山歩き

浦石橋…アベウシの滝…コヤノ谷ノ瀬戸…容谷山
2010/11/21

浦石橋…浦石橋下流…トクジロウ渕…アベウシの滝…コヤノ谷ノ瀬戸…橋…容谷山…林道…浦石橋

■容谷山(ヨウタニヤマ・鉢の敷山・鉢の浴山)1031.5m:山口県玖珂郡錦町大字宇佐字ハチノエキ(点の記) (岩国市)

浦石橋上の高架橋
浦石橋下流の渕まで下る
左が小谷・右がトクジロウ渕の出口
トクジロウ渕
トクジロウ渕上流
中の谷
ウシロ谷
ゴルジュ入口
最初の渕
最初の渕から見たゴルジュ入口
上から見た最初の渕 上下二段になっている
二番目の渕 水量は少ない
三番目の渕 この先がアベウシの滝
アベウシの滝手前
アベウシの滝
アベウシの滝
アベウシの滝上部
コヤノ谷ノ瀬戸
コヤノ谷ノ瀬戸
コヤノ谷ノ瀬戸
コヤノ谷ノ瀬戸の滝上部の背骨のような長い岩
上流から見た背骨の岩
途中で背骨は消失するが奥に残っている
奥の背骨の岩から見た下流方向
浦石川に架かる橋
紅葉の尾根を登る
ササ薮を避けてヒノキ林を進む
容谷山
植林地を下る
ブナの黄紅葉
植林地の林道に出た
7:55 浦石橋西 晴れ 気温1度
 
ノコンギク

8:20 浦石橋下流の渕
8:35 トクジロウ渕
9:40 ウシロ谷落口
10:35 アベウシの滝
10:55 コヤノ谷ノ瀬戸
11:20 橋
13:05 容谷山
14:50 林道
15:20 浦石橋西

 
 浦石橋西の空地を出発。高速道の巨大な橋げたに朝陽が射し始める。高速道の下に仮枠が組んであり、耐震工事をやっているようだ。浦石橋の横から谷の右岸に下りた。浦石橋の下を通り、浦石川を下ってみた。途中の渕まで下った。この辺りの両岸の壁はそれほど高くないが、浦石川入口付近は垂直の壁が切り立っている。

 谷を引き返した。高速道の橋げたの下に右岸から小谷が下りており、トクジロウ渕の出口で合流する。トクジロウ渕に入ると、左岸が崩壊し落ちた木が谷を覆っていた。右岸を巻いて谷へ下りた。トクジロウ渕の上流は広い谷が続く。この辺り湿気が多いのか、サカキなどの枝にぶら下がる糸状のコケのようなものが多い。川には小さいヤマメが群れる。

サカキの枝に下がる糸状のコケ
ヤブツバキと糸状のコケ

 中の谷の右岸からスギ林の中に山道が下りていた。そこから間もなく左岸からウシロ谷が下りている。ウシロ谷落口上流から細いゴルジュとなる。ゴルジュが右に曲がるところが渕になっている。右岸を巻き渕の上に出た。渕を上から見ると二段の滝となっている。ゴルジュを進み、次の渕は左岸を巻く。すぐに小さい浅い渕がある。右岸を巻いてアベウシの滝の手前に下りた。

 アベウシの滝の手前を倒木が塞ぐ。左岸を巻いて滝上に出た。滝上は岩盤の谷となっている。左岸のスギ林を過ぎるとコヤノ谷ノ瀬戸。岩盤の間から滝が落ちる。手前の右岸から涸れ谷が下りている。右岸を進み滝上に出た。谷底に背骨のような長い岩盤があり、途中途切れているが、元々この背骨は100m近い長さであったと思われる。

 谷を進むと小滝がある。そこから間もなく橋がある。オソ越から橋に下りる山道が通っている。一休みして橋を渡り、植林地の中にある山道を登った。光に映える紅葉が鮮やかであった。山道は途中で西へ入っていたが、先で細くなっていたので小尾根を登った。風が吹くたびに紅葉が舞う。

