山歩き

裏匹見峡…ゲジガ谷…御境…コゴウ谷
2010/5/5

駐車場…裏匹見峡…488号線…ゲジガ谷…イチロエキ…オサカエ…コゴウ谷…赤谷…駐車場

■御境(オサカエ)970m:島根県美濃郡匹見町大字匹見(益田市)・広島県佐伯郡吉和村字吉和(廿日市市)

夫婦橋 右岸から遊歩道に入る
オモ谷入口
赤谷合流点
オオコウ谷
ダンナゴヤ谷
亀の胴淵の甌穴
平田淵
鈴ヶ岳下の懸崖
488号線出口
ゲンカ橋
ゲジカ谷右岸の石垣
カドイシ谷 右岸上に石垣が続く
スギ林を上がる
ワサビの残るイチロエキ上部
イチロエキ水源の林道
尾根の鉄塔を結ぶ道
御境
コゴウ谷の二段滝
クワノキ谷
コゴウ谷右岸の石垣
赤谷とコゴウ谷落口 右
フデリンドウ
5:15 駐車場 晴れ 気温8度
 
イカリソウ

6:05 ダンナゴヤ谷
7:15 488号線
7:40 ゲンカ橋
8:15 カドイシ谷
8:35 イチロエキ
9:40 488号線
10:10 御境
11:40 クワノキ谷
12:35 赤谷
12:55 駐車場

 レストパーク駐車場を出発。広見川に架かる夫婦橋を渡ると右岸の遊歩道に入る。左岸からオモ谷が下りている。少し進むと赤谷が合流する。鉄の階段を進む。ヤマグルマ、ミツバウツギの花が咲き始めている。右岸を進むとオオコウ谷付近はスギ林の平坦地となっている。オオカワ鈩跡である。ダンナゴヤ谷落口にワサビ田の石垣が残っている。山道はここで終わったので、川に下りた。

 川を進むと左岸に遊歩道があった。左岸に渡る。長淵、荒神の瀬、亀の胴淵に進む。亀の胴淵に甌穴があるが、かつて川底はもう少し高かったようだ。踏み戻し、群岩の瀬、五段滝を通り、平田淵に到着。鉄の階段を登ると鈴ヶ岳の下の巨大な懸崖が朝陽を受けて美しい。アオダモが咲いていた。裏匹見峡終点の橋は通行止めとなっている。

アオダモ

 488号線に出た。ここから鈴ヶ岳とその下の絶壁への眺望がある。匹見町史に次のようにある。

 「広見川は高度一〇〇〇mの山から出で、潺緩(せんかん)と南西に向って広見部落を流れ、鈴カ嶽の断崖に裏匹見峡の絶景を見せて保矢カ原に流れ、ここから北流して立野カ原・上山根・植地を経、正下地において匹見川に合流する」(『石見匹見町史』矢富熊一郎)。

 488号線を進み、30分ほどでゲンカ橋。左岸を上がるとスギ林の中に石垣がある。マガリ谷を過ぎ、30分ほどでカドイシ谷分岐。カドイシ谷の右岸に長い石垣が見える。分岐を進むとスギ林に入る。野生化したワサビが点々と葉を出している。ナカノ谷分岐を通り、ゲンカ橋から2時間ほどで488号線に出た。

 488号線を進み、再びイチロエキに入る。薮の入口に石垣が残っている。倒木の谷を進むと林道に出た。林道から急な斜面を登り、尾根に出ると山道があった。鉄塔を結ぶ道である。山道を少し進み、御境への尾根に入る。御境上の展望地から東に五里山の峯が続き、南に冠山が見える。匹見側は霞んでいる。ゲンカ橋から2時間半ほどで御境に到着。

ハナイカダ

 保矢ヶ原から御境に上がる吉和街道があった。

 「江田から半田をすぎ、橋を渡って山根下に出で、広見川に沿うて植地を通り、山根上に出る。ここには番所があった。かくて立野原を過ぎ、裏匹見峡の玄関口に当る夫婦渕の側を通り、夫婦渕の絶景を眺めながら保矢カ原を行き切るといよいよ五里山の登り口にかかる。スギ・ブナ・クリ・クヌギ・トチの密林をくぐりながら、次第に歩を運ぶと標高九四六mの頂上たる御坂に達する。ここは芸州との国境で石の休み場があり、又附近には厳冬に遭難死した人の墓が数基も散在しておる」(『石見匹見町史』)。

 御境からコゴウ谷を下った。しばらく緩やかに下るが、小ゴルジュに入ると滝がある。滝下を右岸に渡ると、高巻き道がある。この道はクワノキ谷の上流で谷に下りている。クワノキ谷落口に石垣がある。クワノキ谷から下流は左岸に山道が残っている。右岸にも石垣があり、道があるようだ。御境から2時間半ほどで赤谷に出て、林道に上がった。赤谷上流に橋があり、コゴウ谷左岸の道はこの橋の右岸に出るようになっている。

