山歩き

ヒロコウ谷…ヨケイワノエキ…額々山…ツムギ谷北尾根
2010/7/10

三葛…広高林道…作業道…ヒロコウ谷…ヨケイワノエキ…額々山(1279)…ウサゴエ谷東尾根…ツムギ谷北尾根…仲河内橋…三葛

■額々山(ガクガクヤマ)1229m:島根県美濃郡匹見町大字紙祖(点の記) (益田市)

三葛富士
良形アマゴ 紙祖川
広高林道
広高谷右岸の水田
流石止め堰堤 コウイ谷上流
カナガ谷橋上流の滝
屋敷ヶ谷橋上流のワサビ畑
作業道入口
高井山
伐採された県境尾根 作業道尾根の北方向
カーブミラーからヤロク谷への下り道
広高谷のワサビ畑
作業道終点
ヒロコウ谷右岸 シオジと思われる巨木
左ヒロコウ谷 右ヨケイワノエキ
シオジの谷 ヨケイワノエキ
ヨケイワノエキ水源のワサビ
ヨケ岩
寂地山 額々山から
ヨケ岩東側の岩家
密林を下る
大きいブナ 1046P東
尾根を横切る掘り下げた山道
下って来た三葛富士
6:05 三葛入口 晴れ 気温17度
 
ヤマツツジ

7:50 作業道
9:00 作業道終点
9:30 ヨケイワノエキ
10:40 ヨケ岩
11:50 1139P
13:40 1046P
14:50 896P
15:20 829P
16:10 仲河内橋
16:25 三葛
 

 朝靄の三葛入口から紙祖川右岸の道を進む。この20日ほどの間に稲が大分成長している。三葛富士が霧に浮かぶ。メウデン谷の手前で釣り人がちょうど釣り上げた所だった。朱点のある25cmほどの良形アマゴであった。ドイ谷の先がウシオ谷で、天狗を祀る「狗院社」(グインシャ)の看板がある。

 牛尾原橋にも釣り人が入っていた。広高林道に入る。ネムノキがピンクの花を付けている。紙祖川右岸に水田が続く。林道下に用水路があり、草刈りがされている。コウイ谷の先に小滝があり、滝上は流石止めの堰堤がある。渓流にオオバギボウシが咲き始めている。

オオバギボウシ

 カナガ谷橋を渡り、左岸を進む。オシゲ谷の先に小滝がある。屋敷ヶ谷橋を渡り右岸へ。ナシガエキに沿ってワサビ畑がある。迫口橋を渡ると林道はオオタチヤマ谷に入る。トチが実を付ける。木地屋墓を廻り込むとヒロコウ林道の終点となる。

 鎖止めの作業道に入る。道は急な尾根をジグザグに登る。高井山への展望がある。高井山東の県境尾根の南面は伐採されている。尾根を登りきるとカーブミラーがあり、そこから下りとなる。ヤロク谷へ下る。ノブガハラ谷を渡って進んでいると後ろから軽トラが降りてきた。荷台に乗せてもらい広高谷へ下る。あっという間に広高谷の奥まで入ることができた。

トチノキ

 作業道の分岐で車を降りた。上のワサビ畑に入ると言う。この辺りは10町歩の予定で開発されたが、採算が合わずやめる人が多く、現在1.5町歩のワサビ畑があるとのこと。

 「町は三葛の広高山に約十ヘクタール規模のワサビ団地の造成を進めている。従来のワサビ田は小規模の上、地域内に点在していた。新たに団地を整備することで一大拠点を目指し、新規栽培者の参入を促進し、担い手の確保を狙った。総事業費は三億四千万円。……十七年、四ヘクタールが完成し、個人と企業の参入で十八年から植え付けをし、栽培を開始している。あとの六ヘクタールは十九年六月に完成する予定で、入植希望者を募っている」(『匹見町誌・現代編』)。


 林下にワサビ畑のある作業道を進むと、上イリコノエキ付近で終点。ヒロコウ谷を進むとシオジと思われる巨木があった。左岸の山道に入り、道が右岸に渡るとヨケイワノエキ入口。入口にワサビの葉が出ている。

 ヨケイワノエキはワサビの葉が残っており、ワサビ田の谷であったようだ。この谷はシオジの谷である。緩やかな谷を右へ右へ進む。水源までシオジとワサビの葉があった。ハスノハイチゴが現われるとガクガク尾根である。1時間ほどで登山道に出た。そこからほどなくヨケ岩。岩の間からヤマツツジが咲いている。