ヤブコウジ

 岩場を越えると尾根は薮と化してくる。小木の枝が進行を妨げる。広葉樹とササ尾根を登る。北側が開けて茅帽子山から宇佐に下りる尾根が見える。その辺りからササが密集する尾根に変わった。北側のヒノキの植林地に逃げる。ヒノキは雪の重みで根元が曲がっている。植林地の歩きやすい登り道は山頂直下まで続いた。山頂北の登山道に出てすぐに山頂。浦石川から1時間半ほどであった。

 山頂から茅帽子山、寂地山の尾根が一望できる。冠山の頭が少しだけ覗いている。鬼ヶ城山は大きく見える。その間に遠く板敷山、大峯山の山容がある。一休みして南へ少し下り、東の急な植林地を下る。植林地を抜けると鬼ヶ城山、羅漢山が姿を現す。ゴーロに入ると薮となる。

 薮を抜けて谷を下り、右岸の植林地の踏み跡を下った。植林道は西へ下りていたので、そこから元の谷へ下りた。ゴーロと倒木の荒れた谷を抜けて林道に出た。山頂から1時間半であった。林道沿いに黄葉したタラノキがある。林道は高速道の下に出る手前で鎖止めがある。高架の下を通り林道の開地に出ると展望が広がる。正面に高鉢山があり、左手に鬼ヶ城山が見える。そこから間もなく出発点に帰着。

シラネセンキュウ
コシアブラ
ヤマモミジ
 
林道のタラノキ
林道のクロモジ
林道から見た高鉢山
林道から見た鬼ヶ城山
浦石峡の高架橋


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


 地名は山名より山麓地名が先行する。川や谷の名称が山名となる場合が一般的である。浦石峡はウシロ川、大道峡とも呼ばれる。山名と山麓地名の関係を考えてみる。

山名と山麓地名(おもに谷名) 赤字は推定

山名 山麓地名または谷川名
浦石山(容谷山) 浦石川
大道山(容谷山) 大道峡(オオドウ)
大人の足跡(オオヒト)
オソ越(オソゴエ) ウシロ川(オソロコツ川)
カラス場山(右谷山) カンス渕(カラスプチ)
カラスバ山(983P) カンス渕(カラスプチ)
鉢の敷山(容谷山) ハチノシキ
鉢の浴山(容谷山) ハチノエキ
容谷山 容谷川
右谷山 右谷
茅帽子山(右谷山) ヤケヤマ谷(ya-kayapa谷)
智元の丸子 チゲン谷の滝
寂地山(ジャクジサン) 寂地川



●ウシロ谷+アベウシ(の滝) 
 ushor-kot-apa-us-nay  (osor = usyor)
 ウショロ・コッ・アパ・ウシ・ナイ 
 ウショロコツ・川の・入口・にある・川

 ushoro → ushiro の転訛。


●アベウシの滝 
 apa-us-nay 
 アパ・ウシ・ナイ 
 入口・にある・川

 apa-ushi の転訛。

 ウシロ谷は浦石川中流に左岸から下りる谷である。ウシロ谷落口のすぐ上流からゴルジュとなり、アベウシの滝へ続く。「アベウシの滝」は縄文期にウシロ谷落口上流のゴルジュの入口付近にあったと考えられる。

