

 a → wa の音韻変化
 あたし わたし
 あし わし
 場合 ばわい
 具合 ぐわい

 平内、落合、矢尾、千原、和又などの地名が縄文期からの呼び名であれば、サケマスに由来する地名と考えられる。落合川にもサケマスが遡上したと思われる。


●碁盤岩(ゴバンイワ)
 kop-an-iwa
 コプ・アン・イワ
 瘤・ある・岩山

 kop-an-iwa の転訛。

 アイヌ語「tapkop」(タプコプ)は「円山」「小山」「たんこぶぶ山」などの意がある。
 瘤のアイヌ語は「hom」(ホム)「kum」(クム)であるが「kom」「kop」への転訛が考えられる。

 「ゴバンイワ」が縄文期からの呼び名であれば、碁盤岩とは、岩山の横から突き出た瘤であると思われる。

 アイヌ語地名
★ tapkop-an-nay 小円丘・ある・川
★ tapkop 達瘤(タツコブ)


●匹見川(ヒキミ)
 ekimune
 エキムネ
 山へ行く(山で猟をする・山で採集する・川で漁をする)

 ekimne ikimin ikimi の転訛。


 匹見は明治期まで「疋見」の字が用いられ、ヒキミの呼び名は中世期にさかのぼる。元暦元年(1184年)に「疋見丸茂別府」とある(『益田家什書』『石見匹見町史』)。

 匹見の由来は「ひくみ」にあると考えられている。広辞苑は「低み」を「ひきみ」と読み、「低い所」「低地」の意としている。

 「交易路は、立地的に境山として仕切られた匹見の場合は、いずれも鞍部越して行なわれていたものであり、それは匹見という語源の由縁ともなった。鞍部から匹見を見渡せば低く見える所であり、その低見(ひくみ)が訛ったものと解される」(「匹見町誌・遺跡編」)。

 「ヒキミ」の呼び名が縄文期からのものであれば、次のように考えられる。匹見川とその支流の縄文遺跡から縄文土器とともに、石斧、石錘、鏃などが出土する。石斧は土掘り道具で根茎類などを採取した。石錘は魚を獲るための網用の錘、鏃は弓矢の矢先に使用された。

 アイヌ語に「エキムネ」「ヘキムン」がある。

 ekimne エキムネ
 hekimun ヘキムン

 「ekimne」は、「(狩猟、薪とり、採集などをしに)山へ行く・畑へ行く・山・畑の仕事に行く」(『アイヌ語沙流方言辞典』)、「狩・漁をする」(『アイヌ語方言辞典』)などの意がある。縄文人の日常生活は出土遺物にあるように、山や川で漁、猟、採集する「エキムネ」なのである。

 「hekimun」も「山へ行く」の意で、「ekimne」と同様の意がある。以下のアイヌ語地名があり、「エキムネ」は川、谷を修飾する語として使用されている。アイヌ語地名「エケムネニクラ」は北海道北見市仁倉川の水源の川である。

 アイヌ語地名
★ ekimne-an-pet やまに・ある・川
  エキムネ・アン・ペッ
★ ekimne-ru 山へ行く・路
  エキムネ・ル
★ ekimne-nikura 山へ行く・仁倉川
  エキムネ・ニクラ


 西中国山地地形方言に「エキ」「エゴ」がある。「凹状地形を表わす語で、広い意味で谷に包括される地形方言である。一般的に言えばタニに比べて小谷とか支谷の呼称として使われている」(『西中国山地』桑原良敏)。

 「エゴ」は西中国山地では裏匹見峡の「トチノキエゴ」、平家ヶ岳の「フナエゴ」の二つだけである。高津川水源の向峠に「江古」(エコ)がある。

 谷の韓国語に「gyegog」があり、その音は「keko」に聞こえ、「eko」への転訛が考えられるが、「エコ」地名の数が少ない。

 谷地名は東日本の「サワ」、西日本の「タニ」に分類されるが、西中国山地周辺では、谷の代わりに「エキ」地名が多い。

 西中国山地と周辺には約207の「エキ」地名があり、匹見川、高津川とその支流、島根県と山口県に多い地名である。「エキ」地名は西中国山地を越えて広島県側にも少しある。

 匹見の縄文遺跡、弥生遺跡と山口県、九州の遺跡で、土器などで共通性があり、縄文人、弥生人が九州、山口からやってきたことが分かっている(『匹見町誌』)。


 匹見川と高津川の合流点付近に「後溢川」「小手ヶ溢」(コテカエキ)があり、匹見川下流に長沢溢川があるが、「エキ」地名は西中国山地では、川の水源に多い地名である。

 「小手ヶ溢」(コテカエキ)は匹見川口の高津川上流側の字名だが、アイヌ語で次のように考えられる。

 kot-e-ka-ekimne
 コッ・エ・カ・エキムネ
 谷が・そこで・上手の・山奥へ行く

 kote-ka-eki の転訛。

 「谷が山奥へ行く」とは、川の合流点から山へ入っていく高津川や匹見川を表わしていると思われる。「ヒキミ」の呼び名は縄文人の生活場である「エキムネ」「ヘキムン」(匹見)から生まれた縄文語であり、「エキ」はアイヌ語「エキムネ」「ヘキムン」「キムネ」(白糠方言)が語源と考えられる。

