6:25 早水川入口 曇り 気温10度
アキノキリンソウ |
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7:05 木橋(タヌキガ城)
9:00 ウシロアシ谷
10:30 ゲレンデ
11:05 丸瀬山
11:10 トビ岩
11:25 986三角点
12:40 シダハゲラ
13:05 アザミゴヤ谷
13:40 早水川入口
早水渓谷の入口を出発。谷奥に見えていた小丸瀬山がたちまち雲に覆われ、周辺の山々も見えなくなってしまった。左岸の林道に入ると、薄暗い植林地となる。堰堤の上流は広い川原となっている。スイサキ谷の落口付近はスギ林の中に石垣がある。
二つ目の堰堤を過ぎると、右岸の上に岩壁が見える。橋を渡ると公団造林の看板があり、右岸を進む。前方に阿佐山縦走路の山が見える。堰堤に突き当たると林道の終点である。右岸に山道が上がっていた。堰堤の上流は池となり、魚影があった。
右岸の山道はタヌキガ城の谷を回りこみ、スギ林を通り抜けると木橋に出た。木橋を渡って左岸に進むと分岐があり、左岸の山道を進む。バゴゼの小谷を過ぎると、山道は右岸に渡る。株立ちのカツラが黄葉している。石積の残る山道を進む。山深い岩の上に祠が祀ってあった。そこは13曲りの対岸辺りであった。
ワル谷落口上流のオヒョウ |
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オヒョウ コヤガ谷落口 |
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谷は両岸が迫り、急流に入る。右岸の山道には木が渡してあるが朽ちている。トチバシ谷は急流に落ちる小谷である。道が消失する所にはロープが渡してある。急流を過ぎると道は左岸に渡る。谷に炭焼き跡の石積みがあった。ワル谷が岩盤の間から落ちている。ワル谷を過ぎた所にオヒョウがあった。
カラ谷を過ぎると道は右岸へ。ほどなくコヤガ谷で、左岸に渡る。早水渓谷を岩壁が塞ぐ。左岸の壁を登るとすぐ右岸に渡る。この辺りから山道が消失し、谷歩きとなる。オヒョウが点々とあり、ここにも炭焼跡の石積みがあった。8mほどの滝の右岸を巻く。谷が狭まるとウシロアシ谷の分岐に出る。右岸から落ちる小谷は丸瀬山南の水源に入っている。この辺りの右岸をセキオビラと呼んでいる。
オヒョウの幼木 セキオビラ下流 |
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オヒョウの落葉 ウシロアシ谷上流 |
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ウシロアシ谷の入口を越えると大岩が続く。右岸のゴーロにオヒョウが点々とある。落葉にオヒョウの葉が混ざる。950m付近で見たのが最後のオヒョウであった。周辺は植林地の境界付近であった。谷沿いに30本ほどのオヒョウを確認した。落葉はミズナラのほかにホオノキ、ハリギリが多い。
植林地に入ると、谷沿いに大きいブナがある。ホオノキの赤い実が落ちていた。水源に入った所で天候が怪しくなってきた。同形山に出る予定であったが、左手に明るく見えるゲレンデに出た。曇り空に紅葉の丸瀬山と小丸瀬が見える。
黄色に染まるアカイタヤのゲレンデからススキの薮を抜けると登山道に出る。ゲレンデから丸瀬山への登山道は整備されたようだ。ゲレンデから30分ほどで丸瀬山に着いた。丸瀬山から北へ150mほどの所にトビ岩がある。「西中国山地」では丸瀬山の南面となっているが、北面の誤植であろう。山頂から5分ほどでトビ岩に出た。
クリの木のクマ棚 トビ岩 |
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クマの爪痕 トビ岩 |
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地面が掘り返されていたので、見上げるとクリの木にクマ棚があった。幹に新しい爪痕がある。トビ岩の傍に周囲4mのブナの巨木がある。もう一つのトビ岩はここから100mほど下った所にある。登山道に戻り、尾根を北へ下った。ほどなく展望の利く986三角点。
眼下に高速道が見え、猪子山トンネルに入っている。その上に畳山から猪子山への峯が続く。丸瀬山の先に同形山、右手に三ツ石山が見える。北側に微かに見えるのは三瓶山か大江高山辺りか。
986三角点の展望岩から北東の尾根のミズナラ林を下った。この尾根もクマ棚が多い。小尾根の西に小谷の水源が上がる所まで下ると、踏み跡が現れる。アカマツとユズリハが多くなる。大分下った所で、山道は尾根の西を通り、986三角点から1時間ほどでシダハゲラの鞍部に出た。
シダハゲラから谷を下ると、薄い踏み跡が残っている。下っていくと、植林道のピンクのテープが続く。30分ほどでアザミゴヤ谷に出た。谷に出る手前にカツラの巨木があった。アザミゴヤ谷右岸の民家に出て、そこから車道を下った。早水川の橋を渡り、出発点に帰着した所で小雨が降り始めた。
オトコヨウゾメ |
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サラシナショウマ |
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ツリガネニンジン |
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ヤブコウジ |
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ジンジソウ |
