山歩き

ツゴウ谷…ホンゾウのクビレ…向半四郎…大虫谷
2010/3/6

ツゴウ入口…タタラ原…カンナ跡…ホンゾウのクビレ…向半四郎…ジヘイ…大虫谷…岩節渓流…表匹見峡…ツゴウ谷入口

■向半四郎(ムコウハンシロウ)1118m:島根県美濃郡匹見町大字匹見字広見 (益田市)

ツゴウ谷入口
山道の鉄橋
ツゴウ谷の取水口
スギ林の石垣
ワサビ田跡の石積
ツゴウ谷左岸のススキ原
鉄滓 鉄クズ カナクソ
カンナ跡付近
カンナ跡上流の滝
ホンゾウのクビレ分岐の小滝
ガスの水源を進む
登山道のススキ
向半四郎
ジヘイの谷のワサビ田跡の石積
ハイイヌガヤ群生地を進む
右岸のスギ林に入る
ウチミチの谷
オリトの谷と左岸の平坦地
岩節渓流入口
 
10:55 ツゴウ谷入口 曇り 気温15度
 
ヤブツバキ

11:05 取水口
12:25 都合越落口
14:35 ホンゾウのクビレ
14:50 向半四郎
16:30 ウチミチ分岐
16:55 大虫・小虫合流点
17:10 岩節渓流入口
17:25 ツゴウ谷入口

 雨後、「津号谷渓流取水口(7号暗渠)」の標柱のある山道を進む。山道はツゴウ谷入口にあるゴルジュと滝を巻いて左岸に入っている。滝を越えると取水口がある。谷に下りる階段があり、右岸に渡って取水口までの道が付いている。

 取水口付近から、先日降りてきた右岸の尾根の岩場が見える。左岸の山道を進むと、左岸に降りる小谷がスギ林となっている。スギ林の中に石垣があり、水田跡のように見えるがかつて銅山があったと言う。石垣はツゴウ谷左岸に続いている。左岸の山道はこの辺りで消失する。

 谷を進むとワサビが葉を出していた。ワサビ田の石積が残っている。谷にはワサビ田が続いていたようだ。オクノカンスゲがもう花を付けていた。都合越から降りる小谷の落口付近の右岸に小さいススキ原があった。左岸の高台もススキ原になっている。左岸のススキ原に上がってみた。ススキの周辺にメダケに似た小さいササが生えていた。

コチャルメルソウ
谷に転がっている鉄クズ
鉄滓が埋もれた山の斜面

 この付近にだけ何故ススキ原なのか不思議に思いながら先に進むと、谷に鉄滓が転がっていた。崩れた山の斜面は鉄クズの山であった。この付近は「かんな跡」であった。ススキ原から鉄クズのあったところまで150mほどであるが、ここにカンナ場があったと考えられる。下流の右岸を「タタラ原」と呼んでいるが、都合越の南の谷付近のことであるのかもしれない。

 鉄滓の山の上は潅木となっている。高度が増すに連れガスが濃くなってきた。滝を越えると50mほどの視界しかない。ホンゾウのクビレに出る分岐の下は小滝となっている。いくつか谷の分岐があるが水流の多い方に進む。水が無くなると鞍部の直下である。ササを分けて登山道に出た。3時間半ほどでホンゾクのクビレに到着。

オクノカンスゲ

 ガスの尾根を進む。この辺りはササ原であるがススキも多い。ジグザグ道を上がるとまもなく向半四郎。ガスで視界は全く無い。少し休憩して登山道を進み、ジヘイの谷に下った。ガスで煙るササの斜面を下る。この谷は滝が無い。平坦な谷を下るとワサビ田の石積が残っていた。左岸はハイイヌガヤが群生する。

 ワサビの葉が出る谷を下り、右岸のスギ林に入る。左岸を進み、平坦なウチミチの谷に出た。左岸のスギ林を下り右岸のスギ林に入る。この辺りの山道は石垣が残っており木馬道であったようだ。オリトの谷の左岸は平坦地となっている。右岸、左岸と渡りながら小虫谷合流点の下流の山道に出た。そこからまもなく岩節渓流入口に到着。向半四郎から2時間半ほどであった。

オウレン
ヤマアイ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。

広見山周辺の黒ボク土(緑)
国土交通省土壌GIS+カシミール3D
半四郎山周辺の植生図(黄色=ススキ群団)
環境省植生図(第6回・7回)+カシミール3D

●ノドガエキ
 notka-an-ekimne
 ノッカ・アン・エキムネ
 仕掛け弓・ある・山へ行く(黒ボク土)

 notuka-eki の転訛。

●メンギガエキ
 mun-ki-kar-ekimne
 ムン・キ・カル・エキムネ
 草・茅を・刈る・山へ行く(黒ボク土)

 mun-ki-ka-eki の転訛。

●七人小屋のクビレ(ノノハラ谷の鞍部)
 chi-nuye-nupuri-ko-yan-nay-kipir
 チ・ヌィエ・ヌプリ・コ・ヤン・ナイ・キピリ
 我ら・焼き掃う・山・へ向って・上がる・川の・丘(黒ボク土)

 chi-nu-nu-ko-ya-na-kipiri の転訛。

●ノノハラ谷
 chi-nuye-nupuri-ko-yan-nay
 チ・ヌィエ・ヌプリ・コ・ヤン・ナイ
 我ら・焼き掃う・山・へ向かって・上がる・川(黒ボク土)