 アベウシの滝の後退速度年6cmは、経験式や他の地域の後退速度と比べて矛盾したものではない。

 ウシロ谷とは「ウショロコツ川の入口にある川」の意で、「ウショロ」が「ウシロ」に転訛したと思われる。

 「アベウシ」は「アパウシ」が転訛したもので、元々滝の名称ではなかったと思われる。


●コヤノ谷ノ瀬戸(コヤノタニノセト)
 usyor-kot-an-nay-tanne-nit-ne-set
 ウショロ・コッ・アン・ナイ・タンネ・ニッ・ネ・セト 
 ウショロコツ・川の・長い・串状・になっている・川床

 ko-a-na-ta-ni-ne-seto の転訛。

 コヤノ谷ノ瀬戸にある滝の上部は、川床が背骨のような長い串状の岩になっている。「コヤノタニノセト」は、谷の背骨のような岩を表現したものである。

コヤノ谷ノ瀬戸の滝上の背骨の末端部
背骨の末端部から下流方向

●オソ越(オソゴエ) 
 osor-kot-he 
 オソロ・コッ・ヘ 
 オソロコツ川の・頭(ピーク)

 oso-ko-he の転訛。

 「オソゴエ」はアベウシの滝からコヤノ谷ノ瀬戸に続くゴルジュの谷の左岸のピークの呼び名である。この辺りの谷の名は「オソロコツ川」(ウショロコツ川)と呼ばれ、そこから「オソゴエ」の名称が成立したものである。

 アイヌ語では「osor」「ushor」は同意で音韻変化と考えられる。

●ウシロ川(ウショロコツ川・浦石川・大道峡)
 ushor-kot-an-nay (osor = usyor)
 ウショロ・コツ・アン・ナイ
 尻・跡・ある・川

 ushoro の転訛。

 「ウショロコツ」(尻跡)とは細いゴルジュと釜が連続する谷のことである。釜が「尻跡」であり、ゴルジュが「串状のもの」と解したと思われる。ゴルジュは岩盤を貫く串である。縄文期、ゴルジュ帯はもっと細い谷であったと思われる。

 コヤノ谷ノ瀬戸は「背骨のような串状の岩」が滝の上にあり、特別な名で呼ばれたのではないか。

 浦石川はウシロ川とも呼ばれている。「ウショロ」が「ウシロ」に転訛したと考えられる。


●トクジロウ渕 
 tu-kucharo-us-puchi
 ト・クッチャロ・ウシ・プチ 
 二つの・喉口・ある・川口

 to-kushiro-puchi の転訛。

 トクジロウ渕の出口に右岸から小谷が下りている。両方の出口は岩盤を貫いて合流している。

 アイヌ語地名「クッチャロ」は屈斜路(クッシャロ)で、「チャロ」が「シャロ」に音韻転訛している。「クッチャロ」が「クシロ」に転訛したと考えられる。

カンス渕
 
カンス渕と宇佐大滝の位置

●カンス渕 
 kan-sup-puchi 
 カン・スプ・プチ 
 廻る・渦流の・川口

●カラスバ山(983ピーク・右谷山) 
 kar-sup 
 カラ・スプ 
 廻る・渦流

 kara-supu の転訛。

 浦石川入口から200mほど上流の宇佐川に宇佐大滝がある。大滝から上は浅い谷であるが、大滝の下流は渓谷を形成している。宇佐大滝は年とともに後退しながら、下流に渓谷を作った。

 縄文期(5000年前と仮定)に宇佐大滝は浦石川入口付近にあった。その時カンス渕も浦石川入口にあった。カンス渕は宇佐大滝の滝つぼに落ちていた。

 浦石川川口より下流の宇佐川は渓谷となっており、遠い昔、宇佐大滝はさらに下流にあったと考えられる。

 宇佐大滝の後退速度年4cm、カンス渕の後退速度年1cmは、滝の後退速度の経験式や他の地域の後退速度と比べて矛盾したものではない。

 浦石川下流の両岸にある台地は高津川の河川跡で、宇佐川に河川争奪された結果、台地として残ったものである。浦石川の川口は古代には高津川であった河川跡に流れていたが、河川争奪の結果宇佐川に流れるようになった。したがって、浦石川の下流部の落口付近は新しく形成された谷である。