ヤマアジサイ

 額々山から寂地山が見える。ヨケ岩を一周してみた。東面に岩家があり、雨宿りできる。ガクガク尾根を進む。広高谷分岐付近から冠山が見える。ウサゴエ谷東尾根の密林を下る。ガクガク尾根から40分で1139ピーク。ククリキ谷水源の鞍部を通り、尾根を西へ進む。1046ピーク手前に大きいブナがあった。南側にガクガク尾根が見える。

 1046ピークの先に掘り下げた山道が少し残っていた。896ピークは北側を廻り込む。829ピークから下って行くと尾根を横切るように掘り下げた山道があった。そこから少し下に幅広の山道が尾根を横切っていた。ガクガク尾根から5時間ほどでようやくツムギ谷登山道に出た。

シオジ
キブシ
ギンバイソウ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


 匹見町三葛地区の縄文遺跡は、中ノ坪遺跡のほかに五百田遺跡、陣ヶ原遺跡、発掘地点に門田、清左衛門田、殿屋敷、中ノ原があり、殿屋敷地点を除く各遺跡、発掘地点から冠山安山岩を使用した石器が出土している(下図)。


 『冠遺跡群[』(広島県教育委員会・広島県埋蔵文化財調査センター)によると、冠山安山岩類原石の分布状況は次のようになっている(近辺のみ)。

 後期旧石器時代前半期では、匹見町新槙原遺跡の冠山安山岩類の占有率が90%を超している。

 後期旧石器時代後半期では、芸北町樽床遺跡群の冠山安山岩類が56.8%を占める。

 縄文時代前半期では、匹見町上ヶ原遺跡、田中ノ尻遺跡、新槙原遺跡で多数確認。

 縄文時代後半期では、匹見町石ヶ坪遺跡、水田ノ上A遺跡、ヨレ遺跡、半田遺跡、などに広がっている。
 
 また冠山安山岩の搬出と利用状況は以下のようであった。

 後期旧石器時代前半期では集団が回遊的に移動する中で、主に冠高原丘陵頂部に分布する角礫を粗割し、それを付近で加工して製品や素材を製作して、再び回遊生活に赴き、回遊範囲は60km程度と考えられた。

 後期旧石器時代後半期では、冠高原内の遺跡は低地部にも広がり、河川やその周辺に多くみられる亜角礫や円礫も頻繁に利用し、石器製作だけでなく、一定期間の生活も行っていた。

 縄文時代前半期では、高原内であまり石器の製作が行われておらず、大半は原石の状態で礫を各遺跡まで、しかも直接搬出していることが考えられた。

 こうした石材の搬出方法は、縄文時代後半期を経て弥生時代まで続くと考えられたが、石材の広がりは除々に狭くなり、弥生時代では冠山地域の周辺だけに限られる(『冠遺跡群[』)。

 
 三葛の縄文遺跡から発掘された安山岩遺物は、冠高原やその周辺から原石を持ち帰り、三葛で加工したと考えられる。

 「これらの石材の大半は安山岩を用いている…剥・砕片を含めて四千点余り出土した大半の安山岩質のものは、直線にして8キロの広島県廿日市市吉和の冠山産の可能性が強い」(『匹見町誌・遺跡編』中ノ坪遺跡)。

 安山岩はどのようなルートを辿って冠高原から三葛にもたらされたのであろうか。

アカホヤ火山灰と植物珪酸体含有率
(『冠遺跡群 D地点の調査』)

 冠遺跡群D地点(795m標高)は松の木峠の国道沿いの東側にあり、堆積物に含まれる火山噴出物の分析が行われた。黒ボク土に多い植物珪酸体含有率はアカホヤ火山灰(6000から6500年前)のある6000年前がピークとなっている(上図)。

 松の木峠周辺の植物珪酸体分析は次のようになっている。
 「K−Ah(アカホヤ火山灰)にかけては…この時期にはススキ属、キビ属などが生育する草原植生が成立したと考えられ…これらのイネ科植物は陽当たりの悪い林床では生育が困難であり、ススキ属やチガヤ属の草原が維持されるためには定期的な刈り取りや火入れ(焼き払い)が必要である。このことから当時は火入れなど人間による何らかの植生干渉が行われた可能性が考えられる」(『冠遺跡群[』2001)。

