山歩き

三葛…ツムギ谷…ガクガク山…ヨケ岩
2010/6/19

三葛入口…ツムギ谷…ウサゴエ谷…ガクガク山…展望岩…ヨケ岩(西)…ウエミチ谷…山道…車道…三葛入口

■ガクガク山(ガクガクヤマ)1227m:島根県美濃郡匹見町大字紙祖(後谷三角点・937Pの所在地) (益田市)

三葛入口
小川崎橋から上流を見る
殿屋敷遺跡
右岸の山道
一の谷上流の滝
左岸の看板
スギ林の墓
スギ林北端のオヒョウニレ
ツムギ谷 株立ちのオヒョウ
ククリキ谷・ウサゴエ谷合流点下部
ウサゴエ谷の滝
滝上部のドラムカン
ウサゴエ谷のオヒョウ
分岐の石積み
ガクガク山
尾根に点在する板状の岩
ヨケ岩(西)
3.5mブナ ヨケ岩西
ウエミチ谷のワサビ田
ウエミチ谷から北へ延びる山道
安蔵寺山
墓所
ササユリ
5:50 三葛入口 曇り後晴れ 気温20度
 
キツリフネ

6:55 墓
8:20 ウサゴエ谷
10:50 ガクガク山
11:25 展望岩
12:15 ヨケ岩(西)
13:35 山道(ウエミチ谷)
14:15 車道
14:30 三葛入口


 三葛入口に「三葛神楽」「中ノ坪遺跡」の看板がある。中ノ坪遺跡は現在、田植えの終わった水田の下にある。小川崎橋を渡り山手を進むと、殿屋敷遺跡の看板がある。仲河内橋を渡り、ツムギ谷右岸の道を入る。ミツバウツギが実を付けている。

 左岸に河内神社がある。魚切滝を眼下に見ながら山道を進む。一の谷の先に滝がある。左岸に「積木溢造林地」の看板がある。スギ林に入ると墓が一基あった。木地屋墓と思われるが、元々、もっと東側にあったようだ。

 右岸のスギ林の道を進み、道が谷に下りる手前に珍しくオヒョウニレがあった。小木が数本あったが、親木は見えない。その先で道は消失し谷歩きとなる。大きいトチノキがあり、その手前にも株立ちしたオヒョウがあった。西中国山地にオヒョウは少ないが、私が歩いた限りでは阿佐山の東側の谷に多くある。

コゴメウツギ

 谷を進みククリキ谷とウサゴエ谷の分岐に出た。一休みしてウサゴエ谷を進む。魚影が走る。ウサゴエ谷にゴギが居るようだ。滝は左岸を巻くと、滝上にドラムカンがある。滝上を少し進むと、ここにもオヒョウがあった。100mほどの間に20本ほどのオヒョウがあった。その先に左岸から下りる小滝があり、ワサビ田の石積みが残っている。そこから右の谷に入る。

 朽ちた巨木の株を左に見ながら、石積みのある谷を進む。水源から小尾根を登りガクガク山に出た。林で展望は無い。ここは南の藩界尾根から登ると分かるが、岩崖となっている。テープの続く尾根を西へ進む。ハトより一回り小さい鳥が「ツツツツツ」と鳴きながら、頭上に留まり、飛び立った。雌のカッコウのようであった。

 尾根にスギ林が入っている。尾根にはコゴメウツギが多い。ガクガク山から30分ほどで展望岩に出た。ガクガク山が見えるが寂地山は雲が掛かる。小五郎山は霞む。

コツクバネウツギ

 尾根を西へ進む。尾根上には板状に重なった岩が点在する。スギ・ヒノキの植林地を進む。大きいケヤキの近くに周囲3.8mのブナがあった。そこから間もなく岩塔が尾根を塞ぐ。ヨケ岩である。岩を登ると岩の裂目に穴がある。岩上は展望が良い。正面に雲の掛かる茅帽子山が見える。真下は深谷川水源河津谷である。

 ヨケ岩から西へ進むと、周囲3.5mの大きいブナがあった。その先から北西の小尾根を下り、ウエミチ谷水源に下りた。細い急な谷を下ると、ワサビの葉があった。ワサビ田を下った所で、谷を横断する山道に出た。南の山道へ少し進んだが、南の後谷山の谷へ入っていたので引き返し、北の山道を進んだ。安蔵寺山が見える。

 この道はよく整備された道であった。山道はウシロ谷に下りる分岐を通り、北の植林地の小谷を下る。古い墓所を過ぎるとワサビ畑に出て、今朝通った三葛の車道に下りた。

ヤマツツジ
タンナサワフタギ
ツタウルシ
ヒメジャノメ
イワミマイマイ
ミゾカクシ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


 島根県石西地方は旧市町村の匹見・美都・益田・津和野・日原・柿木・六日市の地域であるが、その中で匹見町が縄文遺跡の数で群を抜く。匹見町の遺跡は旧石器から縄文晩期へ続く遺跡である(『石西のあけぼの』)。

