山歩き

頓原…冠山東尾根…冠山…冠山南登山道
2010/1/23

頓原(新焼山橋)…ハシノ谷林道…冠山東尾根…冠山…源流碑…冠山南登山道…寺床…ジャノツ谷西尾根…一軒屋…頓原

■冠山(カムリヤマ)1339m:広島県佐伯郡吉和村字吉和西(点の記) (廿日市市)

ハシノ谷左岸を通る林道
林道終点手前100m付近から道が崩壊
尾根の二次林を登る
スギ林に入る
登山道の大岩
1129Pから見えるクルソン岩
1129ピーク
冠山
冠山東尾根のブナ 周囲3m
冠山
広高山
土滝山東のブナ林
フカ谷を渡る
頓原
頓原神社
茅葺民家
左焼山川 右吉和川 新焼山橋付近で合流する
 
6:55 頓原 曇り時々雪 気温−3度
 

7:45 林道終点手前
8:40 大岩
9:15 クルソン岩分岐
10:15 冠山
10:35 源流碑
11:05 冠山南登山道
11:10 寺床
12:15 ジャノツ谷落口
12:30 換気塔
12:40 一軒屋(一軒家)
13:35 頓原(新焼山橋)


 新焼山橋付近を出発。国道沿いの田んぼの水が凍っている。水田の雪が融けて地面が現われている。下頓原から集落を抜けて除雪された車道を上がると、道は高速道の下を通る。林道が高速道沿いに続いている。道の北側の林の先に長い石垣が築かれた山がある。

 雪の林道を西へ進むとすぐに山へ入る林道に分かれる。林道はハシノ谷の左岸に入って行く。サワグルミの果実がぶら下がって残っていた。林道が右岸に渡る所で道が崩壊していた。その辺りから山の斜面に取り付いた。少し登ったところで振り返ると、ハシノ谷左岸の山腹にも林道が通っていた。

 伐採後の二次林の林を登る。スギの植林帯に変わると国体コースの登山道に入る。大岩の所で少し休憩、断続して小雪が舞う。1129ピークに差し掛かると、北側の尾根にクルソン岩が突き出ているのが見える。クルソン分岐を過ぎると南側に展望があり、降る雪の中に冠高原が薄く見える。

マンサク

 登山道を外れて冠山東の尾根を登った。林の先に雪で煙る冠山が見える。山頂に近づくと大きいブナが多くなる。一番大きいブナを測ってみたが3mほどであった。4mを超えるブナはなかなか無いものだ。

 出発から3時間余りで冠山に到着。山頂付近は雪が横から降り、気温はマイナス5度。展望地は北から風が吹き付ける。雪が舞い、薄っすらと見えるのは広高山と坊主山ぐらいであった。早々に南へ下った。

 源流碑まで下ると、昨年末、山で会った人に再会した。一軒家から南尾根の登山道を上がって来られたとのこと。一緒に下山することになった。源流碑からトラバースして冠山南尾根の登山道に出た。土滝山東の山腹もブナの多いところである。

カンボク

 一軒家からの踏み跡を辿って下った。冠山南登山道の途中からジャノツ谷の西尾根を降りた。急な尾根を下り、ジャノツ谷を渡り、さらにフカ谷を渡ってフカ谷とジャノツ谷の合流点付近に出た。フカ谷の左岸を進み高速道の換気塔に到着。谷渡りの急な尾根をよく登って来られたものだと感心した。

 一軒家で別れ186号線を進んだ。バス停幟町村の西側は清水原川とも呼ぶようだ。国道に清水原橋が架かっている。東側はムカイ谷と言う。石寺を過ぎると吉和川が蛇行し、上頓原のバス停があり、頓原地区に入る。マンサクの黄色の花が咲いていた。頓原神社は小さな社であった。茅葺屋根の家が一軒だけあった。

キリ


地名考

 日本の縄文語(日本列島共通語)を受け継いだのは、アイヌ語系民族であった。

 アイヌ語によって西日本の古い地名が合理的に説明できることは、その一つの証でもある。

 西中国山地にアイヌ語地名が存在することは、その地名は縄文時代から呼ばれていた可能性のある地名と思われ、またアイヌ語地名が存在することは、その地名の周辺に縄文遺跡が存在することを予見している。
 

