山歩き

河津…茅帽子山…ミノコシ峠
2011/3/5

河津…784P…1153P…茅帽子山…ミノコシ峠…1235P…ミノコシ峠…茅帽子山…河津

■茅帽子山(カヤボウシヤマ・右谷山)1233.9m:山口県岩国市大字宇佐字1449番地(点の記・点名:鳥庭)

ヤブガ峠への道標
植林地を進む
北側の925P
安蔵寺山
白旗山
後谷山と西ヨケ岩
尾根を進む
植林地を進む
容谷山と小五郎山 1153Pから
尾根を進む
植林地の茅帽子山東面
登山道は下の方にあった
茅帽子山
鬼ヶ城山
寂地山
ミノコシ峠へ下る
ミノコシ峠
ミノコシ峠東のブナ
東へ張り出す雪庇
1235P
左岸へ渡る橋 河津
6:15 河津 晴れ 気温−7度
 

7:45 784P
10:00 1153P
10:50 茅帽子山
11:45 ミノコシ峠
12:35 1235P
13:10 ミノコシ峠
14:05 茅帽子山
14:25 1153P
16:15 河津
 
 深谷川に架かる橋を渡ると、左岸沿いに山道がある。川沿いの道を進むと、分岐に「ヤブガ峠」の道標がある。そこから山側の道を進む。道の途中から尾根を登った。雪の薮尾根を進む。小五郎山方向の峯に日が射し始める。この二日ほどの雪で、ササは再び雪で覆われていた。

 ヒノキ林の尾根を過ぎると、アカマツ林になる。1時間半ほどで784ピークに出た。尾根にノウサギの深い足跡が続く。周囲の峯峰は明るく照らし出される。タムシバの花芽はまだ毛で覆われていた。西側の河津の先に、白い安蔵寺山への展望が開ける。南西側に白旗山、小五郎山の峯が見える。展望地に出ると西側の山々が一斉に開けてくる。北側にヨケ岩の峯が見える。その左に高鉢山と燕岳。

ノウサギの足跡
タムシバ

 植林地の尾根に入り、4時間弱で主尾根の1153ピークに出た。南側に展望があり、眼下に容谷山、小五郎山が見える。小五郎山の右に築山、左に大将陣山、容谷山の左に羅漢山が大きく見える。東側が植林地の尾根を進むと「浦石峡2.5km 右谷山0.6km」の道標がある。尾根の新雪は深く20、30cmほどあった。

 植林地が覆う山腹の先に茅帽子山が見える。雪上にヤマドリの足跡が続き、翼の跡があった。ヤマドリはここで休んでいたようだ。緩やかな登りだが雪深い尾根を進む。登山道の道標が尾根上より西下にある。1153ピークから1時間弱で茅帽子山。林で展望は無い。

ヤマドリの翼と足跡

 雪尾根を進む。右手に鬼ヶ城山が見える。茅帽子山北のピークに進むと、寂地山が見えてきた。冠山の頭が覗く。ブナ林をミノコシ峠へ下る。茅帽子山からミノコシ峠まで1時間弱。ミノコシ峠の道標を見ると「右谷山30分」とあった。峠から鬼ヶ城山が見える。

 尾根を北へ進む。大きいブナがある。尾根の雪が東側に張り出して雪庇をつくっている。東側への展望が良い。ミノコシ峠から1時間弱で1235ピークに出た。雪庇を踏み抜いて雪に埋まってしまった。熱いお茶で一服した。予定ではガクガク尾根を経て河津に下りる計画であったが、今日の雪では時間がいくらあっても足りない。引き返すことにした。

 向きを変えると、見えなかった風景が見えてくる。羅漢山のレーダーサイトが見える。茅帽子山東のピークから、寂地山から続くガクガク尾根、大神ヶ岳と立岩山の峯が見える。1235ピークから2時間弱で1153ピークに戻った。枝尾根を下ると、朝の雪は嘘のように融けていた。茅帽子山から2時間ほどで河津に下った。