 匹見縄文文化は九州・本州を繋ぐ東西文化の交流点にあり、発掘された土器や石器、黒曜石がそれを物語っている。

 「匹見町の石ヶ坪遺跡では、縄文中期の九州系の並木式・阿高式土器が相当量含まれ、後期では瀬戸内系の中津式土器が多数を占め、九州系の鐘崎式土器も相当量含まれる。水田ノ上遺跡の配石遺構は東日本の環状列石状の遺構に類似し、関東から東海地方および九州地方との交流によってもたらされた文化といえる。中国山地脊梁地帯を東西につなぐ文化の伝播ルートが存在したと考えることができる」(『中国山地の縄文文化』)。

 石西地方の石器は冠山産安山岩が多用された。

 「冠山産安山岩は…各時期を通してもっとも多く使われている石材。大型の石器も作られている…石器の石材は、冠山産安山岩が主体的に使用されている。姫島産黒曜石は後期に増加するが、石器個々の大きさは小さく、主要石材が安山岩に取って代わったとは思えない。 九州産・隠岐産黒曜石は、早期の一部の遺跡で比較的多く使われているが、全体としては少ない」(『石西のあけぼの』)。

 三葛の中ノ坪遺跡から石鏃が多数出土。

 「石器類では石槍・磨製、打製石斧・凹石・石錘・石匙・石銛・スクレイパー・石鏃などが出土した。うち石鏃は400点余りと多く、狩猟に力点をおいた生活誌であったことを垣間見せるとともに、石匙も28点と注意すべき数量である。

 これらの石材の大半は安山岩を用いているが、5%は黒曜石であり、そのうち7割は乳白色をした黒曜石である。剥・砕片を含めて四千点余り出土した大半の安山岩質のものは、直線にして8キロの広島県廿日市市吉和の冠山産の可能性が強い…匹見の縄文文化の豊富さの要因は、落葉広葉樹帯で食料確保が容易であったということも然ることながら、こうした石材産地と接近性にあったといってよいだろう」(『匹見町誌・遺跡編』中ノ坪遺跡)。


 安山岩の剥片・砕片は、母岩からはぎとった石片のすべてを指し、素材剥片、調整剥片ともいう。

 下の表のように、中ノ坪遺跡で発掘された安山岩の剥片・砕片数に対する冠山安山岩製石鏃の割合は9%であるが、冠遺跡群での石鏃の割合は僅か0.04%である。中ノ坪遺跡の特徴は、各遺物出土地区から満遍なく石鏃が出土することである。このことは運良く石鏃が見つかったのでなく、石鏃が多く占める理由があったと考える方が合理的である。

 石器製造遺跡である冠遺跡群では、石鏃以外の石器が主に製作されているが、中ノ坪遺跡では冠高原から安山岩原石を持ち帰り、石鏃を中心に製作したと考えられる。この地で製作された石鏃は三葛だけでなく、匹見地域に展開する縄文集落に供給されていたのではないだろうか。

 匹見縄文遺跡の中では石鏃の発掘数は中ノ坪遺跡が圧倒的に多い。中ノ坪は周辺の縄文集落へ冠山安山岩製の石鏃を供給する一大加工場であったと考えられる。

 三葛の地理的位置は、匹見と冠高原を結ぶ要の地点にある。三葛・ツムギ谷・ウシロカムリ・冠山南尾根・冠高原を結ぶルート、寂地山・ジャクジ川・宇佐・ヒヨリ谷・イシキド峠のルートなどから冠高原に出向いていたと考えられる。

 その時代から形成された地名が「中ノ坪」や「三葛」ではないだろうか。中ノ坪遺跡調査区の周辺地採集から56個の石鏃が出土しているが、調査区別の石鏃数から類推すると、北側に向かって石鏃が埋まっていると考えられ、冠山安山岩の石鏃などへの製作場はこの地域全体に広がっていたと推測される。

中ノ坪遺跡 調査区別安山岩石鏃数(赤字
 
単位面積あたりの石鏃数
調査区 石鏃数 面積u 石鏃数/u
a 61 48 1.3
b 39 48 0.8
c 28 24 1.2
d 8 15 0.5
e 42 52 0.8
f 64 28 2.3
合計 242個 215u 1.1個/u

●中ノ坪(ナカノツボ)
 nokan-tu-op-o-p
 ノカン・ツ・オプ・オ・プ(ノカンツポプ)
 小さい・古い・鏃・群在する・所

 nukan-tu-op-o-p
 ヌカン・ツ・オプ・オ・プ(ヌカンツポプ)
 小石の・古い・鏃・群在する・所

 nokan-tu-p-o の転訛。
 nukan-tu-p-o の転訛。

 「ナカノツボ」は中ノ坪遺跡の小字名である」

 アイヌ語地名に「op-o-p」(オポプ)がある。「槍(の柄)・群在する・もの(川)」の意で、この地名の「覚生川」(オボップガワ)にはドロノキ(柄に使用)が自生し、地名の由来となっている。