冠遺跡群D地点(795m標高)松の木峠の黒ボク土
(『冠遺跡群 D地点の調査』)

 黒ボク土は冠高原から冠山南登山道、ガクガク尾根まで続いている(下のGIS土壌図)。この黒ボク地帯では定期的に野焼きが行われ、ススキ草原が広がっていたと考えられる。

 三葛では現在までの発掘結果を見る限り、中ノ坪遺跡周辺に冠山安山岩が集められたと考えられる。中ノ坪遺跡は縄文前期の遺跡である。

 「中ノ坪遺跡から出土した土器は,縄文時代の前期を中心として、その前後に多少に わたる時期のものである」(『中ノ坪遺跡概要』)。

 中ノ坪遺跡は6500〜4500年の間にあると考えられる。西側の陣ヶ原遺跡から6300年前の炭化物が出土している。冠高原の植物珪酸体のピーク(6000年前)と中ノ坪遺跡の時代が照応する。

 冠高原からガクガク尾根に続く黒ボク土は、縄文人が冠山安山岩などの運搬のために行った山焼きの結果であると考えることができる。

 冠山安山岩運搬ルートは冠高原・冠山南尾根・ウシロカムリ・東ヨケ岩・ガクガク尾根・西ヨケ岩・三葛(中ノ坪)のルートが有力なルートの一つと考えられる。

 かつて、「たたら道」「鉄の道」が山中を縦横に走っていたように、古代には「石の道」「石器の道」が尾根を通っていたのではないか。


 福岡市の大原D遺跡3次調査地点から大量の石鏃が出土している。石器1035点の内、655点の石鏃が出土している(下図)。

 「それでは鈴桶遺跡や大原D遺跡などの海浜部集落での多量の石器製作をどう理解すべきであろうか。それらの遺跡では集落内での消費を遥かに上回る量の石器生産が行われている。原産地での膨大な石核、剥片類は、豊富な原石を背景とし、多量の石器生産を予測できる」(『北部九州の打製石器の石材利用 石器石材の供給システム』)。

 三葛中ノ坪遺跡の多量の石鏃は、三葛縄文集落の消費を上回る量と考えられる。冠高原の石材原産地に近い地の利を生かし、周辺の縄文集落へ石鏃を供給していたと思われる。

 また中ノ坪遺跡には大分県姫島産黒曜石の大型剥片が搬入されており(下図)、石鏃製作場として、黒曜石、安山岩原石の搬入ルートが確立されていたと考えられる。

 冠遺跡群の旧石器時代層から黒曜石や冠高原に無い石材原石が出土している(『冠遺跡群・D地点の調査』)ことから、冠高原を経由する山陽と山陰、瀬戸内海と匹見を結ぶ交易ルートがあったと考えられる。

 陰陽を結ぶガクガク尾根ルートは冠山安山岩だけなく、黒曜石を含む縄文文化の伝播ルートの一つであったのではないだろうか。


●松の木峠(マツノキダオ) 
 matne-ki-taor 
 マツネ・キ・タオル 
 女である・ススキの・高所
 
 matune-ki-tao の転訛。

 アイヌ語に「マツネ・シリ」「ピンネ・シリ」がある。「女・山」「男・山」の意であり、緩やかな松の木峠は「女・峠」の意であると考えられる。

●ウシロカムリ(江戸末期) 
 mun-sir-kamure-i
 ムン・シリ・カムレ・イ
 草が・あたり一面・覆う・所(黒ボク土・ススキ草原)

 u-shiri-kamur-i の転訛。

●高そん加ムリ(コウソンカムリ・冠山古名) 
 ukaw-sonno-kamure-i
 ウカゥ・ソンノ・カムレ・イ
 重なる岩が・非常に・覆う・所(安山岩の山)

 kau-son-kamur-i の転訛。

 縄文時代、ウシロカムリ周辺尾根はススキ草原であり、東側に岩峯の冠山が望まれたと思われる。「ウシロカムリ」「コウソンカムリ」は両方の地形を対比した地名と考えられる。

