山歩き

ドウギョウ谷…阿佐山…ココノ峠…猪子山
2010/10/23

郷路橋…ドウギョウ谷…同形山…ツチダキ…阿佐山…カタラ谷…畳山北リフト…ココノ峠…猪子山…聖岩谷川…郷路橋

■同形山(ドウギョウヤマ・阿佐山北峯)1212m:島根県邑智郡瑞穂町大字市木字同形鉱山(点の記・1088ピーク) 邑南町
■阿佐山(アサヤマ・ドウゲン山)1218.2m:広島県山県郡芸北町大字大暮字阿佐山(点の記・阿佐山) 北広島町
■猪子山(イノコヤマ)830.2m:広島県山県郡大朝町大字大塚大町(点の記・大町) 北広島町

郷路橋上流 郷路橋遺跡付近
981ピーク
同形尻川入口
同形尻川右岸から上がる林道
同形尻川
林道が通る谷
右岸の林道を進む
周囲1.7mオヒョウニレ
岩の谷を登る
ワサビ
谷上部のオヒョウ
岩場のオヒョウ
水源を登る
ゲレンデに出た
阿佐山と大岩
阿佐山三角点
阿佐山東面のブナ林を下る
畳山
3.4mブナ 1033ピーク西
畳山北のリフト
阿佐山と同形山
ココノ峠南の周囲127cmオヒョウ
ココノ峠のゴウロ
県境尾根のブナ
展望地から見える大朝 981P南
猪子山
丸瀬山
6:30 郷路橋 晴れ 気温10度
 
キキョウ

10:45 同形山
11:05 ツチダキ
11:20 阿佐山
12:15 カタラ谷
13:20 畳山北リフト
14:00 ココノ峠
14:50 981P
15:55 猪子山
16:35 林道 
17:05 郷路橋


 郷路橋から猪子谷川左岸の道を進み、高速道の下を過ぎると同形尻川の入口である。猪子谷川の奥に981ピークが見える。左岸に入ると、すぐに堰堤がある。堰堤から谷に入り、竹林を進むと堰堤がある。堰堤の先で左岸に林道が上がっていた。

 林道を進む。林道はアベマキ、コナラ林を通り、谷を横切る。そこからケヤキが多い谷を進む。上流で林道が横切る。林道が右岸に沿うようになった所から林道を進む。キバナアキギリが残っている。右岸の林道の横に、樹皮がケヤキのような木が目に留まり、葉を見上げるとオヒョウであった。周囲1.7mの大きいオヒョウニレであった。標高700m付近。

周囲1.7mオヒョウ

 その辺りから点々とオヒョウが見られるようになった。岩の谷を進む。ワサビが野生化しており、ワサビ田があったようだ。900m付近で見たのが最後のオヒョウで、小木も含めて40本ほどあった。ドウギョウ谷は水源に入っても水流がある広葉樹の谷であった。4時間ほどでスキーゲレンデに出た。

 北に丸瀬山見え、背後の山々は霞む。スキー場の草地にノウサギの糞が多い。カエデは黄色に染まる。同形山山頂リフトでは、リフトの椅子が並べられ準備作業の最中であった。山頂南の大岩の上に上がって一休みした。阿佐山山頂付近はガスが舞う。その右手に毛無山が見える。畳山から猪子山への展望があるが、背後は霞んでいる。

登山道のクマ糞

 尾根の登山道に入ると、クマの糞があった。ブナ林を下り、ツチダキを経て20分ほどで阿佐山。阿佐山東面のブナ林を下る。大きいブナが残っている。南のカタラ谷の先に熊の城山の峯が見える。畳山は目前にある。小谷のスギ林を下り、北のカタラ谷に出た。カタラ谷から涸れた植林地の小谷を上がる。尾根を進むと大きいブナがある。阿佐山から2時間ほどで、畳山北のリフトに出た。

 リフトから県境尾根を進み、ココノ峠に下りる。ココノ峠の手前に周囲127cmの大きいオヒョウがあった。周辺にオヒョウの小木が5本あった。おそらく西から上がるタテバシリのオヒョウの続きと見られるが、東の女鹿原川であるかもしれない。ココノ峠付近は岩がゴロゴロしている。カンナ流しの跡と思われる。

コマユミ

 ココノ峠から県境尾根を進むと大きいブナがある。この辺りはクリの木にクマ棚が多くあった。植林地と広葉樹の境界を進む。981三角点の手前に開けた所があり、大朝の里が見える。三角点は薮の中にあった。一の谷の鞍部に下り、823ピークを経てココノ峠から2時間ほどで猪子山。林の中で展望は無い。