西中国山地と周辺の「エキ」地名の分布

地域

地名数 割合%
匹見川と支流 42 20.2
高津川と支流 34 16.4
周布川と支流 4.3
益田川(匹見川北) 14 6.7
三隅川(匹見川北) 19 9.1
(島根県計) (118) (57.0)
広島県 18 8.6
山口県 71 34.2
合計 207 100%
 

 匹見川と支流の「エキ」地名

長沢溢川(匹見川)
カナヤマノエキ(匹見川)
ゴロウゲキ(匹見川)
ツエゲキ(匹見川)
タズガエキ(匹見川)
ゴロゴロノエキ(匹見川)
カツラノエキ(匹見川)
ソリノエキ(匹見川)
ニオザイエキ(匹見川)
セトガエキ(匹見川)
本エキ(匹見川)
オシガエキ(匹見川)
長溢銅山(匹見川)

カケノエキ(赤谷川)
ドイノエキ(赤谷川)
シロイガエキ(赤谷川)
キジヤガエキ(赤谷川)

イチロエキ(広見川)
オオカツラノエキ(広見川)
イチロエキ(広見川)
カズラマーノエキ(広見川)
バンキチエキ(広見川)
メンギガエキ(広見川)
ノドガエキ(広見川)

本エキ(落合川)

ハタガエキ(紙祖川)
キリゲキ(紙祖川)
ミズガエキ(紙祖川)
モリガエキ(紙祖川)
コエキヤキ(紙祖川)
森ヶエキ(紙祖川)
コエキ(紙祖川)

コノノエキ(七村川)

オオエキ(三坂谷)
大神ケエキ(三坂谷)

オサカエノエキ(ヒロコウ谷)
ヨケイワノエキ(ヒロコウ谷)
キリノエキ(ヒロコウ谷)
イリコノエキ(ヒロコウ谷)
サコノエキ(ヒロコウ谷)
ナシガエキ(ヒロコウ谷)

本エキ(三葛川)



 出雲弁の用例(「出雲弁の泉」HPから)

■音韻変化

 e → i  はえ(蝿)→はい
 u → i  むね(胸・棟)→みね

 出雲も e → i の転訛であろう。

 etu-po エツ・ポ → イツポ 鼻・子(小さい・岬)

 伊豆 etu エツ → イツ 鼻(岬)
 江戸 etu エト 鼻(岬)

 アイヌ語地名 not-po ノツ・ポ あご・子(小さい・岬)


 「の」「に」が「ん」になる

 きもの(着物) → きもん
 めのたま(目の玉) → めんたま


 「み」「む」が「ん」になる

 なみだ(涙) → なんだ
 ちゃのみばなし(茶飲み話) → ちゃのんばなし
 たのむよ(頼むよ) → たのんよ
 かがみこむ(かがみ込む) → かがんこむ


■撥音の脱落

 だいぶん(大分) → だいぶ
 だいこん(大根) → だいこ
 にんげん(にんげん) → にんげ


 エキムネ → イキミン → イキミ
 e-ki-mu-ne  i-ki-mi-n   ikimi (unの脱落)

 エキムネ → エキンネ → エキ
 e-ki-mu-ne  e-ki-n-ne   eki (unの脱落)
 
 ヘキムン → ヒキミ
 he-ki-mun   hi-ki-mi (unの脱落)


★「様似のアイヌ語語彙集」HPに次の用例がある。

 hekimun
 ヘキムン
 川上の山の方へ(=ekimun)

 hekimun as nusa
 ヘキムン アシ ヌサ
 山手に 立つ 祭壇

 enon hekimun paye=an ma, inkar='an ko
 エノン ヘキムン パイェアン マ インカルアン コ
 どこか 山へ 行って 見ると

 ekimne kusu hekimun makap=an
 エキムネ クス ヘキムン マカパン
 猟 に 山へ 行く

 ekimun makap=an wa turep ta=an no
 エキムン マカパン トゥレプ タアン ノ
 上流の山の方へ 行って ウバユリを掘ろうよ

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カシミール3Dデータ

ユキノシタ

総沿面距離10.4km
標高差234m

区間沿面距離
落合トンネル
↓ 4.6km
和又
↓ 1.2km
409三角点
↓ 3.2km
488号線
↓ 1.4km
落合トンネル
 

 


■「エキ」地名の分布  (「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』80万」)
 赤太線は匹見川
■平内田遺跡出土遺物表 『平内田遺跡調査報告書』 益田市教育委員会)
平内塚 『平内田遺跡調査報告書』 益田市教育委員会)
前匹見峡入口
前匹見峡 鬼の釜
和又集落
碁盤岩と匹見川左岸の小天狗
国道から見た碁盤岩
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より