山歩き

カメイ谷…アマスギ谷…中ノ川山…岩倉山
2010/9/12

亀井谷…亀井谷奥橋…銅山跡…アマスギ谷…中ノ川山…鳥越…岩倉山…シンダチ谷…匹見川

■中ノ川山(ナカノゴウヤマ)1170.2m:広島県山県郡戸河内町中ノ甲(点の記) (安芸太田町)
■岩倉山(イワクラヤマ)1022.6m:島根県美濃郡匹見町大字道川字岩倉山(点の記) (益田市)

倉渡瀬橋
亀井谷林道の鎖止め
亀井谷奥橋
カメイ谷
広見入口
銅山跡
アマスギ谷入口
アマスギ谷
水源を上がる
茂る中ノ川山頂
岩倉山・天杉山分岐
亀井谷林道が上がる鳥越
岩倉山
苅尾山
岩倉山
ゴーロの水源を下る
水無の谷
シンダチ谷
シンダチ谷の小滝
左岸の植林地
シンダチ谷落口
匹見川
6:15 倉渡瀬橋 曇り 気温20度
 
ツルリンドウ

7:05 亀井谷奥橋
7:55 アマスギ谷
10:05 中ノ川山
10:55 鳥越
11:30 岩倉山  
12:30 コ谷落口
13:55 匹見川
14:40 倉渡瀬橋



 倉渡瀬橋付近を出発。橋下は岩礁となっている。川沿いのネムノキが季節外れの花を咲かせ、クリノキが実を付ける。亀井谷林道に入る。入口から数百メートルほどはミツバウツギが多い。鎖止めの先の右岸に落ちるのがヌクイ谷で、この付近には岩ヶ原鈩跡、仙床寺跡がある。

 亀井谷橋を渡り、左岸を進む。オオソゴ谷が落差をもってカメイ谷に落ちる。岩倉山に日が射す。亀井谷奥橋を渡り、林道から谷の右岸に入る。戦時、亀井谷の伐採と製炭は朝鮮人労働者と北海道アイヌの人々によってすすめられた。

ミカエリソウ

 亀井谷

 「亀井谷の鉱山は江戸時代に栄え、太平洋戦争当時は朝鮮人の伐採とアイヌ人の製炭とで一時にぎわった。…目下伐採に着手している道川村亀井谷の入口の渓流に…山麓を縫い渓流を渡した約一里半の木馬道に沿うて…はるばる日本に渡った朝鮮人労働者群の飯場小屋が随所に隠見して、エキゾチックな感じを一しお深く刻みつける」

 亀井谷の伐採

 「昭和十五年三月、北海道釧路から移住した製炭王館田与次は、総戸数四十戸二百名の従業員を連れて、下道川の亀井谷に留まった。時あたかも太平洋戦争がたけなわの折、製炭報国の精神から恐羅漢の山麓、二里にわたる亀井谷の峡谷に、三十基の大型製炭窯を敷き、広さ六百五十町歩の原生林から毎月平均五千俵の木炭を焼いて、市場へ送り出す計画をたてた。

 一行中には二十四才になる美貌のアイヌ婦人、石田ふみもいた。彼らの中には三十名の児童もいたが、一里もある下道川へ登校するのは不便を感じるので、亀井谷製炭村へ小学校を新設するとまで意気ごんだのである。節米の時代に二百名をまかなう毎月の米は五十俵を要する次第で、この兵站線を守る苦心も並大抵ではなかった。しかるに終戦とともに彼らは郷里の北海道へ引き上げた」

 亀井谷鉱山

 江戸幕府時代、大阪の住友氏が亀井谷鉱山において、盛んに銅鉱を採掘…大正初年、亀井谷の鉱山は鹿足郡日原町の人、長尾治助の所有に帰していたが、同七年鉱山熱が絶頂に達したころ、安田村津田の住民矢富武一はこの方面に手を染めて同山を買収するため、長尾治助と大阪において交渉、古川工業技師木村数馬と矢富義介とを立会人として三万千円で買収した。その後武一は道川に逗留、日夜鉱夫を督し、原銅を大阪の住友伸鋼所に売却していたが、ついに大阪の鉱山師辻田佐二へ二万円で売却した。銅の含有量は一割三分。現今では廃坑の姿となっている(以上『石見匹見町史』矢富熊一郎)。

ツルニンジン

 カメイ谷右岸の山道は、ほどなく左岸に渡っている。木馬道の石垣が残っている。山道はジョシ谷を渡り、カメイ谷とジョシ谷の間を通る。「広見入口」のテープがある。デミセ谷落口上流の右岸に石垣が見える。この辺りが銅山跡である。石垣の上は茂っていて見にくいが、上部に石垣が続いている。

 銅山跡から右岸の山道を進むと途中で消失するが、先で右岸に道が残っている。亀井谷奥橋から1時間ほどでアマスギ谷入口。一休みして谷を進む。アマスギ谷は危険な所もなく歩きやすい谷である。谷の中ほどに炭焼き跡があった。950m付近に炭がひとかけら転がっていた。サワガニが所々にいる。1000m付近からハスノハイチゴがあらわれる。

 水源に入るとササが覆いはじめる。小尾根を登り登山道に出ると、ちょうど山頂付近であった。山頂は林で展望はない。登山道はササが覆う。岩倉山への分岐に出て休憩。ミズナラ林を下る。尾根にはアカマツが侵入している。40分ほどで亀井谷林道が上がる鳥越に出た。