カラスザンショウ
河津集落

地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


 「黒ボク土」(黒土)は山焼き・野焼きによって形成された。以下は『黒土と縄文時代』(山野井徹)からの要旨である。

 『旧石器時代の石器は赤土の中から、縄文時代の遺物は黒土の中からでてくることが多い。また、縄文期のものが赤土から出てくることはあっても、旧石器のそれが黒土から出ることはない。すなわち,黒土に埋没する土器は縄文期以降に限られるという不思議な必然性がある。

 従来黒土は「クロボク土」とよばれ、「火山灰土」と考えられてきた。

 クロボク土は植物遺体や腐植が分解されずに残っているという特性をもっている。クロボク土の特質が植物遺体が分解されないことであるならば、その条件こそがクロボク土の形成要件であろう。

 植物が分解されずに地層中に残る条件は2つある。1つ は植物遺体が酸化的な環境ではなく、還元的な環境におかれ続けることである。もう1つは分解される前に燃焼に よって炭化することである。クロボク土の生成環境は酸化的な環境であり植物遺体は分解されてしまう。したがって前者の条件は消えるから、後者の炭化条件が残る。そこでクロボク土層中の黒色破片は炭化した後に堆積した植物破片ではなかろうかという見通しが得られる。

 筆者は植物遺体を燃焼させ、その細片を顕微鏡で観察した。その結果、クロボク土中の黒色破片の形態はススキの燃焼炭粒子と共通していることを見出すことができた。よって、クロボク土中の黒色破片は燃焼炭の微粒子(以後「微粒炭」という)と考えるのが最も妥当である。

 クロボク土の中には必ず微粒炭が含まれていることから、この微粒炭の生産を、古代人の生活と関連させて考えた。古代人が火を使い、草木の燃焼炭が粉塵となって堆積し、そこに腐植が吸着したものがクロボク土であると考えた。すなわち、クロボク土の形成にとっての必要条件は、燃焼炭(微粒炭)の生産にある。つまりクロボク土の形成には微粒炭を生産したような火の使用が必要不可欠の条件となる

 さて、微粒炭を生産するような火の使用とは一体,どんなものであろうか。広大な範囲に微粒炭を堆積させるよう な火の使い方は、炊事や土器焼きのような居住地周辺での小規模なものではなく、野焼き、山焼きのような大規模なものであったと想定される』

 茅帽子山の南面とヤブガ峠にかけて、広島・山口県境、宇佐、浦石に黒ボク土がある。縄文時代に山焼き・野焼きが行われ、ススキ原が広がっていたと考えられる。


●茅帽子山(カヤボウシヤマ・右谷山)
 

 周辺の谷名と山名の関係を見ると下のようになっている。

山名と山麓地名(谷名) 赤字は推定

山名 山麓地名または谷川名
浦石山(容谷山) 浦石川
大道山(容谷山) 大道峡(浦石川)
容谷山 容谷川
右谷山 右谷
寂地山(ジャクジサン) 寂地川
ミノコシ山(1169P) ミノコシ谷
茅帽子山(右谷山) ヤケヤマ谷
(ya-kaya-pa谷)

 「ヤケヤマ谷は『防長風土注進案』にも使われている谷の呼称である」(『西中国山地』桑原良敏)が、ヤケヤマ谷に対応した山名が見当たらない。

 


●三ツ岩(ミツイワ・藩界尾根上) 
 

●ガクガク石(ガクガクイシ)
 


 ガクガク尾根上に三つの懸崖がある。西のヨケ岩(ノゾキ岩)と東のヨケ岩に名があるが、中間のガクガク山の懸崖には名が無い。

 「ガクガク山(1227m)の南面は西のヨケ岩と同じ位の立派な懸崖になっているが無名である」(『西中国山地』桑原良敏)。

 ガクガク山(1227ピーク)の懸崖に名が無いが、ピークの西に「ガクガク石」、南に「三つ岩」があることになっている。ガクガク尾根上の東西の懸崖に名がありながら、なぜ中間の懸崖に名が無いのだろうか。「ガクガク石」「三つ岩」こそ、ガクガク山の地名であると考えられる。