●雨杉(アマスギ・ウシロカムリ別名) 
 an-mun-tuki 
 アン・ムン・ツキ 
 向こうの・草・山(黒ボク土・ススキ草原)

 a-mu-tuki の転訛。

●ボーギのキビレ 
 poy-ki-nup-kipir 
 ポィ・キ・ヌプ・キピリ 
 小さい・ススキ・野の・丘(黒ボク土)

 poi-ki-nu-kipiri の転訛。

 ボーギノキビレは五里山の東側にもあるが、ススキ草原の尾根は、西のボーギノキビレから五里山、恐羅漢山へと続いていた。この尾根は冠山安山岩などが西中国山地東部の古代集落へ運ばれたルートでもあったと思われる。

 匹見町新槙原遺跡、樽床遺跡などの冠山安山岩は尾根ルートから運ばれたと思われる(『旧石器人の遊動と植民・恩原遺跡群』(稲田孝司・新泉社)。

●ノゾキ岩+ヨケ岩
 noski-hotke-iwa
 ノシキ・ホッケ・岩
 真中に・横たわる・岩

 nos-otke-iwa → nosoke-iwa の転訛。
 hotke-iwa → oke-iwa の転訛。

 冠高原から冠山南登山道を通り、ガクガク尾根にいたるルートは、冠山安山岩を運搬するルートであった。冠高原で安山岩を運びやすい大きさに砕き、背負って運んでいた。

 ガクガク尾根上にヨケ岩(ノゾキ岩)、ガクガク石・ガクガク岩、ヨケイワ(西)などの地名が残っているのは、この尾根が安山岩運搬ルートととしてよく利用された結果であると考えられる。

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カシミール3Dデータ

キツリフネ

総沿面距離19.6km
標高差720m

区間沿面距離
三葛
↓ 5.4km
作業道
↓ 5.9km
ヨケ岩
↓ 3.7km
1046P
↓ 4.6km
三葛
  

 


 
三葛の縄文遺跡・発掘地点

三葛・五百田(ゴヒャクダ)遺跡の出土遺物集計表
(『五百田遺跡』匹見町教育委員会)
 
発掘面積153u・縄文・古墳・中世・4層は黒灰色土
三葛・五百田遺跡出土石器(『五百田遺跡』)

三葛・陣ヶ原(ジンガバラ)遺跡の出土遺物集計表
(『陣ヶ原遺跡発掘調査報告書』匹見町教育委員会)
 
発掘面積100u・縄文早期末・6層は茶褐色黒色土・炭化物は6300年前

三葛・陣ヶ原遺跡出土石器
(『陣ヶ原遺跡発掘調査報告書』)

三葛・門田(カドタ)地点の石器
(匹見町埋蔵文化財報告書第20集)
 
発掘面積12u・縄文前期・4層は黒色土

三葛・清左衛門田地点の石器
(匹見町埋蔵文化財報告書第20集)
 発掘面積12u・縄文晩期・4層は黒色土

三葛・殿屋敷(トノヤシキ)地点の石器
(匹見町埋蔵文化財報告書第20集)
 
発掘面積32u・縄文後晩期・4層は黒色土

三葛・中ノ原(ナカノハラ)地点の石器
(匹見町埋蔵文化財報告書第20集)
 
発掘面積9u・縄文・6層は黒褐色土
 
大原D遺跡と黒曜石原産地(『北部九州の打製石器の石材利用 石器石材の供給システム』 吉留秀敏)
 
石器石材供給ルート(『北部九州の打製石器の石材利用 石器石材の供給システム』)
 
大原D遺跡 石鏃の割合
(『北部九州の打製石器の石材利用 石器石材の供給システム』)
 
匹見縄文遺跡の出土石鏃数
 
三葛 中ノ坪遺跡 安山岩・黒曜石大型剥片
(匹見町埋蔵文化財報告書第20集)

冠高原(松の木峠)からガクガク尾根に続く黒ボク土(赤色が黒ボク土 カシミール3D+国土交通省土壌図GIS)

冠遺跡群D地点(松の木峠)の堆積物の分析結果
(アカホヤ火山灰は約6000から6500年前)
 
6000年前に植物珪酸体含有率のピークがある。
 
(『冠遺跡群 D地点の調査』1989年 財団法人広島県埋蔵文化財調査センター)から  

旧石器時代の交通路
 D:冠高原安山岩産地 9:樽床 (『旧石器人の遊動と植民・恩原遺跡群』)
 
コウイ山とヒロコウ谷 ヤロク谷東尾根から
ガクガク尾根 1046P西から
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より