 林道を下り、488号線に出た。ミヤマガマズミが咲いている。カラスアゲハが地面でさかんに吸水していた。レストハウスの横を通り駐車場に帰着。

ミヤマガマズミ
ウワミズザクラ
ホウチャクソウ
ミツバウツギ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。


 「栃内(とちない) 東北の北の方によくある地名。金田一先生は、栃とまたたびは日本語なのかアイヌ語なのか分からない、といっておられた。似た例ではアイヌ語のカリンパ(桜皮)と、『万葉集』などに出て来る古語カニハ(桜皮)が甚だ似ていることも周知の通り。アイヌ語と日本語の古い交流の謎として次の代の研究課題であろう。とにかくこの栃内はアイヌ語地名。トチ・ナイ(栃の・沢)と読むべきだろう」(『東北・アイヌ語地名の研究』山田秀三・草風館)。

 カシミールで検索すると、栃内(岩手県遠野市・北上市・紫波町)・栩内川(青森県)があるが、北海道には無い。

 「西中国山地」には「トチ」「トシ」を含む地名は20ほどある。いずれも谷名である。

 オオトチ・オオドチ・オトジロウ・カミトチヤマ谷・ゴウロドチ・コブドチ谷・シモトチヤマ谷・トチゴヤ谷・トチサコ・トチ谷・トチノキエキ・トチノキエゴ・トチノキ谷・トチバシ谷・二本ドチなど。

 匹見町の石ヶ坪遺跡では、縄文中期の九州系の並木式・阿高式土器が相当量含まれ、後期では瀬戸内系の中津式土器が多数を占め、九州系の鐘崎式土器も相当量含まれる。水田ノ上遺跡の配石遺構は東日本の環状列石状の遺構に類似し、関東から東海地方および九州地方との交流によってもたらされた文化といえる。中国山地脊梁地帯を東西につなぐ文化の伝播ルートが存在したと考えることができる(『中国山地の縄文文化』)。

 「トチナイ」はアイヌ語地名であるが、「トチ」の呼び名は東西の縄文文化をつないだ時代に東北からもたらされたのであろうか。


 食糧として保存されたトチの実

 匹見町のヨレ遺跡(匹見町半田)から食糧として保存されたトチの実が出土した。縄文時代から「トチ」に関する呼び名があったと考えられる。

島根県HP『山々に囲まれた生活』
(匹見町の遺跡に見る縄文の暮らしと祈り)から
食糧として保存されたトチの実
匹見町・ヨレ遺跡出土

 石ヶ坪遺跡から石皿(いしざら)、磨石(すりいし)が出土している。アクヌキしたトチの実やドングリを石皿や磨石などを使い粉状にして調理したと考えられる。

 「匹見町の広見・三葛・戸村・矢尾等の奥山には、2m幅の板が採れるほどの栃の大木があったが、昭和30年前後に伐採した。
 栃の実は秋になると農家の各戸で多量に広い、中では2〜3俵にも及ぶ者がいた。実は皮殻に皺が寄るまで乾して貯え、暇の時に炒って干し、入用の時はたいて煮た上食べもした。この実で栃餅を作った。その製法は皮剥ぎで水に浸した固い実の殻をとり、庖刀で小さく刻んだものを流れの水に漬けて一週間位置いた後、二〜三日灰水に入れて置くと苦味がとれる。この時餅米や粟と一緒にセイロウで蒸して餅に搗く」(『石見匹見民俗』矢富熊一郎)。


 トチノキの語源

 トチノキの語源については横山健三氏の「トチノキの呼び名について」に詳しくある。以下は『トチノキの呼び名について』からの要旨=○の部分)。

○「大同類聚方」(806〜809)
 「止知乃美」(トチノミ)
 「度知之美之」(ドチノミノ)
 「止智久留味」(トチクルミ)
 「止智久留免」(トチクルメ)
 「止知久美」(トチクミ)

○「新選字鏡」(892)
 「橡・詳爾反木実止知」 

○「類聚名義抄」(1100年代)
 漢字の「橡・木+太・杼(予木)・朽・栩・木+宁」にトチの和訓
 「朽」の漢字に「朽・トチ・十千・義攷」とある
 「十千」(その実の多いこと)

○トチの方言
 トジ(青森・秋田・宮城)
 トジノキ(青森・秋田)
 トンジ(青森・秋田)
 トツ(秋田)
 トツノキ(岩手・宮城)
 