 「op」には次の意がある。

 op cop-cop(チョプ・チョプ・幼児語) 陰茎
 op-ipe 槍の穂先

 アイヌ語「op」は「槍」の意であるが、縄文期、「鏃」の意であったとも考えられる。

●三葛(ミカズラ)
 pikew-sura
 ピケゥ・スラ(ピケスラ)
 砕石(バラス)・を捨てる

 pik-sura
 ピク・スラ(ピクスラ)
 小石・を捨てる

 pike-sura の転訛。
 piku-sura の転訛。

 三葛地域は冠山安山岩から石鏃を製作する加工場であった。同時に安山岩の剥片・砕片の捨て場であった。中ノ坪遺跡は石鏃製作場の一つと考えられる。

 アイヌ語小辞典
 pikew 小粒の石・バラス(砕石)

●ヨケ岩(東・ノゾキ岩)
 i-yo-ke-iwa
 イ・ヨ・ケ・イワ
 それ・居る・所の・岩山(クマ・居る・岩山)

 no-sotki-iwa
 ノ・ソッキ・イワ
 尊い・寝床の・岩山(クマの・寝床)

●ガクガク山(ガクガク石・三ツ岩)
 kakkok-us-pit-iwa
 カクコク(カッコク)・ウシ・ピッ・イワ
 カッコウ・多い・岩・山

●ヨケ岩(西)
 i-yo-ke-iwa
 イ・ヨ・ケ・イワ
 それ・居る・所の・岩山(クマ・居る・岩山)

 ガクガク尾根上に三つの懸崖がある。西のヨケ岩(ノゾキ岩)と東のヨケ岩に名があるが、真中のガクガク山には名が無い。

 「ガクガク山(1227m)の南面は西のヨケ岩と同じ位の立派な懸崖になっているが無名である」(「西中国山地」桑原良敏)。

 1227ピークに名が無いが、ピークの西に「ガクガク石」、南に「三つ岩」があることになっている。ガクガク尾根上の東西の懸崖に名がありながら、なぜ真中の懸崖に名が無いのだろうか。「ガクガク石」「三つ岩」こそ、ガクガク山の名であると考えられる。

 kakkok-us → kakukaku-ishi(ガクガクイシ)
 pit-iwa → pitu-iwa(三つ岩)


 万葉集(1498)に以下の歌がある。

原文:無暇 不来之君尓 霍公鳥 吾如此戀常 徃而告社

訓読:暇なみ来まさぬ君に霍公鳥我れかく恋ふと行きて告げこそ

仮名:いとまなみ きまさぬきみに ほととぎす あれかくこふと ゆきてつげこそ

訳:忙しい、暇がないと口実ばかり付けてちっともお見えにならないあの方。ホトトギスさん、私がこんなにも焦がれて「恋しい、恋しい」と言っていると伝えて下さいな

 万葉の時代、ホトトギスとカッコウは区別されていないが、ホトトギスを「かく恋ふ」(カクコウ)と掛けて、カッコウは「カクコウ」と呼ばれていたと考えられる。寂地山はカッコウがよく記録されている山であり、ガクガク山にも多いと考えられる。

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カシミール3Dデータ

ユキノシタ

総沿面距離12.5km
標高差717m

区間沿面距離
三葛
↓ 4.3km
ウサゴエ谷
↓ 2.5km
ガクガク山
↓ 1.9km
ヨケ岩(西)
↓ 3.8km
三葛
  

 


 

島根県石西地方の縄文遺跡数
(『石西のあけぼの』島根県埋蔵文化財調査センター 柳浦俊一)

石西地方は現在の益田市・津和野町・吉賀町

石西地方の各遺跡の年代
(前同)

匹見地域では旧石器後期から縄文晩期へと続く

匹見町遺跡の位置と安山岩・黒曜石の原産地
(前同)
中ノ坪遺跡の位置(『中ノ坪遺跡概要』匹見町教育委員会より)

中ノ坪遺跡 縄文土器の分類
(『中ノ坪遺跡概要』)

中ノ坪遺跡石器集計表(『中ノ坪遺跡概要』)


『中ノ坪遺跡概要』『吉和村誌』から集計した安山岩剥片に対する石鏃の割合

匹見縄文遺跡の石鏃数
中ノ坪遺跡の石鏃 左上の大型石鏃は長さ5.5cm 最大幅3.8cm (『匹見町誌・遺跡編』中ノ坪遺跡)

展望岩から見たガクガク山
二股下周囲3.8mブナ ヨケ岩東
ヨケ岩正面の茅帽子山とミノコシ山
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より