 「廻る渦流」とは落差28mの宇佐大滝が作り出した渦流のことである。「カンス」とは縄文時代の宇佐大滝の呼び名であったかもしれない。

 「kan」(カン)は「kar」(カラ)の音韻転訛で同意である。縄文時代、カンス渕は「カラスブチ川」と呼ばれ、その流域にある「カラスバ」と呼ぶ山は「カンス渕の山」の意であり、山名と山麓地名の関係にある。


●大道山・大道峡・大人の足跡(オオドウ・オオヒト)
 oo-pi-to オオ・ピ・ト 深い・石の・池(大人の足跡)
 oo-to オオ・トー 深い・池(大人の足跡・大道)

 oo-pi-to の転訛。
 oo-to の転訛。

 浦石峡は大道峡とも呼ばれる。大人の足跡にその名の由来があると考えられる。

●木目の滝(モクメノタキ)
 pok-mem ポク・メム 下の・池

 poku-me の転訛。

 木目の滝の下に大人の足跡がある。木目の滝も大人の足跡に由来があると思われる。

大人の足跡

●智元の丸子(チゲンノマルコ)
 chi-ke-us-nay-oma-ru-kot
 チ・ケ・ウシ・ナイ・オマ・ル・コッ
 我ら・削り・つけている・川・にある・沢の・窪み(滝つぼ)
 (自然が削った川の滝)

 chi-ke-u-na-ma-ru-ko の転訛。

 智元の丸子とは、チゲン谷の入口にある滝のことと考えられる。チゲン谷は岩盤が削られた谷である。滝の頭にあるのが975ピークの智元の丸子であり、滝と975ピークは山麓地名と山名の関係にある。

チゲン谷の滝

 

滝の後退速度(Web検索で判明したもの)

滝名 後退速度cm/年
華厳滝 日光
 高さ50m 幅100m
1.8cm
阿蘇カルデラ外周の滝 1〜7cm
鮎返ノ滝 阿蘇火山・立野峡谷
 高さ14.8m 幅27.6m
8.6cm
数鹿流ヶ滝 阿蘇火山・立野峡谷
 高さ26.7m 幅9.2m 
14.3cm
称名滝 富山県称名川(推定式)
 高さ350m 幅10〜15m
9〜15cm
称名滝 富山県称名川(経験式) 6.3cm
5000年前に地名が成立と仮定 以下は推定
宇佐大滝 高さ28m 5000年前浦石川の川口にあったと仮定 4cm
カンス渕 高さ2m 5000年前宇佐川の川口にあったと仮定 1cm
アベウシの滝 5000年前ウシロ谷の川口付近にあったと仮定 6cm


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カシミール3Dデータ

ヒメノキシノブ

総沿面距離11.4km
標高差659m

区間沿面距離
浦石橋
↓ 5.7km

↓ 2.0km
容谷山
↓ 2.3km
林道
↓ 1.4km
浦石橋
  

 
 
 
カシミール3D+国土交通省HP地形分類図 (赤太線の高速道の位置は間違っている)
 緑色が高津川河川跡の砂礫段丘

浦石川下流両岸の砂礫段丘(緑色)は高津川の河川跡で、砂礫段丘は向峠に続いている (国土交通省HP地形分類図より)
 (赤太線の高速道の位置は間違っている) 
国土交通省HP地形分類図の簿冊から
砂礫段丘面は、向峠・浦石・宇佐・山崎・日和・常国などに分布
洪積層は2〜200万年前に形成された地層
渦巻く宇佐大滝 (2009/11/15)
 
滝の後退速度 『日光 華厳滝の後退速度』から
 
コヤノ谷ノ瀬戸
コヤノ谷ノ瀬戸の滝の上部
800m標高付近から見た茅帽子山の峯
             茅帽子山             寂地山             ウシロカムリ 冠山
容谷山東面から見た鬼ヶ城山 右端は羅漢山 山すそを高速道が縫う
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より