ヤマジノホトトギス

 岩倉山入口は、登る人が無いのか茂っている。急坂を登ると、段々と開けてくる。平原に入ってふり返ると、中ノ川山の後に恐羅漢山、旧羅漢山が見えてくる。右手に広見山。左手の苅尾山は富士山のように見える。さらに左に大佐山、嶽、空山、弥畝山が続く。山頂はアカマツ林に囲まれている。西風が強かった。

 「岩倉山は道川の元組から南方のすぐ上に立つ山。道川小学校の校歌にも歌われ、遠足で登るなど道川地区の人たちにとっては昔からシンボル的な存在とも言える山である」(『匹見町誌』)。

 山頂から北側に降りると無風である。シンダチ谷水源を下る。水の無いゴーロが続く。植林地を抜け、さらにゴーロを下る。一時的に水のある谷となるが、また水無の谷に変わる。小滝のある所から少し下ると、左岸が植林地となっていた。植林地を下って匹見川に出た。匹見川左岸を少し下って右岸に渡り車道に上がった。

モミジガサ
オオモミジガサ
イヌトウバナとハラボソツリアブ
アサクラザンショウ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

けつ状耳飾り(右半分の表裏面)

『新槇原遺跡発掘調査報告書』
(匹見町教育委員会より)

 新槇原遺跡は道川小学校南の匹見川と赤谷川合流点の東側にある。旧石器時代の層から石器遺物が出土したことから、20000年前に古代人の出入りがあった。縄文早期の層から土器が出土し、アカホヤAh火山灰降下年代(6500年以前)より古いものと推定された。出土した黒曜石の分析から隠岐島久見産と大分県姫島産であるとされた。縄文時代の磨製石器、けつ状耳飾りが出土した。

 けつ状耳飾りは島根県では鹿島町佐陀宮内・名分の佐太講武貝塚、匹見では、石谷の土井田遺跡、三葛の中ノ坪遺跡から出土している。けつ状耳飾りは耳たぶに開けた穴に垂れ下げたイヤリングである。中ノ坪遺跡の耳飾りの材質は蛇紋岩質で全体が研磨され、平滑仕上げとなっている(『中ノ坪遺跡概要』)。

 「耳飾は出土点数も少なく、従って着装者はシャーマンなどの儀礼執行者に限定されていたであろうし、その着装にあたっては、耳に切れ込みを入れるといった身体変更を伴うものであり、通過儀礼の試練に耐え、集落の成員、およびその祖霊(カミ)からの承認を得なければならなかったであろう」(『匹見町誌・遺跡編』)。

 けつ状耳飾りが出土した時代には「カムイ」の呼び名が確立していたのではないだろうか。カメイ谷・カミイデカタケ(春日山)・岩倉山などの地名が、「カムイ」に語源を持つと考えられる。


●亀井谷(カメイダニ)
 kamuy-nay
 カムイ・ナイ
 神・川

 kamui の転訛。

●岩倉山(イワクラヤマ)
 i-iwak-ur
 イ・イワク・ウル
 それ・住む・山

 kamuy-iwak-ur
 カムイ・イワク・ウル
 神・住む・山

 iwak-uru の転訛。

 
 青森県岩木山は「イ・イワク・イ」(それ・住む・所)、「カムイ・イワク・イ」(神・住む・所)と呼ぶアイヌ語地名である(『東北・アイヌ語地名の研究』山田秀三)。

 春日山は「カミイデカタケ」と呼び、このあたりの地名は神が色濃く登場する地域である。サケ・マスはアイヌ語で「カムイ・チェプ」と言い、「神・魚」の意であるが、匹見川にサケ・マスが遡上していたことから、付近は「神川」であったと思われる。

 また道川はよく熊の出没する所である。押ヶ谷(出合原)と亀井谷に熊取りの記録がある。熊はアイヌ語で「カムイ」である。

 「嘉永5年(1852)7月5日、下道川村の弁蔵は、字押ヶ谷という畑で、偶然熊に出くわした。かねがね近辺の者から熊取りの依頼を受けていた弁蔵は早速、猪槍を持ち出して、まんまと突きとめた」

 「慶応4年(1868)5月9日、下道川村の百姓、惣太郎・恵之助・貞之助・文吉・豊吉外五人は、同村亀井谷山へ明松を取りに行った時、不図熊に出くわし、その内壱頭を打捕り、直に切り崩し、御用当番斉藤六左衛門へ届出、生胆の買い上げを、民政所に願う」(『石見匹見町史』)。


●アマスギ谷
 am-tuki-pet
 アム・ツキ・ペッ
 栗の実・山の・沢

 植生図ではブナ・ミズナラ・クリの山である。縄文期にクリの山であった。

●倉渡瀬橋
 kur-wattara-us-i
 クラ・ワタラ・ウシ・イ
 神の・岩礁・ある・所

 kura-wata-shi の転訛。

 アイヌ語地名に以下がある。
 o-wattara-us-i オワタラウシ 川尻に岩あるもの
 kamuy-wattar カムイワタラ 神岩
 samaykur-wattar サマイクルワタラ サマイクル神・淵

倉渡瀬橋下の岩礁
ウエナヤ遺跡(リョウシ谷)
田中ノ尻遺跡(出合原)

 

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カシミール3Dデータ

オミナエシ

総沿面距離14.9km
標高差740m

区間沿面距離
倉渡瀬橋
↓ 7.5km
中ノ川山
↓ 2.6km
岩倉山
↓ 2.7km
匹見川
↓ 2.1km
倉渡瀬橋
  

 

第2回植生調査植生図(昭和54年)+カシミール3D
ブナ−ミズナラ群落(10) クリ−ミズナラ群落(11) クロモジ−ブナ群集(1)

        弥畝山     空山                            嶽            大佐山
   ジョシノキビレ              広見山                  赤谷山        安蔵寺山         
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より