 「大同類聚方」には「袁々波差乃美」(大麻の実?)があるので、「止知乃美」は「トチの実」であろう。 

 『本草和名』(918)では「橡実」に「和名都留波美乃美」とあり、「つるはみ」は万葉集に六首あり、「クヌギ」のことであると言う。

 『倭名類聚抄』(934)では「杼」に「和名止知」とある。

 以上から800年代の初めには「トチ」の呼び名が確立していたと考えられる。東北の「トチナイ」地名がこれより古い地名であれば、「トチ」はアイヌ語であると思われる。


 アイヌ語では『知里真志保著作集』植物編に以下のようにある。

 tochi (to-chi) トチ 果実(トチの実)
 tochi-ni (to-chi-ni) トチニ 茎(トチの木)

 『この茎で臼・杵などの家具を作った。果実は乾し貯えておき、目や傷の薬に使った。使う時は水に漬けて柔らかくし、それを割ってその浸出液で眼を洗ったり傷を洗ったりした』(『知里真志保著作集』・平凡社)。

 『知里真志保著作集』に「トチ」の語源説明がないが、カシワのアイヌ語は「tunni」(トンニ)で、「tun-ni」と分析され、「tun」は「粒」の意で、「トンニ」は「ドングリの粒のなる木」の意味である。

 トチはアイヌ語から次のような語源を持つと考えられる。

 tun-us トン・ウシ(トシ・トジ・トチ・トンジの転訛)

 「トン・ウシ」は「粒が・多い」の意。

 「トチニ」は「実が多くある・木」(十千)の意。

 タラノキはアイヌ語で「ay-us-ni」(アイウシニ・アユシニ)で「とげ・多くある・木」の意である。

 ニシキギは同じく「rap-us-ni」(ラプウシニ・ラプシニ)で「翼・ついている・木」である。


 万葉集に「橡」を含む歌が五首、「つるはみ」が一首ある。「橡」は「つるはみ」と読み、クヌギのことである。「つるはみ」は樹皮やドングリ、帽子(殻斗)で染めた色のことであると言う。

 1311 「橡の衣は」
 1314 「橡の解き洗ひ衣の」
 2965 「橡の袷の衣裏にせば」
 2968 「橡の一重の衣」
 3009 「橡の衣解き洗ひ」
 4109 「都流波美のなれにし衣になほしかめやも」

 万葉集の六首は、上記のように「つるはみ色の衣」の意味で使用され、「橡」は「衣」の枕詞になっている。「つるはみ」は「橡色」を表わすだけでなく、「衣」の意味も含んでいると考えられる。

 「ツルハミ」が縄文期からの呼び名であれば、次のように解釈できる。

 turep-amip ツレプ・アミプ 実・衣

 turep-ami → turepami の転訛。

 「実の・衣」(turepami)はドングリの帽子(殻斗)のことである。

 縄文遺跡からドングリが多く出土しているが、「橡」染めの歴史は縄文時代にさかのぼるのかもしれない。カシミール検索では、「つるばみ」と呼ぶ地名が青森県に三ヶ所、熊本県に一ヶ所、「つるはみ」が静岡県に一ヶ所ある。


 クリのアイヌ語は次のように表わす。

 yam ヤム 果実(栗の実)
 yam-ni ヤム・ニ(栗の実の・木)
 rayta ライタ (イガ) 
 yam-sey ヤム・セイ(栗の実の・貝殻)=(イガ)

 「ライタ」「ヤムセイ」のように、クリのアイヌ語は「イガ」にその名の由来があるが、アイヌ語「am」(アム)には「爪」の意があり、「yam」の語源は「am」であったと考えられる。

 am-ni アム・ニ イガのある実の・木

 am → yam の転訛。


 クワのアイヌ語は「turepni」

 turep-ni トレプ・ニ 実・木

 アイヌは果実を生で食べた。

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カシミール3Dデータ

カラスアゲハ

総沿面距離15.3km
標高差643m

区間沿面距離
レストパーク
↓ 6.7km
ゲジガ谷
↓ 3.3km
御境
↓ 3.9km
赤谷
↓ 1.4km
レストパーク
  

 


 
石ヶ坪遺跡の石皿(33−53 33−54は敲石 『石ヶ坪遺跡』匹見町教育委員会より)
石ヶ坪遺跡の石皿(上の石器番号33−53の実測図 54は敲石 『石ヶ坪遺跡』匹見町教育委員会より)
石ヶ坪遺跡の磨石(31−46 『石ヶ坪遺跡』匹見町教育委員会より)
石ヶ坪遺跡の磨石(上の石器番号31−46の実測図 『石ヶ坪遺跡』匹見町教育委員会より)
裏匹見峡
裏匹見峡・表匹見峡の図 昭和40年(『石見匹見町史』)
鈴ヶ岳と下の懸崖
御境上の展望地から見える冠山 右端
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より