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モミジガサ |
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ホオノキの実 |
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アカイタヤ |
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■地名考
日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。
アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。
西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
縄文遺跡の位置 |
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丸瀬山・阿佐山周辺には旧石器・縄文から近世に続く遺跡がある。北側から内ヶ原城跡、森迫城跡、米屋山遺跡、堀田上遺跡、今佐屋山遺跡、郷路橋遺跡である。
石見山間部に人々が住み始めたのは旧石器時代にさかのぼる。堀田上遺跡では2〜3万年ぐらい前の石器が出土した。郷路橋遺跡では、食料用のトチの実を蓄えた跡を残す6000年前のムラが見つかっている。
「瑞穂町市木の堀田上(ほりたうえ)遺跡では、1989年、石見最古、後期旧石器時代前半の出土品があった。槍先などの狩猟具やナイフ形、台形様、切り出し状などの石器、それに
皮なめし用のスクレイパー(削器)がある」(山根美神館HP)。
丸瀬山・阿佐山周辺の縄文遺跡 |
遺跡名 |
遺物 |
森迫城跡
もりさこじょうあと |
縄文 縄文土器(晩期)・時代不明の黒曜石
中世・近現代 |
内ヶ原城跡
うちがはらじょうあと |
弥生 弥生土器(後期)・柱穴・時代不明の石臼、砥石、石鏃、土錘、土製人形、黒曜石
中世・近世 |
堀田上遺跡
ほりたうえ |
旧石器 ナイフ型石器・台形様石器・スクレイパー・剥片・石核・砕片・切出し状石器
縄文 竪穴住居・土坑・柱穴・溝
弥生 土坑・柱穴
古墳 土坑・柱穴
縄文 縄文土器(早期)・石皿・剥片・石鏃・磨石・スクレイパー・楔形石器・礫石器・敲石・石錐・凹石
弥生土器(前期・中期)
堀田上遺跡の旧石器時代の石器
(島根県HPから) |
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今佐屋山遺跡
いまさややま |
旧石器 ナイフ型石器
縄文 柱穴
古墳 竪穴住居・柱穴
縄文 縄文土器(早期)・石鏃・尖頭器・スクレイパー・磨石・敲石
古墳・平安 |
米屋山遺跡
こめややま |
縄文 縄文土器(早期)・石鏃
土師器(時代不明) |
郷路橋遺跡
ごうろばし |
縄文 竪穴住居・土坑・柱穴
中世 掘立柱建物
近世 掘立柱建物・土坑・溝
縄文 縄文土器(早期・前期・後期・晩期)・剥片・石斧・敲石・磨石・石皿・種実(トチ)
中世(陶磁器)
近世(陶磁器)
トチの実の貯蔵穴
(島根県HPから) |
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トチの実 |
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●丸瀬山(マルセヤマ・736年)
●シダハゲラ
丸瀬山、シダハゲラの尾根は縄文期、広葉樹の山であった。秋には木の葉が舞い、尾根が明るい山であった。
●トビ岩(トビイワ)
丸瀬山東面はアカイタヤの多い山である。
●焼尾平(セキオビラ)
「西中国山地」の地形方言では「ヒラ」「ヒラツコ」は尾根の側面、山の傾斜面のことである。セキオビラはウシロアシ谷川口右岸の斜面付近の地名で、丸瀬山に上がる小谷は崖になっている。そこは早水渓谷の一番奥に当たるところである。
●ウシロアシ谷
川尻が崖となっている。
●アザミゴヤ谷(阿佐山=at-sam アッ・サム)
アザミゴヤ谷は丸瀬山に上がる谷であるが、丸瀬山、阿佐山を含めて、山全体が阿佐山と呼ばれている。阿佐山は「アサヤマ」とも「アザミヤマ」とも呼び山であったと考えられる。
阿佐山 at-sam アッ・サム オヒョウニレ・の傍
a-sa a-sami の両方に転訛したと考えられる。
福井県の鳥浜貝塚の縄文の草創期の遺跡から麻の編物が発見され、日本海沿岸と北海道の縄文遺跡から、アカソ、苧麻(からむし)、オヒョウなどの植物繊維のアンギン様編物が出土している。
縄文遺跡の鳥浜貝塚から多量の大麻の縄、紐が発掘されてるし(世界最古の縄)、麻、カラムシ、アカソ、芋麻、オヒョウ、イグサ科等々の植物繊維から布も製作していたという。三内丸山からは、縄文のポシェットと呼ばれるイグサ科の植物で織物にして袋を作り木の実を入れていた。
阿佐山周辺のオヒョウは縄文期に重要な繊維素材であった。
●早水川(ハヤミガワ)
早水川水源にオヒョウ。
カシミール3Dデータ
ノコンギク |
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総沿面距離13.1km
標高差686m
区間沿面距離
早水川入口
↓ 4.6km
ウシロアシ谷
↓ 4.3km
丸瀬山
↓ 2.4km
シダハゲラ
↓ 1.8km
早水川入口
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