 土壌は、風化作用と生物の働きにより、主に鉱物と生物体(有機成分)から形成される。生物、特に植物の存在が必須であるために、地球以外には存在しない。鉱物は地表に存在する岩石の構成物である。陸上では、狭義の土壌はほぼ平均して1メートル以下程度の厚さしかないと予想されている。土壌の生成には、母材・気候・地形・生物・時間の5つの要因が大きく影響する。これに、人為を加える場合もある(「地球資源論研究室」HP)。

 
 頓原付近の吉和川沿いは「江部乙統(Ebe)」(細粒黄色土壌・クリーム色)の土壌となっている。黄色土は排水不良地に出現する。この土壌域の北と東側は黒ボク土壌(Ysi-1,Ysi-2)、南側は褐色森林土壌(Tak-1,Tak-2)である。「江部乙統(Ebe)」は幅150m、長さ1kmほどの広さで、新焼山橋付近から上頓原バス停付近まで続いている。

 下の土壌説明にあるように頓原は「江部乙統」「蓼沼統」に分類される土壌で、頓原付近は湿地や沼地に形成された土壌と思われる。黒ボク土(Ysi-2)は、1万年前から形成された土壌であり、ススキ原であったと考えられるが、頓原付近の吉和川沿いにススキ原が侵入しなかったことは、「江部乙」土壌の形成地域が、縄文期に沼のような地形であったと考えられる。
 
 頓原周辺の土壌から予想される縄文期の景観は頓原の北側と焼山川沿いはススキ原であり、頓原の南側はクリ林であり、それらに囲まれるように沼があったと考えられる。

 周辺の縄文遺跡は、頓原の北側の高速道沿いに頓原遺跡、頓原東遺跡、焼山川沿いに焼山1号〜4号遺跡の四つの遺跡、汐谷遺跡、さらに半坂遺跡、飯山貯水池遺跡がある。

 飯山貯水池周辺では北岸から東岸にかけて、縄文土器・石鏃などが採集されている。頓原遺跡は旧石器時代から縄文時代早期の原産地における石器製作遺跡と考えられている。半坂遺跡は縄文時代早期を中心とする遺跡、焼山3号遺跡では、安山岩のほか黒曜石製の石鏃・剥片が出土、焼山4号遺跡では安山岩製の石鏃・スクレーパー・楔形石器・剥片が採集された(『冠遺跡群X』広島県教育委員会・広島県埋蔵文化財調査センター)。


●頓原(トンバラ)
 to-un-par
 ト・ウン・パラ
 沼・に入る・入口

 to-un-huru
 ト・ウン・フル
 沼・ある・丘

 頓原は川名であったと考えられる。「沼に入る入口・の川」「沼ある丘・川」の意である。「頓原川」の入口は焼山川川口の下流にあったと思われる。新焼山橋の下流の吉和川左岸に尾根が迫っており、この辺りが沼の入口であったと考えられる。

●焼山川(ヤケヤマガワ)
 yanke-yam-pet
 ヤンケ・ヤム・ペッ
 集落に近い方にある・クリの実・川

●小ヤケヤマ谷(コヤケヤマタニ)
 husko-yanke-yam-pet
 フシコ・ヤンケ・ヤム・ペッ
 古い(元の)・焼山川

 周辺の植生は「クリ−ミズナラ群集」である。縄文期からクリの実を取っていた山と考えられる。最初、クリの木はコヤケヤマ谷に多くあったが、クリの木は焼山川周辺に広がっていったと考えられる。

 「集落に近い方にある」とは焼山川沿いの焼山遺跡がある辺りに村があったと考えられる。

●マツコウ谷(黒ボク土)
 muntum-kotan-pet
 ムンツム・コタン・ペッ
 ススキ原の・村・沢

 mutu-ko の転訛。

 マツコウ谷は焼山川の川口付近にある小谷であるが、縄文の村があったと思われる。周辺は黒ボク土でススキ原であった。

●ツカ松(ツカマツ・黒ボク土)
 tukan-muntum
 ツカン・ムンツム
 矢を射る・草原

 tuka-mutu の転訛。

●タカトウ山(ツカ松の谷の水源の山)
 tukan-muntum
 トカン・ムントム
 矢を射る・草原

 tukan-mutu → tokan-tom の転訛。

 「トカン・ムントム」と表すタカトウ山は「トカントム」(tukan-tum)と呼ばれたと考えられる。閉音節「n」「m」が省略され「トカト」と呼ばれるよになり、「トカトゥ」→「タカトゥ」に転訛したと思われる。