 「ガクガク山の南尾根は、藩政時代の藩界になっていたため、藩界尾根と呼んでいる。『防長風土注進案』によるとこの尾根に三つ岩という岩塊があるようだが所在不明である」(『西中国山地』)。

 『西中国山地』に『吉賀記』の次のような引用がある。

 「尾崎太左衛門豊昌著『吉賀記』(1804年〜1818年・文化年間)によれば

 『河津村奥御領境石芸防三国の境則津浜広萩四領の境なり平石聳々として何れの国よりも境かと問へはうなづく故、がくがく岩といふ』

 とあり、この岩の位置は石芸防の三国の境となっている。当時は石州、防州の国境ははっきりしていたようだが石州と芸州の境は、深山なので境界がはっきりしていなかったと思われる」(『西中国山地』)。


 上記『吉賀記』の「平石聳々」は「ヒライシショウショウ」と読むのであろうか。

 「聳」は「そびえる」で、「聳時」(ショウジ)は「山などが高くそびえたつこと」、「聳然」(ショウゼン)は「高くそびえるさま」の意であるから、「聳々」は「そびえるさま」を表していると考えられる。

 「平石聳々」は「平たい石が高くそびえる」と解釈できるが、それでは意味が成り立たない。

 「平石」が地名とすれば「平石が高くそびえている」と解釈され、「平石」は藩界尾根側から見たガクガク山の懸崖と考えられる。あるいは「平石聳々」がこの懸崖そのものの呼び名であったかもしれない。

 国語辞典などに次のような用例がある。

 「霊峰聳然として立つ」「白雲聳然として前に遮り」「聳然として屹立する」

 「平石聳々として」は「平石高くそびえ」の意で、藩界尾根から見た懸崖の様子を言い表したものと考えられる(下に写真)。

 

 『吉賀記』にある「平石」とは藩界尾根とガクガク尾根の交点にあるガクガク山の懸崖を指していると考えられる。「平石」は「がくがく岩」のことであるから、「ガクガク岩」は「ガクガクと動く岩」のことでなく、ガクガク山南面の懸崖のある山のことと考えられる。


 

 カッコウは、「夏鳥として全国の平地や丘陵、高原の明るい林、耕作地や海岸に近い林や低木の散在する高原などに渡来する。県内では平野部では渡りの途中以外はほとんど生息せず、寂地山や羅漢山、長野山、徳地町長者ケ原など県境の山地や秋吉台などでよく記録されている(カッコウ「レッドデータブックやまぐち」HP)。

 ガクガク山、寂地山周辺はブナ・ミズナラ群落(第2回自然環境保全基礎調査 植生調査・昭和54年)の山である。「山口県産の蝶の83%が寂地山周辺で採集される」(『西中国山地』)と言う。

 周辺はチョウやガが集まり、毛虫や青虫を食べるカッコウが渡来していると考えられる。寂地山と同様、ガクガク山にもカッコウが多くやってきたと思われる。

 

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カシミール3Dデータ

総沿面距離10.3km
標高差701m

区間沿面距離
河津
↓ 3.9km
茅帽子山
↓ 0.9km
ミノコシ峠
↓ 0.7km
1235P
↓ 2.1km
1153P
↓ 2.7km
河津  
 

 
 
茅帽子山周辺の黒ボク土(カシミール3D+国土交通省土地分類基本調査土壌図)
 「Tok-1」「Ysi-1」(黒ボク土壌) 「Ysi-2」(厚層黒ボク土壌) 茅帽子山周辺・県境尾根
 「Age」(表層腐植質多湿黒ボク土壌) 宇佐・浦石
寂地山・ガクガク尾根周辺の植生 (カシミール3D+第2回植生調査植生図・昭和54年)
  
安蔵寺山
(1153Pから)
          大将陣山     馬糞ヶ岳         小五郎山                    
ミノコシ峠のブナ
立岩山と大神ヶ岳の峯 手前はガクガク尾根 その間が高井山 (茅帽子山北の展望地から)
ガクガク尾根と寂地山 (茅帽子山北の展望地から)
藩界尾根から見たガクガク山南面の懸崖 2009/10/31
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より