 猪子山東の鞍部に下り、聖岩谷川水源の谷を下った。植林地を下ると、谷に沿う山道があった。30分ほどで林道に出た。下流の里に出ると、丸瀬山から同形山に掛けての山並みが見える。30分ほどで郷路橋に帰着。

オトコヨウゾメ
ジンジソウ
オオカニコウモリ
ミヤマシキミ
アキノキリンソウ
シロヨメナ
ヤクシソウ
アキチョウジ
シロシキブ



地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

縄文遺跡の位置

 丸瀬山・阿佐山東川には旧石器・縄文から近世に続く遺跡がある。堀田上遺跡、今佐屋山遺跡から旧石器の遺物が出土している。

 石見山間部に人々が住み始めたのは旧石器時代にさかのぼる。堀田上遺跡では2〜3万年ぐらい前の石器が出土した。郷路橋遺跡では、食料用のトチの実を蓄えた跡を残す6000年前のムラが見つかっている。

 「瑞穂町市木の堀田上(ほりたうえ)遺跡では、1989年、石見最古、後期旧石器時代前半の出土品があった。槍先などの狩猟具やナイフ形、台形様、切り出し状などの石器、それに   皮なめし用のスクレイパー(削器)がある」(山根美神館HP)。

丸瀬山・阿佐山東の縄文遺跡
遺跡名 遺物
堀田上遺跡
ほりたうえ

旧石器 ナイフ型石器・台形様石器・スクレイパー・剥片・石核・砕片・切出し状石器

縄文 
竪穴住居・土坑・柱穴・溝
弥生 
土坑・柱穴
古墳 
土坑・柱穴

縄文
 縄文土器(早期)・石皿・剥片・石鏃・磨石・スクレイパー・楔形石器・礫石器・敲石・石錐・凹石

弥生土器(前期・中期)

堀田上遺跡の旧石器時代の石器
(島根県HPから)

今佐屋山遺跡
いまさややま

旧石器 ナイフ型石器

縄文 
柱穴
古墳 
竪穴住居・柱穴

縄文
 縄文土器(早期)・石鏃・尖頭器・スクレイパー・磨石・敲石

古墳・平安

米屋山遺跡
こめややま

縄文 縄文土器(早期)・石鏃

土師器(時代不明)

郷路橋遺跡
ごうろばし

縄文 竪穴住居・土坑・柱穴
中世 
掘立柱建物
近世 
掘立柱建物・土坑・溝

縄文
 縄文土器(早期・前期・後期・晩期)・剥片・石斧・敲石・磨石・石皿・種実(トチ)

中世(陶磁器)
近世(陶磁器)

トチの実の貯蔵穴
(島根県HPから)

トチの実


●猪子谷川(イノコダニガワ)
 

●猪子山(イノコヤマ)
 

●郷路(ゴウロ)
 

 郷路橋遺跡は縄文早期・前期・後期・晩期と続き、竪穴住居跡が出土している。そして中世、近世への引き継がれた。


●阿佐山(アサヤマ)
 at-sam アッ・サム
 オヒョウニレ・の傍



●畳山(タタミヤマ)



 阿佐山周辺はオヒョウニレの多い所である。猪子谷川水源、タテバシリの谷、タテバシリ水源のココノ峠、北のカタラ谷、東西のツチダキ谷にオヒョウが多い。

 

 アイヌ語のオヒョウに「at」(アッ)、「opiw」(オピゥ)があり、「atu」(アツ・アト・アトゥ)・「ati」「achi」(アチ)などの三人称形がある。オヒョウはアイヌ語「opiw」の転訛と考えられる。

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カシミール3Dデータ

サンヨウブシ

総沿面距離17.2km
標高差798m

区間沿面距離
郷路橋
↓ 6.2km
同形山
↓ 1.1km
阿佐山
↓ 6.8km
猪子山
↓ 3.1km
郷路橋
  

 
 
 
堀田上(ホリタウエ)遺跡の縄文時代早期の集落跡 『堀田上・今佐屋山・米屋山遺跡調査報告書』(島根県教育委員会)
堀田上遺跡 縄文時代の磨石と石皿 『堀田上・今佐屋山・米屋山遺跡調査報告書』(島根県教育委員会)
 
ゲレンデから見た丸瀬山
                   唐代山
        猪子山               981P                              ココノ峠
阿佐山東面から見た畳山
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より