 nu-nuhuri の転訛。

●イケノ原谷
 nuyeke-nupuri-pet
 ヌィエケ・ヌプリ・ペッ
 焼き掃う・山・川(黒ボク土)

 ieke-nuhuri の転訛。

●ホンゾウのクビレ
 hu-mun-so-us-nup-kipir
 フ・ムン・ソ・ウシ・ヌプ・キピリ
 青・草が・あたり一面・群生する・野の・丘(黒ボク土・ススキ原)

 hu-mu-so-u-nu-kipiri の転訛。

 「広見側の谷の名は意味不明のものが特に目立つ。メンギガエキ、ノノハラ谷、オソゴエ谷、カソウシミ谷等は方言辞典を引いても部分的にしか意がつかめず、広見という集落はよほど古くからあったものと思われる。谷のことをタンとかダンと発音する老人もあり他地方の呼称、方言も入っているように思える」(「西中国山地」桑原良敏)。

 上の地図にある谷名は広見川から広見山、半四郎山の尾根に上がる谷である。尾根上は黒ボク土であり縄文期、ススキ原であったと考えられる。ススキ原は野焼きによって形成された。狩場を作るために野焼きをおこなったと思われる(ノドガエキ)。

 アイヌ語「nupuri」(ヌプリ)は日本語「ノボリ」に転訛している場合が多く、「ノハラ」にも転訛したと思われる。

 ヌプリ→ノボリ→ノホリ→ノハラ

 キビレ、クビレは鞍部を意味するが、アイヌ語「キピリ」は「丘」の意である。

 キピリ→キビレ→クビレ の転訛。

●ツゴウ谷
 tu-kotan-nay
 ツ・コタン・ナイ
 廃・村・川

 tu-ko の転訛。

 匹見川、紙祖川分岐点の上流にある石ヶ坪遺跡では次のような指摘がある。

 「むしろ注意しておきたいのは石錘の多さである。これは山間部における小河川漁労が盛んに行われていたことを示すものである。現在の生業暦では、匹見川や紙祖川において漁労が行われるのは春から秋にかけてであり、縄文時代の人々もこれに準じたとすれば、その主な生業活動は冬以外の時期に行われたとみてもよいだろう。その場合、石ケ坪遺跡において当時の人々が通年的な定住生活を送っていたのかどうかという点が問題となる。これまで、石ケ坪遺跡からは多くの配石遺構が検出されたとされており、その点をもって当時の拠点的な集落とみる向きもあるが、季節的に限定されたいわゆる「ナツの集落」であった可能性も今後視野に入れながらさらに検討がなされるべきであろう(『石ヶ坪遺跡発掘調査概報W』島根大学法文学部考古学研究室)。

 石ヶ坪遺跡では108個の石錘が出土しているが、最大のものは744g、最小は6gで、魚種に応じて漁の仕方が工夫されていたと思われる。

 匹見川最上流の石錘の発掘地点は下臼木谷の塚ノ町遺跡である。そこから下流に点々と石錘が発掘された縄文遺跡がある。縄文人は一年の内の漁期の間だけそこで暮らしたと考えられる。

 アイヌ「コタン」は家一軒でも「コタン」と呼ぶ。ツゴウ谷落口は表匹見峡の中で数少ない平坦地となっている。縄文人の「サクコタン」(夏村)や「マタコタン」(冬村)があったと考えられるが、上流にはもっと良い漁場があり、この村は使われなくなったと思われる。

●ジヘイ
 chi-pes
 チ・ペシ 我ら・下る(沢)

 chi-pe の転訛。

 ジヘイの谷は滝の無い、通行し易い谷である。狩場の尾根から匹見へ上り下りする通行路であったのかもしれない。

●ウチミチ
 ussi-pes
 ウシシ・ペシ
 鹿蹄・下る(沢)(スゲ群生)

 ushi-peshi の転訛。

 下流の大虫谷、小虫谷は鹿の好むスゲ類が多い。鹿の多い谷であったか。ススキの尾根から谷へ降りる鹿の通り道であったか。

●オリト
 iwori-tu
 イオリ・ト
 その狩場の・山(沢)

 ori-us-utu(-nay)
 オリ・ウシ・ウト(・ナイ)
 丘・ある・脇(沢)

 ori-tu の転訛。

 周辺は鹿の多い狩場であった。あるいはオリトの谷左岸が平坦地であり、丘のある枝沢であったか。

●シロウクラ(匹見川へ下りる谷)
 sirar-us-kura
 シララ・ウシ・クラ
 岩礁・ある・岩崖

 落口に岩礁がある。

 sira-u-kura の転訛。

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カシミールデータ

フキ

総沿面距離11.0km
標高差795m

区間沿面距離
ツゴウ谷入口
↓ 4.7km
ホンゾウのクビレ
↓ 0.3km
向半四郎
↓ 4.8km
岩節渓流入口
↓ 1.2km
ツゴウ谷入口
  

 
匹見川水系縄文遺跡の石錘数
匹見川水系縄文遺跡の石錘
鉄滓捨て場の下流 ツゴウ谷左岸の平坦地 カンナ場の小屋跡かもしれない
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より