 焼山川沿いに四つの縄文遺跡がある。地名から焼山川の川口に縄文の村があったと考えられる。
 焼山遺跡から鏃が出土しているが、ツカ松やタカトウ山は狩場であったと考えられる。

 アイヌ語地名に「chi-tukan-pira」(我ら・矢を射る・崖)、「u-tukan-pet」(互いに・弓射る・川)などがあり、知里幸惠の「アイヌ神謡集」に「kamuy-chikappo-tukan」(神様の・鳥を・射当てる)がある。

 アイヌ語「tukan」は「トカン」と呼ぶが、「ツカン」とも聞こえるようであり、「ツカマツ」「タカトウ」の二つの呼び名が地名として残ったと考えられる。「タカトウ」「ツカマツ」は一つの地名から派生した同じ地名と考えられる。

●サコ谷 
 sak-kotan-pet 
 サク・コタン・ペッ 
 夏・村・沢

●サコガ谷 
 sak-kotan-kes-pet 
 サク・コタン・ケシ・ペッ 
 夏・村・の端の・沢

 sa-ko-ke → sa-ko-ka の転訛。

 サコ谷付近に「夏村」があり、村端にサコガ谷がある。「夏村」は夏の間だけ滞在し、狩猟、漁、採集などをしたところである。

●ハシノ谷 
 has-inaw-us-pet 
 ハシ・イナウ・ウシ・ペッ 
 枝の・木幣・ある・川

 has-inaw → hashi-na の転訛。

 「ハシイナウ・ウク・カムイ」(has inaw uk kamuy)は、「枝幣を・取る・神」すなわち「山幸を恵む神」「狩の女神」で現実にはカケスなどの小鳥の姿をとる狩猟の神の意である(『知里真志保著作集』)。ハシノ谷には頓原東遺跡があり、石器製作場であった。石器製作場には木幣が立てられ、神を祀っていたところであったのかもしれない。ハシノ谷の近くに頓原神社がある。

●一軒家(イッケンヤ・一軒屋) 
 i-chi-ke-us-ya 
 イ・チ・ケ・ウシ・ヤ 
 そこで・我ら・剥ぐ・ことをいつもする・岸

 i-chi-ke-u-ya の転訛。

 一軒家は伴蔵川と吉和川の合流点にある。伴蔵川には冠山安山岩が流出している。頓原遺跡は石器製作場遺跡であるが、石器製作場遺跡の冠高原と頓原の間にある一軒家にも石器製作場があったと考えられる。

 冠山安山岩は石の面が平行に重なった岩で、鏃や尖頭器などの石器を製作する過程は、石を削るのでなく、石の面を少しずつ剥ぎ取って形を整えていく作業である。

 「chi」で始まるアイヌ語地名に以下がある。
 chi-tukan-us-nay 「我ら・射る・いつもする・川」
 chi-nuye-pira 「我ら・刻んだ・崖」
 chi-nomi-sir 「我ら・礼拝する・山」
 chi-e-toy 「我ら・食べる・土」
 chi-ke-p 「自分を・削った・者」

 「ke-us」を含むアイヌ語地名
 at-ke-us-i 「オヒョウニレの皮を・剥ぐ・いつもする・所」
 op-ke-us 「槍を・削る・いつもする」
 o-ni-ke-us-pe 「入口で・木を・削り・つけている・もの」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カシミールデータ

総沿面距離13.2km
標高差710m

区間沿面距離
頓原
↓ 1.6km
ハシノ谷林道終点手前
↓ 3.2km
冠山
↓ 5.3km
 一軒家
↓ 3.1km
頓原
  

 
 
 
頓原付近の土壌図 (国土交通省土地分類基本調査より)
・頓原付近の吉和川沿い Ebe(江部乙統 細粒黄色土壌・クリーム色)
 江部乙統の広さは幅150m 長さ1000m
頓原付近の土壌図の説明 (国土交通省土地分類基本調査簿冊より)
青線 「江部乙統」の推定領域 
頓原遺跡の出土石器(『吉和村誌』)
『吉和村誌』付属の地図の一部
「西中国山地」(桑原良敏)の原図に無い地名が加えられている。
冠山から見た坊主山方向
登路(薄茶は900m超 茶は1000m超)  「カシミール3D」+「国土地理院『ウォッちず』12500」より